リンゴとコーヒー
けけーん
リンゴとコーヒー
記録的な猛暑日が連日続いている8月の中旬、夜になっても気温は下がらず少し歩くだけで汗が滴る。私は職場からの帰路、昨日の出来事について考えていた。
都内大学の法学部を卒業し2年間の法科大学院課程を修了させ司法試験に合格後、1年間司法修士を受けてから法律事務所に就職した。
就職してからはサラリーマンのように事務所から給料をもらう「イソ弁(居候弁護士)」や自身の手掛けた案件に応じて変動制で給料を受け取る「ノキ弁(軒先だけ借りている弁護士)」を経て、半年前に完全に独立して自分の事務所を立ち上げた。
今まで自分の事務所を持つために寸暇を惜しんで勉強をしてきた。しかし、独立してからは思うような結果も出せず、最近は離婚や相続などの家事事件がほとんどであり、どれもストレスがたまる案件ばかり。このままでいいのか、などと仕事に関して人生の岐路に立っていた。一日10時間働き詰めである私の唯一の救いは少ないプライベート時間が充実している事だ。
「話があるの。今日会えない?」
昨日の昼、そう突然LINEを送ってきたのは付き合って4年経つ彼女の裕子だ。大学時代のテニスサークルで知りあい、天真爛漫な彼女と話すのが楽しく、共通の趣味もありすぐ仲良くなった。大学卒業後も友達の関係であったが、私が法律事務所に就職したタイミングで勇気を出して告白し、付き合う事となった。
「わかった。じゃあ仕事終わりに俺んちで会おう。」
急にそんな事を言い出すのは裕子の癖なので、今回もきっと4年記念日でどこか旅行しようなどといった話だと思っていた。
午後9時ごろ、彼女は私の家に入ると玄関に立ったままの状態でまっすぐ私の目を見て
「子供、できちゃった。」
とボソッとつぶやいた。
「え?ほんと?いつわかったの?」
私は慌てて聞き返した。
「本当。今日検査してわかったの。多分あの時だと思う。」
あの時というのは1ヶ月前くらいの出来事だ。
「うれしいけど、ちょっとビックリだね。」
「うん。そうだよね、だから今日は今後どうしていくか決めたくて連絡したの。」
「そうだね。名前どうする?」
「え、そこ!?」
なんていう会話があってから私たちはその日明け方まで今後について話あった。
裕子が妊娠してから3か月。スタイルが良かった裕子のお腹は徐々に膨れ始め子供が出来た実感がわき始める。妊娠がわかったあの日に話し合い、その2週間後から同棲を始めている。ちなみに未だ名前は決まっていない。日々大きくなる裕子のお腹を見て、父親になるんだと実感し、それと同時に自分の父親のような育て方はしないようにと心に決めていた。
11月も中旬になり、裕子の妊娠が発覚してからはもう一度自分の仕事について見つめなおし、家庭内の問題だけでなく、刑事事件などの案件も徐々に相談を受けるようになっていた。今日は窃盗事件の大事な裁判がある。今日の出来によって有罪か無罪かが決まるだけではなく、私自身にとってもこの案件を無罪に持っていけるかどうかで今後のキャリアが決まるといっても過言ではない日だ。
いつもより1時間早く起き準備し、東京地方裁判所へ向かう電車の中で突然母親からLINEが来た。
「話があるの。すぐに電話ちょうだい。」
こんな大事な日の朝になんだと思いながら、母親からこんな内容のメッセージが来るのは珍しかったので、霞ヶ関駅の3つ手前神谷町駅で降りた。
そもそも私の家族はそんなに仲が良くない。三人兄弟の末っ子として育った私は幼稚園から都内の私立学校に通い、姉と兄も同じ学校であったため地元では有名な家族だった。しかし、家庭内は毎晩夜遅くまで外で飲み歩いて帰ってくる父親は一切家庭に関与しなかった。頑固で気が強く、「仕事して金は払ってるんだから家事はお前がしろ」などというような亭主関白な父だった。父がいる時は笑顔も少なく、私の記憶では家族旅行もしたことはない。誕生日やクリスマスといったイベントも少なく良い思い出はあまりない。周りの同級生が家族で楽しんだ思い出話を聞きいつもうらやましいと思っていた。そんな私は強がって友達には「毎年夏休みはハワイに行き家族みんなで楽しむんだ」などといった嘘もついたことを思い出した。
