蜃気楼の彼女
砂漠の使徒
蜃気楼の彼女
第一章 ゆめかうつつか
あなたはどうしてそこにいるのですか?
僕はいつのまにかこの言葉を口に出していた。
「それに答えてなんになるの」
彼女は冷たい返事をした。
「僕はどうしてもそれを知りたいのです」
「そう」
彼女はいかにも興味なさげだった。
「あなたは知らなくてもいいことなのよ」
そういうと彼女は蜃気楼のように、まるでそこにははじめから何もなかったかのように消えてしまった。
これが僕と彼女の最初の出会いだ。その後まだ幼かった僕はさきほどまで彼女がいたであろう場所を呆然と眺めていた。両親が心配して探しに来るまで。
あれは幼いころに僕が自分で作った想像上の人物なのだろうか。
僕は小さいころ人見知りな性格だったので、いつも一人で遊んでいた。彼女はそんな僕の寂しさが生み出した幻だったのかもしれない。
いや、僕は彼女をこの目でしっかり見たんだ。幻なわけがない。
そうした思いを抱きながら僕は頭にゆらゆらと揺れる不明瞭な、しかし僕の記憶にはしっかり刻まれているあの日の彼女の姿を描き続けていた。いつの日か彼女に会えることを願って。
そんな僕の願いが通じてか、それとも運命のいたずらか。
僕はまた彼女に出会うことになる。
第二章 二つの世界
目を覚ますとそこにはあの時の彼女がいた。
僕が昔会ったことがあるあの彼女だと断言はできない、けれど直感的にそう思わせる不思議な魅力が目の前の彼女から漂っていた。
彼女はあの時と変わらない美しい姿形のままで、まるで彼女だけ時間の流れとは無縁であるようだった。
そして、以前あった時と同じで全く落ち着いた態度だった。
しかし、一つだけ違っていることがある。今度は彼女から僕に話しかけてきたのだ。
どうしてここにいるの?
彼女は冷静でありながら、少し困惑した様子でこう尋ねた。
僕が質問の意図がわからずに呆然としていると、彼女は少しいらだっている様子で今度はこう言った。
「あなたはただ私の質問に答えればいいの。間違っても私になにか尋ねようなんて思わないでちょうだい。さあ、早く答えなさい。」
しかし、せかされたからといって、答えがでてくるわけではない。僕は依然として彼女を見つめながらなぜこんなことになったのかを考えていた。
やがて彼女は僕に質問するのは時間の無駄だと思ったのか、僕に背中を向けてどこかに向かって歩き始めた。
それを見ながら僕は後ろ姿も美しいのだなあ、なんてことを考えていた。思えば、昔会ったときも彼女は僕の目の前にいたので、背中を見るのは今回が初めてだ。
ここまで考えて僕はふと疑問がでてきた。このままどこだかわからないこの場所で、しかも自分についての記憶も曖昧なまま一人取り残されても大丈夫なのだろうか。
そこまで考えると不安が僕を突き動かし、自然と遠くにある彼女の背中に向かって声をかけていた。
「おーい!」
彼女は足を止めてくれた。しかし、こちらに来る気はないようだ。
僕は彼女を待たせまいと駆け寄った。
「なにかしら? やっと私の質問に答える気になりまして?」
「そうじゃないんだけど……」
「では、話すだけ無駄ですわ」
彼女はそう言って、僕の言葉を遮った。そして、また僕に背中を向けて歩き始めた。
僕は慌てて言葉を続ける。
「ここはどこなんですか?僕には全く見当がつかないんですが、せめてそれだけでも教えてください」
しかし、それでも彼女は足を止めない。僕は彼女に必死についていった。
「ここがどこだかわかれば、なぜ僕がここにいるのか思いだせるかもしれないんです」
すると彼女の歩みが少し遅くなった。これには興味があるようだ。むろん彼女だけではなく僕も知りたいことだ。僕は彼女の返答を待った。
「ここは人間がくるべき場所ではないし、そもそも来ることはできないはずだわ。そんなことも知らずにどうしてここにたどり着けたのかしら」
彼女はそうつぶやいた。
そして、歩みを止め、僕のほうに向きなおった。
「残念ながら、あなたがどうやってここに来たにせよ、もう二度とあなたが元いたであろう人間界に戻れないわ」
僕はさほどショックを受けなかった。確かに親しい友達や両親にもう二度と会えないのは寂しいが、僕の記憶の中の両親や友人はすごくぼんやりしていて、本当にいたのかどうかも思い出せない。だから、彼女の言葉も僕にはあまりひびかなかった。
