アカハトマレ

遊月奈喩多

R.E.D

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、」


 ワインゴールドに彩られた街路樹が静かな輝きをたたえている目抜通りを、息を切らしてひた走る。視界が滲んでいるのは、寒いから? それとも…………。

 胸が苦しい、痛い、足が震えて、立ち止まりたい。それでも、わたしの足は前に前に、前に前に前に前に、どんどん進んでいる。

 人通りがまばらで、たまに通る車の音が際立ってくる暗い通り。左側に見える公園を横目に、わたしは一直線に走った。目的地は決まってる――彼女ルナのところ。月のように柔らかな笑顔でわたしを出迎えてくれて、どんなに遅くても抱き締めてくれて、それでわたしを受け入れてくれる、愛しい人。


『可愛いね、佳奈かな

 そっと指を這わせながら、ルナはわたしにキスしてくれる。優しく、転がすように、弄ぶように、じっくり調べるように、隅々まで照らそうとするように、彼女は唇と指先、それから囁く甘い言葉で、わたしを高みへと連れていってくれる。

『もっと見せて、佳奈の可愛い顔……♪』

 無邪気に見えるのに淫靡いんびなその顔から逃げられなくて、寄せられた唇に何もかも吸い出されて、全部暴かれて、作り替えられた。


 それからは、ルナがわたしの全てだった。不確かでも、曖昧でも、些細でも、ふたりの繋がりはきっと永遠にしていけると思ってた。


   * * * * * * *


 ルナと出会ったのは、月が綺麗な夜のこと。

 仕事で大きな失敗をして、そのショックから逃げたくて近所の居酒屋で浴びるほどお酒を飲んで足腰の立たなくなったわたしは、まるで子どもみたいな外見をした彼女にいとも容易く持ち帰られて、そのまま初めてを終えた。

『お姉さんが悪いんだよ、そんなに可愛くて無防備だから』

 笑いながらわたしの中で指を動かし続ける彼女が怖くて、それを受け入れるように変わっていく自分が不安で、それでただ泣いていることしかできなかったわたしを、ルナはただ『可愛いね』と言い続けた。

 全部終わって、放心しているわたしに彼女が囁いた言葉は、今でも忘れられない。


『また呼んだら来てね、佳奈?』

 その瞬間、きっとわたしたちの関係は決まったのだと思う。


 だから気のせいだと思ってた、思っていたかった。

 ルナの部屋で彼女に抱かれるたびに、いつも違う香水が鼻をくすぐっていたこと。彼女のなだらかな丘に、ちょっと赤く痕がついていること。彼女のそこが、わたしが見たときには既に濡れていること。

 都合よく、誤魔化すようにいろいろ解釈してきたけど、やっぱりそれはどこか違和感ばかりで。でも認める勇気なんて、あるわけもなかった。考えただけで頭が痛くなるし、吐き気までしてくる。

 でも、そういえば言われたことがない。


『すき……っ、だいすきっ、あっっ、んんんんっ』


 あの日、ルナの部屋から聞こえてきた、聞き慣れた愛らしい声。耳を塞ぎたくなりながら、思ったんだ。そういえばわたし、ルナから『可愛い』とは言われてきたけど、あれ、『好き』とか『大好き』とかいう言葉って……あれ、あれ?

 おかしくなりそうな心のままにインターホンを押したわたしの前に現れたのは、申し訳程度に羽織られたワイシャツ姿のルナ。


『ごめん、今日実家からお父さんたち来てるから、帰ってくれる?』

 ……へぇ、お父さんたちって、ヒール1そくでまとめて来たんだ、すごいね。玄関先に置かれた靴の赤と、上気して赤く染まった頬、泣きながらの行為だったのか、まぶたや目尻、そして普段は青みさえ帯びているその白目まで赤くしながらわたしを見つめてくるルナ。

『……帰って』

 もう一度わたしにかけられた声の冷たさが、わたしの足をその場から前に進めなくしてしまった。


 赤が、わたしを縛る。

 信号の赤みたいに、もう進めないとわたしに告げる。

 苦しくて、もどかしくて、だけど絶対に進めないと、思い知らされてしまったから――


   * * * * * * *


 無機質な白い街灯をいくつ横目に見ただろう。

 夜の空気が肌を切り裂く感触に何度も震えて。

 無人のコンビナートに灯る淡い光を通過して。

 矛盾だらけの感情を乗せた足取りだけは軽く。

 きっと今ならどこへでも走っていけると思う。

 だって今は月の見守る静かで赤信号のない夜。

 だから、ほら、きっと進んでいけるでしょう?

 月明かりを受けて銀色に煌めくそれは、約束。

 ルナが笑いながらわたしに刻み続けた、拘束。

 彼女のつける傷に縛られたのはわたしひとり?

 わたしのつけた痕では彼女を縛れなかったの?

 走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る。

 走って、嘔吐えずいて、転んで、起きて、走って。


 ルナ、おまたせ。

「え、ちょっと何でここに、――――」


 夜の埠頭ふとうに赤が散り。

 たおれた彼女は物言わず。

 そしてわたしは知る。

 赤は、止まれ。

 わたしたちはもう、どこにも進めないと。

 褪めた頭が、突きつけてくる。


 痙攣する彼女を抱きしめる。

 あぁ、でも、そっか。

 同じ色になっちゃえば、進めなくてもわたしたち一緒だよね。

 この罪で、わたしたちが永遠に繋がれますように。


 対岸の煌びやかなネオン街――ルナがよくいろんな人と寝て、いろんな人を縛って、縛られていた街。

 それらを嘲笑いながら、わたしは自分の喉に

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アカハトマレ 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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