生姜のように辛くクッキーのように甘い

苔氏

第1話

「だからね……ってちょっと話聞いてるの?」

先輩に何回も頭を下げ、タイトスカートからすらっと伸びる黒いタイツが目に入る。

「はい……すみません」

「すみませんって……私たちの部署にも迷惑かかっちゃうんだよ」

この会社に転職して半年俺は、大きなミスをした。

「すみません」

 俺にはこのミスをどうしようもできない、ただただ謝る事しかできなかった。

次は部長の所へ行かないと……これ以上怒られるのかな?……

「まぁ、いいわ。ちょっと着いてきなさい」

 先輩は席を立ち、指をくいっとした。

 えっ……、生気がない返事をしてしまった。

「何? 今から部長の所行くんでしょ? 私は君の教育係だからね。君のミスは私のミス」

 連れていかれるように部長室に入った。

「今回は私の管理のミスです。すみません」

いきなり、自分が謝る場所を取られて静かに驚いた。急いで自分も謝った。

「すみません」

 部長は穏やかな低い声で二人に告げた。

「まぁ、今回はそこまで大事にはならなかったみたいだから……まぁ、以後気を付けるように。あと笹藤君は残るように」

俺は戻されオフィスへ向かった。数分後、先輩は何事もなかったように帰ってきた。

「なんで先輩が謝ったんですか? 自分が犯したミスなのに……先輩が怒られるようなことじゃないのに……」

 自分のせいだが先輩が怒られる。不甲斐ない自分が許せなかった。

「君はやさしいね。私は君の教育係だよ。あと部長とは世間話してただけ。あぁ見えて部長意外と優しいんだよ」

笹藤先輩は笑顔で俺に返した。

部長から怒られたに違いないのに……前の職場では八つ当たりなんてざらだったのに……あぁそうか俺はもうダメな奴って思ってるのかな。

「本当ににすみませんでした」

 俺は謝る事しか出来なかった。

「君は謝ってばかりだね。大丈夫だから。人なんて生きてたらミスはつきものだよ」

 先輩はまたニコリと微笑みながら肩をポンポンと叩いた。

「先輩はポジティブなんですね」

「何? 嫌味?」

笑いながら俺をからかってきた。勿論嫌味なんて言うつもりはなかった。

「そ、そんなつもりは……」

「ふふっ、わかってるよ。君はそんなこと言わないって。ところで、きょうの夜は空いてる?」

少し上目遣いでこっちをうかがってきた。もしかしてごはんの誘いみたいな奴か? ドラマみたいな展開か? な訳ないだろうけど……

「え、まぁ……」。

「ほんと? 良かったぁ。ちょっとお願いがあるんだけど……」

「残業ですか?」

 ぱぁっと先輩の表情が明るくなってこっちを見つめてきた。

 その視線に耐えかねた俺は目を逸らした。


「もう十二時か」

独り言を言いながら伸びをしながら肩をぐるぐる回した。部屋は既に俺たちがいるところ以外は暗くなっていた。

「お疲れさま。どう、終わりそう? ごめんね。意外と多くって。二人でやればすぐかなって思ったけど終わると思ったんだけど……はい、これコーヒー」

 後ろから先輩が声をかけてきた。

「ありがとうございます。いや、大丈夫ですよ。こっちもすぐ終わりそうなんで」

 申し訳なさそうな顔で先輩は自分の席へもどっていった。

 目頭を押さえマッサージをしながら先輩から貰った缶コーヒーで喉を潤した。

 