「ここは蜃気楼世界よ。あなたがもといた世界とここは近い位置にあり、お互いの存在を認識しているわ。しかし、基本的には交わることはないんですの。蜃気楼は見えるけれども触れないでしょ、それと同じようなものですわ。」
彼女のいっていることはさっぱりわからない。しかし、僕は彼女のいうことを素直に信じるしかない。疑っても始まらない。今の僕にとって頼れるのは彼女だけだ。
「説明は以上よ。何か思い出して?」
「すみません、まったく何も思い出せません」
「ハァ……」
彼女はうつむいて大きなため息をついて黙り込んでしまった。
「どうしたんですか?」
僕がそういうと彼女は突然顔を上げ、僕をにらんだ。
「あなたは私の貴重な時間を無駄にしたのよ!この意味がおわかりになって!?」
「あなたはさぞかし暇なんでしょうね。この私をからかうほどに」
まずい、彼女を怒らせてしまった。怒った顔も美しいですね、なんて口が裂けても言えないのでとりあえず謝罪の言葉を述べる。
「そんなことはありません。あなたの期待にそえず、申し訳ないと思っています」
「まあいいわ、もう二度とあなたとは会わないでしょうから。さようなら」
そういって、彼女は速足で僕から離れていく。
しかし、彼女に怒られただけで何も状況は変わっていない。
行く当てがない僕はとりあえず彼女について行ってみることにした。
すると、彼女が大きな声で叫んだ。
「どうしてついてくるんですの!」
「他に行く当てがないんです。ついていったらだめですか?」
「家では飼えませんわ!シッシッですわ!」
捨て犬じゃないんだから、そんな言い方されるとは心外だ。なんて思いながら後ろについていっていると目の前に何か壁のようなものがあるのが見えた。しかし、彼女は僕を気にして、後ろを見ているのでそれに気づいていないようだ。
「危ない!」
そう言いながら、彼女に駆け寄り、腕をつかんだ。
「なにするんですの!」
彼女は怒りと困惑が混じった声で僕に向かって、非難の声をあげた。彼女はまだこちらを見ていて進行方向にある壁には気づいていないようだ。
「あの、目の前に……」
僕がそう言って、目の前の壁を指さすと、彼女はやっと壁に気づいたようだ。
しかし、少し様子がおかしい。彼女の顔は真っ青だ。ただ、壁にぶつかりそうになっただけでこんな顔するだろうか。
「具合でもわるいんですか?」
僕がそう声をかけると彼女ははっとして僕にこう言った。
「あなた、ちょっとはまともなところがおありなんですね。見直しましたわ」
僕は彼女からどう見られていたのだろうか。それも気になるが、他にもっと気になるものがある。
目の前の壁についてだ。この壁の前に来てから彼女の様子がおかしい。
「目の前のこの壁、なんなんですか?」
「あら、知りたいんですの?」
落ち着いたのだろう、彼女の顔が徐々に血色を帯びてきた。
「私を助けてくれたお礼に特別に教えてあげるわ。これは壁ではなく巨大な門よ。先ほど、私は言ったでしょう、この蜃気楼世界とあなたがいたであろう人間界は近い位置にあると。そして、その二つの世界はこの門によって結ばれているの」
「じゃあ、つまり、その門を使えば帰れるんですか!?」
僕は興奮してつい声を荒げてしまった。やはり、帰る手段があるなら帰りたい。そう思ったからだ。
「落ち着きなさい。この門に十分な準備なしで触れば消滅してしまうわ。仮に、あなたが十分な準備をしてこの門を通り帰ったとしても……」
「しても……」
「元居た場所に戻り、以前と同じ生活はできませんわ」
「え……」
僕は驚きで言葉を失った。しかし、すぐに疑問を彼女にぶつけた。
「どうしてですか?」
彼女は少しあきれ顔になった。
「私の説明を聞いていなかったんですの?この世界と人間界のものは交わることがないといいましたわよね?きっとあなたの存在は誰からも認識されないはずだわ。そんな幽霊みたいな状態になってまで人間界に帰りたいのなら、どうぞご勝手にですわ」
なるほど、彼女の説明が本当なら確かに帰ることはためらわれる。
「あ、ちなみにあなたがたの世界でいう幽霊とはこちらの世界の住人のことを言うんですのよ。たまに人間界に干渉できるこちらの住人がいるんですの」
彼女の豆知識を聞きながら、僕は彼女の説明に引っかかるところを見つけた。
「そもそも僕はこの世界の人間ではないので、その原則は適応されないのではないですか?」
さきほどまで動いていた彼女の口がピタリと止まった。
「それもそうね……」
