雫 ~無情で冷酷な幼女の剣~
伊澄ユウイチ
雫 ~無情で冷酷な幼女の剣~
とある団地の一部屋で、携帯のアラームによって少年は目を覚ます。
「ふぁ~あ、うるさいな……」
携帯の画面を見ると、時刻は理想の起床時刻を大きく回っていた。寝ぼけ眼だった少年は一瞬にして目が開き、慌てて布団から抜け出す。
「やばッ!! また寝過ごした!!」
クローゼットの中に仕舞っている制服に袖を通し、洗面所で顔を洗う。歯を磨きながら台所に足を運び、食パンをトースターにぶち込む。軽く身だしなみを整え、リビングに置いてある鞄を手に持ち、トースターに入れていた半焼きの食パンを咥える。焦りながら靴を履き、少年は部屋から飛び出る。
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歩行者信号が赤を示しているのを確認した少年は、嫌そうな顔を浮かべて渋々足を止める。信号待ちをしているときに、咥えていた食パンを食べ進め、空を見上げる。
(高校に進学してからずっと天気が良い……遅刻ギリギリじゃなかったら気分も乗るのに……)
軽くため息をついて思わず地面を見つめる。
その時、少年がふと横に視線を向けると、黒い洋服に身を包み、白いリボンを首に巻き付けていて、ベリーショートの黒髪を風になびかせている幼い女の子が佇んでいる姿が見えた。
幼女が道路に一歩足を前に進めようとしたとき、猛スピードで突っ込んでくる車が視界の端に入ってきた。少年は咄嗟に幼女の肩に触れ、道に出ようとするのを阻止する。
「危ないッ!!」
危険を知らせる声と共に、幼女の体を手前に引き寄せる。そして車は何事のもなかったかのように通り過ぎ、少年は睨みつけるようにその車を見つめる。
「なんだあの車は……大丈夫? 驚いたでしょ?」
少年は幼女に目を向け、無事を確認する。しかし、幼女から返ってきた言葉は耳を疑うようなものだった。
「信号……青だから引っ張らないでください」
「へ?」
幼女は歩行者用の信号を指さし、無表情で少年を見つめる。感謝の言葉が返ってくるだろうと思っていた少年は、目を丸くして幼女の顔を見つめる。
「ひ……引っ張らないでくださいって、引っ張らなかったら車に轢かれてたんだぞ!!」
声を大にして感情的になる少年に対し、幼女は冷静に感情のこもっていない声で言葉を返す。
「車側が赤信号なのに、進んできたあっちが悪いです。私は信号が進んでも良いよって指示してきたから渡ろうとしただけです。轢かれたら運転していた人の過失です」
「なッ!!」
未だに助けてもらったお礼の言葉を述べない幼女に対し、苛立つ少年は次に放つ言葉を選んでいた。
「時間がないので失礼します」
「あ、おい! 待て!」
少年の不意を突くようなタイミングで幼女は駆け出し、向こう側の歩道に渡っていく。追いかけようとする少年だが、信号が再び赤に変わり、横断歩道を渡ることは出来なかった。走り去っていく幼女を見つめ続け、少年は右手で拳を作る。
(な、なんだ!? 今の子供は!! 轢かれそうになっていたところを助けたのに、ありがとうの言葉も言えないのか!? 今日は朝から良いことないな……)
その時、少年の携帯電話が鳴り、少年は電話に応答する。
「もしもし……」
『謙一!! あんたどこにいるのよ!!』
電話相手に謙一と呼ばれた少年は腕時計に目を向け、顔を青ざめる。
(やべッ……記録史上、最遅延だ……)
男子高校生、榊謙一(さかきけんいち)の出席簿には遅刻と記される。
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「……っで? 女の子と言い争っていたら、信号が変わって、電車1本逃し、1限目丸々遅刻したって言いたいの?」