1年半ぶりに母親に電話をかける。
「もしもし。どうした?」
「翔ちゃん大変なの。お父さんにね、ガンが見つかったの。」
久しぶりに聞いた母親の声は、ひどく焦り震えていた。
「え?どこのガン?どれくらいわるいの?いつ手術するの?」
突然の知らせに頭は真っ白になったが、無意識のうちに早口で状況を尋ねていた。。
「肝臓がん。ただ、手術すれば治る可能性はあるって先生が言ってた。」
今にも泣きそうな声で母親が私の質問に答える。
「…そう。今はどこにいるの?今日そっちいくわ。」
なにがなんだか理解できなかった。その日私は当裁判に身が入らなかったが、今回では判決はつかず、第二審に持ち越すことになった。公判が終わるとすぐに実家近くの総合病院へ向かった。
「ごめん、親父にガンが見つかったらしくて状況確認しに実家に戻る」
とだけ裕子には連絡をいれ、母親から聞いた病室へ着いた。
「あら翔ちゃん。早かったわね。ほらおとうさん翔ちゃんよ。」
病室には母親と兄夫婦がいた。
「久しぶり。親父、大丈夫か。」
もう親父とは5年もまともに話していない。どう声を掛けたらいいかわからなかったし、5年前に見た顔よりも病気のせいもあってか、とても老けていてこれ以上の言葉を発す事が出来なかった。
「大丈夫なわけないだろ。ところで仕事はどうしたんだ。」
相変わらずのケンカ腰の物言いだが、辛そうな声だった。
「早く終わらせてきた。ガンって聞いたから。」
「ばかやろう。お前が来たって治るわけじゃないんだから早く来ても意味ねえだろ。」
「そんなこと言わなくたっていいだろ。心配してきたんだから」
「お前はいつもそうだ。今だってろくな仕事してないんだろう。まだ見習い弁護士なんかしているのか。」
5年ぶりの会話は最初からつまずいた。
「二人とも落ち着いて。せっかく翔太が来てくれたんだからそんな事いうなよ。」
兄の隼人が口論になりかけた二人を止めに入った。相変わらず母親は何も言わない。
私の父親は理系の大学を卒業してから大手のITメーカーに就職し、母親と結婚してからは独立しシステム系の会社を立ち上げた。酒を毎晩飲んでいたが、その代わり毎日遅くまで仕事もする父親だった。私が法律に興味を持ったきっかけは私が小学生の時父の会社で一度訴訟問題があったからだった。その訴訟自体は問題なく解決し、今でも会社は存続しているが父はその一件で弁護士業に対して信用を失っていた。私が大学卒業後ロースクールに入る事を直前に知り、
「弁護士のどこが良くて入ったんだ。お前の仕事は全く世の中の為にならない。」
などと怒鳴られた事を思い出した。当時の私は弁護士になって冤罪事件や訴訟などで悩んでいる人々を助けたいという思いから選んだ道であるが、大学卒業から7年経った今、確かに私がやっている事は人々に感謝されることばかりではなく、当時の理想像とはかけ離れている。
「翔太。ちょっと。」
兄に連れられ病室を出た。
「親父はステージⅡの肝臓ガンだけど、手術すれば治る可能性も十分にあるらしい。1ヶ月前くらいから体調悪そうにしてて、無理やり検査に連れて行ったらこの結果だった。」
兄からはなんでもっと早く検査に行かせなかったんだという悔しさが滲み出ていた。
私の兄は理系で、大学を卒業するとすぐに父親の会社に入社し、今は専務として勤めている。
「今日の朝、母さんから連絡もらって。正直いまでも状況読み込めてないわ。なんか飲み物買ってくるよ。」
この状況から逃げようとしている自分が情けなかった。
受付近くにあった売店で皆の好みがわからなかったので、4本同じ缶コーヒーを買って病室に戻りみんなに渡した。
「なんだ、嫌がらせか。」
病室に入るとすぐに父は私に向かってそういった。
「お父さんは水かお茶以外飲むなってお医者さんから言われちゃってるのよ。」
すかさず母親がそう言った。
「あそっか、そうだよね、ごめん。」
