きつねがしんだ
紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中
きつねがしんだ
むかしむかしあるところに、とても意地悪なキツネがいました。
キツネは自分より小さなものをいたぶっては面白半分に殺すのが大好きで、周りからひどく恐れられていました。
今日もキツネはあるネズミの一家の家へと押し入り、目についた端から次々と噛み殺しています。
おじいさんおばあさん、お父さんお母さんネズミを殺して食べた後、一番奥の部屋を開けるとまだ小さな子ネズミがガタガタと震えていました。
「おまえの家族はみんなオレが殺して食ってやった。さぁ、お前も今からオレに食べられるんだ」
「キツネさん待ってください、ボクはまだ小さくてあなた様のお腹の足しにもなりません。一年後にはボクも大きくなっていると思いますし食べるのはその後にしませんか」
かしこい子ネズミはキツネにそう提案します。
キツネはフムと考えました。確かに悪い話ではありません。
「よし分かった来い。だがな、少しでも逃げ出そうだなんて考えたらその場で噛み殺してやるからな」
◆◇◇
そうして二人の奇妙な共同生活が始まりました。
キツネの生活はとてもだらしないもので、ねぐらの巣穴は大荒れ、いやな臭いがあちこちからただよって来ます。
ネズミはとても働き者でしたので、クルクルとコマのように回ってはあちこちを綺麗にしていきます。
「お前、そんな小さな体で大したもんだな」
「一生懸命やらないと食べられてしまいますから」
可愛く笑うネズミは色んなことを知っていて、友達の居ないキツネのいい話相手になってくれました。
「ボクたちネズミの故郷の村では、雨星の降る夜があるんです」
「星が降るのか?」
「えぇ、その日だけは子供たちも起きていることを許されて、落ちてきた星をランタンに詰めて、赤いマフラーを巻いた運び屋さんにお空に帰してもらうんです。キツネさんにもぜひ見てもらいたいくらい綺麗な夜なんですよ」
「フン、興味ないな。それよりネズミが大量に居るっていう方が、オレは気になるぞ」
「ふふふ、そう言ってる間は連れて行ってあげません」
会話をすることで心が満たされるのでしょうか、その頃からキツネが無意味な暴力を奮うことは少しずつ減っていきました。
やれ体調が悪いのだろうとか、当然の報いさ、なんて周囲に住む人たちにヒソヒソとウワサされましたが、そんな時でもネズミは優しく側に居てくれました。
「なぁ、ネズミ」
「なんですか、キツネさん」
「見に行ってやってもいいぞ、いつか言ってた星の雨が降るっていうやつ」
そう言うとネズミは一瞬驚いたような顔をしましたが、ニッコリ笑って小指を差し出しました。
「えぇ、いつか必ず」
◇◆◇
ある日、カレンダーを見ていたキツネはふと気がつきました。
「そういえば、お前がオレの小間使いになって今日でちょうど一年だな」
約束の一年が経った今、この小さな獲物を食べてしまおうなどと言う気持ちはすっかり消え失せていました。
この一年、ネズミは本当によく働いてくれました。
家事だけではありません。一緒に笑い、食事をして、話を振ればからかうような応えが返って来る。
キツネにとって、心のすき間を埋めてくれたネズミはいつの間にかかけがえのない存在になっていたのです。
「お前さえ良かったら、これからもここに」
「そうでしたね、ではどうぞ」
話をさえぎるように、すっかり大きくなったネズミはちょこんとキツネの前に座ります。
ニコニコと笑いを浮かべるネズミに、キツネは顔をひきつらせます。
「どうしたんですか、殺せないんですか、ボクの両親を殺したように、ガブリと一思いにどうぞ」
「ネズミ、違う、それは」
「まさかおじけづいたんですか、こんな小さなネズミにほだされてしまったんですか」
「なぁ、どうして」
「牙を抜かれて、すっかりふぬけになってしまったようですね」
――情けない
それを聞いた瞬間、キツネは頭にカッと血がのぼり、気づけばその細い首に噛み付いていました。
ハッとした時にはもう遅く、ネズミは息もたえだえに横たわっていました。
「あはは、情けない顔ですね。正直に言うとこの一年、あなたを怨まない日なんて無かったんですよ。どんなに笑っていても、面白い話をしていても、あなたの事が大嫌いでした。当然でしょう、家族を殺されたんですから。だから決めたんです、全てを演じてあなたの一番大切な存在になってから、その手で殺させてやろうって」
「だまれだまれだまれ、オレはお前なんか大切じゃない。ほだされてなんか居ない、だってオレには誰も要らない。誰だって側に寄ろうともしなかった」
涙をボロボロとこぼしながら、キツネは何度もネズミに噛みつきます。
