玻璃の墓標


   『冬の入江』              



潮風が神聖なヴェールのように

うすくつもった砂をはらい

そのあとにうきあがらせたのは

夏の骨だった


なぐさめのひき潮でさえ

のこされた女の目元にきざまれたくまが

光のもとであきらかなように

そのもようを目立たせるだけなのだから


思い出よ

たとえ私が立ち去り

次の季節に発とうとも

君はこのまなざしからのがれることができぬのだ




   『まぼろし』                            



しゃららんしゃららん

さざめく風が

ぴろろーんとんとん

お囃子のねをよみがえらせ

わたしだけのまつりが

この冬もまためぐりくる


ざわざわ

ざわめく市の匂いや

かさかさからから

くるった下駄をおどらせる

魂にむけて

駈けよ


ひらりひらり

たもとが

はたりはたり

すそが舞い

ぱたぱたり

うちわが風をなぐさめる


がらりんがらりん

くたびれた足に

がさりがさり

はなおがかみ

きらりきらり

星があざけり

くたくたり

あゆみがこおる


はなはなふわり

おしろいが

わたがしが香り

がんやがんや

わんやわんや

やぐらは囃し

人はうたい

おどり

わらい

むつみもつれて円となる


影の乱舞にかこまれた銀杏よ

千手をもがれ

祝いの庭にたたずんで

芽吹くことなき大銀杏よ


その身ひとつをのせ

あの世へおもむく小舟

そのへさきのように

なごりの枝が木枯らしのなか

わくらばをはらい

花火さながら散りかがやく


どーんぱらぱら

たしかに聞いたものが闇となり

ちゅるるちゅるるん

あかつきに追われ

ちらりちらりん

きらりんぽたり

涙の雪よ

追え

留めよ

野菊にも似た火をいだけ


しろくつめたい火の粉が

さらり

明けに舞い

さわり

時の微風はこずえをのがれ

ふるり

樹の手は空をつかみ息絶えぬ


しずけさよ

化粧をおとさぬ月よ

あわ雪を

ほのおの花を

寂滅を

痴情をはらみ

いだき

東雲とたなびくいにしえよ


かわきたわまぬ幹に

掌をかざし

線香花火の末期にもにたおののきが

身をつたう時

しくりしくり

柱時計が

りろりりろりん

びいどろの通いびとが刻み

あしたにこがれる

氷の幕




   『楽園追放、その後』        



少年は立ち上がると

少女の肩をわしづかみにして

力いっぱい突き放した

少女は一瞬だけよろけ

拳で突きとばしざま

林の奥へと駈けていった


山の中には道も人影もなく

気だるさを引き裂くように

鳥の声だけがこだましていた

生い茂る木の葉に光が映る

少女は水のように駈け抜ける風に手をのばし

汲もうとして腕の痛みに気づき

そして泣いた

柘榴のような傷口から

赤々と艶めきながら雫がこぼれ

甘く香る粒になった


赤い実を集めているの

突然現れた少年に

少女は答えた

二人は黙って拾いつづけ

世界中の実を拾い尽くした時

見たこともないほど激しく燃えながら太陽が昇った

驚いた二人の掌から

木の実ははらはらと谷底に落ちていった


やがて

木々は切り倒され

川はせき止められた

空はもはや

女の前に立ちはだかることもなく

煌めきながら溶け出した氷山のようにこうべを垂れ

駈け上がろうとする者を拒んだ

女は

わけもなく腕からの赤い滴りをぬぐい

忘れられた太陽のために涙を流し

たったひとつ残った実を見つめつづけた

やがて男は掌をひらいた

少女の濡れた目が輝き

太陽が昇った


もはや楽園に少年の姿はないが

男の瞳には楽園が映る

   



