第2話 蝋が溶ける日
ペンの力で新山を恋人にした日の翌日。
華紀は自分を愛する新山の姿に満足する。
「華紀くん。私ね、お弁当作ってきたの。華紀くんに食べて欲しいな」
「うん。一緒に食べよう。昨日は教室で食べて変な目で見られたから、今日は屋上に行こうか」
「やった。華紀くん大好きっ」
何も知らない人間が見れば距離感が近いカップルかもしれない。しかし、学校という空間では異常な光景だった。二人は昨日の午前中まで特に接点などなかったのだから。それを知っているクラスメイトたちは異様な事態だと思ったに違いない。
そして、それはその日の昼休みに行動として現れた。
昼休みの屋上には弁当箱を広げる華紀と新山の姿があった。
昼休みの屋上は人が少なく、二人は思う存分身体を寄せ合い。愛を囁きあった。
「ねえ華紀くん。今日さ、華紀くんの家に行ってみたいなぁ。ダメ?」
「いいよ。うちにおいで」
保身を考えればペンの秘密がバレる可能性を考慮して断るべきだ。しかし華紀はそんなことに思考を割く余裕などない。初めての彼女、ましてや女子の友人さえまともにいなかった華紀にとってこの状況は夢にまで見た幸せ。新山のお願いによって彼の精神や脳はそのキャパシティを超えてしまったのである。
これは悪手だった。少なくとも今日このときに限っては。
屋上にいたのは華紀と新山の二人だけではない。
新山の様子がおかしいとクラスの女子たちが二人を尾行。屋上の出入り口から二人の遣り取りを伺っていたのだ。
華紀と新山の様子を伺っていた女子たちは教師に報告することに決め、担任に相談する。
「そうか、そんなことが。わかった、それとなく聞いてみよう」
昼休み以後、担任は華紀の様子を見ながら過ごしてみる。
休み時間から帰ってくるとき、華紀は新山と一緒だった。
普段なら田岡たちにパシられていたがどうも最近はそうではないらしい。
確かに不思議だった。
接点がなかったはずの新山と華紀はいつの間にか交際している。田岡たちは華紀のイジメをしていない。ここまで人間関係が変わるのには何か理由があるはずだ。
——本人に直接聞くのが早いか。
放課後、担任は華紀が一人のときに声をかける。
「小柴、最近どうだ?」
「どうってどういう事ですか?」
「いや、最近新山と一緒にいるのを見かけるようになった気がしてな。女子と一緒にいるなんて珍しいと思ってたんだ」
「ええ、あっという間に仲良くなれたんですよ」
こんな質問は想定内。別段動揺などせずにあらかじめ決めていた答えを述べる。
「ほお、どんなきっかけがあったんだ?」
「それは秘密です。それにしても珍しいですね。先生が僕に話しかけてくれるなんて」
強引だが、ボロが出る前に話題転換を試みる。
「いやな。普段は田岡たちに絡まれているのにそれもないし、新山がお前と関わるなんて不思議に思ったんだわ」
教師として最低な発言に華紀は凍りつく。
担任はその様を動揺とでも思ったのだろう。
——何か秘密があるようだな。
そんな見当外れの推測に満足したのか話を一方的に打ち切ってその場を去っていく担任。
華紀はその後ろ姿が見えなくなってから田岡たちを呼び出した。
「知っていたのに助けてくれなかった。見て見ぬふりを続けていたんだな! あのクズめっ」
華紀がイジメられていたことをずっと知っていたのに何もしないでいた教師への怒り。華紀はペンを握るとそのままメモ用のシールに書き込んでいく。
『この紙が貼られると家屋が燃える』
『この紙が火に触れると炎をより強くする』
『ドアに貼るとドアが開かなくなる』
『この紙が貼られた家屋の家財道具などは全て灰になる』
etc......