生徒指導室内で怒りを露わにした表情で、腕を組みながら椅子にふんぞり返る女教師に、謙一は深々と頭を下げていた。
「大変申し訳ありません……」
「電車1本逃したくらいで、1限目丸々遅刻するとは思えないんだけど? そもそも家を出るのが遅かったんじゃないの?」
その一言によって少年の体がビクつく。それを見た女教師は目を細くし、謙一を罵るように説教する。
数十分に渡って説教が続き、周りにいた先生が授業が始まると察し、声をかける。
「まあまあ、横山先生。説教はその辺にして、反省文用紙を持たせて教室に返してあげましょう」
横山と呼ばれた女教師は不満そうな表情を浮かべて、言葉を返す。
「しかし……」
「生徒1人に熱心になるのは結構なことですが、何事も深く考えてしまうと、生徒にも……横山先生にも良くないですよ」
横山はスッと目を閉じて、ため息をつき、机の引き出しを開けて作文用紙5枚を少年に手渡す。
「今日の放課後までに持ってきなさい。ちゃんと誠意を見せた文を書きなさい」
「は……はい」
猫背の状態で謙一は生徒指導室から退出し、自分の教室に向かってトボトボと歩み始める。
「けーんいち!! 重役登校だね~。私が電話しなかったら、登校する気なかったんでしょ?」
1人のポニーテール女子が謙一の背後から抱きつき、冷やかし言葉をかけながら満面の笑みを浮かべる。
「それを言うなら重役出勤……なんの用だ? 華蓮。僕の遅刻を冷やかすのは飽きてきただろ?」
謙一は幼なじみである里野華蓮(さとのかれん)に目を向ける。
「全然!! 今日の大遅刻を見て、ますます冷やかしたくなってきた!」
引き続き満面の笑みを浮かべる華蓮を見た謙一は、大きくため息をついて、なで肩になる。
「そんなに落ち込まないでよ~。からかい甲斐がないじゃない」
「遅刻したことに落ち込んでるんじゃないんだよ。朝から良いことがなくて……」
「やっぱり遅刻で落ち込んでるじゃん」
謙一は華蓮の腕を優しく解き、言葉を返すことなく歩みを進める。
「あ、ちょっと! 無視しないでよ! ……分かった、私が悪かったから返事してよ」
すると謙一は壁に設置されている時計を指さし、口を開ける。
「僕にもう1限欠席しろと?」
「あ、ごめん。じゃあ、昼休みにまた来るね」
「できれば……来ないで欲しい」
謙一の呟くような声は華蓮には届かず、満面の笑みで彼女は走り去っていく。謙一は頭を抱えて走り去っていく華蓮から視線を外す。
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「ぷッ……アハハハハ!!」
昼休みが訪れ、謙一を半ば無理矢理教室から連れ出して、屋上でお弁当を広げる華蓮は、謙一の朝の出来事を聞いた後、腹部を抱えて笑い続ける。
「そ……そんなに笑うことないだろ! 結構落ち込んでるんだよ」
「何その子~、謙一よりもしっかりしてるじゃん。私もその場にいて見てみたかったな~」
「その場合、お前も遅刻だぞ。自分が車に轢かれそうだったのに、あんなにも冷静な口調で話されちゃ、返す言葉も出ないよ」
華蓮はおかずを1つ頬張って、落ち込んでいる謙一を見つめ続ける。
「……そんなことで落ち込むなんて、謙一はお人好しすぎるよ」
華蓮の言葉を無視するように、謙一はサンドウィッチの封を開け、パクリと食べる。
「自分でも分かっているよ……長所でもあって短所でもあるってことを……僕があの時、闇雲に人を助けなければ……」
暗い話に持ち込もうとした謙一に対して、華蓮はビニール袋を膨らませて、思いっきり手で割る。突然響く破裂音に、謙一は体をビクつかせる。
