SIRENT GUARDIAN
アンリ・ベネット
Prologue.
繁華街に夜の帳が下りる、事はない。いつでも人はそこに在り続けて、光はそこを照らし続けている。
だが、いつも光がそこにあるだけの場所には必ず、闇というものが存在する。図らずもその闇は、人々の心を深く深く蝕みやすいものだ。
ここは歌舞伎町、日本の中でも有数の繁華街にして、新宿を不夜城たらしめる存在。冬といえども一番街から人がいなくなる事はあり得なかった。
そこから数分歩いた所、ビルとビルの間にターゲットを連れ込む。スカジャンを身につけて、手には血のついた金属バット。その後ろには、屈強そうな男が動く様子を見せない程に倒れていた。
「なぁ、コイツはこの辺の人間から金を巻き上げてきたんだぜ、俺だって社会に貢献してる筈だろ!」
「飛び降り死体を毎週金曜日に作って、その周辺の店の売り上げを下げることが社会貢献か。俺にもっと分かりやすいように日本語で話してくれ」
男の眉間に、ハンドガンの銃口を当てがう。右目が白いその男は、手に赤い龍のタトゥーを入れていた。
社会から悪人としてカテゴライズされる人間は、総じて自分は正しいと思い込んでいる。悪いものは悪いと言って悪事を働く者は、精神疾患者、或いはサイコパスとしか認識されないのだ。
「それにしても、社会貢献か。とんだ言い訳を思いついたもんだな」
「売り上げを下げた店は、ぼったくりを重ねてた店、こいつはそこの従業員だ、なんか問題あるか?!」
「そうだな、確かに問題はない」
「じゃあ、俺の事を助けてくれ────」
既に人差し指に力が入っていた。少し眩しくも感じるフラッシュと共に、男だったものは肉の塊としてそこらへんに転がっていた。
「なら、俺がやっている事も社会貢献だ。そうだろ?」
ハンドガンを戻してその場から立ち去る。別に見つかろうと、特に問題はないのだが面倒くさい事にはなるだろう。
さくら通りに抜け出して、誘う気のなさそうなキャッチを無視して靖国通りに出る。酔っ払い達が賑やかにしている中をすり抜けていき、駅に向かう。
「もしもし。いつものところですね、了解しました」
いつも通りの番号にかけて、簡単に話をして終わる。時間を守らないと、またグチグチと説教されてしまう。
俺は懐から、いつもの癖でタバコを取り出して火をつけた。
「あの……」
無秩序に見えるこの街も、意外と秩序の上に成り立っている。そう、それだけは等しく誰の上にもあるのだ。
路上喫煙の監視員に捕まえられ、千円札を渡しながら俺はしみじみと考えてみた。
監視員に詰められること三〇分。早く行かないとあの女がまた拗ねて面倒くさくなる。電車に乗り込んでいつものように目的地を目指そう。
人身事故でまた遅延が発生しているようで、どんどん待ち合わせ時間に遅れて行く。その上、大きな揺れと共に電車が止まる。舌打ちしながら携帯を見ると、プライベート用の方まで着信が溜まっていた。
こんなに催促してくる上司、一般社会ならばパワハラ上司として断罪されるのだろう。
『西荻窪駅にて非常停止ボタンが押された為……』
恨めしい車内アナウンスを聞き流しながら、留守番電話を再生する。
『遅い、遅すぎる。連絡なければもう食べ始めるからな』
別に待たせる気もないし、先に食べてればいいのではと思う。だが、それを言えばかなり面倒くさい事になるのは間違いなかった。
タバコも吸えず、コーヒーも飲めず、ストレスに晒されながら電車に乗り続けて20分、電車が動き始めた。
予定より四〇分遅れて吉祥寺の駅に到着する。既に一時間以上遅れながらハモニカ横丁の中に入って行く。
歌舞伎町と違った場末感こそあるものの、賑やかなのには限りない。人混みを縫うように抜けていき、とある中華屋の暖簾をくぐった。
