ポイ捨て
安茂里茂
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飲んでいた缶コーヒーが空になった。
大学の帰り、ちょっとのどが渇いて買ったのだが、このゴミをどうするのか少し迷った。家に帰りつくまではまだ少し時間があり、それまでずっと手に持ったままは面倒くさい。近くに缶を捨てる場所があればいいのだが、どうやら近くにちょうどいい場所がなさそうだ。
研究が長引き終バスを逃してしまったため、普段歩かない道を通って帰っている。近くに民家もなく、車もほとんど通っていない山道のような暗い道だから、コンビニも自販機もないだろう。
このまま家まで持って帰るのが一番いいのは分かっているが、住んでいるアパートは缶の分別が細かく、次の収集まで日にちが結構あったはず。しかも普段缶のゴミなんて出ないから、わざわざ持って帰る気になれない。
それなら、その辺の草むらに捨ててしまおうか、とふと思った。
普段はそんなポイ捨てなんてしようと思わないが、誰も見てないだろうし、草木の伸びた道端に捨てるのに不思議と抵抗を感じなかった。
俺は歩きながら道端に空き缶を投げ捨てた。
すると、思ったよりも地面が急だったのか、カランコロンと空き缶が転がっていく音が聞こえた。もしかしたら草むらを越えてどこかに出てしまうかもと一瞬思ったが、向こう側に舗装されたような道もなかったはずだし、特に問題ないだろう。
俺はそのまま帰路についた。
バイトが思ったよりも長引いて、帰る時間が遅くなってしまった。やらなくちゃいけない宿題があるから、早く帰らないといけない。
人気のない道を自転車をこぎながら帰っている私は、近道のために舗装されてない道路を通ることにした。
街灯もなく結構暗いけれど、何度か通っているからスピードを落とさずにそのまま進む。
すると、どこからかカランコロンという音がしたかと思うと、自転車が何かを踏んづけてしまった。
ガシャン!と音がしてハンドルを取られてしまった私は、自転車から投げ出されてしまった。そしてそのまま地面へと体を強打した。
地面に体をぶつけた時、足を変な風についてしまったからか、足首に激痛が走る。あまりの痛みに体を起こすことも出来なかった。痛みに呻きながら顔を上げると、倒れた自転車のそばにひしゃげた空き缶が転がっていた。
見慣れぬ番号から電話がかかって来た。不思議に思いながら電話に出ると、病院からで、娘である美紀が怪我をして病院に運ばれたと聞いて仰天した。
一瞬頭が真っ白になったが、詳しく聞いてみると、命に関わるような怪我ではなく、普通の骨折とのことだった。私は職場の人間に無理を言って仕事を抜けさせてもらい、とりあえず病院へと急いだ。
病院では足をギプスで固定した娘が待っていた。恰好は痛々しいが、表情とかを見る感じ大丈夫そうではある。医者から怪我の様子や治療のことなどを詳しく聞き、娘を車に乗せて帰宅する。車の乗り降りや家の部屋に戻るのだけでかなり苦労した。やはり片足を使えないだけで日常生活がここまで暮らしにくなるのか、と思った。そうなると私が色々と手助けしなければいけないだろう。数年前に妻を亡くしてからは娘と二人暮らしで、頼れる身内も近くにはいない。娘が高校生になってからは、深夜帯のシフトに入っていて、学校に行っている娘とは入れ違いのような生活をしているが、怪我が治るまでは娘に合わせた生活に変えた方がよさそうだ。
バイト先のスーパーに着くと、この時間帯ではあまり見ない店長がいた。
「ああ、木吉君。ちょっとシフトの変更をお願いしたいんだけどいいかな」
「はあ……それはいいですけど、どうかされたんですか」
「実は……」
聞くと、店長の娘さんが骨折をして、普段の生活もかなり不便になっており、何かあった際にすぐに動けるように、普段店長が働いている深夜帯のシフトに入って欲しいとのことだった。
このスーパーで働いているのは主婦とか学生が多いから、急なシフト変更で深夜に入れるのは僕ぐらいだからこそ、僕に頼んできたのだろう。
別に断る理由もないから、二つ返事で了承した。
ガリガリガリガリ……
夜に寝ていると音が聞こえてきた。ここ最近ずっと聞こえてくる。理由は分かっている。隣人が飼っている犬が立てている音だ。ゲージの中にいる犬が外に出たくて立てている音だろうか。
しばらくすると、興奮気味の犬の鳴き声が聞こえてきた。そのせいでますます眠れなくなり、イライラしてきた。
これまではそんなに鳴き声に悩まされることはなかったのだが、隣人の働く時間が変わったからか、犬の生活リズムも変わって夜に活発になっているのだろうか。
そう、隣人が近所のスーパーで働いているのは知っているのだが、ここ最近働く時間が変わったのか、夜に家を出て朝に帰ってくるのを見るようになった。
さて、一度音が気になってしまうともうどうしようもなく、眠れないことにたいしてイライラするようになり、そのイライラでさらに寝つきが悪くなる……という悪循環に陥っている。
「田丸君、大丈夫かい?」
「………ああ、はい。大丈夫です」
ぼんやりと作業をしていると、後ろから島川さんに話しかけられた。俺は小さな町工場で働いているのだが、島川さんはその社長である。
寝不足やストレスで酷い顔になっていたのか、ここ最近よく心配されている。工場内では事故等に気をつけなくてはいけないのは分かっているが、心配されているということすら嫌になってしまう。