私が謝った後に、そういえば父はコーヒーが大好きだった事を思い出した。コーヒー豆を買って自分で煎るほどだった。私が小学生だった時に父の焙煎機を壊してしまった事があった。その時は絶対に叱られると思ったが、父は正直に謝った私に対して一切怒らず、むしろ新しい焙煎機を使って、コーヒー焙煎の仕方を教えてくれたのだった。
「そういえば翔ちゃんお父さんの焙煎機壊した事あったね。」
私と母は同じ事を思い出していた。いらない事を言うなと思ったが、
「あったなそんなこと。あの当時の翔太が正直に謝ったのは意外だったな。」
父親はそう言うと、懐かしそうに穏やかな表情になった。
面会が終わってからは病院が都内なので自宅に帰ることは出来たが、せっかくなので実家に帰ることにした。
3年ぶりに帰った実家は様変わりしていたが、私の部屋は一切変わっていない様子だった。私は法科大学院に入学してからは法律の勉強に集中していたこともあり、机にある昔買った小説や部活の写真をみて、こんな事もあったなと忘れていた記憶が蘇ってくる感覚になった。
今日のコーヒーで当時の父との記憶を思い出したが、今覚えていないだけで父との思い出も意外とあるのかもしれない、とふと思い母親に聞いた。
「ねえ、うちってさ全然家族行事ってなかったよね?」
「何言ってるの。結構いろんな事したわよ。確かにしょうちゃんは末っ子だから小さかったけど、家族旅行もしたし毎年誕生日とかクリスマスは家族で祝ったじゃない。」
と、覚えてなさそうな私の顔を見て驚いた表情で母親は答えた。
「嘘でしょ。あんまり覚えてないな。親父もいたの?」
確かに言われてみればあった気もするが、かなり前の記憶だ。
「もちろんいたわよ。ただ、毎回しょうちゃんが駄々こねてお父さんを困らせちゃってたね。」
もう昔のことだったからなのか、母親は良い思い出であるかのように言った。
「ほら、見てみなさいよ。」
そう言って母親は物置から古いアルバムを取り出してきた。
渡されたアルバムの表紙には
『1994年12月~1996年7月 めぐちゃん11歳 はやとくん9歳 しょうちゃん3歳』
と書かれていた。めくってみると、最初の写真は家族での誕生パーティーの写真だった。真ん中には姉のめぐみが誕生日プレゼントを持って満面の笑みで映っている。私はその姉の膝の上にのって口の周りにケーキをつけて幸せそうな表情をしていた。
それからクリスマスや年始初詣の写真など1年間を通して季節のイベント、学校行事や誕生日の思い出が入っていたが、父がうつっている写真はなかった。
「そうか、親父はずっと写真撮っていたんだ。」
と思いながら最後のページをめくると一枚だけ父親に抱っこされながら寝ている私の写真があった。右下にはうっすらと1996.7.28と印字されていたので、私の誕生日であることが分かった。
「ねえ、この写真おぼえてる?」
「あー、懐かしい。翔ちゃんの誕生日の時ね。いつものように家族で誕生パーティーをやって楽しんでいたんだけど、当時流行っていたなんとか戦隊レッドのグッズをプレゼントしてほしかったらしいんだけど、お父さんが間違えて違う色の方を買ってきたのよ。そしたらもう泣いちゃって疲れてお父さんに抱っこされながら寝ちゃったのよ。」
「あーなんか思い出したかもしれない。」
母親に言われてうっすらと当時の場面を徐々に思い出すことが出来た。写真を見返すといつもの頑固そうな顔が少し困りながらどこか穏やかな表情で私を見ているように思えた。
そこから他のアルバムも見ていくうちに、私は自分の父親が意外と家族行事や学校行事に来てくれていた事を思いだしてきた。たしかに、それから2年後の私の7歳の誕生日を最後に写真はほとんどなくなっており、旅行写真は全くなくなっていた。理由は姉が中学3年になり、一家ではじめての高校受験に緊張感を持ち始めた事と、姉も兄も思春期で家族から少し遠ざかっていたからだろう。明確に記憶はないが、たしかその頃から父が夜遅くまで酒を飲んで帰ってくるようになった気がした。年が離れていたこともあり皆が私の事をかわいがってくれていたが、服はおさがりで家族行事の思い出が少ないというのは末っ子の宿命だ。