「やってみましょうよ」
僕はもといた場所に帰るために彼女に提案した。
しかし、彼女は露骨に嫌な顔をしている。
「どうして私があなたに協力しなければならないんですの?」
「そんなこと言わずに、人助けだと思って……」
「いやですわ」
彼女は無情にもそう言い放った。
僕は途方に暮れて彼女の顔をじっと見つめていた。
しかし、彼女は何も言わず、壁沿いを歩きながら僕から離れていく。
これ以上彼女に迷惑をかけるのはやめよう。
そう思った僕は離れていく彼女を静かに見つめた。もう二度と会えないだろう彼女を。
そして、これからここで何をするか考え始めた。
「あの……」
が、僕はこの結果に満足できないらしい。頭では彼女のことを忘れようと思っていても、つい口が滑って彼女に話しかけてしまった。
一度話し始めたのなら最後まで言ってしまおう。そう思った僕は、長年気になっていたあのことについて聞いてみた。
「どうして、あなたはあのときあそこにいたんですか?」
彼女は質問の意図がわからなかったのか聞き返した。
「なんですの?あのときとかあそこっていうのは?」
「それは、僕も、あんまり覚えてないんです」
「けれど、これだけははっきり言えます」
「僕はあなたに以前あったことがあります!」
彼女はこちらに振り返った。
「本当ですの?それ?でたらめじゃなくって?」
僕はうなずいた。
「確かに私は一度人間界にいったことがありますわ。この門を通って」
「しかし……あなたの勘違いじゃないんですの?」
「そんなはずありません。あのとき僕はあなたに話しかけました。そして、答えてくれたじゃありませんか」
彼女は怪訝な顔をしている。
「あなたは、私になんと言ったんですの?」
第三章 謎
僕が話し終えると彼女は言った。
「ええ、確かにそんなことがあった気がしますわ」
「しかし、そちらの世界の人間はこちらの世界の住人を認識できない、それが原則ですわ」
「なので、あのときのことは夢か幻だと思ってましたわ」
彼女は随分とそっけなく答えた。しかし、僕は必死だ。
「でも、僕は覚えています」
彼女は少し悩んだようなそぶりを見せ、こう言った。
「それじゃないですか?」
「え?」
僕は首をかしげた。
「それですわ。ええ、それ以外に考えられないわ」
彼女は得意げに断言した。
「あなたはまともじゃないんですわ」
「私に付きまとう性格もまともではありませんし、なにより私を見ることができるなんて普通の人間ができることじゃありませんわ」
「でも、一人くらいは過去にいたんじゃないですか?」
「そんなこと聞いたこともありませんわ。前代未聞ですわ」
「そうですか」
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。僕は自分がなぜここにいるかを知りたいのだ。
そして、そのためには彼女以外の人からの情報も集める必要があるだろう。そこで僕はこう尋ねた。
「誰か、あなたの知り合いを紹介してくれませんか?ここについてよく知っていそうな人を」
しかし、彼女は僕の質問を聞くと急に黙り込んでしまった。なにかまずいことを言ってしまったようだ。
「……ませんわ」
「え?」
僕がさきほど同様首をかしげると、彼女は大声で
「いませんわ!!」
と言った。
「どうして……そんなこと……」
うまく言葉が出ない僕に対して彼女はすらすらと話し出した。
「昔はいましたわ。けれどここ最近全く誰とも会わなくなってしまったの!」
「確かについ最近までみんなと一緒でしたわ。ここには町がみんなの家がありましたわ。でも、突然なくなってしまったの! すべてが幻だったかのように!」
彼女が突然語り始めた信じがたい話に圧倒された僕は黙って聞いていた。
「すると今度はあなたが現れましたわ。消えてしまったみんなの手がかりを探そうとしている私を引き留めてあれこれ質問するうっとうしいあなたが」
「あなたは何か知っていますの?」
彼女はこちらを見て答えを待っている。とても真剣なまなざしだ。
「すみません、何も……」
「そうですわよね」
彼女はまるで僕がなんと答えるかが分かっていたかのように返事をした。
そして、見るからに落ち込んだ様子だ。彼女のこんな顔は見たくない、そう思った僕はいろいろと考え始めた。
なぜこの町のみんなは消えてしまったのだろうか?そしてなぜ僕はここに来てしまったのか?この二つの事象に関係性はあるのか?
