【短編】地獄の顔戦争

壱錦ヒミリ

ようこそ『カオ』へ!

 その日、彼はとても緊張していた。

 彼の名は常在菌じょうざいきんA。前途ある若い善玉菌だ。


「ここが『カオ』か……思ったより広――え?」


 始めての赴任先――『カオ』は辺り一面が焼け野原の荒野だった。


「新入りか?」

 そう言って振り返った先に居たのは、歴戦を耐え抜いた雰囲気を醸し出す戦士の一人だった。


「貴方は?」

「俺は常在菌B。もう長い事この地獄を見て来た……」

「地獄?」

「おっと――生き残りだ。手伝ってくれ」


 そう言って遠くで何かを見つけた常在菌BにAはついていく。


「うう……」

「おい大丈夫か?」

「しっかりして下さい。自分の名前は答えられますか?」

「私は常在菌C。先週着任したばかりだ……」


 息も絶え絶えでCはそれだけの言葉を絞りだす。


「一体何があったんです?」

「何がって、決まってるだろ奴らが攻めて来たんだよ……」

「奴ら?」

「――防腐剤ぼうふざい軍さ」

 Cの代わりにBが遠くを見つめて呟いた。


「最初に来たのは『洗顔料部隊』だった――」

 そう切り出してCは今朝起こった戦火について語り始めた。


「奴らは見た事のない強力な兵器で攻め込んできた」

「兵器?」

「合成界面活性剤さ。俺達の領土であるこの皮膚大地を溶かす科学兵器さ」

 静かに吐き捨てるBの捕捉に、Cは続ける。


「奴らのいきなりの攻撃に我々は為す術もなく、仲間はやられていった……」

「何故反撃しないのです? カビや雑菌からを守るのが僕達の使命でしょう?」

 教科書通りのAのこの問いに、Cは大きく首を振って答えた。


「相手が生物ならそうしたさ……だけど防腐剤軍は魂を持たない殺戮部隊だ。我々の敵う相手ではない」

「ああ、俺達に出来る事と言えばせいぜい逃げる事だけさ」

 Bが虚しく告げるその言葉にCは静かに目を閉じてまた続けた。


「次にやって来たのは『化粧水部隊』と名乗る連中だ。馬鹿みたいな大軍で仲間の殆どは奴らと次にやって来た『乳液部隊』にやられたよ」

「乳液部隊も界面活性剤を使うからな」とBも付け加えた。

「そうこうしている内に『日焼け止め部隊』の到着だ。そして、奴らも当然の様に界面活性剤によって大地をボロボロにする」


 Cの台詞を聞きながらBは唾を吐き捨てた。

「あの悪魔共め!」と。

「悪魔か……違いないな」

 力なく笑ったCの表情からは、諦めと自らへの嘲笑すら見てとれた。

「日焼け止め部隊が蹂躙した次に到着したのは『ベースメイク部隊』さ――かはっ!」


 突然血を吐いた常在菌CをAは止めたが、「言わせてくれ、最後の言葉なんだ」との台詞に何も返せなかった。


「程なくして始まった『ファンデーション空襲』で私の部隊は全滅したよ……」

「でも、まだ貴方が居る!」

「いや、私もここまでさ。この傷が浅くないのは自分でも分かってる。同じ様な傷で仲間のDが死んでいくのをこの目で見た」

「僕に出来る事はありますか?」


 Aのこの申し出に、Cは無言で首を振った。


「今日赴任したと言ったな? 私はこの戦場を一週間も生き延びれなかった。君には、そうだな……生きて……くれ……」


 そう言って事切れたCの亡骸をAはいつまでも泣きながら抱きしめていた。


「どうしてこんな酷い事を……」


 独り事のつもりのAのその言葉に、Bが答えた。


「スキンケア革命さ。それと同時にやって来た化粧メイク文化。防腐剤軍の侵攻はあの時代からずっと続いてる。爺さんから聞いた話だ」

「僕達はどうすれば?」

 涙の渇かないAが悲痛な表情で問う。


「どうも出来やしないさ。カビや雑菌と戦う装備しかない俺達に、防腐剤軍と戦う能力はない」

 無慈悲に告げられるBの言葉にAはただ絶望するしかなかった。


「とにかく生きろ! その為には逃げるんだ。決して奴らと――」


 次の瞬間、Aは思い切りBに突き飛ばされる。

 一体何が起こったのか恐る恐る目を開けると――


「チッ。俺とした事が、安っぽい同情に駆り立てられちまったか……『コンシーラー爆弾』なんぞにやられるとはな……」


 そこに居たのは、空から振って来た巨大な柱によって押し潰されたBの姿だった。柱自体はすぐに消えたものの――Bの背中には劇物で溶かされた様な後が残っており、それがBの体自体を溶かし始めていた。


「Bさん!」

 自らを庇ったBに駆け寄ったAは何度もそう叫ぶ。


「うるさい新兵だぜ。ったく……最後くらい静かにして欲しいもんだぜ」

「でも、でも……」

「いいから聞きやがれこの新米野郎。大事な話だ、よーく聞くんだ」

 それは明らかにBの遺言に他ならなかった。


「夕方になれば援軍が到着する……お前はそいつらと合流したら、なるべく多くの仲間を連れて逃げるんだ。いいか、決して戦うな。奴らには勝てない。だから逃げて、生きろ!」


 うんうん。と声にならない声でAは何度も頷いた。


「それから夜には気を付けろ……」

「夜?」

「最強の界面活性剤を使う『クレンジング部隊』の残党狩りが始まる。恐らく『化粧水部隊』と『乳液部隊』もセットだ」

「そんな……それじゃまるで……」


「ああ、まさに『地獄さ』!」


 それからBは強くAの胸ぐらを掴んで言い放つ。


「よく聞け、新入り。生きたかったら逃げろ。それがここのルールだ。少なくとも俺達常在菌に出来る事はそれだけなんだ。それがこの『カオ』って戦場さ。俺はもう、疲れたよ……後は頼んだぜ……」


 そう言ってBは力なく吐き捨てる。



「ようこそ、『カオ地獄』へ……」



 それが彼の最期の言葉だった。



 常在菌にとって、最悪と言っていい地獄の最前線。



 それがこの戦場『カオ』なのだ。



 そしてこのあまりに残酷な物語が実話である事はあまり知られていない。

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