ペン知るなにか
じゅき
第1話 蝋の翼
男子高校生の
そのペンの見た目は黒く、分解することもできなければインクが途切れることもない。何よりこのペンには不思議な力があった。
書いた通りのことが起きるペン。そんな子どもの妄想としか思えないアイテムなのだ。
華紀がその現象に気がついたのはつい先日のことだった。
紙に『燃える』と書いたら本当に燃えてしまったことから、華紀はこのペンの不思議な力を知ることになる。その後は色々な現象を試し、このペンで書いたことがそのまま起こるのだと確信した。
学校に着くと、いつものように机が汚されていた。いつもの男子による嫌がらせなので別段困らない。普段なら急いで洗うのだが、華紀は机に『汚れが消える』と書くだけだった。
少し経つと、机に描かれた暴言や落書きが消えていく。
「よし、これなら今日の計画も大丈夫……」
華紀は言い聞かせるように呟いてそのまま席についた。
やがて予鈴がない響く。今日の予鈴は腹の底に鳴り響くようだった。
華紀にとって学校生活は苦痛で、青春なんてものは不快な言葉でしかなかった。
高校に入学して少し経つと、二人の男子からイジメを受けるようになる。
机を汚される、物を取られる、パシリに使われる。
暴行を受けたこともあるし、それこそイジメらしいことは大体された。
イジメる側の男子2名、田岡と下口が調子に乗っていくのと比例して華紀の心は擦り減って行く日々。華紀は家族にイジメのことを隠していたが、怪我などは隠しきれない。
何より華紀が心配だったのは田岡たちが家族にまで危害を加える可能性があったことだ。
そんな思いで過ごすうちに入手したのがこのペンだった。
ある日、自室のベッドの下から発見されたこのペンは、華紀に野心と行動力を与えた。そして迎えた計画の日。この日が華紀による復讐の始まりだった。
華紀の計画は昼休みに実行に移された。
「おい、小柴」
二人の男子が絡んでくる、昨日と同じように華紀をパシリに使うためだ。
毎日行われてきたもはや日課のようなものだが、今日の華紀には都合が良い。
——今だ!
「小柴、昨日と同じモンを購買で——なんだこりゃ?」
男子の一人、田岡が肩に手を当てたので華紀は開いたままのノートを見せる。『この文章を読むと筆者の言いなりになる』そうノートには書かれていた。
文章を読んだ田岡は少しの間動かない。
華紀にとって不安と緊張の時間だった。計画のために何度か人間を相手に試した。ときには見知らぬ他人を相手に文章を読ませたりもした。それでも今回に限って失敗するかも知れないという思いが拭いきれなかった。
やがて田岡が動き出す。その目は明らかに生気がなかった。
——テストしたときと同じだ。これならいける。
成功を確信した華紀は田岡に声をかける。
「田岡くん。下口くんを」
「わかりました」
田岡は無表情のままそう返すと下口の方に向かってノートを見せる。
「なんだよたお——」
不用意に文章を読んでしまった下口も田岡同様に動きを止めた。
やがて田岡同様生気のない瞳になった下口は、華紀の元へと近づく。
「どうかご命令を」
下口が言い出すと田岡も横に並んだ。
華紀の計画が完全に成功した瞬間だった。しかし彼の胸中は喜びよりも成功への安堵の方が大きい。
「二人が僕の言いなりだっていう証拠を見せて」
これは華紀にとって保険だった。本当に自分の下僕のような状態なのかという確認と今のうちに情報でも物でも、なにかしらで手綱を握れるようにしておこうという考えだ。
すると二人はノートを持ち出し、様々な事柄を書き込んでいった。自分を含めた家族の個人情報、クレジットカードや口座の暗証番号、過去の暗部などありとあらゆる秘密だった。
「動画や写真は明日用意します」
「こちらも」
そう言って二人は携帯端末を渡してくる。
全てを差し出す。それがこの二人の回答だった。
「わかった。預かるよ」
その後は二人に先程と同様の記述がされた紙を渡す。
「これを家族の人に見せてね。後でこの紙は回収するから」
華紀は田岡たちの家庭を完全に掌握するつもりだった。
——これで二人が家族に怪しまれる心配はない。あとは上手く利用していくだけだ。
