第11話:しがらみ
気づいた時には、目の前の風景は先程とは様変わりしていた。
辺りを見回してみると、よく手入れされた森だということが分かる。
ここはどこだったか。
暫く記憶を掘り返しながら考えていると、うっすらと今の景色と重なる風景が浮かんできた。五年ほど前に一度だけ訪れた、フェチェの森だったか。
差し込んだ陽光に照らされた切り株にどさりと腰を下ろし、メリオールは頬杖をついた。
どうして自分はあんな面倒ごとを引き受けてしまったのか。
今になって考えてみると、あまりの浅はかさに頭痛がしてくる。人嫌いな自分が他人の、しかもガキの世話なんてできるはずもない。何気ない一言にだって我慢できずに爆発する。
現に、会って数分もしないうちにカチンときてこのざまだ。
いくら金に困っているからといって受けていい仕事ではなかった。
ましてや、交渉相手はあの古狸。
経験上、自分が不利益になることくらい考えればわかったはずなのに、俺は____。
「あーーー、イライラする」
かといって、八つ当たりする気にもならなかった。
直せないからじゃない。直すのなんて手を一振りさえすればあっという間だ。しかし、こんな綺麗な場所を一度でもぐちゃぐちゃに壊してしまったら、次から深く考えずにやりかねないし、歯止めがかからなくなった時、何に手をかけるか自分でも判らない。
元から鳥の巣のように乱れた頭髪を掻き乱し、メリオールは深呼吸をして目を覆った。
「あーあー、やっちゃったね」
胸元で何かが蠢いて、服の中に潜り込んでいた奴はぷはっと息継ぎをする。
顔に当てていた手をずらして視線を向けると、黒くて細長い鼻をひくひくと動かしているそれはにやりと笑いかけてきた。
「メリィのたんき」
「うるさい」
「お前のたんきについてこれるのはこのブレイクさまだけだろうね!今回だって、こうやってすばやく!ふくにすべりこんで!……ああーッ!?」
けむくじゃらのそれを引っ掴み、高く掲げて放り投げようとすると「な、何するき!?うわうわうわ、やめて〜っ!!!」と身を捻って抵抗するが、問答無用で振りかぶる。
「ウワァ〜ッ!!!!!」
ひらひらと宙を舞った茶色い塊は、鞠のように何度も跳ね返りながら、悲鳴を残してどこかへ消えていった。
間抜けな様子にメリオールはさも面白そうにくつくつと笑い声を漏らす。そのまま、木々が開けて日が照らし出す地面に寝転がった。埃臭い匂いを吸い込みながら茂る葉が揺れる様を眺める。
風が森の全てを撫でて通り過ぎていった。
フェチェの森は番人が整えているからさほど強い魔獣もいないと聞いたことがあったような。そのせいか、今まで訪れたどんな森よりも穏やかな時間が流れていた。
次の実験はどうしようかと考えているうちに、自分の思考が途切れ途切れなことに気がつく。
そういえば最近はまともに寝る時間を取っていなかった。家には帰れず暇なのだし、目一杯休んでいこう。
うっすらとそんなことを思いながら、意識を手放した。
◇
すっかり長居してしまった。
一眠りしたあと暇つぶしも兼ねて散策をしてみたら、そうそう手に入らないものがゴロゴロ転がっていた。実験に使えそうな鉱石、隠蓑にしている薬屋で売るための薬草を思う存分採取して、ポケットはパンパンに膨れ上がっている。
ちなみに、弾みに弾んで遠くまでいっていたブレイクは枝に引っかかって降りれなくなっていた。「このおれを投げるなんて……!!!」とひどく憤慨していたが、ちゃんと回収してやっただけ感謝して欲しい。
「セアット・オーデ」
浮遊魔法を唱えると、足が地面から離れていく。
またイライラしたらここにくればいい。なんだか秘密の居場所を見つけたようで、柄にもなく気分がよかった。
