ついていない1日の最後にもらった、最高のプレゼント。
猫野 肉球
クリスマス・イブ
「はぁ〜、マジか…」
イルミネーションに彩られた街並みと、どこか浮き足立つように忙しなく、足早に過ぎ去って行く人々。
今日はクリスマス・イブ。
周りは、初々しく微笑み合うカップルや、幸福の形をそのまま切りとったかのような家族連ればかり。
そんな中、この世の終わりのような絶望しきった顔でため息をつくのは、私、
会社からの帰り道、あまりに寒く指先の感覚が無くなってくることに気づいた私は、自動販売機に売っている飲み物で暖を取ろうと思い、カバンから財布を取り出そうとした。
そう、したのだけれど、そこで絶望的なことに気がついた。…財布が、ない。
頭のてっぺんから、サァ…と血の気が引いていくのが分かった。う、嘘でしょう!?
独り身だけど、今日はクリスマス・イブだし…と思い、少し豪華なケーキとオードブルを食べようと、少し多めにお金をおろしてきていたのだ。
それに、クレジットカードや保険証、運転免許証まで入っている。
そのお財布が、ない!
私は半狂乱になりながら、来た道を折り返した。
目を皿のようにして、側溝や植え込みの中まで、隈無く探しまくった。
すると、あ……あった!!!
金運を上げると、何かのテレビ番組で言っていたから、それにあやかりたいと選んだ黄色の財布、間違いない、あれだ!
私は、学生時代でもここまでのスピードは出なかったのではないかというくらいの、見事なダッシュを決め、財布のもとへ。
あった、あったよ、私の財布ぅ…。滂沱の涙を流しそうになりつつ、ふと、財布のチャックが開いていることに冷静になる。
いや、まさか、そんな、まさかよねぇ?震える手で、開いているチャックから恐る恐る中を覗く。
神はいなかった!!!!
さっきとは違った意味で泣きそうになる。
足がつくことを恐れたのか、クレジットカードや保険証、運転免許証は無事だったけれど、お金は、小銭に至るまで見事に抜かれてスッカラカン。
財布を片手に、植え込みの近くのベンチに座り、項垂れる私はさながら燃え尽きたボクサーのようだろう。
ちくしょー。そういや、今日は朝からついてなかった。
寝ぼけた勢いで、学生時代から使っていたお気に入りの目覚まし時計を叩き付けて壊してしまうし。
シャキッとしようと、コーヒー入れる準備をして、コーヒー豆を切らしていたのを思い出した。
気持ちを切り替えようと、買ってあったパンプスを初めて履こうとして、左右のサイズが違うことに気付く。
家を出てすぐ、目の前を黒猫が横切る…これは唯一の良いことだった。朝からお猫様を見れるなんて幸せ。
出社してからも散々。
朝から、うちの課の御局様につかまり、愚痴だか説教だか嫌味だか、なんだかよく分からない、でも無駄に長い話に巻き込まれ。
精神を消耗してるところに、課長からの呼び出し。
またぎっくり腰が再発したのか、その痛みからくるイライラに八つ当たりされて。
疲れ果てて自分のデスクに戻ってきたら、営業課の人が差し入れしてくれた、私の好きなお菓子の箱だけが。中身はなかった。
気を取り直して、お昼ご飯にしようとして、玄関先にお弁当を忘れたことを思い出した。
外に出たのでは間に合わないので、仕方なく引き出しに入れてあった携帯栄養食品をモソモソと食べる。
口の中の水分全部持っていかれた。
終業間近になって、私の作った資料のミスが分かり、3時間の残業。
そして、財布の中身を抜き取られた…。
「辛いなぁ…」
クリスマス・イブの、今日じゃなかったら。そんな日もあるさ、と前向きになれたのに。
今日だから、クリスマス・イブの今日だから、ついてないこの一日が辛い。
いつまでも燃え尽きたボクサーではいられない。そして、このままだと本格的に泣きそうだ。
計画してた、豪華なケーキもオードブルもなし。
コンビニで、チキンとカップのケーキを買って、今日はやけ酒だ。最近はコンビニのお惣菜も美味しいから、期待できる。
さて、何にしようか。
頭では、前向きに色々と考えているのに、私はそこに根を下ろしたかのように、ちっとも動けなかった。
それはそう、だって、だって今日は…。
「鈴木、さん?」
掛けられた声に、バッ!と勢いよく顔を上げる。
その弾みで、溜まっていた涙が、ポロッと頬を伝うのが分かったけど、すぐに口元まで覆ったセーターに吸い込まれたので、バレてない、セーフ…。