整理してみよう。
消えたみんなはなぜ消えたのか。意図してか、はたまた偶然か。仮に意図して消えたのならなぜ彼女を残していった?突然何も言わずに消えるなんてことがあるだろうか?そもそもここには町があったと彼女は言っている。人だけではなく建物も消えることがあり得るだろうか。
そして、僕がここに来た理由はあるのだろうか。記憶があいまいではっきりしない。自分のことなのにまったく思い出せない。
しかし、考察を続けるうちに、僕にある考えがうかんだ。
第四章 ここはどこ?
「落ち着いて聞いてください」
僕が話し始めると彼女はこちらに目を向けた。
「結論からいうとここは蜃気楼世界ではないです」
僕が口を閉じるよりも早く彼女は反応した。
「何を言ってるんですの!? 私の説明が信じられませんの!?」
彼女は見るからに動揺している。僕はそんな彼女を刺激しないようにゆっくりと続ける。
「僕は蜃気楼世界があることを否定しているわけではないんです。あなたがあると言うのならあるのでしょう」
「事実ここにある門からは今まで感じたことのない普通ではない感じが伝わってきます。何か不気味なオーラが」
「そうですわ。だから言っているでしょう、これは二つの世界をつなぐ門だと」
「はい、そのとおりです」
「しかし、おそらくこれはあなたたちの世界から見て出口です。つまりこれは人間界にある方の門です」
「あなたはここが人間界だと言いたいの?」
「あくまで僕の推測ですがそうだと思います」
「どうしてそんなことがわかるんですの?」
「それに気づいたきっかけは、あなたのいた町が全て消えてしまったことについて考えていたときです。あなた以外の全てがなんの前触れもなく消えるなんてことがありえると思いますか?」
「私だって最初は信じられなかったわ。しかし、どこを探してもみんなは見当たらなかったのですからそうとしか思えないわ」
「それはそのはずです。ここはあなたが元居た世界ではないのですから」
「だから、どうしてそれがわかるんですの!」
彼女は苛立ちながら先を促した。
「もう一度言いますがこれはあくまで僕の推測です。もしかしたら間違っているかもしれません。それでもいいですか?」
「ええ、いいわ。早く聞かせなさい」
「わかりました」
僕はゆっくり確認するようにこう言った。
「あなたは蜃気楼世界の住人で、僕はおそらく人間界の人間です」
「そうですわ」
「もちろん僕がそちらの世界に行った可能性もありえます」
「しかし、それだとおかしなことがあるんです」
「なんですの?」
「僕がそちらの世界に行ったこととあなたの町が消えたことに関係性がないんです」
「そうですわね。しかし、おかしなことと言うほどではないですわ。ただの偶然じゃないんですの?」
「では、逆にあなたが元居た世界、つまり蜃気楼世界から門を通って人間界に来たとしましょう。」
「その場合町が消えているのは当然です。なにしろここはあなたが元居た世界ではないのだから」
「僕は元から人間界にいて、蜃気楼世界から来たあなたからは現れたように見えたのではないでしょうか」
彼女は静かに僕の言葉を聞いている。
「要するに僕が言いたいのは、消えたのはあなたのほうだったのではないでしょうか?」
「そんな……」
彼女は信じられないといった様子で僕を見ている。
「僕の推測が正しければすべてのつじつまがあうと思いませんか?」
「………」
「おそらくあなたが消えたみんなを探しているときはまだ門を通っている途中だったのでしょう。そして、門から出た後に僕を見つけたんだと思います」
「しかし、どうやって門を通ったのです?それには入念な準備が……」