そうはいっても、父親がそれまでは家族行事に参加していた(写真係として)事に対して意外であったと同時に少し嬉しい気持ちとわがままだった私にも原因があったと父に対し申し訳ない気持ちになった。
その日は実家で家族や中高の部活での写真を見返し、父親との思い出が徐々に蘇り懐かしい気持ちになった。
次の日職場から家に帰ったのは夜の10時ごろだった。
「おかえり。お父さん大丈夫だった?」
と扉をあけた途端に裕子が心配そうな顔で私を見つめる。
「相変わらず頑固な親父だったよ。なんかあの感じからはまだまだ生きそうだな。手術は1週間後で、うまくいけば治るみたいだよ。」
「よかった、本当によかったね。」
と安堵した表情を浮かべる裕子に対して、この子は本当にいい子だなと思った。それから実家で思い出した父とのエピソードや写真について話した。大学で出会ってから今まで一度も父の話をしたことがなかったので、裕子は黙ってそれを嬉しそうに聞いていた。今度裕子に父を会わせよう。
それから手術までの1週間は毎日仕事を終わらせた後に病院へ行き面会時間まで父や母と今の仕事の話や実家に帰って写真で思い出した昔の話をした。手術日当日は父と母に「本当に大丈夫だから」と言われた事と仕事が長引いてしまった事で見舞いに行くことが出来なかった。
仕事が終わってケータイを見ると母親から
「無事手術は成功しました」とLINEが入っていた事に安心し、すぐ父に電話をすると元気そうな声で5日後には退院出来る事を聞いたので、その日は自宅に帰った。
父が退院した翌日、私は父を祝うために仕事終わりに実家へ帰った。
実家には一家全員集合できたが、父は心なしか1週間前よりもやせ細っていて、酒も医者から禁止されているせいか少し元気がないように見えた。しかし表情は穏やかであり楽しんでいる様子ではあったのでそこまで気にせずその日は遅くまで幼少時代の家族旅行の思い出や母親が英語教室に通い始めた話などするうちに、何年も会話していなかった私たち家族は一晩で仲が良かった当時に戻れた気がした。
「そういえば今週の日曜日、親父誕生日じゃない?」
そう言いだしたのは兄の隼人だ。
「本当だね、久しぶりにお祝いしましょうよ」
母親が酒で頬を赤らめながら言った。
「今日の退院祝いで充分。お前ら自分たちに家庭があるんだからそっちを大切にしなさい」
と、少し照れた表情を見せたかと思えば急に小さい時の私たちを叱るように言った。
「親父はいつも写真係だったんだから今回は主役として、日帰り旅行してみよう」
と私は言った。
「いいね、俺車だすよ」
兄が最近買った新車を披露したいという理由もあり、遠慮する父を無理やり誘う形で私企画の日帰りドライブの予定が出来た。
12月になり気温は低いが、雲一つない冬晴れした心地よい天気の日曜日。当日は朝9時に実家に集合した。主役の父親は退院祝いから体型は戻らず、むしろさらに痩せたようにも見える。
「体調大丈夫?」と聞いたが、
「手術後は食事が制限されていてな。酒も飲めないから痩せたが、体調はいい。」
と言っていたし、昔は一切見せなかった穏やかな表情であったため、安心して兄の車の到着を待った。
兄のSUVに乗り、父の希望もあって最初は墓参りのために千葉の外房まで2時間ほど車を走らせ、父方の墓地についた。ここへはもう10年ぶりであり全然墓参りをしていなかった事に反省し、入念に墓石を磨きお線香を焚いて一家全員で手を合わせた。
私の祖父は生まれる前に他界しており、祖母も私が中学生の時に亡くなっていた。墓の後ろの卒塔婆をみると、祖父は71歳で他界した事がわかった。父は長い事合掌しており、まるで祖父に話しかけるように小声で何かを伝えていた。そういえば今日父は72歳の誕生日であることをふと思い出した。
墓参りが終わった後は、リンゴ狩りへ向かった。時期としてはやや遅めだが、父はリンゴが大好物であったこともあり、千葉の農園につくと急に皆に対して
「このリンゴはまだだ、あのリンゴは今が食べ時だ」と我々に教えるものの、自分は半分程しか食べる事が出来ていなかった。父のアドバイスもあり私たちが食べたリンゴは熟れて甘くおいしかったが、3個も食べればもうお腹いっぱいになって、残りは持って帰った。
