第16話 伊藤VS大隈さんの話

 前回(https://kakuyomu.jp/works/1177354055584294661/episodes/16816927860661453210)の続きです。


 『総理倶楽部』第15話「国会 前編」冒頭のシーンで、大隈さんが伊藤に怒ってるシーンがありました。


 前回の「岩倉使節団から戻ったら、あら、ビックリ。大隈さんが人々の支持を受けて、大隈さん中心の議会になってたよ」は、この対決シーンのために、そういう流れにしたのだと思います。


 これは多分、明治14年の政変のお話だと思います。

 

 明治14年の政変では、大隈さんが明治天皇陛下の巡幸に付き添って東京を離れている間に、東京に残っていた薩長の面々が話し合って、参議筆頭であった大隈さんを政府から追い出すことを決定したのです。


 大隈さんは伊藤がいない間に、伊藤は大隈さんがいない間に、とするために、ああいう流れになったんじゃないかなと勝手に思っています。


 明治14年の政変はいきなり起きたのではなく、立憲政体の意見書の提出あたりでごたごたし始めます。


 そのあたりのお話は伊藤博文の話→https://kakuyomu.jp/works/16816700426203752287/episodes/16816700427045633005(子供向けに書いた文章なので、簡単な説明になってます)に書いたのですが、少し前からごたつき始めていたのです。


 実際の大隈さんは伊藤と揉めた時、平謝りしています→https://kakuyomu.jp/works/1177354054893696373/episodes/1177354054893724694(前にチラッと書いた明治14年の政変ですが、1万字以内に収めるためにかなり端折ってます)


 また、大隈さん自身はそんなことになるとは思わなかったようですが、大隈さんの部下である北畠治房などは、大隈さんに危険だと忠告していたようです。


 もっとも、伊藤も大隈さんのいない間に進めようとしたのではなく、開拓使官有物払下げ事件の話も、明治天皇と大隈さんが帰ってきたら話し合おうと思っていた時期もあるようです。


 ただ、伊藤が思っているよりも、反大隈の機運の高まりがすごく、もう大隈さんが戻る前には炎上していました。


 史実の大隈さんは伊藤とは直接対決しませんでした。

 

 伊藤博文と、それに付いてきた西郷従道が、辞表を書くようにと伝えると、大隈さんは明日、自分で辞表を書いて持っていくと約束しました。


 なお、辞表を大隈さんが書くという話になったのは、明治天皇が大隈さんの罷免に納得せず、大隈さんが自ら辞表を書く形にすることにして、せめて面目だけでもとお考えになった事情があります。


 すぐにその場で辞表がもらえなかったことに伊藤たちは焦り、次の日の大隈さんの動向をそれぞれが見張っていたようですが、結局、大隈さんは静かに政府を去りました。


 ちなみに字が下手と言われる大隈さんですが、この時の辞表の署名を見ると、字が綺麗です。Twitterでも載せたのですが、この時の辞表の字以外でも、署名を見るとそれなりに綺麗です。


 話が逸れたついでに他の総理の話をすると、松方正義さんは、大隈さんにすごい怒ってます。


 松方さんは大隈さんを「大姦物だいかんぶつ」と称し、「今こそ心の曲がった大隈の乱暴な行いを明らかにして、追放するのが一番大事な時だ」と伊藤に手紙で書いてます。


 明治14年の政変は、開拓使官有物払下げ事件が大きく関わっているので、北海道開拓使のトップであった黒田清隆さんは、当たり前ですが、大隈さんにいい印象を抱きません。


 よく議会の敵と称される山縣有朋さんですが、山縣さんはこの政変の前に提出した意見書では議会の必要性を書いており、大隈さんのこの件から議会や政党に警戒心が強くなったのではと思われます。


 なお、桂太郎はこの時、陸軍にいて、政変に参加した様子は見えず(山縣さんのところで何か活動してた可能性もありますが)、西園寺公望は明治14年の時には政府側ではなく、在野で中江兆民たちと『東洋自由新聞』を創刊して社長になり、明治天皇の勅命により新聞社を退社しています。


 各総理の動向を書いたところで、伊藤VS大隈さんの話に戻ります。


 史実の大隈さんは直接対決的なことはしません。


 前述のように伊藤と西郷従道さんが来ると、辞表を書くのを受け入れ、静かに政府を去りました。


 大隈さんは人々の支持を受けた存在でしたが、あるものが欠けていました。


『軍事力』です。


 大隈さんは幕末の最初から外国との交渉などで認められて来た人であり、軍人ではありませんでした。


 軍を率いたこともなく、軍や警察からの支持はありません。

 それに、警察を握っているのは薩摩であり、軍は佐賀の人が海軍にいたりもしましたが、概ね、明治初期の軍を率いる人は薩長の人でした。


 大隈さんの支持者は弁は立つかもしれませんが、軍備は持ってません。

 仮に武力衝突となったら、大隈さんとその支持者は一網打尽です。


 かつて同じ佐賀の仲間であった江藤新平さんや、三傑の一人であった西郷隆盛さんも武力で負けています。

 大隈さんはそれを避けるために、辞表を書くのを拒まなかったのでしょう。


 また、大隈さんは「いざという時の薩長の結束力は恐ろしい」と語っています。


 大隈さんは多くの人に支持される人ではありましたが、地元である佐賀との結束はあまり強くありませんでした。


 仲が悪いわけではないのです。


 副島種臣さんや佐野常民さんなど、多くの佐賀の人が大隈さんを心配してくれます。

 ただ、彼らは大隈さんより一回りほど年上であり、大隈さんの部下という人ではありません。


 佐賀にはたくさんの技術者がおり、電信の石丸安世、電話の石井忠亮らが有名です。


 佐賀出身の若手の中には、大隈さんと同じく参議である大木喬任さんや、副島さんたち先輩、石丸さんたち技術者が結集して、佐賀の力を伸ばそうという願いもあったようですが、大隈さんがそれをどう思ったのかはわかりませんし、意図して結集しようとした様子はありません。


 大久保利通の孫である大久保利謙氏は、大隈さんを「大隈は利口である」と表現しています。


 利口な大隈さんは直接的な対決を避け、静かに舞台を降りました。

 それは薩長の人々が驚くほどでした。


 その後、大隈さんは立憲改進党を作り、派手に党首として……! のほうが絵的には映えますが、大隈さんはその後、しばらく静かに過ごしていました。

 

 党が出来たり、早稲田が出来たりしても、じっとして表舞台には出ませんでした。


 賢い大隈さんは対決したり、目立つ行動をするよりも、今は雌伏の時とばかり静かに過ごし、復活の時期を待っていたのです。


 伊藤もバランス感覚に優れた人でありますが、大隈さんも大いにバランス感覚に優れた人です。


 薩長の支配する時代にいながら、そこと完全な対立せずに、自分の命脈を繋ぎ、総理大臣にまでなった人と言えるでしょう。

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