「イラッシャイ、今日は何食べるネ!」
いつも通り活気のある声に迎えられると共に、突き刺すような目線でこちらを睨む女が一人。
「遅い。七〇分も待たせるとは親の顔が見てみたいな」
「仕方ないじゃないですか、電車の遅れがあったんですよ」
「中央線快速は今時点で四〇分遅れだ。失礼な奴め、それくらい調べている」
これは墓穴を掘ってしまったようで、彼女はかなり機嫌を損ねていた。面倒な事にならないうちに、俺はさっさと話を済ませてしまおうと隣に座った。
「餃子一つ」
「生追加で二つ」
彼女の顔をよく見ると、少し赤らんでいた。多分、一人で晩酌を楽しんでいたのだろう。
活発な店主が餃子を包み始めたのを見ながら、俺は一枚の写真を渡した。
「デジタル化が進んでるのは好きじゃないんだよな」
「そうですか……なぜそこまでアナログデータにこだわるんですか?」
「アナログデータは盗み出すのに足跡が必ずつくから追いやすいんだよなぁ」
彼女は眠たげに欠伸をする。しけたタバコにマッチで火をつけながら、遠くを見るような目で店主の手際を見ていた。そんな彼女の前に今日何杯目かのビールが置かれてから、話は本題に入るようだった。
「で、今回の仕事はどうだった?」
「いつも通りです、本来なら明後日にはレポートを上げられてましたけど……今日はなんでしょう?」
先程の男を射殺する数時間前に、目の前の女から連絡があったのだ。『夜八時にいつもの店で待っている』それだけの内容で電話は切れたのだが、声の調子が少し切羽詰まっていたようだった。
彼女にしては珍しいくらいの焦りようだった為、何の仕事かと思ったのだが……
「簡単に言うと、子守をして欲しい」
「……何言ってるんですか。緊急だと呼び出した目的が、ベビーシッターですか?」
「そうだ、何か悪いか」
ふてくされたような顔をして、ラーメンを啜る彼女が日本の公安当局の長とは思えない。
そして俺は、ただの殺し屋だ。目の前の女から依頼された、法では裁ききれない極悪人の暗殺を専門とする殺し屋。民間人からの依頼はあまり受けていない。
「いや、そんな依頼をされたのは初めてだったので」
「まぁそうだね、壮司も戦死して二児のシングルマザーとなった私の頼みなんだが、私の娘達を大人になるまで育てて欲しいんだ」
「……それは養子ではありませんか」
静かに答えは返したが、長束理事官の頬には涙が流れていた。
キャリア入庁してからその冷静さと優れた状況判断力で、異例の出世を遂げた人間を、こうも感情的にしてしまうのか。それだけ子供の存在とは大きいものだったか
「結局、私はあの子達に何もしてやれなかった。旅行にも連れて行けない、母親として失格なのだろうな」
「……私は、親になった事はありませんが、国の為に働く親というのは誇りに思える者ですよ」
「そうだったな、君はその子供の立場はわかるんだったな」
また店の中が静かになる。店主のオヤジさんは、静かに新聞を読んでいた。
“鉛の女”が泣いている、その光景は感情があまり動かない俺ですら胸が痛くなる光景だった。
数々の事柄を秘密裏に葬り去ってきた彼女が、家族の為に涙を流す。自分の父親を想起させるような光景だった。
「……それで、受けてくれるか?」
「お断りします」
話が分かるのと、話を受けるのは、視点が違ってくる。
子守をするならばそもそも、その子供の安全を保てる場所でないといけない。俺はただの殺し屋でしかない。危険しかないこの立場に二人の子供を預けられても困る。
表向きはただのコンビニ店員でしかない俺とはいえど、素性は絶対にバレる。そうもなったら子供を守ることはできなくなる。
「そんな、即答しなくてもいいじゃないかぁ……」
「それはそうですが」
