玻璃の翼

   『夜明け前』             



うす紅い光が押し寄せてくる

はりつめてすきとおった空に

くたびれることすらできない蛍光灯のともった

四角な部屋が浮く

カーテンをゆらしつづけていたエアコン

体はほてり

タオルに縮めた手足はしびれて冷えてくる

むしった爪でシーツを引っ掻く音

蒸れた枕にはりつく髪

明けない夜は液晶に閉じこめられたまま

もがくこともあきらめ

時折の隙間風が

いつしかかわいた目にしみる

慣れる時が来るのだろうか

鳥の声は

機械を通してうわずった超音波にしか

もはやきこえない

終わらない暁から

のがれる日がおとずれるのか

虫食いだらけの楓の影が

読みすぎてちぎれた本の頁のように

舞いながら頭上を襲い

まだ見ない記憶が空となって

今を蒼々と射抜く時が

この風の来し方を知り

訪ねることのできる日が




   『さえずり』       



あいつに何てことしたんだろう

聞き終わらないうち

空はひびでも入ったかのように

小さく悲鳴をあげた

あわただしい羽音が立ち

梢がゆれた

鳥をつかまえたことなどなかったのに

わたしは思わず

両の手を伸ばしていた

声だけをただ

知らず知らずのうちに待ち受けて

その声は見る見るうちに

幾重にも重なる枯れ葉の擦れ合いをつらぬき

裂け目が走るかのように駈け抜けていった


鳥の中にさえずりがある

の中に

がいる

そばにいる相手の肩に

そっと手を置くことはできても

ただ

それだけ


さえずりは一瞬だけ胸に降り

痛みだけを残して

瞬く間に遠のいていった

木の間でゆれながら

血のように滴る光の残像を唯一のよすがとし

みずから傷つくことで

人間の思いあがりを罰しながら

しっかりといだきとめられることを

かたくなに拒んで


ふと

下を見ると

足の折れた小鳥がもがいていた

はりつめたものの裂ける音

硝子細工がわれる音

思い出すとも

忘れるともなく

わたしは両手で体を包み

力を入れないようにしてすくいあげた




   『春雷』                 



はり裂ける空に

光る傷と

透きとおってあふれる血にはぐくまれた若葉の露は

どんな悪の瞳に湛えられた涙よりも聖い

頭上でさえずるいのちのはばたきに身をふるわせ

風のいざないを拒みつつあこがれにはためいていこう

末期の目にうつる天の光はなぜに

ああ

地上の鏡に人をあざむきながらもそんなに青いのだ

時よわれをして

みずからの存在を拒ましめよ

とわに還らぬ春への手向けに




   『アランフェス ―死の戴冠式―』                

 


 序

ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」に合わせてキューバン・ルンバを踊る一組の男女より霊感を受けてここに記す。

     

    *


誰の目に映るのか

アランフェスのきざはしにあゆみをしいられ

引かれくるいけにえの涙は

身のうちでいっとう

冥界との交わりをこのむ肌が

海辺の白いつぶにたくされた痴情を

いまだ留めているというのに

しかしその掌は異国の夜においてあらたな灼熱を

すでにもとめているのだ

それでも彼女をはぐくんできた

瑠璃とめのうの豊饒をかなしみ

闇をきりさく稲妻のように

とぎすまされたまなざしがひらめくが

あかつきの玉座をはずかしめるのは

ああ

東方のまぼろしか

桜色をした篝火が

若葉の波に命をしずめていく

花びらは光をやどしながら地下の国へ

ぬばたまのはだえに血潮をはばたかせたままの幹は

おお

そなたの心も引きさかれ

乱舞の蔭に再生の夏を

じっといだいているのか

そのゆらぎを受け

指のおののきに答えるひとみよ

裏切りと愛のしかばねを焼きつけているのか

うなじはもはや月明かりの愛撫を

噴水のようにあびているではないか

響きあう炎は

やがてあらしにみずからをゆだねるだろう

落花の夢におぼれつつ

焔の翼をたぎらせる不死鳥となり

まぶたに東雲をはためかせる女に

とこしえの翳りをあたえるのは

この世の冥王(ハデス)

