残念(1193文字)


 吾平が、かような考えに至ったのは、作物が冷害により全滅してしまったのが要因だ。

 寒さは一段と厳しさを増し、雪は止むことを忘れてしまったかのように降り続いていた。

 吾平は思った。夏の間に蓄えておいた食糧も残りわずかとなり、このままだと餓死してしまう。仕方がないのだ。一人でも多く助かる為には犠牲は必要なのだ。

 だから吾平は年老いた、おっかあに頭を下げた。

 こうなる事は予見していたのだろうか。おっかあは無言のまま首肯し、身支度を始めた。



 吾平は努めて冷静を装い、草鞋を履いて、おっかあをおぶる。

 引き戸を開けると暴風にのった雪が中に吹きこんできた。まるで、引き留めようとしてるかのようだ。しかし、考えるまでもない。ここ数日、悩みに悩んで出した結論なのだ。

 一家の長として、かかあとやや子二人を守る義務がワシにはあるのだと結論づけたように、吾平は自らを奮いたたせた。



 山に続く雪道は険しく、足を取られながらも前に、ひたすら前に、と歩を進める。

 どれぐらい歩いたか、山の中腹あたり、終止無言だったおっかあが「ここでええ」と言った。切り株の上におっかあを降ろす。吾平は何か言おうとするのだが、言葉にはならなかった。そんな吾平の心中を察したのか、おっかあは身を包んでいた着のみを脱ぐと吾平に渡し、こう言った。


「寒いから着て帰れ。もうワシには必要ないもんだべな」


   吾平は泣いた。泣きながら、逃げるように走った。

 吹雪が泣き声をかき消した。どれぐらい走ったか、吾平が立ち止る。

 まだ手にした着のみは暖かかった。おっかあの温もりだ。そう思うと、涙は止らなかった。

 吾平はまた走った。やっぱりワシには、おっかあを見捨てられねえ。



   おっかあを置いてきた場所へと戻った。

 しかし、おっかあの姿は何処にも見当たらなかった。

 声をかぎりにおっかあを呼んだ。すると黒と白のコントラストで映しだされた景色の中で、ワラワラと幾人ものおっかあが現れたではないか。  口々に「戻ってきてくれたのかい」「おっかあだよ」「ワシがおっかあだよ」と、言う。



 これは一体どうしたことだ。吾平の目からみても、幾人ともまごうことなき、おっかあで区別がつかなかった。ははあ。これが話に聞く、雪山に潜む妖の仕業か。だとすれば本物のおっかあはどれなんだ。吾平は切り株に座って、こちらを不思議そうに見ているおっかあに目を留めた。よく見れば他のおっかあは着のみを着ているが、あのおっかあは着ていない。あれだ。

 あれがワシのおっかあだ。

 縋ってくる手を払いのけ、吾平は切り株に座っていたおっかあの手を取って走った。


   ひたすら走り遠くの方で、集落の灯が見えると吾平は、ほっと一息をついた。


「ここまで来たらもう安心だ。あんなところに置き去りにしてワシが悪かった。魔がさしたんだ」


 おっかあはくしゃくしゃの顔を、更にくしゃくしゃにして笑った。




「残念」




 そう言うと、おっかあの姿はたちどころに消え果てた。

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