ここで、彼女の言葉が途切れた。
なぜなら、突然強烈な光があたりを照らしたからだ。
第五章 真実
「いや~、素晴らしい推理だね。つい聞き入ってしまったよ」
よく見ると天井にスピーカーがついている。この声はそこから出ているのだろう。
「しかし、もう実験は終わっている。さよならだ」
スピーカーの先の謎の彼がそう言うと物騒な格好をしている人達が部屋のドアから入ってきた。薄暗くてよくわからなかったが、ここは巨大な部屋だったのか。
彼らは僕らを拘束して、部屋の外へ連れて行こうとする。突然の出来事に動揺している僕らはなすがままにされて歩き出した。
「素晴らしい推理のお礼に特別に教えてやろう。我々は蜃気楼世界の調査をしているんだよ」
彼は聞いてもないことを話始める。
「そして、その過程で蜃気楼世界の住人をこちらの世界に呼び出す方法を見つけたんだ」
「日本の山奥のある村にこの門を通じて向こうと行き来する方法が伝わっているんだよ。この村に住んでいるやつらは蜃気楼世界の住人との連絡手段を持っているんだ」
「不思議そうな顔をしてるね。なぜか知りたいか?」
「それは、門を通るにはお互いに協力しなきゃならないからだ。より具体的にいうと門の出口に行先の世界の住人がいないと成功しない」
「門を開ける準備はどちらの世界が行っても構わない。要は出口に誰かがいればいい。後は門を開けて待っていれば、望む望まずにかかわらず入口側の誰かが門に吸い込まれるわけだ」
「頭の切れる君ならもうわかっているだろうが、それが彼女だ」
僕は彼から語られる驚きの真実を頭で整理するので精いっぱいだ。
「ちなみに、君はその村の者だ。なんでも代々蜃気楼世界の住人との通信を行ってきた家系だそうだ。おもしろそうだったので、出口に立ってもらったよ」
「僕は、向こうの世界と通信ができるのか?」
「村の連中はそう言ってたが、怪しいとこだな。のちのち検査してみる予定だ。楽しみにしていてくれ」
僕はふと疑問に思ったので、聞いてみた。
「ちなみに、通信方法は知ってるのか?」
「あー、村の連中は呪文を唱えるとか言ってたな。正確には、呪文というよりかは……」
「知らないのか?」
僕が煽ると彼は慌てて返事をした。
「いいや、知ってるとも。確か一度でも門を通ったことがある向こうの世界の住人の名前を3回唱えるだとか。馬鹿馬鹿しい言い伝えだよ、まったく」
「しかし、門の開閉には手間がかかったよ。こちらを開けるだけじゃなく、向こうの門までこじ開けたんだから。そのせいで向こうの門は壊れて、開きっぱなしになってしまったがな」
そんなことはどうでもいい、僕は気になることを聞いてみた。
「じゃあ、なぜ僕はこんなにも記憶があいまいなんだ?」
「フッ」
謎の人物は鼻で笑った。
「それはお前が実験に非協力的でうるさかったから、ちょっと薬をうっただけだよ」
なんて奴だ。怒りを通り越して、呆れてしまう。そこまでしてこの実験に僕を使いたかったのか。
それにしても、僕はこれからどうなってしまうのだろうか。再び彼らの実験に付き合わされるか、それとも解放されるか。
いや、僕を無理やり実験に使うような奴らだ。常識は通用しないだろう。最悪ここから一生出られないかもしれない。
仮に僕のもといた村に帰ることができたとしても、彼らが蜃気楼世界を狙っている以上、もとの平穏な生活には戻れないだろう。
そもそも僕には記憶がないから、もとの生活に戻れることはないだろう。誰も頼れる人がいない、正確には思い出せない。僕の記憶の中ではっきりと残っているのは、昔見た彼女の姿だけだ。そう、今も目の前にいる彼女。
