旅する仕立て屋 『砂漠のベール』

紺野智夏

『砂漠のベール』

それは、とある世界、とある少女とその相棒が旅をするお話―――。





どこまでも砂地が続いていた。視界が薄橙に染まり、他の色が一つも見当たらない。少女は隣を歩く相棒の"ため息"に聞こえないふりをして、一歩ずつ歩を進める。


と、急に匂いが変わった。蜃気楼の向こうにぼんやりと見える青色が、目的の場所であることを願う。道中、散々不満を垂れながらも強い日差しから匿ってくれた相棒は、その目で確認するまで体勢を変えるつもりはないらしい。日傘代わりの彼の羽根に感謝をしながら、残りの道のりを歩く。


幸いなことに、少女の願いは叶ったようだ。門をくぐり、少し歩くと宿屋の看板が見える。少女は迷わず、扉を開けた。


「いらっしゃい、お嬢ちゃん。泊まりかな」


頷くと、陽気な店主はすぐに部屋を用意してくれた。そのオアシスは、思いのほか規模が大きく、辿り着いてみれば小さな町のように発展していた。


「ところで、うちは原則ペットはお断りさせて頂いているんだがね」

「誰がペットだ、おろかもの」

「ペットでなければなんだ、脚かな?」

「脚?それは一体どういう意味で……」


口の悪い相棒を静止して、少女は彼について店主へ説明する。このまま放っておけば、自分までこの砂漠で野宿をするはめになる。少女の心を尽くした説得のかいもあり、相棒は特別に条件付きで少女の部屋へ同行できることになった。その条件とは、部屋を出る前にきっちりと羽根を片付けていくというもの。相棒に限っては部屋を羽根で散らかすような真似はしないと少女には分かっているので、心配はない。


「……依頼人はどういうつもりだ?こんな辺境の地まで呼びつけておいて、顔も出さないと来たもんだ」


少女も首をひねる。この地に住む依頼人から手紙を受けとったのが数日前。折り返し伝書鳩に到着する日を伝えてさせてあるのだから、このオアシスに一つしかない宿屋に顔を出してもおかしくないのだ。依頼の手紙の内容は切羽詰まった深刻なものであり、ただの冷やかしだったとは考えがたい。すぐに顔を出せなくとも、宿屋の主人にあらかじめ言づてをしておくこともできるはずだ。となると考えられることは二つ。依頼人の身になにか起きたか、秘密裏に仕事をして欲しいということだ。願わくば、後者であって欲しい。


少女は小さな笛を手に取り、かすかな音を震わせる。しばらくすると、部屋の窓に伝書鳩が姿を表した。相棒が伝書鳩に一つニつ話をすると、伝書鳩は心得たとばかりに空を旋回する。外へ出て、ついてこいということらしい。


道案内を受けて辿り着いたのは、オアシスの中心である水辺からは少し離れた小さな家だった。少女が扉をコン、と叩くとすぐに玄関が開いて、少女と相棒を招き入れた。その様子はかなり焦っているようにみえる。


「で、なんだ。何が欲しいって?」


部屋に入るなり、相棒がぶっきらぼうに尋ねた。依頼人はビクッと肩を震わせ、怯えた顔で少女を見た。少女は相棒を静止して、依頼人に向けて頷いてみせる。依頼人は、ゆっくりと呼吸をしてから覚悟を決めたように口を開いた。


「ベールを作って欲しいんです。」


そういって一枚の布を取り出した。


「このベールは、母から譲り受けたものです。しかし、ご覧の通り、肝心の顔を隠すところが破れてしまっているんです」

「ほう、見たところ特殊な素材で出来ているようだな」

「はい。ですが、この素材については今は亡き母や祖母が知るのみで、詳しいことは私には分からないのです」

「一体なんで、こんな風に破れてしまったんだ」

「それが、分からないのです」


相棒の質問に答えていた依頼人は「まず、今の状況からお話させて頂きますね」と断りをいれてから、話を続けた。


「このオアシスでは、十歳になると、村の男性に顔を見られてはいけないという掟があります。素顔を晒してもよいのは、伴侶となる相手のみ。この掟を破れば、結婚をすることさえ許されません」