それからショッピングモールに行き、父と母に夜ご飯を選んでもらっている間に、兄弟3人はサプライズでプレゼント選びを始めた。酒を控えなければいけなくなった父に対して贈るプレゼント選びはとても難しかったが、小型電動マッサージ付のクッションにすることにした。
千葉のショッピングモールからまた2時間かけて実家に帰ったら時刻は夜の6時頃だった。母と姉が料理している間、私はビール、父と兄はノンアルコールビールで乾杯し、
「今年の巨人はピッチャーが弱かった」などと野球の話で熱い議論をしていた。
誕生パーティーだけあって豪華な料理と共に一家で今日の旅の思い出について語ったあと、終盤には小さなホールケーキを出して、改めて父の誕生日を祝った。それからショッピングモールで買ったクッションを渡すと父は一言、
「ありがとう」とつぶやいた後、クッションを握りしめたまま震え、涙を流し始めた。
「どうしたの!?」と笑顔で渡した姉が父の表情を見て急に心配そうな顔になった。
「いや、なんでもない。ありがとう」
と涙を流しながら父は笑顔を作った。
昔から頑固で厳しかった父が急に泣き始めた事で一家全員が心配したが、嬉し泣きだという事がわかり、安心したとともにしんみりとした気持ちになった。
しばらくすると父はいつも通りに戻り、夜10時頃に兄弟はそれぞれの家庭に帰った。
帰った後も、私は父の泣いて喜んでいる表情が忘れられず、裕子にも今日あったことを話した。
父の訃報を聞いたのはそれから1週間後だった。
月曜日の夕方、母から父の容体が急変したとの連絡があり、急いで実家に帰ったが父は既に息を引き取っていた。ベッドに寝ている父を呆然として見ていると、
「実はお父さんのガンはね、別の内臓にも転移しちゃってて、もう手遅れだったの。だからもう手術をせずに自宅でその時を待つことにしたの。」と母が言った。
私たち兄弟に心配してもらいたくないからという理由で、父と母は本当の事を言わない判断をした。退院した後も父の体がやせ細っていく姿を見て、おかしいと思わなかった自分に対して苛立ちを隠せなかった。結局、最後まで父に感謝の気持ちや恩返しを伝える事が出来なかった。
翌日の夜に親戚と家族でお通夜を行い、次の日に火葬と葬儀をした後に母と私たち兄弟は実家へ戻った。退院してからの約2週間、母は寝室で苦しそうな父をずっと看病していたという。家族旅行の前日に体調が悪くなり、外出できる状態でなかったため、母は止めたそうだが、頑固な父は「最後に家族で思い出を作るんだ」と意地で体調を戻したという事を聞いた。
「お父さん、亡くなる直前にあなたたちに手紙を書いていたのよ。」
と母は言い、父の書斎に置いてあった手紙を私たち兄弟へ1通ずつ渡した。父の力強く達筆な字で私の名前が書いてある紙を受け取った。
翔太へ
『まずは、病気の事を隠していてすまなかった。
そして、妊娠おめでとう。お前の普段の様子や裕子さんの人柄を知りたくて実は裕子さんと連絡を取っていたんだ。あの方は本当にいい子だからこれからも大切にしなさい。
お前は今、人生の岐路にいると思う。父になるという事もそうだが、仕事も今が頑張り時だと裕子さんから聞いた。7年前にお前が弁護士になるといった時は素直に喜べず、すまなかった。
お前はまだ小さかったから覚えていないと思うが、実はずいぶん昔に会社で裁判沙汰になった事があった。不当に訴えられたんだが、当時親友だった弁護士に裏切られて敗訴した事で結構な借金を負ってしまってな。今まで、なんとか会社は続ける事が出来ているが敗訴後当時は仕事がなかなかうまくいかず、酒に逃げてしまってお母さんやお前らにも沢山迷惑をかけてしまった。本当にすまなかった。
こんな事があったからお前が弁護士になると突然聞いた時には素直に喜べなかったんだ。でも、お前ならきっといい弁護士になっているんだと確信している。