   『ハイビスカス』         



「ハイビスカスの日々がなつかしい」

母がつぶやいた

ベランダに置かれた空っぽな鉢に

黄色い光が灯った


新婚時代から父の転勤について回り

家具を買いそろえたこともなかった母が

ようやく部屋を飾ろうと

それはふと

買われてきたものだった

小さなマンションの窓越しに

涼しく夏を咲きはじめた

排気に汚れた遠い空を

広々とした海に見せながら

蒼く暮れた夕べや

不健康にうかぶ灰色の雲の泡

窓をすかして見れば

楽園の箱庭だった

幹一面をアブラムシが這っていた時も

わたしたちは必死に手を尽くした

水や薬品では

つぐないきれないものを

抱えようとしているとは気づかずに


父の仕事が落ち着いて

家族は新しい一戸建てに移った

趣味のよい木製の家具のあたたかみにふれながら

物置のようになった元のすみかを

母も時々訪れはしたけれど

この部屋をさびしくすまいと

花を置き去りにしたけれど


なにがうれしかろう

あたりを照らし尽くすように翼をひろげても

応じてくれる太陽と潮風のいる故郷にくらべ

このちっぽけな街に咲くことが


やがてわたしと母は

怪我の治療を余儀なくされ

不自然な街の

自然な雨水だけが

時々あわてて水をやるたびにはさみをいれ

見せてもらった切り口の

みどりの水分を保っていた

黄色についで

緑がいつしか失われ

かわいた茶色な幹が

鉄筋コンクリートを背に呆然と立ち尽くす

その姿さえもいつのまにか

風にとばされるように見えなくなっていた

梅雨が終わり

空っぽな鉢の墓標となりゆく時

生まれ故郷の夏の

残りもののような空気の中で

花はなにを見ただろう


雑草が束になって生えてきた植木鉢を新しい家に移し

そこにいきづいた朝顔

海の色をしたその花を知り合いにあずけ

南の島へと飛ぶ


街路に満ちあふれる

無数の黄色な光

水の反射を照り返して瞬く

ほたるのようなその群れは

すこしもとがめてくれずにわたしたちを取り巻く

取り巻きながらみちびいてくれる

目の前にあるはずのものを探しつづける




   『髪』              



「体に気をつけてね」

云えずにしまった

あのひとこと

いままでになく伸びた髪をすきながら

幾度となくくりかえす


黒々と背にひろがる毛は

かつて

薄汚れてつかれきったお下げだったのだ

勉強のいそがしさといじめから

はかり知れないほどの埃を吸い込んでいた

それが

楕円形のきれいな爪をもつ

すこしひびのきれた

淡紅色の柔らかい手によってやさしく

シャボンを入れた水に梳かれ

清潔な匂いのする風が首のまわりに生まれた


それから幾つもの季節を

髪はその人にゆだねてきたのだ


持ち主の希望によって

ウェーブをかけられ

茶色に染められ

或いは

振り袖の襟を引き立てるように

ゆたかに結い上げられて


「がんばってね」

軽く言葉を交わし

わたしは旅行に発った

店の前で手を振りつづける人の

いつになく蒼い顔色を気にかけながら


それきり

あの人はいなくなった


知らされた日とよく似た雨の夜

長すぎる髪が肩にまとわりつき

何かを待っている


「気をつけてね」

今さらのようにつぶやくわたしを拒みながら

誰かを待っている




   『生への挽歌』            



大空のまよいごよ

のぞみなど

いや

なにもみせてくれるな

そのままずっと冬にかくれていてくれ


星くずをまどわし

こずえをふるわせる北風のむこうで

なにが明るみから

そなたをまもってくれるというのだ


とわの雪とける音よ

そのすがたなる光の尾よ

白い絶望に

身をかくすがよい


しずけさを切りさくように

希望がとびらを駈けぬけて

喪のヴェールをはらうとき

別離はふいにおとずれるのだ




『巻き貝』        



白い巻き貝を掌でつぶした

血潮と夕陽が溶けあう八月

散り舞う紅葉のひとひらを墓標に見立て

わたしは渚をあとにした


貝のなかには

エーテルが蒼く澄みわたり

芥子の花の鬼火が

燦々と燃えながら浮いていた

小人の群れが

彼方の沖で手を振っていた

泳ぎ回り

焔を追いかけて飛び乗って


気まぐれに戻ってきたのか

波のあいだから

「帰る場所」とは

帰れない場所

君を掌に見出した時

楕円形をした白い窓はすでに

霧の膜で閉じられていたのだよ


砂が影をいだく

呑みこまれた雨の海には

蒼いエーテル

芥子の花




   『夏と霊獣』        



季節はずれの蝶が夢をおとなう

鱗粉の波紋が泉に舞う

火照りはじめた亡骸に

幾千もの牙が食い込む


唇に穢された群青の憧れ

生まれいずる闇

原罪の寝覚めに

蠢く小蛇


かつて梢を駈け抜け

空の湖に佇んだ霊獣は

水を飲み干したとたん夏を孕み

地上へと堕ちた


息絶えた霊獣を食い荒らし

夏は闇に瞬いた

白い毛皮は耀く花となり

散りながら空へと羽搏いた


蛍がいる

蝶がいる

幻灯と乱舞のあわいに

届かぬ彼岸より水音が響く




   『夢或いは後悔』      



いつのまにか


陽だまり色をした砂浜がひろがっていた

白い桟橋からは

空へと舟が発つらしい

先に行ってるよ

なぎさの上にただよう声

わたしの中にひびく声

橋は途切れ

力いっぱい泣き叫んでも

とどかないのだと知っていた

と気づく


見知らぬ電車はいくつもの

見知らぬ駅をすぎてゆく

ゆられていくわたしのまわりに

白く

つめたく

はりつめた

こちらからはふれることのできない

薄い

無数のヴェールに似た光

窓から感じるはずの

さくら貝色をしたあたたかさをいだいたまま

旅に出てきてしまったのだ

と気づく


あえないひとに

あいにきている




   『玻璃の墓標』          



遥かなうねりに誘(いざな)われ

あてどなく時を漂いながら

幼い日の火照りが残る乾いた蹊を辿り

視えない橋の欄干に身をもたせる

白く堅くそびえる影に束の間の別れを告げ

在処さえ判らぬ渚を目指して


白砂に刻まれた儚い歩みに目を凝らせば

打ち棄ててきたものたちの啜り泣きが

追想の彼岸より押し寄せる

ああ

自由 の意味をすら知らずにいた頃

繊い玻璃のかけらとなり

波に弄ばれて

幽かに泣き笑って

愛しいものの髪を撫ぜるようにまさぐれば

戯れ

突き刺す原罪の棘

生の代償

病んだ指は凍てつく血の糸をかなしく滴らせる

頑是なく崩れ落ちる星の亡骸を

掌に掬い上げて波飛沫に翳せば

視える 視える

あどけなく狂う鳥の群れ

踊れ 踊れ

遠い翼を薄日に透かして


途切れた橋はいつしか

夕日の屍衣を払い除けて朽ち果て

波音のみが幾夜を輪廻する

遠ざけられることを頑なに拒み

立ち枯れた記憶の痛みを

散り舞う墓標の煌めきに託して





(注)エーデルピルス・・・銀座ライオンのメニューに記されたビールの名。

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玻璃の墓標 若菜紫 @violettarei

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