怒りに任せて複数の文章を書き出し。田岡と下口にシールを渡す。
「これをアイツの家に貼るんだ。しくじるなよっ」
田岡と下口は頷いてから校舎を出た。外で担任を待ち伏せするつもりなのだろう。
クズな担任が相応の報いを受ける。そう思えば華紀も多少は溜飲が下がるというもの。
これが分岐だった。もう戻れない道。さらに言えば、道すじもそうだが何より手段を誤った。
彼がその事実に気がつくのは全てが終わる直前。翌日のことだった。
放課後、新山は華紀の自室にやって来た。
「どうぞ」
「お邪魔しま〜す」
笑顔で部屋に入る新山。新山自身、家族以外の男性の部屋に入るのは初めてだったが、それは華紀も同様。彼も自室に家族以外の女性を招くのは初めてである。
華紀は初めての体験に緊張してしまったが、新山はそうでもない。なぜかと言えば単純な話で、ペンの力で精神を操られているからだ。
もしも、純粋に好意を抱いた相手の部屋に招かれたなら新山も緊張したかも知れない。
二人は、その距離感とは裏腹にボタンを掛け違えたようなズレが生じている。
——なんだかうまくいかない。学校ではそれなりに上手くできたような気がするのに。
ベッドに腰掛ける二人は物理的な距離とは裏腹に趣味の話も学校の話も上手くできない。学校ではそれなりに上手く関係を築いていけた気がするのだがどうしてか。華紀は気が付かないが、それは華紀と新山の経験や知識によるものが大きい。どちらも学校では友人の延長として仲良くし始めた。弁当を作ってもらうなどのアクションは交際経験のない華紀にとっても想像しやすいイベントで、その妄想と新山自身の料理スキルで起こった出来事だ。
しかし、その先、家に招いて雰囲気を作る事は友人と遊ぶのとはわけが違う。
新山は操り人形も同じで、華紀が望む事は先立ってしてくれるが、それ以上の事はできない。華紀が具体的な雰囲気づくりを想像できない以上、新山が妄想通りに動くということはないだろう。ましてや新山に男性経験があるわけでもない。
これでは華紀がリードしなければいけないが、彼にそんな能力があればペンに頼らずとも新山との関係を構築できただろう。
すなわちこの状況では恋人らしい雰囲気を作るなど到底不可能であった。
——ああくそっ! なんでこんなに上手くいかないんだ。せめて彼女から誘ってくれれば!
身勝手な妄想だが、ペンに操られた新山はそれを叶える。
「ねえ、華紀くん。私、華紀くんとエッチしたいな」
熱い視線と蒸気した頬。ペンの効果ですっかり出来上がった状態の新山はそんなことを言い出す。
ムードも何もあったものではないが、性的な魅力を纏った新山に華紀は反応する。
「僕もしたい」
華紀は新山の肩を抱いてそのままキスをする。
経験がない上にがっついた華紀は勢い余って最初は鼻を、次は歯を軽くぶつけてしまった。
なんだかぐだぐだしてしまいながらも唇を重ねると、どうしてか想像したような接吻にならない。
——なんだろうこれ。気持ち悪い。キスってもっと甘く蕩けるようなものじゃないの?
思ったような快感を得られないのは新山と華紀にキスの経験やテクニックがないのも理由の一つ。しかしそれ以上に大きいのは華紀が現在の新山は「操り人形」と変わらないことを無意識のうちに理解してしまったことだ。
今しているキスは精巧な人形に唇を押し付けているのと同じなのではないか?