「昔の話は聞き飽きたし、私も知っているから。それ以上喋るんならサンドウィッチ奪うからね」
華蓮の顔を見て、一瞬目を丸くする謙一だが、すぐに通常運転に戻り、華蓮にサンドウィッチを差し出す。
「ん? 何?」
「欲しかったんなら言えよ。まだあるから」
華蓮は頭を抱え、無言で謙一の頭を思いっきり叩く。
「そういう意味じゃないよ!!」
「オッフ……舌噛んだ」
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遅刻した謙一に説教をしていた横山祥子(よこやましょうこ)は、ルンルン気分で職員用の駐車場に停車している黒光りの高級車に乗り込む。
「雅人さん~、お待たせしました! 話ってなんですか?」
運転席で渋そうな表情を浮かべているスーツ姿の男、雅人が軽くため息をついて、煙草に火を付ける。
「ちょっと~、学校の敷地内なんだから煙草は控えてよ~」
「……祥子、君に言わなきゃいけないことがあるんだ」
祥子は首を傾げて、雅人の顔を覗き込むように見つめる。雅人は重い口を開けて、祥子にあることを告げる。
「すまない……別れてほしい」
雅人の口から出てきた言葉を受け止められなかった祥子は、固まり、思考が停止する。
「え? ……急に何を言うの? 別れる……なんで?」
「……疲れたんだ。自分を押し殺すのはもう疲れたんだ……だから別れてほしいんだ」
祥子は崖から突き落とされたような感覚に陥り、別れを了承した返事をすることなく、車から出て行く。雅人は祥子を追いかけることなく、携帯電話を取りだし、ある相手に電話をする。
「あ、もしもし~今、丁度振ったところだよ~。長いこと待たせてごめんね~、これで君に専念することが出来るよ~」
鳥肌が立ちそうな雅人の鼻声が車内に響く。壁に隠れて見ていた祥子が舌打ちしながら、鋭い目つきで睨みつける。
その時、近くにある外灯の上に、黒一色の服を身に纏う女の子が降り立ち、その様子を見続ける。
「……負の感情が許容範囲を超えましたね。大事にならないうちに、始めましょうか」
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日が落ち、時刻は午後7時半を示し、暗闇が広がる廊下で謙一と華蓮は生徒指導に向かって歩いていた。
「で? なんで華蓮まで付いてくるんだ? というか、なんでこの時間まで残ってるんだ?」
「反省文をこの時間で完成できたのは誰のお陰?」
「いや、お前ずっと俺の邪魔してきただろ? 一方的に話しかけられると、誤字が増えるんだが……」
華蓮は謙一から視線を逸らし、あからさまに不機嫌そうな顔になる。
「なんだ? その顔は?」
「うっさい! もうあんたなんか知らない!」
謙一は首を傾げて、軽くため息をつき、何気なしに屋上に目を向ける。そして目に映った光景が謙一の足を止めさせる。
「謙一?」
立ち止まる謙一に華蓮は声をかける。謙一は呟くような声で、屋上を見つめ続ける。
「……横山先生?」
なんとか謙一の声が聞き取れた華蓮も、屋上に目を向ける。2人が見つめる屋上には横山祥子の姿と、見知らぬ男性の姿があった。
「生徒指導室に居るはずの横山先生がなんで屋上に?」
華蓮が首を傾げ、謙一は目を細める。月の光によって、祥子が握りしめているものが反射し、それを見た謙一は血相を変えて駆け出す。
「え? 謙一?」
「華蓮は先に帰ってくれ!」
全力疾走で階段を駆け上がり、謙一は自分が見たものが間違いであることを祈った。
(先生……なんで……なんで?)
奥歯をギリッと鳴らし、前だけを見続ける。
(なんで屋上で包丁なんか持ってんだよ!)