「そうか、どおりでコソコソしているわけだ」

「すみません。でも、村の人に顔を隠してベールを手に入れるには、仕立屋さんに来て頂くほかなかったんです」

「なるほどな。適当な布を被るわけにもいかなかったのか」

「普段は、特に制限はないんです。でも、特例が一つだけあります。結婚を控えている者は、月が満ちて欠けるまで、その家に伝わるベールをつける義務があります。このベールをつけていないと知られたら、結婚することができなくなるのです。」

「結婚式はいつだ?」

「それが……明日なんです。」

「ふぅむ。どう思う?」


相棒は、訝しげな顔で少女に尋ねた。少女は笑顔で、お引き受けしますと伝える。まだ何か言いたそうな相棒をなだめて、依頼の品を明日には届けることを約束した。依頼内容はベールの修繕。一晩あれば十分間に合う。



依頼人がいれてくれた、このオアシスの特産であるらしいハーブティーを一口、二口とすすった。確かに、これは美味しい。少女は乾いた喉が潤うのを感じ、お代はこのハーブティーでも悪くないな、と考える。


「ところで、結婚相手はどんな人なんだ?」


ティータイムを楽しんでいる少女をよそに、相棒は依頼人と話を続ける。依頼人も相棒のぶっきらぼうな口調に慣れてきたのか、徐々に口調の堅さが取れはじめた。彼女は一体いつから、外へ出ることもできずに、この家で一人で過ごしていたのだろうか。


「……とても素敵な人よ。」

「へぇ、そうか。あんまり嬉しそうにはみえないが」

「……女がこういう顔をするのは、照れている時なのよ。覚えておくといいわ」


ふふ、と笑いながら、少女のカップにおかわりをそそぐ。


「そういえば、このベールを破いた犯人に心当たりはあるのか?」

「いいえ、まったく」

「それじゃあ、治したところでまた破られる可能性はあるわけだ」

「どうかしら……結婚式は明日だから、流石に強盗や盗賊もタイミングよく盗みには来られないと思うのよ」

「甘いな、外部犯の仕業とは限らないだろう」

「でも、オアシスの住人が私に嫌がらせをする理由なんてあるかしら?」

「さあ、どうだか。話を聞く限り、日頃の行いは悪くないんだろ?とすれば、逆恨みくらいしか思い当たらないな……」


外から来た盗賊の犯行と考えた方が自然。少女はそう、自分の感想を述べる。相棒はやれやれ、と羽根を竦めて「甘いお嬢さんたちだ」と言い放つ。空になったカップへ三杯目のハーブティーを注ごうとする依頼人をとめて、お礼を伝えてから、少女は依頼人の家をあとにした。


宿屋へ帰る道すがら、少女は相棒に考えを話す。それは依頼人へ告げたものとは別の解釈であり、悪い予感であった。相棒も同じことを危惧していたようで、少女の考えに同意を示す。悪い予感は大抵当たる。それは少女と相棒がこれまでの旅で知った経験から導き出される結論だった。



その晩。


少女は、宿屋の机にベールを広げた。虹色に輝くそのベールは消えてなくなりそうなほど儚く、そして美しい。本来、このベールを修繕するためには、間違いなく特殊な素材が必要になるはずだ。その点でいえば、少女に依頼したのは正解だった。恐らく、少女の評判をどこかで耳にしたことがあったのだろう。


それじゃあ、いくよ。


少女は、相棒の力を借りて仕立てをはじめる。なんにでも馴染む美しい糸があれば、ベールを元通りにするくらいわけないことだ。どんな布だろうと、どんな糸だろうと、あらゆる素材を作り出すことができる羽根。そして、あらゆる素材を生かすことができる仕立ての技術。それが少女と相棒がこの旅をしている理由であり、武器であった。



ドサッ。



突然、窓の外で大きな音がする。


「来たな」


少女と相棒は部屋をでて、宿屋の庭へまわる。


「犯人のおでましだ」


相棒はそういって、落とし穴から一人の少年を引っ張り上げた。



少し時間を遡る。宿屋へ戻ったニ人は、店主の許可を得たうえで、庭先に落とし穴を掘っていた。犯人がこのオアシスの住人なら、必ずもう一度、ベールを狙ってくるはずだ。その読みは見事に的中し、まんまと犯人は落とし穴に引っかかったのである。



