第15話 岩倉使節団その後と議会開設

 ※先に書いておきますと、マンガなどの歴史創作は教科書ではありません。展開をわかりやすく、絵的に映えるように描くことが多いです。そのため、この解説も「ほーん」くらいの気持ちでお読みいただけたらと思います。


 『総理倶楽部』第15話「国会 前編」。

 岩倉使節団まで描かれて楽しかったですね!


 この解説はその岩倉使節団その後のお話です。


 ポイントは2つ。

 

「議会開設は岩倉使節団のすぐ後ではなく、明治23年」

「大隈重信は岩倉使節団が洋行中、大久保・伊藤らの使節団側についた人である」


 1つずつ説明していきましょう。


 1つ目。

「議会開設は岩倉使節団のすぐ後ではなく、明治23年」


 総理倶楽部の中では「岩倉使節団が帰国したら大隈さんが議会で圧倒的な支持を集めていた!」という展開になっています。


 岩倉使節団はだいたい明治6年くらいに帰国します。いろいろ揉めたりあって、いくつかの集団に分かれて、バラバラに戻ってきました。


 しかし、第1回帝国議会の開院式は明治23年11月29日。

 その前に国会、議会というものは存在しません。


 マンガの中でも「国会前夜では」という台詞が出てきますが、国会の前にああいう風に集まる人が議会というものは、明治6年だと地方議会も存在しませんでした。


 この頃は薩長土肥の『参議』たちで話し合って決めている状況でした。

 

 議会の有無がなぜ大事かというと「国会を開け!」というのが、薩長VS反薩長の明治初期の大事な争点だからです。


 薩長の専制を廃するため、議会を開けというのが自由民権運動なので、岩倉使節団の帰国後にもう議会があると、ちょっと話が混乱してしまうのです。


 総理倶楽部のマンガとしては伊藤VS大隈さんという舞台を作るために、議会を開いてるのだと思いますが、実際には議会は存在しません。


 議会の流れは、明治6年の政変で揉め、明治8年の大阪会議で土佐の板垣退助さんが議会制導入に積極的だった長州の木戸孝允さん(桂小五郎さん)に議会の早期開設を説いて、それで議会政治の方向が出来ます。


 明治14年の政変で大隈さんが政治の舞台から追い出された後、政府側から国会開設の詔が出され、そして、明治18年に内閣制度が始まり、明治23年に帝国議会が始まります。


 2つ目。

「大隈重信は岩倉使節団中、大久保・伊藤らの使節団側についた人である」


 総理倶楽部の中では、大隈さんが岩倉使節団が海外に行っている間に、議会の支持を集めて、大隈さんが薩長に反旗を翻したようになっていますが、史実の大隈さんは、岩倉使節団が海外に行っている間の留守政府において、数少ない使節団側についた人です。


 留守政府の中心は薩摩の西郷隆盛さんや土佐の板垣退助さんであり、後に征韓論で政府から去る面々は、海外に行っている岩倉使節団に反発した行動を取っていますが、大隈さんは大久保さんらのほうに付き、ひたすら岩倉使節団の帰国を待って、留守政府が暴発しないように三条実美公を助けて活動しています。


 そのため、大隈さんは明治六年の政変や征韓論で政府を去ることなく、明治14年の政変まで居続けるわけです。


 気が向いたら、その伊藤VS大隈さんの話あたりも書こうと思います。 

  



 




 

 

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