ラスボス系悪役令嬢

メガ盛り

アーデルハイトという少女

 アーデルハイトという名を聞けば、皆困った様に笑った。



 「やればできる子なんだろうけどねぇ……」



 「口を開かず、大人しく座っていれば、間違いなく婦女子の鑑だろうね。つまり、"そうはなり得ない"ってことだ。あの子が3秒以上口を閉ざしていたことなんてないんだぞ」



 というように、10人に聞けば8人は人格的評価に乏しい論評を下す。残りの2人は所謂"変わり者"に違いなかった。



 世界に冠たるアスピダ王国。その中でも近年力を増すシュルツ侯爵家にアーデルハイトは生を受けた。

 6人目の子供にして、初めて女子が生まれた。

 それだけに、その"可愛がり"は想像を絶した。貴族家として必要な教育は与えたが、それ以外にはアーデルハイトの望むようにさせ、全てを与えた。

 蝶よ花よと育てられたアーデルハイトは当然の如く、傲慢さが服を着て歩いているような人物となっていた。

 我を抑えることはできない。他者を思いやる心は持たず、異常に膨れ上がった自尊心はまるで、癇癪玉を詰め込んだ麻袋のように、一度火が付けば手のつけられないものだった。


 周囲もそんな小さな独裁者に手を焼き、何度か人格を矯正するべく試みがあったのだが、それが本格的に行われることはついぞ無かった。

 というのも、アーデルハイトはどれだけ我儘で傲慢であっても、愚かではなかった。一度教われば大抵のことはできるし、周囲の空気を察知し、自身の形勢が不利とわかれば、一時撤退する理性的な面も持ち合わせていた。

 

 アーデルハイトが15才になる頃、その美貌は王城に轟くほどであったのに対し、その人格評価は変わることなく地を這っていた。


 そして、その時は突然やってきた。


 アーデルハイトは、今まさに眠りにつこうとしていた。

 心地良い微睡みが彼女の意識を溶かそうとしていたその時、彼女の脳内に稲妻が去来した。

 頭が痛いという表現では生易しい。頭の芯から溶かされるような熱感と内側からナイフで突かれているかのような激烈な痛み。それと同時に流れ込む膨大な情報。

 悲鳴を挙げることすらできなかった。歯を食いしばり、ベッドの上をのたうち回りながら、この地獄のような苦痛が過ぎ去るのを待つ。


 どれぐらいの時が経っただろうか。痛みが引き、頭が脈打つような不快な余韻を感じながら、アーデルハイトは少しずつ思考を開始する。



 端的に言えば、彼女は前世の記憶に目覚めた。

 現代日本で平凡な人生を歩んだ女性の記憶。特筆すべき才もなく、その人生で成し遂げた偉業は何もない。無味乾燥。何一つ意味を残さず死んでいった有象無象の記憶。


ーー全く以て度し難い。


 前世の記憶を授かったアーデルハイトの胸中を支配したのは怒りだった。

 神に愛された美しい容貌を持ち、そこら辺の凡愚では及びつかないような英知に富んだ頭脳。彼女が歩むのは輝いた栄光の道であるのは疑いようもないし、そうあるべきなのだ。神の寵愛を一身に受け、もはや神聖性すら帯びると自認している彼女に入り込んだ異物という他ない"それ"は純白のシルクに垂らされた一滴の墨汁と同じように、完全無欠なるアーデルハイトにできた唯一の汚点だった。

 私が私であるからには、王侯貴族であろうと等しく平伏するべき。そう考えて止まないアーデルハイトにとっては、一般的な家庭に生まれ、そこそこの大学を出、それなりの企業に就職し、やがて結婚し、子供に恵まれ、多くの親類に見届けられながら生を終えたこの女性の記憶は唾棄すべきものであるし、それを己の記憶のように追体験させられたことで彼女のプライドをひどく傷付けた。


 しかし、一見無価値に思える記憶の中にひとつだけ、彼女の興味を惹くものがあった。前世の彼女が学生の頃、趣味の一環として嗜んだコンピューターゲーム。"虹色の王子様"。恋愛ADVというカテゴリーの中でも量産型というべきありふれた内容のゲームだった。

 主人公は平民という生まれでありながら希少な魔力保持者であり、その特異な出自ゆえに、本来であれば一定の家格と財力が必要とされる学術院への入学を許される。


 典型的な"イモ臭い女"の妄想の詰め合わせだ。

 ここまでは持たざる者たちの哀れな妄想とアーデルハイトが嘲笑した内容であったが、ここからが問題であった。

 主人公は学術院での小さな貴族社会に冷たく遇される事になる。だが、持ち前の明るさと誰よりも努力家であった主人公は実力を以って偏見を打ち破り、次第に学術院内での立場を確立していく。

 その際に6人の男のいずれかと恋仲になることができる。王太子、商人、大貴族の嫡男と様々なルートがあるのだが、いずれのルートにも共通したヒールというべき存在がいる。

 それこそがアーデルハイトであった。王国内でも大きな力を持つシュルツ侯爵家の令嬢であり、王太子の婚約者。未来の妃として、学校内でも比類なき権力を持った典型的な悪役令嬢である。

 主人公を努力の人。光の存在だとするならば、アーデルハイトはそれに対比した闇の存在だった。努力などしたこともなく、生まれ持った権力を使い、周囲の人間を思うままに操る小さな怪物として描かれている。

 結末はどれもアーデルハイトの破滅であった。王太子ルートでは婚約関係を解消された上に国外追放、ルートよっては惨めに断頭台に送られることもあったし、下賤の者たちの慰み者にまで身を落とすこともある。


 このゲームの開発者とその一族は市中引き回しの上、死を以てしても償い切れない大罪を犯しているわけだが、まあいいだろう。


 このゲームの世界観はアーデルハイトの生きる世界と完全に合致する。そして業腹だが、ただの平民に私は敗北し、惨めにも男に捨てられる恥辱の未来を示唆している。

 万が一にもありえない。あって良い筈がない。


――もっと強く、賢く、美しくあらねばならない。

 

 


 私が私として生まれてきた故に。

 これは天啓なのだ。

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