例え悪女と呼ばれても

萩原なお

私にできること


「——で、わらわにどうしろと言うのです?」


 龍が巻き付く柱に囲まれた玉座で、女は気だるげな目で自らの爪先を眺めていた。ささくれひとつない爪を覆う指甲套しこうとうは黄金に輝き、純度の高い紅玉石がはめ込まれた一級品だ。細部の造形にもこだわり抜いたそれは、庶民なら数ヶ月は食うに困らない価値がある。


(あいも変わらず、派手な女だ)


 女というにはまだ年若く、まるで花のように可憐な容貌だが、その痩身そうしんを飾る真珠が連なる金簪かんざし、蒼玉が揺れる耳飾り、鱗すら緻密ちみつに刻み込まれた龍の腕環うでわ——金襴緞子きんらんどんす衣裳いしょういたるまで全てが高価な代物しろものばかり。豪奢ごうしゃすぎる代物は、女の年齢と容貌に釣り合わないため、毳々けばけばしく見える。


(お前が贅沢しなければ国はもっと豊かになるのに)


 翔雲は妻であり、叔母おばである女を内心では射殺さんばかりに睨みつけた。端正な顔にいた微笑ほほえみと、女が一寸たりとも視線をこちら向けないおかげで翔雲の煮えくり返る胸の内は誰にも伝わらない。

 それをいいことに心のなかでは耳が腐り落ちるほどの暴言を吐き連ねる。血の繋がりもある伴侶でも女のおこないは看過かんかできないものばかり。

 だが、翔雲には女を排斥はいせきする力はない。


白盈はくえいから今上帝おじいさま戲劇しばいから離れられて、ご政務にお力を注がれますようお伝え願えませんでしょうか」


 皇太子でありながら、床に膝をついた翔雲は女——白盈に向かって深く頭を下げた。床に額が擦れる直前まで下げると後頭部を誰かの視線が突き刺さる。

 その直後、ふっと嘲笑あざわらう声が落ちてきた。


「父上が妾の言うことを聞くとでも?」

「我らが言うより、あなた様のお言葉ならあのお方もきっと聞き入れてくださいます」


 翔雲の祖父であり、白盈の父親でもある今上帝は戲劇狂いで有名だ。若かりし頃からお気に入りの演者がいれば性別を問わず寵愛し、それが奢侈淫佚しゃしいんいつふけってもとがめるどころか更に愛玩あいがんを深くする。文字通り、子犬や子猫を可愛がるかのように。

 彼の妃妾ひしょうほとんどが政府高官の娘や門閥もんばつ貴族の娘ばかり。皆、容姿も美しく才溢れる女性ばかりだが今上帝のお気に入りはいつだって演者だ。

 白盈の生母は歴史ある戲劇小屋で主演を務めていた。仙女のごときかんばせに、小鳥のような歌声を気に入られて召し抱えられることとなった。


(お前が生まれなければ、もう少しマシだったのに)


 今上帝の彼女への寵は深く、二人の合いの子である白盈に対しても、文字通り目に入れても痛くないというほどに溺愛している。〝ちんの後を継ぐのは、娘の白盈ただ一人である。それ以外は決して認めぬ〟と声明を出すほどに。

 その言葉のせいで皇太子である翔雲は、自分よりも地位の低い女にへりくだる必要があった。この国では皇帝の言葉が絶対。野良犬に王位を譲ると言われれば、間違っている行いであっても厳守しなければならない。

 生母がいやしい身分であっても今上帝が白盈を指名したのならば。翔雲にめとるように言ったのならば。——翔雲は逆らってはいけない。


「……そうですね。何者でもない、あなたの言葉ですもの。父上に会った時にいさめてみるわ」


 紅い紅でいろどられた唇を持ち上げ、白盈は蠱惑的に笑む。

 その笑みにはあざけりの色が垣間見えるが、機嫌を損ねることなく、欲した言葉を手に入れることが出来て、翔雲は胸を撫で下ろした。


「ありがとうございます。本日はお忙しい中、無理にお時間を作っていただき感謝いたします」

「あなたも大変ね。皇太子なのに、父上の尻拭いに奔走ほんそうして」


 まるで自分は悪事を働いていないとでも言いたげに白盈は笑う。


(お前も浪費しなければ、俺はもう少し楽できたんだ)