そして荷物の運搬のためにフォークリフトを運転していると、ぐるん、と目の前が回転するような眩暈に襲われ、機械の操作を誤ってしまい、工場内の壁に激突してしまった。それをカバーしようとさらに操作を誤り、工場内の積み荷や機械をなぎ倒していき、そのままフォークリフトから投げ出され、意識を失った。
私は小さな町工場を経営している。なんとかやりくりをして乗り切れていたのだが、それを一変させるような出来事が起こった。工場内で働いている社員が大事故を起こしたのだ。
負傷者を五人出してしまったが、幸いにして死者は出なかった。しかし、二人の重傷者を出し、生産ラインにも損害が出た。いや、それが一番の問題だった。生産がストップしただけでここまで赤字が膨らむとは思ってなかった。
事故など突破的なことが起こってしまったような時のために保険にも入っていたのだが、この保険があまりしっかりしたものではなかったようで、保険の適用範囲外などと言われ、かなりの額を自身で負担しなくてはいけなくなってしまった。
そして借金をすることになってしまったのだが、お金を借りた金融会社がまたよくなかったようで、返済が滞りはじめると、その筋らしき人間が催促しにやって来たのだった。
「おや、島川さん。ようやくお帰りですか」
私が自宅のアパートに帰ると、二人の男が外の階段前で待っていた。ちなみに、工場の経営が上手くいかなくなってから元々住んでいた家を売り払い、築何十年もする安アパートに引っ越している。
一人は三十過ぎの男で名前は伊藤といった。几帳面な男なのか、暑い時期でもネクタイをきちんと締め、スーツをしっかりと着ている。
もう一人は二十そこそこの男で名前は鵜飼といった。こちらはネクタイもせずシャツのボタンを開け、スーツをかなり着崩している。
「そろそろ先月分のお金を返済していただきたいんですよね~」
「あ、はい、それはもちろん。分かってます。はい」
伊藤がねちっこくそう言ってくる。決して声を荒げることはなく、淡々と話してくるのだが、それが私にとって怖い。
鵜飼の方はニヤニヤ笑いながら何も話すことなくそこにいるだけだった。私が帰ってくるまでの間に飲んでいたのか、右手には缶コーヒーがあった。
「しっかりとお願いしますね。大人なんですから、しっかりと約束は守ってもらわないと」
「はい……すいません……」
私は年下の伊藤に何度も頭を下げる。
「では、よろしくお願いしますね」
ようやく満足したのか、伊藤は背を向け帰っていく。鵜飼はやはりニヤニヤしたまま私の方を一瞥し、手にしていた缶を私の方に投げ捨てていった。
カランコロンと転がっていく空き缶の音がやけに響くのを感じた。
それからも毎日のように取り立てにやって来た。
事故が起きてからかなりの日数がたった今でも事故後の対応に追われており、肉体的にも精神的にも疲れ果てている。そして自宅にまでやって来る取立人のせいで休まる場所が存在しなくなっていた。そして、まだ直接的なことは言われていないものの、脅迫めいた発言が増えるようになっていた。
そして、この日も自宅前の階段で座って待っている鵜飼を見つけ、私は嫌な気持ちになってしまった。ただ、これまで来ていた伊藤の姿は見当たらなかった。
「いったいいつになったら返済していただけるんですかね?」
「はい、すいません。少しずつですけど返済しているので……」
自分の息子でもおかしくないような歳の鵜飼に何度も頭を下げる。
「返済が全然追い付いてないんですよね。こちらも慈善事業ではないので。……もしこのままなら、こちらも相応の対応をさせていただくんで」
「……はい………」
「島川さんも五体満足でいたいですもんね。ええ。それなりの覚悟をしておいてくださいね」
とかなり直接的な脅迫を言い残し帰っていった。もちろん、手にしていた空き缶を私の方に捨てることも忘れなかった。
それからも鵜飼が毎日のように待ち構え、私にプレッシャーをかけていった。脅迫を受けて本当に命の危機を感じるようになり、外出するのも控えるようになった。
いつ襲われてもいいように玄関には金属バットを常備するようになった。しかし、それでも全く安心できない。
どうすればいいのか。
やられる前にこちらが倒してしまえばいいのではないか?
そう、向こうはこちらを脅迫しているのだから、正当防衛なんだ。
カランコロン……
あの例の音が聞こえてきた。
殺してやる。
こっちがやられる前に。
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる……………
玄関にあるバットを手に取り玄関から飛び出した。
岩國直輝
就職活動の帰り。慣れないスーツを着て帰っている俺は、歩きながらネクタイを外した。夜遅くになっているが、まだ暑いため、シャツのボタンも何個か開け、かなりラフな格好になる。
面接で結構話したせいか、のどがカラカラだ。近くで見つけた自販機で缶コーヒーを買い、飲み干す。自販機の横にゴミ箱があったため、今回はポイ捨てすることなく、空き缶をゴミ箱に押し込む。
しかし、ゴミ箱の中がパンパンだったため、入りきらずに転がり落ちてしまった。
カランコロン……と転がっていった空き缶を拾おうとした時、近くのアパートからバタン、と扉が乱暴に開かれる音が聞こえ、バタバタと誰かが走ってくる音が聞こえてきた。
振り返ると、血走った眼をしてバットを握り締めた男が立っていた。
ポイ捨て 安茂里茂 @amorisigeru
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