そんな思いが華紀の中に湧き上がる。そんな思いを払拭しようと唇を離す。
「ぷふぅ、キスってすごいね。身体が熱くなってきちゃったよ」
キスを終えた新山の感想とは対照的にむしろ鳥肌さえたちそうなほどの悪寒がする華紀。
それでも次のステップへと移行する。
それは彼女への好意や覚悟ができたというよりも今感じている悪寒から逃れるための行動だった。
彼女の衣服を脱がし、うっすらと赤く染まった白い素肌が露わになる。
女性の素肌なんて初めて見るものの、華紀にそれを楽しむ余裕もない。キスの不快さがまだ唇に残っていて、自分の目に映る新山の女性らしさとのギャップが余計に彼を追い込んでしまう。
新山の愛らしい顔も、均整の取れた身体も、赤みがかった素肌も、熱を帯びた吐息も、潤んだ瞳も、乱れた髪も、その全てが何かよくわからないものに感じられた。
「華紀くん」
新山が熱っぽい声で呼びかけ、緊張したようにキュッと四肢や手足の指を縮こまらせたとき、華紀は恐怖のあまり彼女に覆い被さった。
本当は逃げ出したかった。でも逃げたらこの得体の知れない新山のような何かに襲われるような気がしてならない。だから自分から飛び込もうとする。怖くて仕方ないが、せめて自分が主導権を握っているのだと思いたかった。
結果で言えば、華紀は何もできなかった。今の華紀には新山をどうにかしようという意思も度胸もなかったのだ。
性行為など行われず、彼に残ったのはただの虚しさだけ。
「華紀くん?」
「ううっ」
華紀はただ辛く、悲しい。
「どうしたの華紀くん?」
華紀の手に触れる新山。華紀が恐る恐る彼女の顔を見てみると、いつもクラスにいた新山の顔があった。そこには先程までの人形もどきはもういない。
「僕の話を……聞いてほしい……」
華紀は鞄からペンを取り出す。
華紀は新山にペンのことを話した。これまでの経緯や新山を操っていることも。
対する新山はキョトンとした顔の後、笑顔で華紀を抱きしめる。
「私ね。華紀くんのこと好きよ。本当に。どうしてかわからないけど好きなの」
華紀の胸を抉るような言葉が聞こえる。罪悪感が胸の奥に吹き溜まりのようになっていった。
そんなことなど知らない新山はやや明るい口調で話し続ける。
「だからね華紀くん」
新山は華紀からペンを取り、紙に書き出す。
『この文章を見た華紀くんが、もう辛い思いをしなくて済みますように』
「華紀くんが私を好きなら、私との関係が納得できるように頑張って」
新山が向けてくる優しい笑み、それは温かい呪縛である。
そうわかっていても、華紀はそれに応えたいと思う。新山を好きだった事は嘘ではないのだから。
新山は鉛筆を取り出して書き出す。
『この関係を良くするために努力する』
「僕、頑張るから」
「うん」
華紀はこのとき、初めて他人に受け入れてもらえた気がした。
罪悪感や虚しさが付き纏うものの、ささやかな幸せを感じ、華紀の1日は終わった。
翌日、担任は学校に来なかった。
自宅が火事になって、重症、偶然にも近くにいた田岡、下口の2名も火事に巻きこまれ、田岡が重症、下口は搬送先の病院で死亡した。
担任と田岡は集中治療室に運ばれたらしい。
クラスでは下口に関する連絡は後日すると言われ、入院している担任と田岡に色紙を書いて送ろうと決まった。
正直に言えば、あの三人が同時に死んでくれた方が華紀としては嬉しかったがそんなことを書くわけにもいかないので、色紙にはそれらしいことを書いた。
教師が病院に届けると言って持っていったのが午後。
危機が迫ってきたのは夕方、放課後のことだった。
「小柴くんかな?」
声をかけてきたのはスーツをきた男性だった。学校では見ない顔で外部の人間だとすぐにわかる。
「そうですけど?」
華紀が怪訝そうな顔で見つめると、男性は笑いながら話始めた。
「いやいや、これは失礼。私は警察の者です」
「警察? どうして僕に?」
「実はですね。小柴さんの担任が火事に見舞われたのはご存知でしょう? 現場にこのような紙切れがありまして」
『……全て灰になる』
華紀は一瞬だけ表情を動かしてしまった。
袋に入っていたのは華紀が記入したシールの破片だ。
燃え尽きずに残ってしまったのだろう。
「これが何か?」
平静を装うが、おそらく動揺していることはこの刑事にバレているだろう。