それなのに。
ロレンシアに近づくにつれて、何か事件が起きたことがわかった。
並んでいた民家の南半分は判別が難しいほどに焼け崩れ、丘を越えた先に広がる林は今も茫々と燃え盛っている。目も当てられぬひどい有様。焦げた臭いは遥か上空を浮遊しているメリオールの元まで届くほどに強い。
「ありゃりゃ、これはひどいねえ」
服の合わせ目からひょっこり顔を覗かせたブレイクが呟いた。ひくひくと小さな鼻を動かし、きゅっと顔を顰める。
素早く視線を走らせると、焼け出された人々が村の中心である広場に集まっているのを見つけた。
これだけ離れていれば個体の判別は難しいだろうが、人と鳥の区別くらいはつく。おまけにこの村には魔法師は自分一人。無論、空を飛べる人間も決まっている。
帰ってきたことを知られたら、面倒ごとが押し寄せるだろう。やれ家を建て直すのを手伝えやら、怪我の具合を見ろやら、商売はおろか研究の“ け ”の字もない日々が待ち受けているのは容易に想像できた。
即座に魔法をかけ、姿が見えないようにする。ついでに音消しの呪文も唱えた。これなら気配で感知してくる相手以外には見つからないだろう。
体の向きを変え、今来た方向へ戻ろうとするとブレイクが鋭い静止の声をかけた。
「だめだよ、メリィ。にげる気?」
「うるさいな、面倒なんだ」
「めんどうなのはわかるけど、もうすぐおはなしあいあるんでしょ?ずいぶん前にきげんわるくかえってきたことあったじゃない」
「聞いてない。覚えてない。そんなのない」
「もお、つごうがわるくなるとすぐそんなこという……。ここでにげたらもっとめんどうなことになるよ!」
引き摺り出してまた投げてやろうかと思ったがやめた。流石にここからでは高すぎて弾めないだろうし、言っていることは至極正しい。
今の生活を保つためには賢者で居続けた方が都合がいい。そして、賢者でいるためには、何かしらで人々に貢献することを義務付けられている。持つべき者の務めとやらだ。
別段賢者という地位に固執していないが信用を失墜して一度降ろされてしまうと、もう一度その座に戻るのは難しいだろう。
人間嫌いのメリオールが姿を偽って薬屋を営むのは点数稼ぎだ、人々に貢献したという実績のためにやっているにすぎない。
田舎のロレンシア付近では医術士も少ないからありがたがられているし、少々高値で売りつけても命の値段だと思えば安いと在庫ははけていく。行商人と契約すれば、実際に人とやりとりをしなくても良い。薬草類は研究のために採取をしなくてはいけないからそのついでに手に入れることもできる。
他の賢者は後進育成のために弟子を取ったり、学校を開いたり、孤児院を経営したりと世のため人のため魔法を使っているらしいが____。
「弟子といえば、あの小娘は何してるんだ。このくらい何とかしろ」
「ええー、お前もなかなかひどいやつだね!ぎしきもしてあげてないんだからでしじゃないでしょ!……っていうか、あんなかんしゃくを目の前でおこされたらみんなどん引きすると思うよ?知らないところでひとりぼっちにされて……」
ブレイクは次々と真っ当な意見を叩き出してくるが、そろそろ耳が痛い。メリオールはふんと鼻を鳴らしてそれ以上の追及を逃れた。
見慣れた薄暗い森をくぐり抜けると、やはりというべきか扉の前には誰かがどっかりと腰を下ろしていた。まるで、帰ってきたら即捕まえんとするかのようだ。しかし姿も足音も気取らせず、扉を介さずに家の中へ移動できるメリオールにはそんな対策は意味をなさない。なさないが____。
「……チッ」
「ガラわる〜」
「チッ……!」
