オンナノコになりたい

多賀 夢(元・みきてぃ)

オンナノコになりたい

『無理だわ、もうあなたには何を言っても無駄』

 突然来たメッセージに、私は訳も分からずうろたえた。

「なんでですか? お姉さま、私の何が駄目だったんですか!」

 私がお姉さまと呼ぶSNS上の友人は、間髪入れずこう返事をよこした。

『ぶっちゃけ全部』

 全部。それはものすごいショックだった。だってお姉さまが言うとおりにお化粧したし、服だってお姉さまの言うとおりにチョイスした。お姉さまのファッションセンスは本当に素敵で、私のやぼったかったOLルックは一転ゆるふわお嬢様系に変化した。私はとても舞い上がった。

 だけどすべてお姉さまに任せてしまっていた。そうか、お姉さまには負担だったのか。

「確かに私甘えてました、でもお姉さまの言う事、ちゃんと聞きますから!」

 少しの沈黙のあと、向こうからまたメッセージが来た。

『それじゃあダメなのよ。あんたが望んでるのは、違う事だから』

「違うってなんですか?」

『あなたの本当の望みは、オンナノコになることじゃないのよ。それに気づかない限り、私はあなたを助けられない。――じゃ、さよなら』


 会話は一方的に切られた。私は慌てて返事を書いたけど、もうアカウントはブロックされていた。私は一晩中泣いた。もう泣いて泣いて泣き飽きて、顔を洗おうと洗面所に向かった。

 その鏡に映っていたのは、しもぶくれの顔をした不気味な男。ネットで手に入れた女性ホルモンを使っても、うっすらと消えない髭面のまぎれもないブ男。

「キモチ悪い、見たくもない」

 うがい用のコップに水を入れ、思いっきり鏡にぶっかける。

 そう、私は性同一性障害。間違って男に生まれた、オンナノコ。



「高梨さん、顔色悪いけど大丈夫ですか?」

 同僚に聞かれて、私は無理せず正直に答えた。

「ちょっと、大丈夫じゃないかも」

 私は、仕事の接待でスナックに来ていた。カウンターとテーブル席が二つしかない、狭い店。ママの化粧は流行を無視して濃い。

 主賓である某社の部長とうちの部長は、仲良くカラオケで盛り上がっている。その曲のチョイスも古いわダサいわで、正直幻滅だ。


 そもそもスナックなんて、オンナノコが来ていいお店じゃないわ。オンナノコが行くべきは、最先端のレストランやオシャレなバーよ。素敵な男性にエスコートしてもらって、お洒落な会話を楽しむの。もしくは女友達かしら。みんなでスイーツをキャーキャー言いながら食べるのよ。むさい男の出る幕はないわ、ホント帰りたいマジ帰りたい。

 その時、店の入り口の鐘がカランと鳴った。

「あらミクちゃん、いらっしゃい」

 振り返った私は、目が点になった。

 ショートパンツにロングソックスとスニーカーを合わせ、上は刺繍の入ったジャンパーとシンプルなTシャツを着ている。さらりと掻き揚げた長い髪は絹のようで、化粧っけはないがもちもちすべすべの肌と切れ長の目が印象的。

