複雑な呪文 4
「魔法使い……」
言葉にするのも嫌そうに小さくそう呟いたシルマ王女は、アレックを警戒しながらも、この知らない場所に戸惑っている様子だった。それから、自身の両手がしっかり存在することを確かめるように見下ろして、立てた膝を抱え込んでうずくまる。
アレックはその場から動けなくなっていた。とっさに色んな言い訳が頭に浮かんでも、膝を抱えたシルマ王女から今度こそしっかりすすり泣きが聞こえてくると、何も言えなくなってしまった。
間もなく、涙をぬぐって顔を上げたシルマ王女は、アレックをもう一度睨みつけて叫ぶようにまくしたてた。
「こんなことするなんてどうかしてる! あなた、ずっと嘘ついてたんでしょう! 本当はグライフィーズとかいう名前で、妙な魔法かけて、ひどいめに合わせて! 姉さんの次は私ってわけ! ずっとこの機会を狙っていたのね!」
「待ってください」
「助けてって言っても、誰も聞いてくれなかった! そうよ、だって、私人間の姿してなかったもの! グラントなんか、簡単に持ち上げて、枯れ草と一緒に私を燃やそうとしたのよ! 全部、あなたがそう仕向けたから!」
興奮したシルマ王女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちていた。止まらない彼女はさらにしゃくり上げながら叫ぶ。
「グラントに私を殺させようとしたって、わけ? 私が、いつもあなたにひどい、態度ばかり、とっ、とってたから! だから、だから、あなたを怒らせたから、それで、こんな目に――私がいつも、無視、したり冷たい、言い方した、り、したから」
まずい。
アレックは飛ぶようにしてシルマ王女の側に行き、膝をついた。彼女の肩に手を置くと、ゆっくり背をさすって落ち着かせる。
過呼吸を起こしてしまったシルマ王女は、それ以上なにも言葉にできずに、喉が鳴るくらい荒い呼吸をひたすら繰り返した。涙をぽろぽろ落としながら、胸の上に手を当てて、時々むせるように咳をする。
「落ち着いて、ゆっくり息を吐いて」
初めこそ嫌がるようにアレックを突き飛ばしたシルマ王女だったものの、アレックが構わずただ背をさすり続けていると、そのうち抵抗するのをやめて、止まらない呼吸にうずくまりながら必死で耐えていた。
「……怖い思いをさせてすみません」
そう言うと、シルマ王女は長く沈黙した後に、一度だけ小さく頷いた。
「もう、大丈夫です」
しばらくして、呼吸が落ち着いてきた王女は顔を上げて言う。その表情はすっかり落ち込んだ様子で、アレックを睨みつける気力もないようだった。
「お茶を用意するので、少しお待ちいただけますか」
アレックがやかんに火をかけ、紅茶の準備をしている中、シルマ王女は初めて見るものばかりといった風に辺りを見回していた。
「ここは、どこでしょうか」
訊ねる声に、沸いた湯をポットに注ぎながらアレックは答える。
「私の家です。勝手にお連れしてしまい、すみませんでした」
「そう、なのね……すてきなお
「まあ、城ほど広くはありませんけどね」
そうして、淹れた紅茶のカップを手渡す。
「熱いのでお気をつけて」
小さく鼻をすすったシルマ王女は、カップを受け取ると少し拗ねたような顔をして一口飲んだ。
「さっきはごめんなさい。少し言いすぎました」
と王女。
少し、ではなく散々な言われようだった気もするが、そこには触れずにアレックは首を横に振る。そもそも謝るべきは彼女ではない。
「申し訳ございません……」
ダイニングテーブルの椅子に座ると、アレックは改めて姿勢を正してシルマ王女の目を見た。
「あの時、私がペンダントを廊下に落としたせいで、シルマ様を巻きこむことになってしまいました。届いた手紙の送り主はグライフィーズでしたか?」
「ええ」
「ヴァルメキ国の魔法使いです。ペンダントを追って、ちょうどそれを持っていたシルマ様に手紙を送りつけて魔法をかけた。読むと発動するように仕組まれていたんです」
そう言うと、シルマ王女はずっと手首に巻いていたであろう銀の鎖をほどいてアレックに差し出した。
「ペンダントってこれね」
受け取るとそれは一瞬鈍く青く光った。一度力任せにメダルの部分を強く握りしめる。
「残念ながら、グライフィーズの魔法はとても強力で、現状私の力では敵いません。今はかけられた呪いを弱める魔法を使っていますが、短時間でそれも解けてしまうかと思います」
途端、うつむいてしまった王女にアレックは続ける。
「呪いを解く薬を用意することはできますが、それもしばらく時間がかかるでしょう。その間、元の姿を維持するために何度か魔法をかけ直す必要があります。そのためには私が近くにいることをお許しいただかないとなりませんが……シルマ様はお
そう言うと、彼女は少し悩んだ様子で考えてから、言いにくそうに答えた。
「……城で、みんなあなたのことちやほやし出して、あっという間に人気者で、あなたは何でもやってくれるのに、大して欲は見せないし、いつも笑顔で誰にでも公平で。……時々、暗い顔してるのに、私が尋ねたら
最後以外、本当のことを言い当てられた気になって、アレックは思わず表情を消す。それを不機嫌ととらえたのか、王女が「ちがうの」と慌てて続けた。
「悪い人じゃないっていうのはちゃんとわかってたの。ただ、
「嫌なんて、とんでもない」
小さく呟くようにアレックは言う。
一瞬互いに沈黙ができて、何か続けなければ、とアレックが「――城に」と言いかけたところで、シルマ王女が意を決したように口を開いた。
「こんなこと言うのはおかしなことだと思うけど、そのもし、お願いできるなら――この呪いが解けるまで、私をこちらにおいてもらうことはできないかしら。もちろん、自分のことは自分でするし、できるだけ迷惑にならないように気を付けるから……あなたが、良ければですけど……」
少し驚いたアレックがシルマ王女を見ると、王女は恥ずかしそうに顔を赤くしてそっぽを向く。
「いえ、ちょうど私もそうお伝えしようとしていたところだったので――城にお送りすることはできますが、昼と夜、日に二度魔法をかけ直すにはそれ相応の理由がないと城の者にも怪しまれることでしょうし。王様や王妃様は悲しまれるでしょうが、完全に元に戻るまでは、世間には今の状況のまま、ここにいていただいた方が私としても都合が良い。それに、グライフィーズが確かめに来ないとも限りません」
「いいの……?」
とシルマ王女。
アレックは頷く。
「もちろん、シルマ様さえ良ければ」
すると彼女はそれまでの不安そうな表情から、ぱぁっと明るい笑顔になって、けれど半分涙目で、ソファーから立ち上がると両手でアレックの手を取った。
「ありがとう、えっと」
「名前でしたら――」
「アレック。わかってるわ。私のことはシルマで良いから。本当に、ありがとうアレック」
魔法の石フーラス 春野 悠 @harunoyuu
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