例え悪女と呼ばれても
萩原なお
私にできること
「——で、
龍が巻き付く柱に囲まれた玉座で、女は気だるげな目で自らの爪先を眺めていた。ささくれひとつない爪を覆う
(あいも変わらず、派手な女だ)
女というにはまだ年若く、まるで花のように可憐な容貌だが、その
(お前が贅沢しなければ国はもっと豊かになるのに)
翔雲は妻であり、
それをいいことに心のなかでは耳が腐り落ちるほどの暴言を吐き連ねる。血の繋がりもある伴侶でも女の
だが、翔雲には女を
「
皇太子でありながら、床に膝をついた翔雲は女——白盈に向かって深く頭を下げた。床に額が擦れる直前まで下げると後頭部を誰かの視線が突き刺さる。
その直後、ふっと
「父上が妾の言うことを聞くとでも?」
「我らが言うより、あなた様のお言葉ならあのお方もきっと聞き入れてくださいます」
翔雲の祖父であり、白盈の父親でもある今上帝は戲劇狂いで有名だ。若かりし頃からお気に入りの演者がいれば性別を問わず寵愛し、それが
彼の
白盈の生母は歴史ある戲劇小屋で主演を務めていた。仙女のごとき
(お前が生まれなければ、もう少しマシだったのに)
今上帝の彼女への寵は深く、二人の合いの子である白盈に対しても、文字通り目に入れても痛くないというほどに溺愛している。〝
その言葉のせいで皇太子である翔雲は、自分よりも地位の低い女に
生母が
「……そうですね。何者でもない、あなたの言葉ですもの。父上に会った時に
紅い紅で
その笑みには
「ありがとうございます。本日はお忙しい中、無理にお時間を作っていただき感謝いたします」
「あなたも大変ね。皇太子なのに、父上の尻拭いに
まるで自分は悪事を働いていないとでも言いたげに白盈は笑う。
(お前も浪費しなければ、俺はもう少し楽できたんだ)
怒りでひくつく筋肉をどうにか引き締めて、翔雲はさらに
***
翔雲はいつも刺繍も刺されていない質素な
(国のため、少しでも節税をと考えているのでしょう。あなた一人が行動したところでたいして意味もないのに)
白盈は自らの爪先から視線を外すとじっと翔雲の後ろ姿を見つめ、記憶に刻む。自分より一回り歳上の甥の背は婚姻の当初に比べて厚みが増した。袖から伸びる手も武人のように変わっていて、体幹もしっかりしてきた。戦場を駆ける必要がないのに、何故、鍛える必要があるのだろうか。
刺すような視線に翔雲も気付いているはずなのに一寸も気にする仕草を見せない。出ていく直前、白盈に頭を下げるとさっと出ていった。蝶番の音が響き、ゆっくりと扉が完全に閉まったのを見届けてから、
(なっんて生真面目な方なのかしら!!)
顔を手で覆い隠して、白盈は思いっきり心の中で叫んだ。声には出さない。出してしまえば声量を抑えきれず、この鳳凰殿どころか後宮全域に伝わってしまうだろう。
冷酷で非情、それが白盈なのだから演じなくてはいけない。
(お待ちになっていて。すぐに
***
白盈は転生者である。
元の名前は忘れた。性別は今と同じで女だったと思う。容姿は……今よりはるかに悪かった気がする。性格も、今の自分から
ほとんど記憶が残っていないため、転生前の自分を詳しく語ることはできない。なんせ記憶が
(あの時、ひどく混乱したことだけは覚えているわ)
記憶が甦るとともに人格も別物となった白盈は、まず真っ先に己の言動を
ぶっちゃけると小生意気な糞餓鬼。
しかも、幼女特有の純粋さと計算高さも相まって、それはもう偉そうに振る舞った。その日の気分で侍女や女官を叱りつけたり、清掃がなっていないと掃除夫を鞭打ちの刑に処したり。食事が好みではないと一口も食べないどころか、こんなものを出させて! と
(あー、これは私、いつか殺されるだろな)
素直にそう思った。そう思うしかなかった。
だって、好き放題振る舞う小娘に好意を抱くもの好きはいない。白盈なら刺してる。
(まあ、生まれ変わったのなら仕方ないわね)
(うーん。宝石ってなにがいいのかしら。ただキラキラしているだけの石っころなのに)
演者として舞台の中央に立っていた母は寵愛を受けるようになってから人が変わったように宝玉を
輝く宝玉も手入れされなければ光を失ってしまい、傷がつけば価値が下がってしまう。
(まあ、お金になるのには代わりないわ。私達を討ち取った翔雲様はきっと国を立て直すのに役立ててくれるはず)
無知ゆえに国を立て直すには何が必要かは分からないが資金源は大切のはずだ。
(それにしても、いつ終わりにするべきかしら)
資金もだいぶ集まってきた。地位を利用して集めた貴族どもの汚職も調べ尽くして、各国の情勢もまとめ上げた。
(できれば翔雲様に殺されたいのだけど、あの方ってお優しいから殺してくれなさそう……)
悩ましげに首を傾げる。翔雲が白盈を嫌っているのは明白だが、決して危害を加えようとはしない。転生前の白盈が一目惚れして無理やり婚姻を結んだのに、本当の妻のように接してくる。
(わがままを言うなら、本当に、私を妻にして欲しかった。愛して欲しかったけれど、それは叶わないわ)
白盈は確かに可愛らしい。
だが、可憐な花も花園に紛れ込めば他とは見分けがつかない。それどころか色鮮やかな花々に気圧され、引き立て役に落ちるだろう。