逃げてもとても平穏な生活が戻ってくるとは思えない。しかし、こんなところで一生を終えるなんて嫌だ。何か手はないのか…。
そうだ。
ここで僕はいいことを思いついた。
今僕たちは部屋の出入り口に向かって、連れていかれている。
そして、部屋の出入り口の近くには、あの門もあるじゃないか。
もしかすると…。
そう思い、門に目を凝らすと、今まさに閉じかけている。最初にこの門を見たときは暗くてわからなかったが、どうやら実験の最中だったので開いていたようだ。そして、実験が終わった今、門が閉じられようとしている。
チャンスは今しかない。
僕は覚悟を決めて僕を連行している人たちを目いっぱいの力を使い、振りほどいた。そして、走り出す。
目の前にいる彼女の周りにいる人たちに体当たりして、彼らがよろめいたすきに彼女の腕をつかむ。
「はやく!走って!」
彼女はなにがなんだかわかっていないようだが、必死で僕につられて走ってくれた。
そのまま、今にも閉じようとしている門に向かって滑り込む。
ドーン。
背後でものすごい音がした。おそらく門が閉まったのだろう。
門を通った僕らの後ろからかすかに「とまれ!」とか「捕まえろ!」とか叫び声が聞こえた気がする。
しかし、今はもう聞こえない。あたりは静寂に包まれている。向こうの世界の人達はすぐに再び門を開けることはできないようだ。
そんなことを考えていると、彼女が僕に話しかけた。
「あなたは、私を助けてくれましたの?」
まだ、動揺しているようだ。
「まあ、そんなところです」
僕はそっけなく答えた。
それにしても、ここからどうやって向こうの世界に行けるんだ?
確か方法は。
「ア!」
僕は大声で叫んだ。ひらめいたのだ、脱出方法を。
僕の大声で驚いた彼女はこちらを見た。
「なんですの?」
「すみません、名前を教えてください」
「どうしてですの?」
「いいから、はやく」
僕が急かすと彼女は困惑しながら答えてくれた。
「υφρρθοΑですわ。」
「え?なんて?」
「υφρρθοΑと言ってるでしょう。どうしてわからないんですの。あなたってほんとぬけてますわよね」
言い過ぎな気がするが、名前を聞けたのでよしとしよう。
「υφρρθοΑ、υφρρθοΑ、υφρρθοΑ」
「なんですの?敬称もつけずになれなれしいですわ」
「ああ、いえ、こちらの事情ですので気にしないでください」
彼女には変な目で見られたが、成功したようだ。
「もう少しで蜃気楼世界に着きますよ」
「どうしてわかるんですの?」
「それは……」
こんな会話をしていると周りの景色が突然変わった。
どうやらここが蜃気楼世界、彼女のふるさと、そしてこれから僕が暮らしていく世界のようだ。
無事着いたということは、僕の能力が問題なく発動したのだろう。
なにしろ能力を使うのはこれが初めてなので、うまくいくか不安だった。
消えた彼女を捜す町の人が偶然近くにいたので僕の能力で呼んでみたが来てくれたようだ。僕の突拍子もないお願いを聞いてくれた誰かには本当に感謝している。
ふと彼女を見るとまわりを確認して戻ってきたと気づいたようで、顔が明るくなっている。
そんな彼女に僕は語りかける。
「υφρρθοΑにとっては、ただいまですね。僕にとっては初めましてですけどね、蜃気楼世界は」
彼女はなにか言いたげな様子でじっと僕を見ている。
すると僕がさきほど呼んだ誰かが僕に向かってこう尋ねた。
あなたはどうしてここにいるのですか?
蜃気楼の彼女 砂漠の使徒 @461kuma
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