「あたしは、もう子供を守れない。どうしても絶対だ、やっちゃいけない事をやってしまったんだ。むしろお前さんじゃないと守れない。お前さんとの連絡役は信頼できる人間に引き継いである」
ジョッキが割れそうなくらい握りしめて震えるその姿は、誰にも恐れられる公安の元締とは思えない女らしさが滲み出ていた。
顔を歪めて泣きじゃくるその姿に、俺はそっと背中を撫でることしかできなかった。
彼女は泣き腫らした目をあげると、彼女は手をあげて主人を呼んだ。オーダーは餃子とビールだった。
「最期はここの餃子とハイネケンって決めてたんだ」
「最期って決めつけるのはあなたの悪い癖だと思いますよ」
彼女の涙を無意識に手で拭っていた。こんなことをしたのは
普段泣かない強い女が泣きじゃくる時は、必ず何かが起こる。トラウマとして俺に刻まれたそのジンクスが、また頭の片隅で強く想起させられていた。
「私は、別に裏の仕事をしたい訳じゃなかった。子供が住むこの国を守りたいが為に、色んな事を知ってしまってこの地位まで来てしまっただけだ。君のお父上だってそうかもしれない。だが、仕事に誇りを持っていたのは間違いないんだ……」
餃子をつまみに、ビールを飲み干していく。何も知らない人間から見れば、可憐な女が仕事帰りに一杯引っかけている。それ以外に見えようもないのになぜこんな風になってしまったのだろうか。
俺の分まで会計を済ませると、カバンを持ってそのままゆっくりと立ち上がった。もう出るのかと思いきや、こちらにやってくる。
椅子から急いで立ち上がった瞬間、胸に飛び込んできた。
ふと、昔を思い出した。こんなかわいらしい女がいたのを思い出した。
「壮司が生きてればこんなことはしなかったんだけどね」
「墓場の中で警部も怒ってると思いますよ」
「ホントだよ、全くその通り、諦めるなって壮司は怒ってる。でもこればかりは仕方ないんだ。君は裏口から出てくれ、約束だぞ」
そのままカバンを持って出て行く彼女。その時、あの時と同じ予感が背中を駆け抜けた。
まずい、そう思って店を表から飛び出した。
だがもう遅かった。
目の前には、さっきまで泣きじゃくりながらビールを飲んでた女が目を見開いて倒れている。首は切り裂かれて、空気の鳴る音がしている。
この切り方はプロの切り方だ。血を吐きながら苦しむ彼女の周りに人影はなかった。証拠も残さぬ用意周到さ、ここが誰かにバレている可能性も……
いや、そこまで分かって裏口から出ろと言ったのだろうか、彼女は。
「……ばーか」
声にならない声で、発音だけで弱々しく罵る彼女。思わず抱き上げた体はすでに冷たくなり始めていた。
目から光を失うその姿があまりにも口惜しく、そっと手で彼女の目を閉じさせる。その瞬間、首根っこを掴まれて路地に引き込まれた。
「罠だ、早く逃げろ」
「……親父さんは」
「俺のことはどうでもいい。多分俺達はただの副産物だ、早く逃げろ」
さっきまで朗らかな様子でメシを作ってた中華屋の主人が、別の建物のドアを開く。この中がどこにつながってるかはあの店の客なら誰でも知ってる事だ。
彼女が横たえられてる場所を見ると、すでに部下達が弔い合戦に参陣したかのような捜索態勢を引きつつあった。
「話はすでに聞いている。子供はここに保護してる、俺はしばらく隠れるから、頼んだぞ」
端的に喋ると、建物内のマンホールをあげて俺を押し込み始めた。逆らわずに梯子を降っていく。
また、悲惨な事になった。率直にいうと、すぐにでも喉を掻っ切りたいくらいの重たい気持ちが心にもたげていた。
SIRENT GUARDIAN アンリ・ベネット @writer_camelot
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