 オンナノコの中のオンナノコ、美少女。

 彼女はするっとカウンターに座ると、けだるそうに頬杖をついた。

「ママ、私のボトルお願い」

「はいはい」

 どんっと置かれたのはバーボン。それを、勝手に取ったグラスに注いでストレートであおる。

「……あんた、病気になるわよ?」

 ママが言うのも聞かず、もう一杯注いでいる。私も慌てて彼女を止めた。

「オンナノコが、そんな事しちゃだめだよ」

「あぁ?」

 もう出来上がっているのか、美少女はこちらを睨んだ。

「じゃあ、オトコノコやおっさんなら許されんのか」

「まあ、そりゃ、少しはね。お仕事もしなきゃだし」

 そうよ、男は大変なの。だから私はオンナノコになりたいの。

「はっ!おめでてぇ」

 美少女は、美少女らしからぬ悪態をついた。

「確かに妊娠中や出産直後の女性であれば、アルコールは胎児や乳児に悪影響を与える事が知られている。だがしかし、私は現在妊娠もしてなきゃ出産もしていない」

 とうとうと述べつつ、美少女は私の方に顔を近づけてきた。

「それに、お仕事が大変なのは女である私も同じだ。女は仕事が大変でも、耐えてしのべってか。お前は世の女を敵に回す気か」

「いやでも、ね? ほら、オンナノコは結婚すれば、旦那様が――」

 だん、と大きな音を立て、美少女はグラスをカウンターに叩きつけた。

「残念ながら、この私が旦那様だ馬鹿野郎!」

「は?」

 ここでパンパンと、ママの手拍子が聞こえた。

「どーやら質の悪い酔っ払いが2匹いるようね~」

 え、私もカウントされてる?