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「なんだ? 祥子。話って?」
日中、祥子と車の中で会話していた雅人が面倒くさそうな表情を浮かべて、ガリガリと頭を掻く。
「……どうしても別れなきゃいけないの?」
雅人はため息をついて「ああ」と、言葉を返す。祥子は雅人に見えないようにクスリと笑い、話を進める。
「本当の理由……聞いても良いかな?」
雅人は間を開けることなく、祥子の問いに答える。
「言ったとおりだよ……君と一緒に居ることに疲れてしまったんだ……勘違いしないでくれ。君のことが嫌いになったわけじゃないんだ。ただ、自分を押し殺して生きているのが辛くなったんだ。だから……頼む」
祥子はニッコリと微笑み、雅人は申し訳なさそうな顔をする。
(へへッ……チョロいぜ。昔っから人の言うことを鵜呑みにしてしまうようなバカな女。適当に言葉投げてりゃ、コロッと騙される性格、死んでも治らないだろうな)
「……嘘だよね」
笑みを浮かべたまま、祥子はあるものを雅人に見せつける。
「こ! ……これは!!」
祥子が雅人に見せつけたのは1枚の写真だった。それを見た雅人は目を丸くし、額から冷や汗を流す。
「あなたと浮気相手の浮気現場。堂々と私の行きつけのお店で飲むなんて、良い度胸しているね」
すると、雅人は不気味に笑い出し、腹部を押さえる。
「何がおかしいの?」
「バーカ!! 何が浮気相手だよ!! 写真の女の子の方が本命なんだよ! お前なんて、学校の先公だから金目当てで近づいただけだよ! 頭の中お花畑の祥子には理解が苦しいか?」
祥子は地面に視線を落とし、見せていた写真を握りしめ、下唇を噛む。
「それにお前、真面目過ぎんだよ。堅苦しい女と結婚とか死んでもありえねーから。あ、俺と付き合ってたこと、誰にも言わないでね。それ以上惨めな思いしたくないで……」
雅人が言いたいことを言い切る前に、祥子が隠し持っていた包丁を見せつけ、その場の空気を凍り付かせる。
「え? ……何やってんのお前?」
震えた声で雅人は祥子の持つ包丁を指さす。
「……許さない。最低でクズのあんたを……私は許さない」
祥子の目を見た雅人は本気だと感じ、腰を抜かして尻もちをつく。
「ま、待て! 俺を刺したらお前は教師を続けることが出来ないぞ! それでも俺を刺すのか?」
祥子は涙を流し、覚悟を決める。
「あなたを殺して……私も死ぬ」
「こ……このメンヘラがぁぁ!!」
祥子は雅人に向かって駆け出し、左胸めがけて包丁を突き刺そうとする。雅人は目を閉じ、腕で自分を守ろうとする。
しかし、包丁が雅人の左胸に届くことはなかった。
「あ……あれ?」
祥子と雅人の間に謙一が割り込み、包丁を持っている祥子の手を謙一は掴んでいた。
「榊くん……」
「何やってんですか? 先生」
「止めないで。もう決めたことなの。このクズを殺さなきゃ……」
謙一は座り込んでいる雅人に目を向け、「逃げろ!」と叫ぶ。その一言を聞いた雅人は素速く立ち上がり、屋上から姿を消す。雅人が逃げ切れたのを確認した謙一は、ホッと一息つき、祥子の顔を見つめる。
「先生……もうやめてください」
祥子を押さえ込もうとするが、何かが憑依したかのように祥子の抵抗する力は強くなる。祥子が軽く腕を横に振っただけで、謙一は遠く離れたフェンスまで飛ばされ、一瞬息が出来なくなる。
「がはッ!? ……なん……だ?」
飛ばされたことに混乱する謙一の目の前に祥子の姿があり、ギラリと輝く包丁の刃が謙一に向けられる。
「邪魔するなら……あなたを先に殺す」
祥子の瞳に光はなく、謙一は掠れた声で「先生……」と呟く。
その時、冷たい風が吹き抜け、それに反応した祥子は背後に目を向ける。謙一は祥子の背後に居る人物を見て、目を大きく開く。
「やはり感情を抑えられませんでしたか」
そこに居たのは今朝、謙一と言い争い、無表情で感情のこもっていない声を持つ幼女だった。
「き……君は!?」
「悠長に夜まで待つのは間違っていましたね。さっさと始めれば良かったですね」
独り言を呟く幼女に、祥子は近づき、憎しみが溢れている目で、睨みつける。
「あなた誰? あなたも私の邪魔をするなら殺すよ」