「大丈夫!?どうしたの?どこか痛い!?」
セーフじゃなかった、モロバレだったぁ〜。肩を掴まれてユサユサと揺らされながら、思わず遠い目をする。
声を掛けてきたのは、我が社の花形営業課の木村課長、36歳男性。
独身で、その端正な顔立ちと、紳士的な対応から、肉食系女子たちのメインターゲットとなっているお方。それをいつも柔和な笑顔でのらりくらりと躱している木村課長に、意中のお相手がいらっしゃることを、私は知っている。
その木村課長の内心を知ってしまったのが、今日の最大のついてない出来事で、私にとっての最大の不幸。
それは、二時間前のこと。
なんとか残業を終えて、退社しようとしている私の目に、木村課長と人事課の課長の青山課長が見えた。
ご挨拶をしてから退社しようと、お二人の元へ足を向けた時だった。
「木村?お前、意中の子を食事に誘うんじゃなかったのか?」
「あぁ、青山か。いや、それが彼女残業中みたいでさ、それに、やっぱり俺が声を掛けると迷惑になるんじゃないかと思って…」
「いや、思春期か」
「自分でもそう思うけどね。でも、この歳になって、新しい恋を始めるのは怖いものだよ。本気なら本気な程ね?」
最後まで聞いていられなかった。二人に背を向けて、裏口から帰った。
だって、好きだったのだ。
領収書がないので、経費として精算することができませんと、営業課の人に伝えに言った時。そこをなんとかできないか、と言われたが、規則なので、としか答えることができなかった。
「それくらいそっちでなんとかしてくれよ。融通のきかない女だな」
イライラしていたのか、そう吐き捨てるように言われた。正直言うと、傷ついた。
でも、昔から四角四面な、型にはまった生き方しかしてこなかったし、融通のきかない性格なのも重々承知しているが、どう直していいのかも分からない。
経理課の他の同僚たちがこっそり目こぼしする中、それができない私はいつしか、雪という名前も相まってか『氷の女』と呼ばれていることも知っている。ただ感情表現が下手なだけなのに、冷たい女と思われていることも。
もうどうでもいいや、と思いながら、それでも規則なので、と答えようとしているところに。
「彼女の言っていることはとても正しいと思うのだけれど、なんで彼女が責められてるのか。不思議なこともあるね」
柔和な笑顔を見せながら、木村課長が現れたのだ。その頃はまだ課長ではなかった木村課長は、やんわりと穏やかに部下を窘めていった。
「いつもご苦労さま」
私にまで、いたわる様な優しい笑みを向けて。
その瞬間、恋に落ちた。
仕方ないじゃないか。昔からつまらない女だとか、冷たい女だとか言われ続けて、男性に対する免疫は全く無かったんだ。
それから、木村課長を見る度に嬉しくなった。女性社員から絶大な人気を誇る木村課長とどうこうなるつもりは毛頭なく、ただ姿を見られるだけでその日一日嬉しかった。
ささやかな恋だった、叶わないと決まっている恋だった、いずれ終わりがくると分かっている恋だった。
それでも、終わりを迎えるのは今日以外が良かった。
4年の間、暖かく育ててきた恋の終わりは。
「大丈夫です」
木村課長に、自分でもそうと分かる引きつった笑みを見せる。今すぐこの場を離れたかった。
木村課長が意中の人といる姿を、今日だけは見たくなかった。明日からは、そっと気持ちに蓋をして、ただ幸せを祈るから。
「よし、鈴木さん。ご飯行こっか」
「は?」
木村課長の思わぬ発言に、今までの内心シリアスモードを忘れて、間抜け面になったのは、無理ない事だと思う。
「それでね……」
ワイン片手に楽しそうに話しかける木村課長を前に、私は何故こうなったのかをひたすら頭の中でグルグルと考えている。
あの後、木村課長にうまいこと言いくるめられて、私は食事を共にすることになってしまった。あの、意中の人は?と尋ねそうになったが、姿が見えないところを見ると、お誘いには失敗してしまったのかも知れない。
なんでもそつ無くこなしそうな木村課長にしては意外だけど。
そして、ピン!と閃いた。
なるほど、私はその意中の人の代打なのだな、と。それなら、役目をしっかりと果たさなければ。
ズキズキと痛む胸には気付かないフリをした。
最初は気まずかったけれど、木村課長の話術もあり、思わぬ楽しい時間を過ごせた。