「ヨーコチャン、この二人に、外の空気を吸わせてあげてちょうだーい」

「はーい。ママの命令は絶対ヨー」

 私と美少女は互いに身一つで、お店から外に追い出された。



「わりい、またやっちまったわ」

 呆然としたまま5分後に、美少女は申し訳なさそうに頭を下げてきた。

「いや私、おお俺が何か言っちゃったみたいだし」

「ん、あんたオカマ?」

「……」

 私は観念した。あれだけはっきりと『私』って言っちゃったら、もう誤魔化せない。

「そうです……私、心は女です……」

「ふうん。なんかそんな気がした」

 美少女はさらっと言って、目の前の自販機にコインを入れた。

「イメージで買ったけど、飲む」

 ――ロイヤルミルクティ。確かに好きです。

「いただきます」

「おう」

 美少女の方はコーラを飲んでいる。

「それ、美容に悪いわよ?」

「美容で飯は食えねえよ」

「だって、私よりかわいいのに。モテるでしょ?」

 この子なら、きっとモテて男におごられまくりだわ。うらやましい。

「お前、さっきから何言ってんの」

「え?」

「顔がいいからって、モテるわけないだろ」

「いやいやいやモテるでしょ、私よりは!」

 彼女は、残っていたコーラを一気に飲み干した。

「私の周りは男だらけだけど、そんな目で見られたこともないし見られたくもねえよ」

「ええ? 男だらけなの!?」

「そりゃな、庭師だから」

 私の目が点になった。そして、彼女のいでたちを上から下まで眺めて首を振った。

「えええええ!? いやいやいやないないない」

「なんならうち来るか。そこに見えてる看板が、うちだけど」

 株式会社○○園、というのが確かに見える。軽トラや木の苗もちらほらある。

「言っとくけど、そこの社長が私だから。だから旦那様ってのは私。まったく、どこの世の中に社長を口説くバカがいるんだよ」

 私は口をパクパクさせた。私の人生に、お姉さま以上の強烈美女が降臨した。



 美少女さんことミクさんは、実にさっぱりとした人だった。

「ふうん。そのお姉さま、なかなか鋭いところを突いてくるねえ」

 私は男性陣がいないことをいいことに、お姉さまに拒否された時の話をした。

「私はね、お姉さまが言う通りになんでもやったわ。美容法とか、作法とか、お洒落して外に出るのだって挑戦したの」

「すっげぇじゃん」

「でも、本当に突然『もう無理』って言ってきたの。私が実家から帰った後くらいだったかしら」

「うんうん」

「実家ではね、私の事って認められていないの。女装もそうだけど、仕事も、見た目も、顔も、全部みっともない、恥ずかしいって。実家に帰ると表に出るなとまで言われるわ」

「……」

「今回はね、特にひどく怒られたの。お見合いさせるから、服も全部始末しろって。それから痩せろ、顔を直せ、ほかにもいろいろ」

「ひでぇ……」

「だから泣く泣く、服を捨てたのよ。親に言われたらどうしようもないし」

「……ん?」

「そんなときに、お姉さまは去っていったの。きっと私に飽きたのね……」

「いやー、ちょいまち」

 ミクちゃんは、額に手をやって何やら考え始めた。

「服は、さおりが捨てたの?」

「そうよ」

 さおりは、私がオンナノコになった時の名前だ。

「なんで捨てたの」

「いやだって親が」

「隠したんじゃだめだったの?」

 私はちょっと詰まったが、力なく首を振って見せた。

「駄目よ、男にとって、親は絶対でしょう」

「何言ってんだあんたは」

 すぱっと言い切られて、私はびくっと震えた。

「お姉さまが呆れた意味が分かったよ。あんたは女になりたいんじゃない。親に甘えたいんだ」

「違うわよ、誰があんな親!」

「反抗してるってうちは、そうなんだよ。認めとけ」

 私は唇をかみしめた。会ってすぐの小娘に、いったい何が分かるというの。

「さらに言うと、人にちやほやされて楽したい。オンナノコって理由をつけて」

「オンナノコってそうじゃない!」

「そんなオンナノコ、実際にいたら嫌われるわ」

「嫌われるの??」

 私は混乱してしまった。

 オンナノコって、ちやほやされるものじゃないの?

 素敵な男の人が、何でも望みを叶えてくれるんじゃないの?

 倒れたら、すぐに駆け寄って抱きしめてもらえるんじゃないの?

「いつの時代の漫画を読んだのかしらないけど、今は男女平等だよ。だから女の私が庭師の跡取りになったわけだし」

「でも、あなただってかわいい恰好してるし!」

「モテのためにってか? あほか、自分のために決まってんだろ。私を表現するためにオシャレしてんだよ、モテのためにやったところで板につくかよ」

 晴天の霹靂であった。私は、私が女であることを示すのももちろんだが、多分にモテを意識していた。愛されて、守られて、素敵な奥さんになることを夢見ていた。

 しかしミクちゃんは、その夢すら鼻で笑った。

「この終わらない不況の日本で、『奥さん』なんて仕事は成り立たねえよ。さおりは箱入りだな、何も知らねえのかよ」

「……」

 ぐうの音も出ない。だって本当に何も知らなかったから。

「それに思うんだけどさ」

「何」

「おいキレんなよ……人として、そんな受け身でいいわけ?」

「どういう事」

「言われたことだけやって、意味あるのかよ。言われた言葉は大事だけどさ、もっと前向きに攻めていくってことはしないわけ?」

 私は口ごもった。自販機の前で体育座りをして、許されないと分かりつつ呟く。

「できないよ。マイノリティーだもん」

「だーかーら、そこじゃねえよ」

「でも」

「仕事でもなんでも、前向きに楽しんで生きてるわけ?さおりって」

「そんなことできないよっ」

 マイノリティーの背負う闇は深い。生まれて育つまでに傷を背負い、ノーマルとは比べ物にならないほどのトラウマを抱えている。

「そこが、お姉さまのキレたところじゃねえの?」

 私の隣に座っていたミクちゃんは、すっと立ち上がってお尻をはたいた。

「私だって、庭師の世界じゃマイノリティーだよ。葛藤だってあったよ。だけど乗り越えちゃったら、それまで苦しかったことが楽にできちまうんだよ」

 私は内心まだまだ抵抗していた。それは仕事のマイノリティーだ、人生のマイノリティーとは――

「ま、自分はあなたより辛いって、思うかも知んないけどさ」

 心を読まれてどきっとする。

「誰かと不幸を比べることをやめるだけで、人って幸せになれるもんだぜ」

 ミクちゃんは、ほらほらと私を立たせた。そして、店の方に戻っていく。


 乗り越えられる、のかな。

 そしたら楽に、なれるのかな。


 私はミクちゃんの背中を追いながら、そのことばかりを考えていた。

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オンナノコになりたい 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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