ここにきてようやく野心が動き出した華紀。彼は初めて、翌日も田岡たちに会うという事実が楽しく思えた。
しかし油断はできない。些細なミスから失敗すれば文字通り身の破滅を招く。
華紀はさらに文章を用意した。
『この文章を読んだ者は筆者の身の安全を最優先し、いかなる手段も厭わない』
華紀にとってこれは最後の手段。悪手にも近いものと考えている。
まず、これが実行される段階で華紀はすでに危険な状況である。そうならないために準備をしなければならない。華紀とペンの秘密に気がつく人間がいたということだ。さらにこれが実行されれば必然的に誰かしらは華紀が二人を操っていると気がつくだろう。だがやらないわけにはいかない。
小心者である華紀は転ばぬ先の杖を求めた。それは保身という利以上に精神の平穏のためだった。
放課後、田岡と下口に新たな命令を読ませる。
二人の背中を見送った華紀はひと掬い程度の安堵を得た。
翌日、華紀が登校すると。袋を持った田岡と下口がいた。
「昨日約束した品です」
中を見ると通帳やキャッシュカード、さらに動画などを収めたのであろうディスクや何かの証書なども入っていた。
「放課後受け取る」
そう言って華紀は席に座る。ここまで上手くいったことで。華紀は支度を始めた。
ペンの人知を超えた力を扱うようになった事で、たった1日で彼は自分が強く大きい存在になれたかのように錯覚をしていた。
そして、それまでの人生と比較しても随分能動的になった。
それを表すのは彼の興味が自身をイジメた男子への復讐から女子へと移ったことでも明らかだ。
彼の唯一と言っていい美徳。当初は家族への危害を心配したようなその良心も他者を操るうちに蕩けさせていった。
同じクラスの女子である新山に声をかける。華紀の人生においてクラスの女子に誘いをかけるなんていつ以来だろうか。声をかけられた新山は笑顔で振り向く。
「ねえ、新山さん。今度遊びに行かない?」
普段関わりのない華紀から突然誘われて、新山は困惑した。
「ええ、急に言われてもな〜。でも珍しいね。小柴くんから私に声をかけてくるなんて」
新山はそれでも邪険にせず、はぐらかすようにしてその場をやり過ごした。
困ったように笑う新山。普段の華紀なら「優しい女子」という認識が先立って、残念な気持ちと諦めだけで済んだはずだった。
しかし、気が大きくなった華紀はこの新山の態度が自分を小馬鹿にしているように感じる。また、その態度をとる彼女をどうしてもモノにしたいと思うようにもなってしまった。
問題は、そのための手段が華紀にあり、それが極めて単純な方法だったこと。
華紀は席に戻ると、文章を書き出す。
『この文章を読むと筆者を愛する』
ノートに書かれたシンプルな文字は人を狂わせて余りある程の凶器である。
新山の元まで戻る華紀。新山は華紀に気がつくと笑顔から一転、不思議そうな顔をする。
「あれ、そんなに笑顔なんて……どうしたの小柴くん?」
華紀はこのとき、初めて自分が笑顔だと気がついた。
彼女が不思議そうな顔をする程の笑顔が華紀には想像もつかない。
——まあ、どんな顔してたかなんて彼女に聞けばいいんだけどね。
「実はね、見てほしいものがあるんだ」
「えっ? そんなにおもし——」
新山の目から生気が消えていく。やがて田岡たちのときと同様に少したってから彼女は動き出した。
「新山くん。私……」
そう言って華紀の手を取る新山。濡れた瞳で見つめてくる新山は誰が見ても恋する乙女だ。
盲目的な愛を孕んだ視線と彼女の手から伝わる微熱が華紀に成功を確信させる。
その日は華紀にとって最も幸せな1日だった。
昼休みに新山と一緒に食事をして、放課後も二人で歩く。少しより道して買い物もした。その全ての時間で新山は華紀にべっとりとくっついて、華紀との交際を喜んだ。
帰宅してからも携帯端末でやり取り。
どれもが華紀にとっては初めての経験で全てが彼に幸せをもたらした。
少なくとも華紀だけは幸せだと思い込んでいられた。
1日だけの多幸感。文字通り、彼にとって生涯最も幸せな日だった。
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