「先程、教員の一人が色紙を持って病院までいらっしゃいましてね。その色紙に書かれていた小柴さんの字と、このシールの字が似ているように思えたもので」
少し笑ったような顔で華紀を見る刑事。「何かご存知ありませんかね?」とは言うが、この態度からして筆跡鑑定などはしているのだろう。華紀が今回の事件に関わっていると知っているはずだ。
「おーい華紀く〜ん。一緒に帰るんでしょ〜」
間延びした声と共に駆け寄って来たのは新山だった。彼女は刑事を見ると華紀に訊ねる。
「あれ華紀くん、この人は?」
「警察の人。せ、先生の火事の事で話があるって……」
新山が来てくれたおかげで華紀は緊張しつつも幾分か話せる。華紀の話を聞くなり新山は眉を寄せて怒りだす。
「それって、華紀くんが疑われてるってこと?」
刑事の方を向くと敵意たっぷりに声を荒げる。
「華紀くんは犯人じゃありまがせん! 昨日は私と一緒にいましたもんっ。行こ、華紀くん!」
華紀の腕を引き寄せて歩き始める新山、華紀は引っ張られるようにして着いて行く。刑事はその様子を黙って見つめるだけだった。
刑事から離れた場所まで行くと、新山は小声で華紀に話しかける。
「華紀くん、あんな刑事なんてペンでどうにかしちゃおうよ」
「ええっ、でも……」
昨日は感情に任せて放火までさせたが、今回は刑事に先手を取られて萎縮していた。
「このままだと華紀くんは捕まっちゃうかもしれないんだよ」
この言葉は華紀に深く刺さる。
——捕まったら、今までのこともバレてしまうかも。
今ならペンの秘密は知られていない。ピンチだが、刑事から接触して来たのはチャンスでもあった。
「わかったよ。僕はやってみせる」
「うん、頑張ってね」
——彼女との約束を果たすためにも覚悟を決めよう。
華紀は決意を胸に家に帰る。彼の瞳に目に写った夕焼けが赤く燃えていた。
機会はすぐに訪れた。
翌日の放課後、刑事が再び華紀へのアプローチをとったのだ。
「昨日は中断されてしまいましたが、お話したいことが……」
華紀は真犯人を知っていると刑事に話した。そして場所を移したいと提案する。
その後は華紀の家に移動。刑事にも逸る気持ちがあったのだろう。特に疑いもせずに移動できた。
幸い家には誰もおらず、玄関で刑事にシールを貼る。
『このシールを貼られると身体が動かなくなる』
ペンを使う際に注意すべきことは、読ませるなら紙に書けばいいが、この刑事が最後まで読まないと意味がないことだ。途中で読むのを止められると計画は成立しない。
また、シールは便利だが、剥がれる可能性もあるので完全ではない。
しかし、身体に直接書くなら話は別だ。その文章が消えるまで効果が発揮される。
身体が動かなくても目は困惑の色を示している。だがもう遅い。
華紀は刑事の肌に直接書き込む。
『筆者の痕跡をすべて抹消した後、記憶を完全に失う』
書き終えた後、華紀は文章が消えないように刑事の肌にテープを貼って保護した。
——これで良し。この刑事は重症で入院している担任や田岡も処分してくれるだろう。
すべてが上手くいったと確信した華紀はシールを剥がして刑事が動けるようにする。
直後、刑事は華紀を睨むと、胸ぐらを掴んで襲いかかった。
「うおっ、なぜ……」
混乱する思考。しかし意外にあっさり答えがわかった。
——痕跡を消すために、僕本人を始末するのか。
華紀は自分の不手際に納得してしまう。
このペンを使った報いなのだろうか、ペンは何も言わない。ただ、手の中にあることが感触でわかるだけ。
首を掴まれて意識が途絶える直前、新山はどうなるのか考える。
それだけが華紀の気がかりだった。
華紀が刑事に会っている頃、新山は自室で華紀のことを想っていた。
——華紀くんは上手くいってるかな? そうだ。華紀くんとしたみたいにお願いを紙に書いてみよう。
華紀のペンではないからただの願掛けに過ぎないが、それでもやってみようという気にはなったのだ。
鞄からペンを取り出した新山はそのまま紙に書いていく。
『華紀くんが私との約束通りに頑張って、二人で幸せになれますように』
書き終えた新山はあることに気がついた。
「今気がついたけど、このペン。華紀くんが使ってるペンにそっくり」
新山は少し面白く感じて笑顔になった。
ペン知るなにか じゅき @chiaki-no-juki
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