第4話 小さな宇宙飛行士

 金曜日の夜は家から出られなかった。お父さんの帰りが遅くて先にわたしが力尽きた。気付けば朝で蹴っ飛ばされた掛け布団がベッドの下に落ちていた。八つ当たりをしたみたい。ごめんね、と背中を丸めて謝った。

 土曜日は家族みんなが夜更かしするので諦めた。窓の外の夜空を眺めてガマンする。流れ星を期待したけれど、おあずけ状態が二十分も続いたのでベッドに潜り込んで丸くなった。

 待望の日曜日の夜。わたしは野球帽を被り、トレーナーとズボンの格好で出掛けた。リュックは居残りで新しく財布が加わった。中身は千円札が二枚。あとは百円や十円の硬貨だけ。飲み物を自動販売機で買うという、豪遊を目論んでいたのだ。

 明日の月曜日に備えて家族は早くに眠りにつく。怪盗でなくても簡単に家を抜け出せる。わたしは夜の道に出て思いっきり、息を吸い込んだ。


 近所の公園を目指す。


 と言っても遊具はなくて広い運動場みたいなところ。街灯が周りを囲んでいて懐中電灯がいらないくらいに明るい。端っこの方にベンチがあって、近くのお米屋さんの前には自動販売機がある。公園で走り回った子供達がおこづかいの硬貨を握り締めて買う様子が目に浮かぶ。

 わたしは十四才で少しお姉さん。無心になってはしゃぎ回る年齢ではない。でも、喉は乾くと思うから。

 家々のスポットライトを軽やかに抜けると、クスノキに覆われた遊歩道を速足で突き進む。夜に飛び込めなかった間に溜まった力が全身に満ち溢れてくるようだった。

 遊歩道の先が膨らんでいる。公園はすぐそこ。自然に身体は走り出した。別の小さい音が聞こえてきて公園に目を向けた。


 宇宙飛行士がいる。


 銀色の物体が頭を丸ごと覆っていた。顔の部分には透明なカバーが付いていて白く光っている。手袋を嵌めて元気に走り回っていた。

 涼しい夜でも季節は夏。不思議な光景を見て胸がふわふわする。わたしも一緒に走りたくなって公園の中に飛び込んだ。

「そこの小さな宇宙飛行士さん、わたしも混ぜて」

「え、だれ?」

 驚かせたみたい。ビクッとして立ち止まると、こっちを見た。丸い目が可愛い。声は男の子だけど、女の子にも見える。

「初めまして。真中優まなかゆうだよ」

「えっと、お兄さん?」

「格好はそうなんだけど、お姉さんです」

 野球帽を脱いで頭を振った。乱れたところを手で撫で付ける。

「ほら、お姉さんでしょ」

「……たぶん」

「まあ、ボブだからね」

 無駄とは思いながら胸を張ってみる。ささやかな膨らみに男の子は気付かなかった。野球帽を被り直し、明日から頑張って牛乳を飲もうと思った。

「そんなことより、カッコイイね。宇宙飛行士みたいだよ」

「ホントに? おかしくない?」

「なんで? 星が出ている夜に、これより似合った格好なんてないよ」

「そうかな」

 男の子は照れ笑いで返す。走りたそうな手が前後に揺れた。

「ほら、よく見たらここの公園って月に見えない? さらさらした土だし、へこんだところはクレーターにそっくり。そう思ったら、なんか走り出したくなるよね」

 本当は自分が限界にきていた。ワクワクを超えて全身がムズムズする。わー、と子供のように声を上げて走り出す。男の子も叫んで追い掛けてきた。

 わたしはくるくると回りながら空を見上げる。両手を広げて星の瞬きを全て受け止めた。

 その時、誰かが咳き込む。わたしはハッとして男の子を見た。いつの間にか側には女性がいて男の子の背中を摩っている。

「あの、お母さんですか」

「和也と遊んでくれてありがとう」

「でも、咳が」

「嬉しくて少し無理したようだけど、大丈夫よ。紫外線がほとんどない夜だから本当はここまでしなくてもいいのに、心配性みたい」

 男の子の母親は手を休めずにわたしを見て微笑んでくれた。

「夜はいいですよね。昼みたいに全てをさらけ出さないところが奥深くて、神秘に満ちています」

「真中さんは中学生?」

「十四才です。今は在宅のフリースクールで勉強しています」

「ごめんなさい」

「あ、違いますよ。わたしは虐められて不登校になった訳ではなくて、もちろん深刻な病気でもなくて。頭の中の偏桃体が頑張り屋さんで、わたしを取り巻く世界がとても素敵に見えます。一般だとHSPって呼ばれているのかな」

 摩る手の動きが鈍くなる。母親は僅かに視線を下げて記憶を辿っているように見えた。あまり知られていないみたいなので、もう少し言葉を足した方が良いのかも。

「ハイリー・センシティブ・パーソンが本当の名前です。生まれつきで病気でもないから治療する方法もないそうです。お医者さんが言っていました。簡単に言えば個性ですね」

「とても素敵な個性だと思います」

「お母さん、もうだいじょうぶだよ」

 男の子は母親の方に顔を向けた。すぐにこちらに振り向いて頬をぷっくりと膨らませた。

「続きをやろうよ。ここは月なんだよね」

「そうだよ。ここは月で君は小さいけれど、立派な宇宙飛行士だね」

 男の子の笑顔の側で母親は自分の手を握り締める。心配そうな目を我が子に向けていた。

「もっと月らしい感じを出して、ゆっくり走ろう」

 五秒くらい掛けて一歩を踏み出す。大きな腕の振りと後ろに蹴り上げる足で全力疾走を表現した。真似した男の子は両手をふらふらさせた。

「これ、グラグラして難しい」

「宇宙飛行士は大変だよ。今から練習したら、きっと宇宙に行けるよ」

「太陽があるから。ぼく、光に当たれないし、ムリだよ……」

「だったら、太陽の光が届かない、宇宙の果てまで行ける宇宙飛行士になればいいんだよ。わたしは打ち上げられたロケットを見て、笑顔の万歳で見送るね」

 宇宙遊泳をするような動きで両手を挙げた。ばんざーい、と間延びした声を出す。

「お姉さん、ありがとう。ぼく、明日、引っ越すんだけど、向こうでもがんばるよ」

「そうなんだ。じゃあ、今のうちに」

 ばんざーい、と声を出した。男の子は同じように何度も両手を振り上げた。

「なんでそっちがするのよ」

「したかったから!」

 弾ける笑顔の側で母親は涙ぐんでいたけれど、口元が笑っていた。わたしは宇宙に向かって万歳をした。


 今日は宇宙を身近に感じる、壮大な夜になった。

 これからも素敵な個性と一緒に夜を共に歩いてゆく。

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