ジュディ・ガーランド

つちやすばる

ジュディ・ガーランド




 傘のわすれた金曜日の夜、しかたがないので会社のロビーでしばらく雨宿りすることにした。いつもふしぎと人もなくガラス張りの外を通り過ぎる人影もないところで、硬いソファに腰をおちつけた瞬間、まったく身動きがとれなくなってしまった。

 その日から春の夜だった。日はとっくに落ちていたが、薄曇りだった昼間と、薄青い現在とでは、とくに時間の運行は感じられなかった。それはべつに今日だけじゃない、とひとりこころのなかで言葉を発音してみた。毎日毎日、日付のデジタル数字が動いて、月が動いて、四季が一応はおきまりの習慣を行ったところで、時間が前へと進んでいる感覚などなかった。


 いつからだろうか。自分の身の上に降りかかることは全部、遠い世界の出来事だと考えるようになった。自分自身も巻き込まれ、たえず四苦八苦することになろうとも、そのことで自分のこころが揺らめいたりすることはなかった。べつに、感情をコントロールする術を身に着けたとかではない。あるいは常に考え続ける状況に身を置くことで、社会性よりも一段上の身の振舞い方を得たとか、そんな雑誌の記事のうえに踊る言葉では、説明のつかない気持ちだ。おまけに世間に充満している不安とは無縁の生活なのだ。


 あるとき、集中がまったく途切れないので、その日の夜のうちずっと起きて、カーテンの外の様子や天井の光に目をやりながら、朝を待っていたとき、自分には肩を叩いてくれるひとも、ものごともないから、積極的に生きようとすら思わないのだ、とふいに言葉が降りてきた。何か自分には大事なものがあっただろうか。どうしても忘れたくなくて、捨てたくないものがあっただろうか。何か思いつくかもしれないと頭をうごかしてみたが、そもそもがむかしのことが切り絵のように止まっていて動かなかった。


 そうだ、自分はそんなものなくても生きていける人間なのだ、とガラスの向こうの無機質な桜の木をみて思った。淡い藻のように枝についた葉が目に入った。ほんとうに春が来たのに、ちっともこころが踊らないのは、自分がいま生きていないからだと思った。幼いころに思った通りだ。心を殺して生きて、それがそのうちに普通になるんだ。だから自分はこんなにもいま、落ち着いて動かないのだ。

 しとしとと雨が長く続くように思われたが、ゆっくりと雲が切り替わると、ふっと雨が止んで、いままで聞こえなかった音がもどってきた。あんなにその場から離れがたかったのに、いまでは退席を迫られているかのように、もうさっさと帰ろう、という気分になっていた。


 外を出ると、暖かい空気が混じりあっているような天気だった。コートのジッパーを胸の上まで下すと、汗が引いていく感覚がした。

 人通りもまばらな道を抜けて、表通りへつながる道を、通り過ぎるひとの輪郭を感じながら歩いた。だれもが夢うつつで、ゆっくりと惜しむように通りすぎていくようだった。ふっと視線がさだまらずに迷ったとき、かちんと誰かがかけたみたいに、頭のなかで音楽がなった。聞き間違えのないほど正確な録音のように、何度も初めの節が繰り替えされた。しばらく経ってから、昔、母からプレゼントされたオルゴールの曲だとわかった。『オズの魔法使い』の、少女と子犬をモチーフにした陶製のオルゴールで、曲はもちろん「虹の彼方に」だった。テレビでその映画をみたとき、とてもこわかったのを覚えている。家も飛ばされ、よくわからないところにたどり着いて、だれも当てになんかできないのだ。最後、ようやく家に帰れても、なんだかわけのわからない大きな不安が残った。でも、あのなんともいえない始めかたをする歌は大好きだった。大人の女性が歌っているのだと思った。やさしく誰かの耳元に歌いかける歌い方だった。あるときラジオから突然流れて、この曲知ってる、と思ったことがあった。でも、昔聞いた甘い音楽ではなく、少女の上手な歌い方で、明るく晴れやかな歌だった。そのときにタイトルも知ったのだ。ほんとうに小さいころ自分が見た映画なのだろうかと、ふしぎに思った。


 交差点のところまで歩いてゆくと、ふと足がすごく疲れていることに気が付いた。それから通り過ぎてゆくひとの愚痴っぽい声と顔が目に入った。なんだか違う世界にたどり着いたようだった。前からやって来る女性の、すでにあきらめたような目つき、中年なのか青年なのかわからない男性の、体から発する焦燥感、若さしか取り柄のない、たくさんいるうちのひとりの学生たちの怒り。どうしていままでなかったことに出来たのか。通りを満たしている人の挙動が、不思議なくらい見過ごせなかった。なんてうるさいんだろう、と静かに思った。目にしているものすべてが大きな音を立てていた。


 押し流されるように駅のホームの先のさきのほうまで歩いて、冷たい水色のベンチに腰を下ろした。とてもじゃないけど家に帰れる気がしなかった。ちょうどやって来た電車にすら乗りたくなかった。どこにも行きたくなかった。だれかが運んでくれるのでない限り、どこにも行けそうになかった。いままでひょいひょいと電車に乗ってきたじゃないか、と自分に言った。最初に路線を調べて、すぐに勘で覚えて、勘で乗り換えて、水の流れに従うように道を歩く。簡単な準備運動みたいに。むしろそのときだけ、人生から何かを得ているような気がしていた。現実には、ただ準備して準備して、何かを得たかっていえば時間と引き換えの、通帳に並んだ文字と取れそうもない疲れだけ。そう思ったら、ぱちんと泡がはじけるみたいに自分の言葉がとまらなくなった。


 夜中に仕事終わりに走っている人を見かけるたび馬鹿にしていた。ゆるやかな自殺行為だって。仕事がえりに買うものを電話で聞いている人を見て、飼われてるのが好きなんだと思った。仕事の不満を口にする人がいて、不満そうにするのが好きなんでしょと思った。いつまでに結婚したいかと話題になったとき、その場にいる全員、結局相手を使うつもりで吐き気がした。日常のふとした気づきを情感たっぷりに語る人に、そんなこともわからなかったんだねと思った。誰かにやさしくされたいだけの恋人に、自分のことを語らないで済んでほっとした。愛のある家庭で育ったひとの、誰も受け止めきれないような甘えに気持ちが燻られた。


 ずっと愛されたかった自分の、頼りなさにすがりついて、誰にも知られないように泣いた。もう一回だけでいいから、あの甘い音楽がほしかった。













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