 怒りでひくつく筋肉をどうにか引き締めて、翔雲はさらにこうべを下げるのだった。




 ***




 翔雲はいつも刺繍も刺されていない質素なほうに身を包んでいる。絹で織られているため庶民には一生纏うこともできない高価な代物ではあるが、皇族——それも皇太子である彼が着るにはいささか不相応だ。倹約家と名高い貴族ですらもう少し華美かびよそおいをしている。


(国のため、少しでも節税をと考えているのでしょう。あなた一人が行動したところでたいして意味もないのに)


 白盈は自らの爪先から視線を外すとじっと翔雲の後ろ姿を見つめ、記憶に刻む。自分より一回り歳上の甥の背は婚姻の当初に比べて厚みが増した。袖から伸びる手も武人のように変わっていて、体幹もしっかりしてきた。戦場を駆ける必要がないのに、何故、鍛える必要があるのだろうか。

 刺すような視線に翔雲も気付いているはずなのに一寸も気にする仕草を見せない。出ていく直前、白盈に頭を下げるとさっと出ていった。蝶番の音が響き、ゆっくりと扉が完全に閉まったのを見届けてから、


(なっんて生真面目な方なのかしら!!)


 顔を手で覆い隠して、白盈は思いっきり心の中で叫んだ。声には出さない。出してしまえば声量を抑えきれず、この鳳凰殿どころか後宮全域に伝わってしまうだろう。

 冷酷で非情、それが白盈なのだから演じなくてはいけない。


(お待ちになっていて。すぐに父上あのバカともども、私も消え去りますゆえ)




 ***




 白盈は転生者である。


 元の名前は忘れた。性別は今と同じで女だったと思う。容姿は……今よりはるかに悪かった気がする。性格も、今の自分からかんがみるにそこまで良くはない。

 ほとんど記憶が残っていないため、転生前の自分を詳しく語ることはできない。なんせ記憶がよみがえったのは八年も昔、白盈が十歳になり、しばらくしてからのことなので。


(あの時、ひどく混乱したことだけは覚えているわ)


 記憶が甦るとともに人格も別物となった白盈は、まず真っ先に己の言動を俯瞰ふかんした。なんせ、白盈という娘は、母親の身分が低くても父である今上帝から愛されているため、物心つく前から蝶よ花よと大勢の人間にかしずかれる日々を送っていた。


 ぶっちゃけると小生意気な糞餓鬼。


 しかも、幼女特有の純粋さと計算高さも相まって、それはもう偉そうに振る舞った。その日の気分で侍女や女官を叱りつけたり、清掃がなっていないと掃除夫を鞭打ちの刑に処したり。食事が好みではないと一口も食べないどころか、こんなものを出させて! とくりや勤めの者達に罰を与えたり。


(あー、これは私、いつか殺されるだろな)


 素直にそう思った。そう思うしかなかった。

 だって、好き放題振る舞う小娘に好意を抱くもの好きはいない。白盈なら刺してる。しいたげられた侍女達の中に刃物を持ち出した人間はいないことに拍手を送りたくなるほど、俯瞰して見た白盈とは最低最悪な幼女であった。


(まあ、生まれ変わったのなら仕方ないわね)


 臥室しんしつへ一人戻った白盈は装身具を丁寧に外して、桐箱に仕舞い込みながら溜息をつく。これらは全て父から母に贈られた品物だ。


(うーん。宝石ってなにがいいのかしら。ただキラキラしているだけの石っころなのに)


 演者として舞台の中央に立っていた母は寵愛を受けるようになってから人が変わったように宝玉を強請ねだるようになった。炎を閉じ込めた紅玉石、月の静謐せいひつを宿した金剛石、凪いだ海を写した蒼玉石——手にした当初は少女のようにはしゃいでも、すぐさま飽きてしまう。