なぜだか、その小さな体が細かく裂けていくほどに、キツネの心もズタボロになっていくようでした。
「オレは悪くない、お前だ、全部お前のせいだ、お前がオレの側になんて寄ってくるから」
「ざまぁみろ、さようならキツネさん」
それだけを言い残して、ネズミは死にました。
怒り狂ったままのキツネは、死体を壁に叩きつけます。
ドサリと落ちたネズミのポケットから何かの紙がはらりと落ちます。
荒い息のままそれを拾い上げたキツネは、几帳面な字で書かれた文に目を走らせました。
そこにはこんなことが書いてありました。
***
親愛なるキツネさん
これをあなたが読んでいるということは、
ボクはもうこの世に居ないのでしょう。
怒っているでしょうか、
もしかしたらもう
ボクを食べてしまった
後かもしれませんね。
一つだけ言っておきます。
ボクがあなたを怨んでいるのは
紛れもない事実ですが、
それと同時にボクは
あなたのことが大好きです。
この一年、共に生活を送り、
本当は優しいあなたの
真の姿を知りました。
外出するとき、
草花踏まないように
出ていくところ、
文句を言いながらも
重たい荷物を
持ってくれたこと、
ボクが風邪で
寝込んでしまった時に
こっそり看病をしてくれたこと、
恥ずかしがり屋の
あなたのことです
きっと今頃
そんなつもりは無かったと
思っているでしょう。
でもそれらはまぎれもなく、
ボクの心に響きました。
約束の日まで
あと一週間になった今日の朝、
ボクはあなたを
憎めなくなっている自分に気づき
怖くなりました。
家族を殺した
殺人鬼を好きになるなんて、
何て薄情なヤツなのだと
自分を責めました。
だからごめんなさい
ボクは一足先に逃げます。
どうかボクの死が、
ほんの少しでも
あなたの心に響いてくれれば
嬉しいのですけれど
***
手紙の右下には、一度小さく書いて上から塗りつぶしたような一文があります。
それを何とか読み取ったキツネは、大声を上げて泣き出しました。
“雨星を見に行く約束、守れなくてごめんなさい”
「わああ、ああああ、わああああああ」
彼は手紙を抱きしめて、枯れるほど泣き続けました。
◇◇◆
それからと言うもの、キツネは人が変わったように善良になりました。
弱い者をいたぶる仲間のキツネ達に勇敢に立ち向かっては追い払います。
ですが、お前もかつては同じことをしていたくせにと、キツネたちからはもちろん、守ったはずのネズミからもツバを吐きかけられる日々が続きました。
それでもキツネはめげずに弱い者を守るため走り回りました。その心の陰には、いつだって小さなネズミの存在がありました。
「近づくのはおよし、私はアイツに弟を殺されたんだ」
「でもおばあちゃん、彼は溺れそうな僕を助けてくれたんだよ」
やがて少しずつ彼のことを理解する若者たちが現れ始めました。
同年代の者たちはあいかわらず眉をひそめてキツネを見ましたが、若者たちを中心に少しずつ、少しずつキツネは信頼されていきました。
いつしか、暴君だった彼の事を悪く言うものは居なくなりました。
悪行を重ねていた彼は、生涯罪をつぐない続けたのです。
どれだけの月日が流れたでしょう、年を重ね、すっかりおじいさんになったキツネは寿命を全うしようとしていました。
そのベッドの側には、彼に助けられた大勢の者たちが駆けつけました。
しわくちゃになった手を空に彷徨わせながら、キツネはうわごとのようにつぶやきます。
「ネズミ、ネズミ、オレは赦されただろうか。どれだけ努力をしても、死んでしまったお前からは決して赦しは貰えなかったから」
きっと自分は地獄に落ちるのでしょう。それだけの事をしてきたのだから当然です。
周りの人たちの嘆き悲しむような声が遠くなっていきます。
最後に一筋の涙を流し、キツネの意識はゆっくりと暗闇の中へ沈んでいきました。
◇◇◇
――キツネさん、もういいんですよ
耳元でひどく懐かしい声が響きました。
ぱちりと目を開けると、いつの間にか辺りは白い花が咲き乱れる草原へと変わっていました。
優しい風が吹いて、花びらを巻き込んでは青い空へと吸い込まれていきます。
驚いて体を起こすと、目の前にはあの時のままの子ネズミが居ました。
差し伸べられる手を取ると、いつの間にか自分も若い時の姿に戻っています。
――さぁ行きましょう、約束しましたよね
――行くって、どこにだ
導かれるまま歩き出すと、青かった空がサッと夜色に塗り替えられます。
幾千万もの星がきらめく夜空の中を歩きながら、ネズミは笑いました。
――雨星の降る夜。空から見てもきっと綺麗ですよ!
おわり
きつねがしんだ 紗雪ロカ@「失格聖女」コミカライズ連載中 @tana_any
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