「それで、どういう了見だ?」


犯人は、落とし穴の上から見下ろす相棒に怯え、半分泣きながら話し始めた。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

「おろかもの。謝ってすむことじゃないだろ。ベールを一度破ったのはおまえか?」

「……そうです」

「なんで、そんなことをしたんだ」


少年は目に大粒の涙をいっぱいにして、叫ぶ。


「そんなベールがあるから、姉ちゃんは結婚しちゃうんだ!」


少年を連れて部屋へ戻った少女は、少年に椅子を勧めた。少年は相棒がよほど怖いのか、素直に椅子に座って項垂れる。


「おまえ、名前はなんていうんだ」

「……カルロ」

「なあカルロ。こんなことをしても、気持ちを変えることはできないだろ」

「………」

「相手の気持を無視して、台無しにして、好きな女を不幸にするつもりか?」

「………ちがう」

「何が違うっていうんだ」

「だって、このままじゃ。姉ちゃんが結婚しちゃう」

「おまえの我が侭で、姉ちゃんが幸せになるのを邪魔するのか?」

「姉ちゃんが、幸せになれるわけないだろ!!!!」

「それはおまえが決めることじゃないだろう」

「だって死んじゃうのに、それが本当に幸せだっていうの!?そんなの、嘘っぱちだ。姉ちゃんも村の大人も、みんな嘘付きだ!」


少女と相棒は、思わず顔を見合わせる。


「ちょっと待て、死んじゃうって、どういうことだ?」

「だって、みんな死んじゃったんだよ。結婚式で、死んじゃうんだ」

「……カルロ。もう少し詳しく話を聞かせてくれないか」



翌朝。

少女は一人、依頼人の家を訪ねる。


「よかった、間に合ったんですね」


ウエディングドレスに身を包んだ依頼人が、そういって微笑んだ。しかし、少女は首を振る。


「そ、そんな。間に合わなかったら、私、どうすれば。あなたなら、なんとかしてくれるって信じてたのに、そんな」


彼女の顔に浮かぶのは、花嫁が結婚できなくなることへのショックではない。明らかに、その顔に浮かぶ表情は"怯え"だった。少女は口を開く。本当にそれでいいのか、と。


「……いいに、きまってるじゃないですか」


だけど、それは幸せなのか。あなたのお母さんやお祖母さんは、そんなことのためにあなたを育てたのか。本当に、そうだろうか。少女は優しい口調で、問いかける。


「……ほんとうは、私…」


少女は、依頼人へ手を伸ばす。


「……でも、私がいかなかったら、このオアシスはどうなるの?みんなは、どうなってしまうの?」


依頼人は震えた手で、その手を拒む、その刹那。


「どうにもなんねーよ!」

「カ、カルロ!?」

「そいつの言う通りだ。この村は、あんたが死んでも生きても何もかわんねぇ。騙されてんだよ、このガキを除いてな」


少年は、依頼人へ走り寄る。


「姉ちゃん、全部嘘なんだ。結婚式のしきたりも、このオアシスに伝わる話も、全部嘘なんだよ。俺が、さっき結婚式場をめちゃくちゃにしてきた。だから、まだ迎えはこない。逃げて。早く、逃げて!」


少年は依頼人の手を強く引く。その手を拒むことすらできないほど、力強く。


「乗りな、姉ちゃん。逃がしてやるよ」

「で、でも」

「つべこべ言ってる場合じゃねえだろ。カルロの気持ちを踏みにじりたいのか。それとも、そんなに死にたいのか」

「……」

「事情は追って説明してやる。いいから、生きたいと思うなら、俺の背中に乗れ」


依頼人は一呼吸おいて、覚悟を決めた。かがんだ相棒の背中によじ登る。その後ろに少女がひょいと座り、少年へ小さな包みを投げる。


「行くぞ、いいか。飛ばすから、しっかり捕まってろよ」

「姉ちゃん、生きて。俺、必ず迎えに行く。だから、生きて」

「……カルロ…ありがとう。本当に、ありがとう」

「いいから、はやく逃げてよ。これで捕まったら台無しだろ?俺は男だから大丈夫だよ。そんな顔すんなって」

「……生きてね、カルロ。あなたも、生きて、約束よ。迎えに来て」


遠くからかすかに声が聞こえる。


「じゃあね!じゃあね、姉ちゃん」


だんだん小さくなる少年の姿が見えなくなるまで、依頼人は手を振り続けた。



半日かけて砂漠を越え、大きな街へ辿り着く。相棒は、まったく鳥遣いが荒いよな、と文句を言いながらも全力で少女と依頼人をこの街へ運んだのであった。少女は、ぶつくさ言う相棒の背中を撫で、依頼人へ向き直る。