 それから一時間後、すべての作業が終わりパソコンの電源を落とした。ふぅっと、小さく息を吐き、身体の力を抜いた。先輩の方を見ると先輩は伸びをしていた。

終わったのだろうか? 聞きに行くのも気まずいし……。

 すると俺の視線を感じたのだろうか笹藤先輩がこっちを向き、目があった。

「君の方も終わった?」

 二人だけのオフィスで笹藤先輩の声が響いた。

「はい、終わりました」

 そう言うと、先輩は疲れ気味で猫背になりながらこっちに来た。

「お疲れ様……きょうは良く寝て、明日またお仕事しましょうね」

「お疲れ様です。いや、明日は土曜日なんで休みですよ」

「あはは、そうだったね。じゃあまた」

先輩はあくび交じりの声で俺を帰した。

「はい。先輩も早く休んでくださいね」

家に帰ると、疲れのあまり、ふろにも入らず寝てしまった。

あれから数か月が経ち、先輩とは教育係ではなく、同じ部署の先輩と後輩になっていた。

「来週のプレゼンの原稿できました」

「どれどれ、んー……席戻っていいよ」

そう言われ、席に戻ろうとした。

「ちょっと待って、これ誤字多すぎ。見てみてよ」

 先輩からさっき渡した原稿を見せ、ここも、ここもと言わんばかりに指さし、間違いを指摘した。

「もう少し見直してから持ってきて」

「すみません」

 俺は先輩に頭を下げて、自分の席へ戻った。

「厳しいな、やっぱり笹藤さんは」

「何だよ成田、冷やかしか、さっさと自分の事やれよ」

 成田は俺が転職した時と同じぐらいに、ここの部署に配属になった。

言わば同期。それと同時に友人だ。

「半分貸せよ。誤字脱字は赤ペンで直してやるから」

「ありがとう、恩に着るよ」

「まぁ、そうだな。この恩は今度居酒屋で」

「高くついたもんだな」

少し談笑しながら再び画面に顔を向けた。

「きょうはさ、バレンタインデーだけど誰からか貰ったか?」

 成田は集中できずに、こっちに話しかけてくる。

「まだもらってないし、俺には、そんなくれる友達はいないよ。そんな事はいいから手を動かせよ」

 にやにやしながら成田はこっちを向いてくる。

「笹藤先輩は? どうなんだよ?」

 俺は内心ドキッとした。先輩は厳しいがしっかり出来たら褒めてくれて……この前だって俺だけを残業に……いやそんな関係ではないし……いやいや、ありえない。

 頭の中がグルグルとし始めた

「おい、顔赤いぞ。まさか」

 成田から指摘されるまで分からなかった。まさか自分がここまで顔に出やすいなんて……

「わかりやすいな、まぁ帰りまであと二時間ちょっと。諦めんなよ」

「原稿は終わった?」

先輩が話しかけてきた。

「すみません、原稿の直しが終わってなくて、やば! もう定時!? あと少しで……」

「だめっ! 今月は労基ギリギリでしょ。帰らなきゃ」

「わかりました」

 申し訳なさそうなに了承した。

「分ればいいの。まぁプレゼンは一週間後だし、まだまだ時間はあるよ」

 先輩は安心させるかのように微笑みかけた。俺はそれを見て少し安心した。

「そうだよ、まだ大丈夫。帰るぞ」

 成田にも急かされ、荷物をまとめた

「はい、お疲れ様」

俺たちを見送った笹藤さんは再び自分の席へ戻っていった。それを横目に成田と共に退社した

「残念だったな」

「何が?」

「何がって、バレンタインだよ」

駅までの帰り道、成田の方が悔しがっていた。貰えない事は薄々分かっていた。

「まぁ、仕方ないよ。俺なんて眼中にないよ」

 成田に笑いながら言ったが、自分で言っていて悲しくなった。

「あれ、スマホが……」

 駅に近づき、俺はスマホをポケットから出そうとしたが、どのポケットにもなかった。

「ごめん成田、先に帰ってくれないか……スマホ忘れたみたいで」

「お、おう分かった。気をつけてな」

 そう言うと成田と別れ、もう一度会社へ向かった。


 誰もいないのか……。オフィスは一部分の電気が消され薄暗くなっていた。

「いらないですよ」

「え、でも……」

電気がついてる方から先輩とだれかが話している声がした。俺はとっさにデスクの影に隠れる。次いで男性の声がオフィスに響いた。

「自分はそういうの貰わらない主義なんで、あと、そのクッキー嫌いなんですよ」

男はそう言うとすたすたと出口へ歩いていった。先輩はその男の背中を見るだけで立ち尽くしていた。

男が通り過ぎ、ふぅ、と俺は息をつき、身を屈めながら自分のデスクへと向かった。勿論、笹藤先輩に気づかれないように……。ようやくたどり着くと、何事もなかったようにスマホは卓上に鎮座していた。

ガサガサ!

 肩に書類が当たり雪崩が起こった。

「えっ、誰?」

先輩がその音でこっちに気づいた。隠れるには無理がある。俺は先輩の前に姿を現した。

「なんで、君がここに? 帰ったんじゃ……」

 震えた声でこっちに聞いてくる。

「すみません、スマホを忘れて……盗み聞きとか、そういうのでは……」

「わかってるよ」

 さっきの事があって何を話せばいいかわからず無言になり、とことん気まずかった。

 こっちに気を使ってくれたのか、笹藤さんから話しかけてきた。

「あ、そうだ。これ食べる? ジンジャークッキー……さっき振られちゃった奴なんだけど私、試作品で沢山食べちゃって……捨てるのももったいないからさ……」

 透明の袋に入ったクッキーを震える手で差し出してきた。まさかこんな形で先輩からもらうなんて……

顔を見て取るべきなのだろうが、潤んだ目と少し強がって口角を上げた先輩の顔を注視するような程、肝は座っていない。クッキーを貰ってすぐに目を逸らしてしまった。

「今から食べても?」

今度はしっかりと顔をみて話した。それを聞くといいよ、と彼女は小さく呟き、頷いた。

クッキーを袋から一枚取り出し、口に運んだ。

「ジンジャークッキーですか? 俺はこれ好きですよ。生姜のほのかな辛い風味がクッキー自体の甘さを引き立たせてるっていうか……上手く言い表せないんですけど。どちらも欠かせないっていうか……これ、先輩見たいですよね。いつもは厳しいけどしっかりとやった時は褒めてくれる所とか……」

「えっ……?」

先輩に聞き返されるまで気づかなかった。自分の思考がとっさに洩れてしまっていた事を。

 二人の間にまた気まずい空気が流れ始めた。

「君はおかしな事言うね……」

先輩は、いまにも泣き出しそうな目で俺に言った。

そして数秒の沈黙を破るかのように俺は口を開こうとした。一呼吸置き、ぎゅっと拳を握った。

「あははは、えっと、良ければ、きょう一緒にご飯行きません? ちょっとぐらいなら愚痴聞きますよ……俺、うまい店知ってるんで」

俺は食事へ誘った。何げなく言っている様に言ってみたが俺自身、女性を食事に誘うのは初めてで緊張した。

心臓の音が先輩に聞こえていないか心配だった。

先輩は手を口によせ微笑みながら、潤んだ目を裾で拭った。

「ふふっ、君はやさしいね……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

生姜のように辛くクッキーのように甘い 苔氏 @kokesi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