そして、お会計の段になって。私はお財布を片手に青ざめていた。
しまった、中身がない!と。
「すみません、木村課長。今日持ち合わせがなくて…」
「ん?いや、ここは私が払うから大丈夫…いや、それなら、一つお願いを聞いてもらってもいいかな?」
「お願いですか?私にできることなら」
そう言った私に、
「女性がそんなことを軽々しく言ってはいけないよ」
と木村課長は困った笑みを浮かべるのだった。
木村課長に伴われてやってきたのは、夜景が見える室内スポットとして有名なところだった。
「鈴木さんに寒い思いはさせたくないからね」
木村課長はずるいと思う。笑顔でそんなことを言うなんて。
「それで、私にお願いとはなんですか?」
「まぁ、焦らない焦らない」
ふふっと笑った木村課長は、何故かその後昔語りを始めた。
昔から、なんでもそつ無くこなせてしまったこと。自分の顔がいい事に気がついたのは、中学生の時だったこと。
なんでも器用にできるから、周囲の人のことを見下していたこと。大学時代からの付き合いの青山課長に、その考えを叩き直されたこと。
それでも、恋愛などくだらないと、自分に集まる女性の事は、どこか見下してしまっていたこと。
何故そんなことを語られるのか分からない私は、目を白黒させ、木村課長の話を遮ろうとした。
すると、木村課長はスっと人差し指を立て、私の唇にかざす。
「私のこの性格の悪さは筋金入りなんだ。だから、いずれ結婚するにしても、自分に利益をもたらす、そんな相手を適当に見繕って、それなりの結婚生活をしていくと思ってたんだ。でも、違った」
そうして、木村課長が優しい瞳で語るのは、彼の意中の人の事だった。
最初に彼女を助けたのは、自分の課で揉め事があると面倒だったから。彼女の視線を感じても、またか、と思うだけで、ちっとも心動かされなかったこと。
彼女が声を掛けてきたとしても、振るつもりだったこと。予想に反して、彼女からの接触は一切なかったこと。
それなのに、度々部下の元に業務で来ていたこと。
毎回彼女を庇うはめになる、その不器用さにイライラしていたこと。
いつしか彼女からの視線がないと、落ち着かなくなっていったこと。
自分以外の人には話しかける彼女に不満を持っていたこと。
話すきっかけを掴もうと、彼女の好きなお菓子を差し入れていたこと。
青山課長に、それは恋だと言われ、動揺してマグカップを割ってしまったこと。
認めたくなくて、他の女性と付き合おうとして、ダメだったこと。
諦めて認めたものの、自分から動くことが無かったので、上手くいかなかったこと。
彼女の誕生日をたまたま知ったので、食事に誘おうと思ったこと。それなのに、誕生日当日の彼女はどこか落ち込んでいたこと。
その姿に、声を掛けていいか迷い、姿を見失ってしまったこと。
諦めきれずに街をウロウロしていたら、彼女を見つけたこと。声を掛けたら、彼女は泣いていたこと。
動揺しすぎて、彼女を食事に誘ってしまったこと。
食事をしていても、自分は味が分からないほど浮かれていたのに、彼女は別のことを考えていたように見えたこと。
当然奢るつもりだったのに、お金がないという彼女にお願いをしたこと。
「もうね、自分でも分からないんだけど。私は彼女…貴女のことが好きみたいですよ、鈴木雪さん」
「みたいってなんですかぁ…」
私の目からは涙がポロポロと止まらない。
「みたいかどうかは、鈴木さんの返答次第ですかね?」
「性格悪すぎじゃないですかぁ…でも、好きですぅ…」
「私も好きですよ、雪さん」
こうして、私のついていないクリスマス・イブであり誕生日は、最後に爆弾のようなプレゼントを貰って締めくくられた。
ちなみに、木村課長…もとい、恋人になった
会社で光さんが堂々と交際してると言うものだから、女子社員に目の敵にされたり。
青山課長に『あいつ、光とか言う名前の割に腹の中真っ黒だから気をつけろよ』と言われ、『知ってます』と答えると、『あぁー、本気かぁ。可哀想に…。』と謎の発言をされたりするのだが、それはまた別の話。
ついていない1日の最後にもらった、最高のプレゼント。 猫野 肉球 @nekononikukyu-punipuni
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