「本当に、ありがとうございました。」


道中、少女と相棒から、真相を聞いた依頼人は、目に涙を浮かべて少女の手を握る。少女は、荷物の中からベールを取り出し、依頼人へ渡す。


「なおってたんですか……!?」


少女は頷いて、少年に渡したものと同じ包みを依頼人へ渡す。


「これは……?」

「それはな、このお節介な仕立て屋の、気持ちだ。高値で売れる。生きていくのに、金がなければどうにもならねーだろ」


そっぽを向いて説明する相棒に、素直じゃないなあ、と心の中で笑う。包みの中身は彼の羽根。見る人が見れば価値の分かるものなのは間違いない。その羽根を渡す意思が少女にあっても、実際に渡すかどうかは相棒に委ねられているのだ。


「ベールには、想い出も詰まってるんだろ。今となっては、いい想い出だけじゃねーのかもしれないけどな」

「いえ。これは、祖母や母の形見です。本当に、大切にします。」

「あのガキのためにも、生きろよ。恐らく、オアシスの連中はここまでは追ってこない。あのガキも男だ、自力で抜け出してくるだろう。せいぜい幸せになりな」


少女は依頼人に小さく手を振る。


「あっ、でも、私まだ何もお礼を……」

「礼なら昨日、貰ったってよ」


少女は、ティーカップを手に持つ仕草をして、微笑んだ。それから、先に歩き出した相棒を、小走りで追いかける。依頼人は、その手にベールを握りしめ、いつまでも深く頭を下げていた。


「はぁ、しっかし今回も儲けのない仕事だった。そろそろいい加減、まともな仕事がしたいもんだね」


少女は、そうだね、と頷く。


「ほんっとうに、そう思ってるんだか、疑問だがな。それにしても、あの町は本当に悪趣味だった。まさか、結婚式という名の儀式とはね」


少年の語った事と次第はこうである。あのオアシスには伝承があり、なんでもオアシスが祀る神が、あの地の砂漠化を抑えているらしい。結婚式とは、そのオアシスの神に若い娘を捧げる儀式の通称であり、その実態は花嫁姿の女性を生きたまま湖の底に沈めるという恐ろしいものであった。


「ああいうのって、子どもの頃から聞かされてると、信じちゃうもんなんだな。町自体が、狂ってやがる。」


少女は静かに首を振る。


「……まぁ、そうだな。この伝承自体も眉唾で、本当に狂ってるのはオアシスの支配者一族だったわけだ。念の為、オアシスで暮らす鳥に聞き込みをしてよかった。一族の娘より美しい女を生かしておかないために、殺してしまおうなんて発想はさ、普通はできない」


相棒は、俯く少女の頭を羽根でそっと撫でた。


「どーせおまえのことだから、今までの犠牲になったやつらや、これから犠牲になるかもしれないやつらを心配して、凹んでんだろ。でもな、少なくとも一人は救った。それは間違いないだろ?俺は、あとはカルロが頑張ってくれるって信じてるね。オアシス中の鳥から聞いた話をカルロには教えてある。あとはあいつがうまくやれば、くだらない仕来りはなくなるはずさ」


鼻歌交じりに歩く相棒の隣で、少女は想いを馳せる。自分の手が創り出すもの、相棒が産み出すもの、それらで誰かを救うことができたなら、こんなに嬉しいことはない。


「あ。おまえ、その顔はまた儲けにもならないことを考えてる顔だな。でもな、このペースなら確実に飢え死にが待ってる。仕事をしよう、金になる仕事を」


そうだね、と笑って、少女とその相棒は街を抜ける。誰かが仕立て屋を求める限り、旅が終わることはない。

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旅する仕立て屋 『砂漠のベール』 紺野智夏 @con_772

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