透明女

木古おうみ

透明女

 さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。


 お代は見てのお帰りで結構。さぁ、入った、入った。今夜で最後の見世物だ、見逃したら来年まで見られない。


 空気女に、ワニ男、目玉は世にも哀れなヘビ娘だ。

 この娘、父親は強盗、母親はスリ、物盗り夫婦の盗品屋敷に生まれ、器量良しだが手がない足がない。

 財布も擦れない、犬からも逃げられないと、性悪夫婦に捨てられた薮の中、二丈もの大蛇に育てられ今日まで生き延びた、正真正銘のヘビ娘。


 親の因果が子に報い、世にも奇妙なこの姿、可哀想なはこの子で御座い……。



 何だ、お客かと思ったらガキじゃないか。金のない奴は帰った帰った。

 頑固なガキだな、動きゃしねえ。

 迷子か何かか。だったら、もっと優しい大人を探すんだな。興行師なんかに寄ってったら、手足をもがれて見世物にされるって、お袋に言われなかったか。


 何……迷子はお前じゃなく、妹か。さあな、ここにそんなガキは来てないぜ。いつどこでいなくなったって?

 去年? だったら、見つかりっこないだろう。一年もこんなとこいたらとっくに干からびちまう。

 あぁ、お前の妹が売り飛ばされて、ここで働いてるんじゃないかって? なるほどね。

 いや、そんな歳のガキはいない。


 いないが……よし、お前、ちょっとこっちに来てみな。俺が勝手に見せるだけだから金は取らない。ほら、この赤い幌の中だ。頭を打つなよ。

 怯えなくてもお前みたいなガキを連れ去りゃしない。

 こっちは今いる奴らで手一杯なんだ。


 さぁ、こっちだ。そっちの電球の方には行くなよ。向こうは舞台の袖につながってるんだ。

 ほら、騒がしいのが聞こえてくるだろう。今は人間花火を見せてるとこだろうな。


 こっちの裏手の檻のある方だ。

 ああ、触るなよ。蛇だ蜘蛛だ、商売道具がたくさん入ってる。みんな空気女が食って見せるんだ。

 そっちは生首少女が入る箱。衝立に景色が描いてあって、中に入ると首から下が何もないように見える。夢が壊れたか? まぁ、この奥にあるものは本物だからな。


 これは本当は上客にしか見せないんだ。

 ほら、この木の壁の方……来な、穴が空いてるだろ。

 覗いてみろ。何、想像してる。ガキのくせに。

 何が見えた?

 湿った畳とちゃぶ台に、花柄のカーテン、裸電球。

 ひとはいなかったな?

 じゃあ、その穴から手ぇ入れてみな。

 ……な? 触っただろう? 誰の手だった。お前の妹の手じゃなかったか?

 そうだろう。何度も帰り道ではぐれないよう繋いで歩いた妹の手だっただろ?


 いや、お前の妹はここにはいない。

 その証拠にちゃんと見せてやる。今衝立を退けるからな。

 アカネ、開けるぞ。

 ほら、見た通り誰もいないだろ。よく見て確かめてみな。あまり入るなよ。怒られるから。

 どうした、また触ったか? アカネ、からかうなよ。



 どういうことかって?

