三十一、雑木林での邂逅

 慈愛に満ちた白の声を、今なら鮮明に思い出せる。

 ずっと癒してもらっていたから、この手で人を殺したことを忘れていた。それだけではなく、芳香のせいで死んだ子供たちがいることも思い出してしまった。

 震える自分の両手を見て力なく笑う。その顔は鏡を見なくても不格好だと分かった。


「地下に閉じ込められていた子供たちも、私のせいで実験の材料にさせられたんだ」

 

 たん、と軽やかな足音を立てて、タマは家の近くの雑木林へ降り立った。

 滑るようにタマの背から降りた芳香は、至る所に浮遊する木霊の欠片に手を伸ばす。


「ねえ、どう償えばいいのかな」

「罪を償えない事を償い続けて生きる他ないさ」

 

 芳香の問いに答えたのは、温度の無い男の声だった。

 足元に落ちている枝が軽やかな音を立てる。木の幹からひょっこりと現れたその男は、きっちりとスーツを着込んでいた。


「あなたは」

 

 芳香は驚愕にはっと目を見開く。

 清山の地下で会ったことがある。そして、癒しに抵抗した芳香は、記憶を正しく取り戻しているのでその正体が分かった。


「久しぶり。警察官の友田安助だ」

「・・・お兄ちゃん」

 

 少年の頃の幼さは姿を消し、頬がすっきりとした大人になっていた。

 安助の父を殺してしまった時よりもずっと前、あっちゃんと一緒に芳香を襲いに来た少年たちの中の一人と顔がだぶった。


「本当に、ずっとずっと、ごめんなさい」

 

 芳香はその場に崩れ落ちた。

 安助はそれを視界に入れず、訥々と語り出した。


「あんたを法で裁きたいのは山々だ。でも警察に潜り込んでいる木霊の会の人間どもが、どうせあんたの為に証拠を消して、証言を書き換える。・・・強い木霊を降ろせた特権だな。あんたはこれからもずっと木霊に愛された天木芳香として特別に守られるんだ」

 

 安助はやつれた顔に諦観した笑みを浮かべた。そこでやっと芳香と目が合う。


「あんたはこの先ずっと、償えない罪を抱えて生きるんだ。それが俺たちへの償いになる、と言ってやる」

 

 安助はそう言い残すと踵を返して歩きだした。

 芳香は追いすがるように、その背に悲鳴にも似た声をかける。


「それを本当に償いとして良いのなら、私はずっとずっと償い続けるよ! 一生が短かったら来世もその次もずっと償い続けるから!」

 

 芳香の声を背に受けた安助は、口元を緩めて振り返った。


「勝手にしろ」

 

 安助の言葉に被せるように、芳香は力強く頷いた。

 去っていく安助の歩みは、今度こそ止まらなかった。

 安助を見送る芳香にタマが擦り寄る。


「癒しもなく生きていくつもりか」

「うん。もう忘れて逃げたりしないよ。それで償えるとは思わないけど、私は自分の罪を絶対に忘れないで生きていく」

 

 芳香の意志の強い目を見て、タマは眉をしかめた。

 いつまでも無知で、優しくて、可愛い芳香のままでいればいいのに、とつい口の中で独り言ちる。

 タマの胸中に、むわりと不快感が膨らんでいく。


「・・・それはずいぶん、辛い生き方になるな」

「それでもいいよ」

 

 芳香に撫でられた鼻先がぴくりと動く。

 小さく温かな手だ。この手はずっとタマだけに向けられているべきだと思う。ずっと昔から、芳香と離れず傍にいたのはタマなのだから。


「ああ、本当に残念でならん。罪? 償い? そんなものどうでも良い。木在を殺しさえすれば、芳香との時間を奪う奴はいなくなると思ったのに、とんだ誤算だ」

 

 タマが唸るように吐き出した言葉に、芳香の撫でていた手が止まる。


「タマ?」

「芳香は優しい子だ。木在を殺せば傷つくだろう。そうしたら白に癒してもらい、また忘れる。そうなるべきだった。芳香は傷つかずに済むし、趣味の悪い清山の地下は壊滅できているのだから問題ないではないか」

「何を言っているの?」

 