祥子が包丁を幼女に振り下ろそうとしたとき、幼女は祥子の額めがけて謎の札を投げる。
「あ……」
額に札が張り付いた祥子は、地面に膝を付け、持っていた包丁を落とし、地面に寝そべる。
「せ……先生!!」
「安心してください。気を失っているだけです」
祥子に駆け寄ろうとする謙一に、幼女は冷静な口調で状態を説明する。
「それよりも、あなたはここから逃げてください」
「は? 何を言って……」
その時、倒れている祥子の体から紫色の煙が溢れ始め、1カ所に集まる。集まった煙は、上半身が人間の女性で、下半身が蛇の尻尾という、醜い怪物を生み出す。それを見た謙一は、あまりの恐怖に足を震わせる。
「な……なんだこれは!?」
「この女性の“心のバグ”です」
「心のバグ?」
謙一は一瞬だけ幼女に目を向け、心のバグと呼ばれる醜い怪物に目を向ける。祥子の体から出てきた心のバグは、低い呻り声を鳴らした後、甲高い奇声を上げる。
無表情を保っている幼女に、心のバグは猛スピードで近づき、尻尾で攻撃する。
「危ないッ!!」
謙一は幼女に駆け寄ろうとするが、間に合わないと悟る。その時、幼女はポケットから祥子に投げた札とはまた違う札を取り出し、右腕を横に伸ばす。
「来てください、“雫”」
幼女の右腕に青い紋章が現れ、持っていた札が大太刀に変わる。そして、幼女は迫ってくる心のバグに対して、その大太刀を横一の字に振る。
「ガァァッ!?」
心のバグは体勢を崩しながら、屋上の端に飛ばされていく。一瞬の出来事を目の当たりにした謙一は、目を丸くする。
「何!?」
「まだ居たんですか? 危ないですから、さっさと逃げてください」
「ちょっと待って! 君は一体?」
「説明している時間はありません。反撃が来ますよ」
吹き飛ばされた心のバグが、再び幼女に向かって突進してくる。幼女は謙一を押し飛ばし、地面を思いっきり蹴って宙に浮く。消えたと勘違いするくらいの跳躍スピードによって、心のバグは完全に幼女を見失っていた。
「面倒なので、終わらせましょうか」
幼女はポケットから札を5枚取りだし、心のバグの足下めがけて投げる。地面に張り付いた札は、共鳴するかのように輝き始め、心のバグを閉じ込める。
「ギャアアアアァァァァッ!!!!」
苦しがる心のバグに、幼女は刃を向け、一気に距離を詰める。
「力を貸してください、雫……雫流『涙一線』」
幼女の持つ大太刀が青白く輝き始め、幼女は躊躇うことなく、思いっきり大太刀を縦に振る。幼女が地面に着地し、大太刀が札の姿に変わると同時に、心のバグが真っ二つに裂ける。
けたたましい叫び声と共に、心のバグの姿は崩れ始め、祥子の額に貼られた札に吸収される。心のバグを吸収しきったことを確認した幼女は、札を祥子から引き剥がし、ポケットの中に仕舞う。
「回収終了」
「すっげぇ……」
「あ、まだ居たんですね。もう大丈夫ですよ」
謙一は開いた口が塞がらず、驚いた表情のまま、幼女に目を向ける。
「君は一体何なんだ? さっきの心のバグってのは何なんだ?」
「お喋りな人ですね。質問も多い……物事は一気に片付かないんですよ」
相変わらず、冷静な口調で話す幼女に対して、謙一は思わず言葉を返せなかった。
「謙一の質問、私が返そうか?」
屋上の入り口から聞こえた声に、2人は反応し、一斉に視線を向ける。そこに居たのは、暗い廊下に置き去りにしてしまった華蓮の姿があった。
「か、華蓮?」
「もう! 暗い廊下に私を置いていくなんて良い度胸してるじゃない!」
頬を膨らませる華蓮に対して、幼女が声をかける。
「遅いですね。改心師たるもの、負の感情が暴走する前に動くのが常識ですよ」
「久しぶりだって言うのに酷い言い方ね」
相変わらず無表情の幼女と、苦笑いを浮かべる華蓮を交互に見た謙一は頭を抱える。
「あの~、どういう状況なのか説明して貰えませんか?」
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近くのベンチに座った幼女はポケットからチョコレート菓子を取り出し、食べ始める。そして、華蓮が幼女を謙一に紹介する。
「この子は四宮瑞姫(しのみやみづき)ちゃん。小学校5年生で、お菓子が大好きなの」
「好きなお菓子はチョコレート系のお菓子です。以後よろしくです」