 輝く宝玉も手入れされなければ光を失ってしまい、傷がつけば価値が下がってしまう。


(まあ、お金になるのには代わりないわ。私達を討ち取った翔雲様はきっと国を立て直すのに役立ててくれるはず)


 無知ゆえに国を立て直すには何が必要かは分からないが資金源は大切のはずだ。


(それにしても、いつにするべきかしら)


 資金もだいぶ集まってきた。地位を利用して集めた貴族どもの汚職も調べ尽くして、各国の情勢もまとめ上げた。放蕩ほうとうと遊芸に耽る父母共に白盈も傍若無人ぼうじゃくぶじんに振る舞ったことで周囲からの反感は最高潮。


(できれば翔雲様に殺されたいのだけど、あの方ってお優しいから殺してくれなさそう……)


 悩ましげに首を傾げる。翔雲が白盈を嫌っているのは明白だが、決して危害を加えようとはしない。転生前の白盈が一目惚れして無理やり婚姻を結んだのに、本当の妻のように接してくる。


(わがままを言うなら、本当に、私を妻にして欲しかった。愛して欲しかったけれど、それは叶わないわ)


 白盈は確かに可愛らしい。

 だが、可憐な花も花園に紛れ込めば他とは見分けがつかない。それどころか色鮮やかな花々に気圧され、引き立て役に落ちるだろう。

 翔雲の好みが小柄な美少女なら、まだ勝機はあった。この容姿を利用して、客観視しつつ、理想の少女を演じて籠絡ろうらくしてやるつもりだった。


 しかし、翔雲の好みは歳の近い肉欲的な美女ばかり。歳も離れていて容姿も好みではない自分は絶世の美少女でない限り、きっとすぐさま忘れ去られてしまう。


(私はずっとあなたに覚えて欲しい)


 忘れられるのは嫌だ。ならば、いつか全ての汚名を着て死んでやろう。翔雲の天下が末長く続くことを祈りながら、彼の心に〝悪女〟として残り続けてやろう。


 だから、白盈は演じ続ける。いつの日か愛しい翔雲が王座に君臨するために。






 ***




 今上帝と寵妃、その末姫の国を傾ける程の贅沢っぷりに、まず生活が厳しくなった国民からの反感が高まった。次に官僚達、その次に貴族達。文字通り、国全体が三人に怒っていた。


「お前達のせいで息子が死んだ! 食うものもなく、痩せて死んだんだ!!」

「殺せ、殺してしまえ!!」

「そうだ! あんな奴ら、殺されて当然だ!!」


 鳳凰殿にいても、城門前に集う人々の憎悪の言葉は届いてくる。白盈は持ち上がりそうになる唇を懸命に引き締め、狼狽うろたえる侍女や宦官達に視線を向けた。


耳障みみざわりね」


 冷たく言い放つと空気が固まる。皆が息をひそめて、白盈の様子を伺う。


「暇なのかしら? 外の人も、あなた達も」

「も、申し訳ありません! すぐ止めるように伝えてきます!」

「いいわ。それよりも一人にしてくださる?」

「ですが……!」

「耳障りという言葉、聞こえなかったの?」


 そっと目を細めて、むすっと唇を突き出すと侍女達は慌てて房室へやから出ていった。一人残された白盈は椅子を引きずり、窓辺に持っていくと勢いよく座り、耳を澄ます。

 憎悪は日々強くなっていく。最初は官吏かんりによって投獄されていたのに、人数は減るどころか増えていく一方だ。

 もしかしたら、官吏や貴族の連中も混じっているのかもしれない。


(ここまでの怒りを鎮めるために、翔雲様はどうなさるのかしら?)