裁判の事があってから、会社が厳しくなったこともあって、一番大切にしなければいけない家族をなおざりにしてしまって本当にすまない。特にお前は一番下だったので、小さい時から、家族の思い出を作れずに本当にすまない。ただ、お前はいつの間にか自立していて、私がいなくても優秀な人間になってくれていた。本当にありがとう。
会社が立ち直った頃には、もう私のせいで家族がバラバラになってしまっていてどうする事も出来なかったけど、また昔みたいにみんなで楽しく会話したかったんだ。そう思っていた時に最後の最後で家族旅行を企画してくれて本当にありがとう。正直、その時から自分の体はしんどかったけど、千葉に行って親父にも近々そっちに行くことを報告できた。何よりも一家みんなでちゃんと会話することが出来た。本当に楽しかった。誕生日プレゼントもありがとう。今使いながらこの手紙を書いているよ。もらった時は本当に嬉しくて、自分が出来なくなってしまったみんなの誕生日パーティーを自分の子供たちが私の為にしてくれて、思わず泣いてしまった。
最後になるが、お前たちと出会えて良かった。私の人生の誇りだ。これからたくさんの困難に当たるが、きっとお前なら乗り越えることが出来る。お前には仕事だけじゃなく、裕子さんやこれから産まれる子供がいる。家族を一番大切に考えて、これからを生きてほしい。
今まで、本当にありがとう。』
父の手紙を読み終えた私は大粒の涙を流していた。私の知らないことがあった。それは私が小学生の時、父が仕事で大変な思いをしていた事だ。きっと父のことだから、当時は一人で抱え込んで沢山悩んでいたのだろう。それにも関わらず、不自由なく生活させてくれていた事に対して、改めて父の偉大さに気づいた。また、裕子と連絡を取っていたことも意外だった。裕子からは何も聞いていなかった。父なりに私の将来を気にしてくれたんだろう。この手紙で父が当時思っていた事や他界する直前に思っていた事を知ることが出来て本当に良かった。私はこの手紙を読み終わった時、改めて父が私の父でいてくれて本当に良かったと思った。
父が他界した5か月後の月命日に、私と裕子の間に新しい命が誕生した。父の名前『耕助』から一文字とって、『耕一』と名付けた。これから起こる様々な事を、、私と裕子と耕一で楽しみながら、生きていこうと決意した。父のように家族の事を一番に考えて。
″「耕一、早く起きなさい!!」
僕のお母さんは朝から元気だ。平日は隼人おじさんの会社の手伝いをしていて、仕事が終わった後、テニススクールに通うほど元気だ。
「朝ごはん出来たわよー!」
僕は寝ぼけながら顔を洗って、リビングに行くとお父さんはコーヒーとリンゴを食べながら新聞を読んでいた。お父さんのコーヒーへの愛はすごく、コーヒー焙煎機が家にあるほどだ。僕にはコーヒーのおいしさはまだ理解できない。
お父さんとは昨日、高校受験の進路についてケンカした。お父さんはいつも正しいが、今回ばかりはどうしても素直に聞けなくなってしまった。言い合いが収まった後、初めて僕の名前の由来について教えてもらった。お父さんはおじいちゃんの事をとても尊敬していて、僕の名前の『耕』はおじいちゃんの名前からつけたらしい。
「おはよう」
お父さんから声をかけてきた。
「ああ」
僕は昨日の事があって、うまく返事が出来なかった。
「昨日の事だが、耕一のやりたいことをやり通せばいいと思う。お父さんは応援するよ。だから、もう一度じっくり考えてみなさい。」
「わかった、ありがとう。」
朝から、昨日の件を切りだされて少しびっくりしたが、お父さんはもう怒っていなかったし、改めて偉大だなと思った。
「いただきます」
気持ちが楽になってお母さんの作ってくれた朝食を食べる。お母さんの料理は本当においしい。とゆっくり食べていたらもう学校に遅刻しそうだ。
「いってきまーす!」
と、両親に言ってから仏壇にいるおじいちゃんにも「いってきます」と伝えた。
いい天気だ。今日もがんばろう。
″
リンゴとコーヒー けけーん @kekeeen
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