翔雲の好みが小柄な美少女なら、まだ勝機はあった。この容姿を利用して、客観視しつつ、理想の少女を演じて
しかし、翔雲の好みは歳の近い肉欲的な美女ばかり。歳も離れていて容姿も好みではない自分は絶世の美少女でない限り、きっとすぐさま忘れ去られてしまう。
(私はずっとあなたに覚えて欲しい)
忘れられるのは嫌だ。ならば、いつか全ての汚名を着て死んでやろう。翔雲の天下が末長く続くことを祈りながら、彼の心に〝悪女〟として残り続けてやろう。
だから、白盈は演じ続ける。いつの日か愛しい翔雲が王座に君臨するために。
***
今上帝と寵妃、その末姫の国を傾ける程の贅沢っぷりに、まず生活が厳しくなった国民からの反感が高まった。次に官僚達、その次に貴族達。文字通り、国全体が三人に怒っていた。
「お前達のせいで息子が死んだ! 食うものもなく、痩せて死んだんだ!!」
「殺せ、殺してしまえ!!」
「そうだ! あんな奴ら、殺されて当然だ!!」
鳳凰殿にいても、城門前に集う人々の憎悪の言葉は届いてくる。白盈は持ち上がりそうになる唇を懸命に引き締め、
「
冷たく言い放つと空気が固まる。皆が息をひそめて、白盈の様子を伺う。
「暇なのかしら? 外の人も、あなた達も」
「も、申し訳ありません! すぐ止めるように伝えてきます!」
「いいわ。それよりも一人にしてくださる?」
「ですが……!」
「耳障りという言葉、聞こえなかったの?」
そっと目を細めて、むすっと唇を突き出すと侍女達は慌てて
憎悪は日々強くなっていく。最初は
もしかしたら、官吏や貴族の連中も混じっているのかもしれない。
(ここまでの怒りを鎮めるために、翔雲様はどうなさるのかしら?)
翔雲は聡明な男だ。白盈にも考えつくことを実行しないなんてことはないだろう。今日か明日か、もう少し憎悪が高まってからか。
(ああ、楽しみだわ)
房室にくすくすと笑声が響いた。
白盈は笑うのをやめた。椅子の背にもたれ、平静を装って房室の扉を見つめた。何かが擦れる微かな音と足音が扉の前で止まる。
「お入りになられては?」
こてん、と首を傾げて「翔雲様」と名を呼ぶと扉が開かれる。
白盈の予想通り、現れたのは翔雲だった。だが、真っ赤な花が咲く衣裳に身を包んでいるのは珍しい。翔雲はいつも質素なものを好んでいた。
(……血の
白盈の鼻先を突いたのは重い鉄の臭い。臭いを辿ると翔雲の衣裳から漂っている。白盈はきょとんとした顔を作った。
「あら、珍しい。そんな衣裳、お持ちになられていたのね」
指摘された翔雲は俯き、そっと花びらに触れた。染まった直後のためか、じんわりと指先に赤が移る。
「悪鬼どもの血といえば、お前はどう思う?」
「……お前、ですって? 誰に向かって聞いているのかしら?」
顔を
「お前達は、自由にしすぎた。報いを受ける時がきたんだ」
翔雲は背後に回していた腕を持ち上げた。握られた剣はべっとりと血がついている。
(良かったわ。宝石、外していて。せっかく、翔雲様のため集めたのに血で汚れたら価値が落ちるもの)
胸の前で手を組み、一歩、後ろに下がる。ガタン、と椅子に足がぶつかった。ちょうどいい。白盈は小さく悲鳴を上げると床にへたり込んだ。
目尻に涙を溜めて、全身を震えさす。恐る恐る、翔雲の顔を伺う。
(やはり、優しいお方)
目の前にいるのは一体の悪鬼なのだ。その手に持つ剣で容赦なく切り伏せて、首を大衆に突き出せばいいのに。そんな泣きそうな顔をしないで欲しい。
「……あなたは、本当に優しいのね」
白盈は震えるのを止めると立ち上がり、ゆっくりと翔雲の元に向かう。
「さっさと私を殺して、英雄になればいいのに」
剣を握る拳を両手で包み込む。興奮しているのか普段よりも体温は高い。
「……君は、本当に悪鬼か?」
「なぜ、そう思うの?」
「ある時から君は人が変わったように穏やかになった。今まで奮っていた暴力はなくなり、贅沢はするが、それらは全て下げ渡されたものだ」
「暴力って手が痛くなるもの。あと気に入ったから欲しかっただけ」
翔雲の手を持ち上げて、切先を自分の首筋へと誘導する。白盈の意図を読み取った翔雲がはっと息を呑み込んだ。
「集めた宝石や衣裳はあそこに、あなたの有意義になりそうな情報はあそこに置いてあるわ」
「……君、一人なら逃すことができる」
「私の首を掲げなければ、国民は納得しないわ。あなたが次の皇帝になるのなら、これは必要なことよ」
「後悔、しないのか?」
「ないわ」
この最期は待ち望んだものだ。翔雲の手で殺され、彼の記憶に一生刻み込む絶好の機会を逃すものか。
「さあ、はやく首をはねてちょうだい」
その
白盈は静かに目を閉じると顎を持ち上げ、首筋を晒す。
その直後、大きな衝撃が響いた。
首に違和感を覚えて白盈は目を開く。
すると視界いっぱいを赤色の花が咲いているのに気付いた。美しい花だ。薔薇のように鮮やかではないが、目を惹きつけて離さない。
その花園の中央では、翔雲が首のない遺体を抱きしめていた。
(そんなに抱きしめてもらえるなんて、羨ましいわ)
それが己の身体だと理解する間もなく、白盈は広がる闇に身を委ねた。
例え悪女と呼ばれても 萩原なお @iroha07
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