 タマは芳香の回りを浮遊する木霊の欠片たちに目にとめる。

 その中に、弱々しい小さな欠片を見つけて苦笑した。


「・・・気にするな、ただの愚痴だ。芳香が癒されずにこれからを生きると決めたのなら、タマはそれを受け入れるさ」

 

 タマは胴体を芳香に擦りつけ、撫でろと言わんばかりに尻尾を振り回した。

 芳香は艶やかな白い毛に手を埋めた。


「タマが一緒なら心強いや」


 罪を償う為に罪を背負って生きていく。

 そう決めた芳香の日常は、緩やかに過ぎていく。

 家と学校を行ったり来たりすると、あっという間に週末がやってくる。今週は美里と駅前のカフェで過ごしているところだ。


「んー、美味しすぎる!」

 

 頬を押さえて至福の表情を浮かべる美里の目前には、すでに食べ終わった皿が四枚並んでいる。


「モンブランオンリーで四皿いけるとかどんな胃袋してるんだ」

 

 呆れて言う信人の言葉を意に介さず、美里はメニュー表を食い入るように見つめる。


「美里ちゃん、もうお腹は限界をむかえていると思うよ?」

 

 おずおずと芳香がそう口にすると、ぎらついた美里の目が芳香を真っすぐ射抜いた。


「勝負はこれからだよ」

「・・・フードファイター」

 

 その後、美里は順調に二皿追加し、芳香と信人は、普段は飲まないブラックコーヒーを躊躇いなく注文した。

 心なしか膨れたお腹を撫でながら、嬉しそうな目を芳香に向ける。


「ずっと芳香ちゃんと予定会わなくて行けなかったからさ、今日やっとお店に来れて私は大満足だよ」

「連れてきてくれてありがとう。ここのモンブランすごく美味しいね」

「でしょでしょ⁉」

 

 きっと尻尾があればぶんぶん振り回しているだろうな、と美里を見て思う。芳香がくすりと笑うと、驚いた顔が二つできあがった。


「え、どうしたの?」

 

 信人と美里がハイタッチする。


「やっと笑った。最近さ、元気なかったみたいだから心配してたんだ」

「そうそうー。事件に巻き込まれて大変だったの知ってるし、話しくらいいくらでも聞くよ? 友達なんだから遠慮しないでよ」

「うん、ありがとう。でもケーキ食べたら元気出たよ」

 

 芳香が柔らかい力こぶを見せると、二人は豪快に笑ってくれた。

 昼下がり、駅前は賑わっている。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていくものだ。カフェを出て美里と別れると、信人が言い辛そうに話しを切り出した。


「無理だけはしないでね。僕だって清山の事件を忘れることはできないけど、裁かれるべきである木在は、この間ちゃんと捕まった。だからもう安心していい。・・・と言っといてなんだけど、たまに死んだ人の顔が頭に浮かんできてさ、手が震える」

 

 ほら、と差し出された手は小刻みに震えていた。芳香はその手を掴む。


「背負うよ、それも全部」

 

 その小さな呟きは、信人の耳には届かなかった。

 信人は薄っすらと頬を染めて動揺する。


「え、手、どうして」

 

 芳香はぱっと信人の手を離すと、大きく深呼吸をして気持ちを切り替えた。


「タマが雑木林で待ってるの。そろそろ帰ろうか」

「うん、そうだね」

 

 人ごみに流されるように歩く。

 通り過ぎ際に申し訳程度の街路樹をふと見上げると、信人の目にはきらきらと輝くいくつもの木霊の欠片が映った。

 きっと芳香を見つけて喜んでいるんだと分かると、つい口元が緩んだ。


「どうしたの?」

「いや、天木さんは本当に木霊に愛されているなって思って。ほら、あそこ」

 

 街路樹を指さすと、芳香はほろりと涙をこぼした。


「え、天木さん、大丈夫?」

「うん、平気だよ」

 

 雑に涙を拭って、目に焼き付けるように木霊の欠片を見上げた。

 一陣の風が吹き、木霊の欠片はより一層きらめく。

 人を殺した芳香に、もう純粋にあの輝きを見られる日は来ない。それを悲しく思う事すら罪だと思ってしまう。

 きっとこれが、償い生きていくということなのだろう。


 ―完―

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木霊を宿す少女が消してしまった罪を取り戻すまで。 白宮しう @sironekogo

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