「僕は榊謙一。よろしくね」
謙一が瑞姫に握手を求めようとしたが、瑞姫はチョコレート菓子を食べながら、謙一の目を見続ける。
「な、何?」
「近すぎです。馴れ馴れしいです。とても不愉快です」
謙一はものすごい勢いで華蓮に目を向け、不満を口にする。
「最近の小学生は全員こんなのばっかりなのか!? 全然可愛げがないし、朝もこんな感じで冷たかったし!!」
「あ~、やっぱり謙一が助けたって言ってた女の子は瑞姫ちゃんだったか~」
「私のことはどうでも良いんで、さっさと質問を返したらどうですか?」
チョコレート菓子を頬張りながら、やる気のない声で華蓮に話を進めろと指摘する。
「そうだね……」
「なんで華蓮が説明するんだよ」
「それも後で説明してあげるから、1つずつ回答させて」
華蓮は謙一の目を見て、真剣な表情で謙一の質問を返し始める。
「まずは“心のバグ”について答えてあげる。心のバグは、人間の負の感情が暴走した怪物のこと」
「負の感情?」
謙一は首を傾げ、数分前の記憶を掘り出す。
「憎しみ、怒り、悲しみ、恐怖などが負の感情の部類に入るの。そして、それが極限まで溜まり、抑えられなくなると、自我を失って、他の人に危害を加え始める。その際、暴走した人間の筋力とかは、人間の領域を超えたんじゃないかと思うくらいの強さになっているよ」
謙一はフェンス端まで飛ばされたことを思い出し、冷や汗をかく。
「だ、だけど、瑞姫ちゃんが横山先生に札を貼ったから、あの化け物が出てきたんだろ? だったら放置していれば自然と落ち着くんじゃ……」
「そう簡単に収束すれば、誰も苦労はしません」
チョコレート菓子を食べ終えた瑞姫が、冷たい口調で謙一の甘い考えを否定し、仕方なさそうな顔を浮かべる華蓮が詳細の説明をする。
「暴走した人間は暴れ回った挙げ句、最後は自ら命を絶つの……」
その一言を聞いた謙一は寒気が走り、未だに倒れている祥子の姿を視界に入れる。
「……死ぬ?」
「そうです。だから、負の感情……私たちは心のバグと呼んでいるものを、体の外に出させて、封印する」
瑞姫はポケットから札を取り出し、謙一に向かって投げる。札をキャッチした謙一はマジマジと札を観察し始める。
「それが私たち、“改心師”の仕事です」
「改心師?」
謙一は瑞姫と華蓮を交互に見る。
「質問の返答は終わりましたね。私は帰ります」
瑞姫は立ち上がり、軽々とジャンプしてフェンスの上に乗る。
「もう会うことはないかもしれませんが、あなたも気をつけてくださいね。負の感情の暴走は誰にでも起こりうることですから」
まだ何か言いたげな謙一を無視して、瑞姫は屋上から飛び降り、暗闇へと消えていく。
「……ったく、一方的に別れ告げて帰っちゃうなんて」
ボソボソと呟く謙一の隣に立った華蓮は、軽く微笑んで広がる暗闇を見つめる。
「ああ見えても、その辺の大人より大人っぽい子よ」
「それよりも華蓮……華蓮も改心師ってヤツなのか?」
華蓮はスッと目を閉じて、「そうだよ」と言葉を返す。言葉が返ってくると同時に、謙一の表情が少し曇る。
「……私たち改心師の間では、瑞姫ちゃんの事をこう呼んでいるの」
謙一はスッと華蓮に視線を向け、言葉の続きを待った。
「“無情で冷酷な幼女”ってね」
「なるほどね……ぴったりな2つ名だね」
謙一は瑞姫が渡していった札を見つめたまま、自分の胸に手を当てる。
(改心師……か)
~後書き~
ページを開いて読んでいただき、ありがとうございます!
ご覧になっていかがでしたか?
面白かったら評価・感想を書いていただけると今後の励みになります。
誤字脱字がありましたら報告お願いします!
もし、続きが気になる方は、伊澄のところ、または感想で「続き希望!」とメッセージを送信してもらえれば、検討させていただきます。
小説を読んでいただけるだけでも、嬉しいんですけどね……(笑)
繰り返しになりますが、最後までご覧になっていただき、ありがとうございます!
これからも伊澄ユウイチと作品たちをよろしくお願いします!
雫 ~無情で冷酷な幼女の剣~ 伊澄ユウイチ @isumiyuichi
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