生とのきずなをとらわれ

瞑るまなじりを伝う一条の筋

真紅につらぬかれ

夜風に冷えゆくこの閃光こそ

舞姫(テレプシコラ)にささげられた

妃としての徴なのだ

しかし

鏡のような四のまなこがうつしだす面影を

彼らでさえ知ることはならない




   『雪の音』          



車の騒音が消え

足音が去り

雨が凍えながら遠のき

風がやむ

硝子を隔て

闇が震える

ああ あれが雪の音だよ

幾千年の昔

地球の裏側で身を投げた女の涙

井戸を抜けて瞬く

儚い強い花びら


見えざる弦がつまびかれる

凍てつくピチカートは

透き通った棺をいたぶり

押しかえそうとする掌を闇が払う

ああ

空気になって扉へ抜け入り

この唇に降り立ち

吸ってしまいたい

よるべない息の絶えるまで

血潮の滾り果てるまで


アルペジオが光に消える

ああ これは雪どけの音だよ

雫が気味悪くうつくしく朝日を帯び

硝子に絡んでいく

かつて哭(な)いたことが唯一の誇り

あふれる清流をぬぐい

棺を打ち砕き

破片の耀きを身に浴びて

奈落への階をさかさまに駈け上がろう

音もなく紅に染まりゆく空

遠い祈りの影を映す

永久(とわ)の地上に向かって




   『夜桜』                   



空が咆哮し

弓張月の牙をむく

猛り狂う星の群れが雪崩れ

闇が唇を塞ぐ


風を切ろうとこころみれば

空気の血の滴りが肌に絡む

胸に滾り零(こぼ)れ落ちようとする爛漫の花を透かし

群青の淵が誘う


古びた日記が千切れ

紙吹雪の潮(うしお)が渦巻き

躍りながら行く手を阻む

明日がわたしを見失う


風が旅立つ

波打つ夜に燃え残り

漂いつづける桜色の蛍を

東雲が侵す




   『乱舞』                



凍てつく刃が身を切る

零下が無限の疾駆を滾らせる

迸る肉片

張りつめ

消え残る毛細血管は

冷感症の花火

燃えさかる氷紋

血の滴りのみが

冬の空に真紅の星座を結ぶ

愛しているあいしているアイしている

I love you Ich liebe dich Je t`aime Ti amo

かつてわたしであったものが踊り出す

声のない歌に

描かれない絵に

演じられない芝居に酔い痴れながら

けっして読むことのできない詩を口ずさみ

明けない群青の彼方に狂い咲く

愛あいアイloveliebeaimeamo

孤独な酒池肉林の最期

I 愛 you Ich 愛 dich Je t`愛 Ti 愛


鳥の影に覆われ

蝦夷松は息を潜める

散りゆく羽の幻が

星を宿して降り頻る

静寂を歌いながら

薄青く暗む空

白い接吻にふれられ

冴え冴えと絶える命は

刹那に乱舞する

ああ

雪の残影をいだき

死の瞬きを生きよう

立ち枯れた夏への追想を

氷の愛撫に乱しながら




   『青の瞬き』            



 ・蛍



平家蛍が闇に息づく

オパール色の光と

絶え絶えな星の影は

運命を往く昏い月の舟に

古い恋物語の結びを問う

光る果実は白樺に

点々と一夜の禁忌を灯し

遠い海が

青く青く移ろう



 ・蝶



青揚羽が迷いこむ

玻璃の扉は閉ざされ

夏が鼓動を弱める

小さなシルフィードの命は抜け落ち

羽根のみが掌に震える


ああ

紅の空に舞う荒鷲

青々と飛沫き

遙かな夜を輪廻する血潮

やがて

明けそめた空の柔肌を切り裂く鳥の声と共に

女はたまゆらの笑みを遺し

楽園はみずからを波に葬る



 ・蜻蛉



青白い光が

静寂を震わせる

灯りの愛撫に焦がれ

冷えきった石の窓辺を去りがたく

羽根の孕んだ星々の虚像をいたずらに乱す

冬へと生き急ぎ

雪に埋もれて息づく花

刹那に死を羽羽田搏かせて

蜻蛉の命は撓む



・渚の花と虎



渚の空が

蒼い腕を幽かに戦慄かせる

張りつめ

くずおれる夏の黄昏

白い虎は

夕陽の返り血をおもむろに浴びる

ハイビスカスに宿る瑠璃の生魑魅

清められた戦士は

ひそやかに棚引く紫の闇となり

青い蜜に久遠の口づけを燃やす




   『玻璃の翼』             



遠い雪の幻影を宿し

玻璃のかけらが降る

血潮を煌めかせて青く薄く透きとおり

はりつめた一枚の窓となる


翼を失くしたのはいつか

偽りという名の果実に口づけた時

笑いさざめく紅い花々に誘(いざな)われ

凍えた耀きを放つ銀の城に背を向けて


もはや風を受け入れない両腕

窓越しに伸ばし掴もうとするのは

飴色に薫る子どもの涙

掌に残るのは

ほどけかけたすすり泣きのレース


かつて飛べたこと

ただひとつの花冠を抱(いだ)いて歩きつづける

血の滲んだ指をすり抜けてゆく風

空の亡骸と魂のあわいを

  

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