 翔雲は聡明な男だ。白盈にも考えつくことを実行しないなんてことはないだろう。今日か明日か、もう少し憎悪が高まってからか。


(ああ、楽しみだわ)


 房室にくすくすと笑声が響いた。


 白盈は笑うのをやめた。椅子の背にもたれ、平静を装って房室の扉を見つめた。何かが擦れる微かな音と足音が扉の前で止まる。


「お入りになられては?」


 こてん、と首を傾げて「翔雲様」と名を呼ぶと扉が開かれる。

 白盈の予想通り、現れたのは翔雲だった。だが、真っ赤な花が咲く衣裳に身を包んでいるのは珍しい。翔雲はいつも質素なものを好んでいた。


(……血のにおい)


 白盈の鼻先を突いたのは重い鉄の臭い。臭いを辿ると翔雲の衣裳から漂っている。白盈はきょとんとした顔を作った。


「あら、珍しい。そんな衣裳、お持ちになられていたのね」


 指摘された翔雲は俯き、そっと花びらに触れた。染まった直後のためか、じんわりと指先に赤が移る。


「悪鬼どもの血といえば、お前はどう思う?」

「……お前、ですって? 誰に向かって聞いているのかしら?」


 顔をしかめた白盈は立ち上がる。


「お前達は、自由にしすぎた。報いを受ける時がきたんだ」


 翔雲は背後に回していた腕を持ち上げた。握られた剣はべっとりと血がついている。回廊ろうかから聞こえた擦れる音はこれだったのかと白盈は目を丸くさせた。驚愕の表情を作ったあと、すぐに引き攣らせる。


(良かったわ。宝石、外していて。せっかく、翔雲様のため集めたのに血で汚れたら価値が落ちるもの)


 胸の前で手を組み、一歩、後ろに下がる。ガタン、と椅子に足がぶつかった。ちょうどいい。白盈は小さく悲鳴を上げると床にへたり込んだ。

 目尻に涙を溜めて、全身を震えさす。恐る恐る、翔雲の顔を伺う。


(やはり、優しいお方)


 目の前にいるのは一体の悪鬼なのだ。その手に持つ剣で容赦なく切り伏せて、首を大衆に突き出せばいいのに。そんな泣きそうな顔をしないで欲しい。


「……あなたは、本当に優しいのね」


 白盈は震えるのを止めると立ち上がり、ゆっくりと翔雲の元に向かう。


「さっさとを殺して、英雄になればいいのに」


 剣を握る拳を両手で包み込む。興奮しているのか普段よりも体温は高い。


「……君は、本当に悪鬼か?」

「なぜ、そう思うの?」

「ある時から君は人が変わったように穏やかになった。今まで奮っていた暴力はなくなり、贅沢はするが、それらは全て下げ渡されたものだ」

「暴力って手が痛くなるもの。あと気に入ったから欲しかっただけ」


 翔雲の手を持ち上げて、切先を自分の首筋へと誘導する。白盈の意図を読み取った翔雲がはっと息を呑み込んだ。


「集めた宝石や衣裳はあそこに、あなたの有意義になりそうな情報はあそこに置いてあるわ」

「……君、一人なら逃すことができる」

「私の首を掲げなければ、国民は納得しないわ。あなたが次の皇帝になるのなら、これは必要なことよ」

「後悔、しないのか?」

「ないわ」


 この最期は待ち望んだものだ。翔雲の手で殺され、彼の記憶に一生刻み込む絶好の機会を逃すものか。


「さあ、はやく首をはねてちょうだい」


 その懇願こんがんに、翔雲が唇を噛み締めた。

 白盈は静かに目を閉じると顎を持ち上げ、首筋を晒す。


 その直後、大きな衝撃が響いた。


 首に違和感を覚えて白盈は目を開く。

 すると視界いっぱいを赤色の花が咲いているのに気付いた。美しい花だ。薔薇のように鮮やかではないが、目を惹きつけて離さない。

 その花園の中央では、翔雲が首のない遺体を抱きしめていた。


(そんなに抱きしめてもらえるなんて、羨ましいわ)


 それが己の身体だと理解する間もなく、白盈は広がる闇に身を委ねた。

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