18.梅の季節に桜咲かせて 6

 それから新田がチョコの話をすることはなく、となると不二も自分から切り出すのは少々躊躇ためらわれ、彼から見るとなんの進展もないままバレンタインデー当日がやってきた。


 放課後、新田もさほどのんびりと向かったわけではなかったのだが、部室についたときには既に不二が待機していた。背筋を伸ばして両手を膝に置き万全の体勢だ。


「やあこんにちわ。いや早いね」


「それはもう」


 ちょっと引き気味な新田にキラキラした表情の不二が答える。


「う、うん。それは喜ばしいな。まあ、ちゃんと用意はしてきたから安心して欲しい」


「はい!」


「はは、良い返事だ」


 新田は定位置に座るとカバンを開きかけて、中を覗き込みそうなほど興味津々の不二をちらりと見る。


「あー不二くん。悪いが少々支度したくがあるので目を閉じて待ちたまえ」


「支度ですか?」


「そう、支度があるんだ」


「わ、わかりました」


 思いのほか真顔で告げる新田に、不二は疑問を覚えながらも座ったまま目を閉じる。チョコを渡すだけなのに支度とはいったい?


 彼女は不二がちゃんと目を閉じて行儀良く待っているのを確認すると、カバンから可愛くラッピングされた小さな包み、それから小さな手鏡とリップスティックを取り出した。


 鏡を覗き込んで自分のくちびるに色付きのリップを塗る。ただそれだけなのだが、しかし化粧経験のない新田は今日に備えてかなりの時間を費やしてきた。リップの選択と塗りの指南は梯平に協力を仰いだ。

 何度も鏡を見直して仕上がりを確認する。正直まだよくわからないところも多いが、まあ問題はないだろう。

 静かに立ち上がると目を閉じたままの彼の前に立った。目を閉じたまま少しニヤけているその表情を愛おしいと思える自分を再確認する。


 バレンタインデーという日に自分はどうしたいのか。その答えは気付いてしまえば明白だった。

 新田は不二からの告白を受けてそれを条件付きで了承した。けれどもそれだけでは彼女にとっては消化不良だったのだ。新田は求められて応えはしたけれども、彼への好意をまだ自分から示していない。

 それでバレンタインデーという、女子から意志表明するイベントにそれと気付かないまま拘泥こうでいしていたのだ。


 それに気付いてからの行動には迷いはなかった。


「不二くん、ちょっとそのまま、目は閉じたままで、両手を出して軽く上を向いてくれないかい」


「あ、はい。えっと…こうですか?」


 彼は膝の上に置いていた手のひらを上向きにして差し出し、あごをあげるように顔を上に向けた。


「そうそう、しばらくそのままで」


 新田は不二の両手に小さな包みを乗せてそのまま彼の手を包むように握る。


「あ、えっと…もういいですか?」


「いいや、もう少し待ちたまえ」


 戸惑いながらも浮足立つ不二を制して、新田は前屈みに顔を寄せる。


「不二くん」


「はい?」


 握られたままの手と思ったより間近で囁かれた声に驚きながらも短く答える。


「私はキミが好きだ」


 新田はそれだけ言うと不二のくちびるに軽く口づける。彼は一瞬驚いたようにびくりと反応したが、それ以上は身じろぎひとつせずに彼女の好意を受け入れた。


 ゆっくりと優しく想いを伝えながら同時に彼女は思っていた。


 今なら、桜をお題に見栄も虚勢もなく思うままに筆を執れそうだ、と。




~おしまい~

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先輩さんとの放課後文芸部事情 あんころまっくす @ancoro_max

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