無頼漢の定義

多賀 夢(元・みきてぃ)

無頼漢の定義

 珍しく、病室の彼に同行しないで廊下の椅子に座っている。

 腕を組んで、足も高く組んで、ぼーっと天井を見上げた。病院の天井って、今も昔も虫食いみたいな穴が空いていやがる。集合体恐怖がある私には、気持ち悪い以外の何物でもない。


 近づいてきた医者が、飄々とした調子でこう言った。

「彼ね。結局2か所とも、3針ずつ縫ったから」

「わかりました」

 淡々と頭を下げた私を、医者はいかにも物分かり良さげな笑顔で見下ろした。

「ねえ、なんであんな事したの」

 私は無表情で口を開いた。

「『お前の目の前で死んでやる』って言うもんだから、奴がカッター探しに行っている間に逃げようとして。そしたら追っかけてきて回り込んで、玄関の鍵締めやがったから本気で潰そうと」

 そこまでよどみなく言うと、慌てて医者が私の言葉を制した。

「それでハイヒールの踵で頭を叩いた、と」

「ハイヒールってほどじゃないけど、そんな感じです」

 医者は苦笑を通り越し、破顔して笑った。

「まぁまぁ、手加減してやんなさいよ」

「はい」

 医者が離れて行ってから、私はまた虫食いの天井を見上げた。

 ――しまったな。警察呼んで私を逮捕してくれって、頼むの忘れた。やっと一人になれるチャンスだったのに。



 付き合いだしたころから、彼は事あるごとにこう自慢した。

「俺、高校時代そこそこ悪い事してたから。そーゆー組織に出入りしてたしぃ、薬してたしぃ、女もヤリまくってたしぃ」

 私はそれを、カッコいいとも怖いとも思わなかった。男子って似たような修羅場くぐってんだなぁと思っただけだ。前に付き合った男性も、その前の男性も、やっぱり同じような自慢をしていたからだ。

 カッコいいとは思わなかったが、親近感は持っていた。私は両親にも、教師にも、近所の女の子にも殴られていた。男の子は男の子同士でいつも喧嘩していたから、女の子はその他と殴りあうんだろうと納得していた。女の子はむしろ暴力とは無縁であり、大切にされるものだと知ったのはたいぶ大きくなってからだ。それでも、不細工な私には無縁な話だと思っていた。


 彼はそれを、好感と受け取ったようだ。付き合いが深くなるほど俺様風を吹かせ、私に色々と命令した。仕事を休んで役所に付き合えだの、友達と遊びに行くなら俺と遊べだの、一人で出かけるなんて付き合う以上は許さんだの。

 理路整然と拒否したら、彼は躍起になって命令を重ねた。とにかくウザかったので、別れてとお願いした。そうしたら態度を一転し、土下座してゴメンナサイを繰り返した。

 土下座に意味はないと、しつこく説教した。

 軽々しく「ゴメンナサイ」は使うなとも教えた。

「もうしません」は「後でします」と同義だっていう事も諭した。

 それでも彼は、話を聞かずにやり続けて、私の頑固さにキレた。


「目の前で死んでやる」と言われたときは、逃げるチャンスだとしか思わなかった。

 だけど追いかけてきて、退路をふさがれた。そういう場合は、本気で相手を倒さないと逃げられないのが護身術の常識だ。だから常識通りに、私は全力でパンプスのヒールを振り下ろした。喧嘩慣れしている相手には、殺すほどの覚悟が必要だというのも知っていたのだ。


 が。彼の頭から血が垂れた途端。

「うわああああああああああ!ああ、ああ、ああああああ!!」

 彼は完全に錯乱状態になった。私はこの瞬間、彼が『素人』なのだと悟った。頭のケガは、小さくてもやたら出血するものだ。しかも喧嘩の場合、相手は大概頭を狙う。こんな場面は慣れているはずなのだ、私のように。

 なのにこの慌てよう。私は一気に脱力した。

「んだよ。話盛るなよボケが」

 私はさっさとタオルを用意し、それでケガの辺りを強く圧迫するように指示した。救急車を呼ぼうとしたら彼が取り乱したため、今日の夜間担当の病院をスマホで調べ、電話で応対可能か確認し、車で彼を連れてきたのである。

 申し訳なさなど皆無だった。腹の中は、彼の語ったハリボテな武勇伝への怒りでいっぱいであった。


 第三者からの攻撃なので保険がきかず、全額負担させられた事に反省していると、彼が私の後ろで小さくなっていた。

 私は形ばかりの「ごめん」を言った後、彼に尋ねた。

「お前、ガチの喧嘩したことあんの?」

 思いっきり首を横に振っている。やっぱり話を盛っていたのだ。

「嘘ついてどーすんだよ。お前、それで女にモテると思ったわけ?」

「今は、ない」

「昔はあったんかい」

 本当にバカだな男子って!

「だからこんな目にあったの、分かっとらんのか?」

 きょとんとする彼の胸倉を、私はぐいっと引っ張った。彼は身長が178㎝、私は160㎝。つくづく思う、なぜこの体格差で私に負ける。

「お前が喧嘩に弱いって知ってたら、ヒールなんて持ち出さなかったって話だよ。死線潜り抜けてんのは女も一緒なんだ、だけど女はそれを口にしねえんだよ。賢いやり方じゃないって知ってるからな」


 私が虐待を受けていたのは、彼には話してある。

 だけど私が殴られたら言葉で反撃し、場合によっては殴り返し、徹底的に応戦していた事は話していない。何故なら、それは反抗期故の恥だから。非暴力で何とかするのが、一番賢い人間だから。


「別れるのは決定事項だが、てめえの宿が決まるまでは置いてやるよ。おら帰るぞ」

 彼は最初泣きそうになったが、後半で変な顔になった。

「どうして、そっちが出ていかないの?」

「あの部屋の賃貸名義は私だろうが!居候はてめえなんだよ!」

 ほんっと男って、どうして女が去ると決めつけているんだろう。てぇか私が普通じゃねえって気づいてくれよ。女らしさ皆無なうえに、求めてもなかろうが。

「なんか。そっちが強すぎて、僕の方が女みたいで、傷つく」

 私はカチンときて、車に向かいかけた状態で振り向いた。

「男とか女とかうだうだ言ってっから、別れてくれって言われてんだよこの精神5歳児が!」

 私は運転席に乗り込んで、派手にドアを閉めてハンドルにすがりついた。

 ――こっちだってな、好きでこんなに強くなったんじゃねえよ。誰か頼らせてくれよ、もう王子様じゃなくてお姫様でもいいからさ。


 女性にも頼れるお姉さまと呼ばれる私、現在頼らせてくれる存在募集中。

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無頼漢の定義 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki

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