 これはな、うちで一番目玉の見世物、透明女だ。


 見えないが確かにそこにいる。触ることもできる。

 それだけじゃない。

 透明女の肌は、触った人間が一番会いたがってる奴の感触になる。

 お前はさっき妹だと思っただろ。そういうことだ。


 触る場所でお代も変わる。

 手は一番安い。その次は足。次は……ガキはまだ知らなくていいか。


 いくら払ってでも透明女に触れたがる客は多い。

 死んだ女房の乳に会いに来る男やもめもいれば、川で流れた息子の額に触れるため金を貯めてくる女もいる。

 どこのとは言わないが、俺たちが毎年興行をやりに行く土地の金持ちの爺さんは、兄貴の嫁になった女の肌に毎年会いに来る。その女が嫁いだのがもう五十年も前だと。



 何だ……おい、泣くなよ。本当に妹がいるんだと思ったって? 最初にいないって言っただろうが。

 あぁ、だから、ガキは嫌いなんだ。

 ……しょうがねえ、泣き止むまで、透明女の秘密を聞かせてやろうか。

 衝立は戻すぜ。

 あんまり聞かれると困るし、アカネは肺が弱いから、俺が近くで煙草を吸うと嫌がるんだ。



 アカネっていうのが、透明女の本当の名前だ。

 名字はどうだっていい。使わないからな。


 透明女は見世物小屋で生まれた、文字通り生まれついての興行師だった。

 見世物小屋の一座の夫婦のところに生まれて、舞台に上がる以外の人生はないも同然だった。

 でも、子どもの頃の透明女はまだ透明じゃなかった。

 誰から見ても賢そうな真ん丸の目をした、香具師やしにするのは惜しいくらいの利発な女の子の姿をしてたんだ。


 透明女には兄貴がいて、タンカ……って言ってもわからないか、呼び込みの口上だ、その兄貴にタンカを教わったが、肺が弱いせいか上手くはやれなかった。

 親父やお袋からは、声が小さくてどこにいるかわからんと言われて育ったが、邪険にされることはなかった。

 両親も兄貴もまだ透明じゃない透明女を可愛がってたもんだ。


 興行師なんてもんはろくでなしだ。

 自分の子は可愛いが、他のガキなんぞ商売道具でしかない。

 透明女の両親はまさにそういう奴らで、どっかのガキをかどわしたり、貧しい農民から二足三文で買い叩いて見世物になるよう育てた。

 女で器量が良けりゃ覗き窓で見せる春婦に育てるし、男でずる賢けりゃ詐欺師まがいの資金繰りも教えたが、顔も頭も駄目な奴は箱に押し込めて四角くなるように育てたり、足を括って猫の足みたいに短くしてみたり、そういうことを平気でしたのさ。


 商売道具のガキどもは、座長夫婦のガキふたりを恨んでた。一端の人間らしく扱われてたからな。

 兄貴の方は親譲りで血も涙もない根っからの香具師だったから気にも留めなかったが、透明女はそうじゃなかった。


 興行師に向いてもないくせに、見世物にもされず甘やかされてと、化け物みてえなガキに睨まれながら、透明女はいっそ消えたいと毎日嘆いて暮らした。

 両親も兄貴も言ったことといえば、弱気でどうする、ガキに睨まれたら殴りつけろ、と。まぁ、そんなもんだ。


 その頃からだ。アカネが透明になり出したのは。

 指先からどんどん透けていって、医者に見せても何もわからなかった。

 半年も経たないうちに身体全体がガラスみたいに透明になり出したんだ。

 昼間はカツラにコートにサングラスにマスクをつけて、家に帰って脱ぐと服が宙に浮いてるように見える。


 両親も兄貴も途方に暮れたが、透明女はかえって気が軽くなったようだった。

 見えなくならないよう、兄貴が白粉を叩いていたとき、透明女は「自分がいよいよ誰にも見えなくなったら、見世物に出してくれ」と言った。

 兄貴は「見えないんじゃ見世物にもならない」とあしらったが、透明女が安物のカツラを揺らして首を振った。

「私は今まで一度もひとの期待に応えられなかったから、その分、透明人間になったら、そのひとが望むものになってあげるの。姿が見えない分、想像しやすいでしょう」、とさ。

 白粉にパキッとヒビが入って、透明女が笑ったのがわかった。



 そうして、アカネは透明女になった。

 それでまぁ、いろいろあって、俺がいるここの見世物小屋まで辿り着いたってわけさ。


 透明女が元いた見世物小屋の両親と兄貴はどうなったって?

 ……親父の方はもう死んだ。お袋の方は身体を悪くして、昔金を工面してやったとかで義理がある同業者が面倒見てる。

 兄貴は、そうだな、たまに来る。客としてな。

 だが、何度透明女に触っても、誰だとも思わないそうだ。

 こんなことになっちまった妹にもう一度触れたいと思ってるはずなのに、何回試しても宙を描いてるような、他人の肩にぶつかったような、そんな感覚なんだと。


 たぶん親譲りの血も涙もない、根っからの興行師だから、本当は妹のことなんて何とも思っちゃいないんだ。だから、触れない。

 ……透明女の兄貴がそう言ってたのかって? あぁ、そうだな。そう言ってたのを聞いた。そういうことにしておこう。


 お前はちゃんと妹の手だと思ったんだろう?

 じゃあ、大丈夫だ。俺とは違う……透明女の兄貴ともな。

 そういうまともな奴のとこには、いいことのひとつやふたつがあるもんだ。



 あぁ、そろそろ時間だ。客を入れ替えなきゃいけない。

 ここにお前の妹はいないってわかったろ。さっさと帰んな。

 そのうちふらっと戻ってくるさ。巡り合わせというか、因果ってやつだな。

 来た道通りに帰ればいい。檻んところを曲がって、赤い幌を潜って、頭を打つなよ。



 ……さぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。


 お代は見てのお帰りで結構。今夜で最後の見世物だ、見逃したら来年まで見られない。


 親の因果が子に報い、可哀想なはこの子で御座い……。

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