不機嫌を微塵も隠そうとせず、感情のままに左手を振る。すると、暗い色合いの布を重ねたいかにも重そうな服は生成りのシャツと少しよれたズボンに、ひどく乱れて絡まった頭は昇りたての月のような色をしたさらさらと流れる手触りの髪に。瞬きをするたびに覗くのは敵意を閃かせる赤銅色ではなく、ミグ=アヴェスタでは馴染みのある蘇比色の瞳へと変わった。
「ヴィスはそんなきょうあくなかおしてないよ〜。こわっ」
短い足で頬をつつきまわされ、無理やり口角を上げさせられる。込み上げた溜息を吐き切ると、にっこりと音が出そうなほどに眩いばかりの笑顔を浮かべてみせた。ブレイクは満足そうに何度も頷きながら両手を離す。
「で、どうやってでていくの?」
「はあ?今ここで魔法解けばいい話だろ」
「ばかなの?それじゃ、あのおじちゃんがおどろいちゃうだろ!だれもメリィの姿を見てないのにきゅうに家の近くにあらわれるなんておかしいじゃん。村の外にいかなきゃ、よけいあやしまれるよ」
「なんで俺がしちめんどくさいことを……」
「毎回こまかいだんどりをめんどくさがってはぶくから、よけいにめんどくさいことになってるんだとぼくは思うけどなあ」
「……チッ!」
「そのくせやめなよ〜。ガラわるいよ〜」
忌々しいが、ブレイクの言う通りに事を進める。村の入り口まで戻り、周囲に誰もいないのを確認してから姿消しの魔法を解いた。
途端、心臓はどくどくと脈打ち始め、頭が割れるように痛みだした。
村に一歩踏み入れたら、帰ってきたと知られたら、一体どんな反応をされるか。
考えたくないのに勝手に目に浮かんでくるから、抵抗するように足が動かなくなる。
もうすぐ収穫を迎えようとしている小麦がざわざわと靡く中、メリオールは暫く立ち尽くしていた。
「だいじょうぶ?」
根っこが生えてしまったように動かないことを心配してか、いつものように胸元へ潜り込んでおとなしくしていたブレイクが顔を覗かせた。
「大丈夫そうに見えるか」
「かおいろすごくわるいよ」
「気分が悪い」
「ねぇ、メリィ」
けむくじゃらの小さな生き物は、ジタバタともがいて抜け出そうとする。上半身だけを出したかったのだろうが、体勢を崩したそれは「おっとっと!」と焦った声を出しながら転げ落ちた。二歩先あたりで止まると、こちらをじっと見つめてブレイクは小さな口を開いた。
「たしかにお前は他人にくらべれば何でもできるし、できるやつがやらなくちゃいけないんだろうけどさ。自分のせきにんのはんちゅうをこえたことを引きうけたり、やりたくないことをむりしてやらなくてもいいと思うんだ」
「……」
「まほうへいだんもいるんだから。メリィはメリィのまま。できるはんいでいいんだよ」
「……うるさいな」
ぽつりと零れ落ちた言葉を追いかけるようにして、メリオールは柔らかな髪をぐしゃぐしゃと掻きむしる。足元に向けられた蘇比色の眼差しは今にも泣き出しそうに揺れていた。
「うるさいよ、黙れよ!!!やれって言ったり、やるなって言ったり!何なんだよ、どっちかにしろよ!!!」
「ちが、そうじゃないよ!やりすぎなくていいって言ってるのさ!お前はいつも全部かかえこんじゃうから____」
「黙れ____!」
咆哮とともに、メリオールの左手が振りかぶられた。目を覆いたくなるほどの閃光が迸り、小さな姿を切り刻むようにして通り過ぎる。
「ごめん……、ごめんねメリィ」
人間とは顔の作りが違うはずなのに、黒い顔にありったけの悲しみを込めて、けむくじゃらの魔物は吹き消された蝋燭の火のように、忽然と姿を消した。
アルフォレムの魔女 藤野 咲 @chirune1012
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