第4話 大人になった僕と、君のワガママ
ーーもう、子供じゃないんだな。
紅音といると、夏樹は自分が汚いものに思えた。
だけど、彼女から一時も離れたくない。
10年前の夏樹は、紅音が幽霊だから、歳を聞かなかった。
今改めて見ると、その体つきから12、3歳くらいだと思われた。
あの綺麗な少女を、汚したい。
熟れ始めたばかりの紅音の身体に、夏樹は触れたくて堪らなかった。
だけど、大好きな紅音に悲しい顔をさせたくない。傷付けたくない。
込み上げてくる性欲を、必死で抑えた。
振り子のように、思いは行ったり来たりを繰り返し、夏樹は苦しくなった。
「ねぇ、この秋を一緒に過ごしたら、俺も紅音の行く所についていけないかな」
「・・・・・・え?」
紅音の手から、黄色の金平糖が転げ落ちた。
大きな丸い瞳に、影が差した。
夏樹は戸惑った。
それは予想外の反応で、夏樹自身も少し傷ついた。
心のどこかで、紅音が喜んでくれるような気がしていたからだ。
「だって、紅音だって、1人であの世に戻っていくの、寂しいだろ?!」
「夏樹、どうしたの?なんでそんな事言うの?」
夏樹は俯き、口ごもってしまった。
「・・・・・・大人になると色々あるんだよ」
紅音の澄んだ瞳に見つめられると、夏樹は心まで見透かされているような気がした。
「紅音にまた会えて、こんなに嬉しいって気持ちになったのも久々で。
僕はさ、この世に執着がない。
だったらこのまま紅音と」
くっくっ・・・。
紅音が肩を揺らし、笑いだした。
「それ気の迷いだよ?まったく、大人って欲しがりさんだよね」
「え?」
「夏樹のお願い、叶えてあげられない」
「ど、どうして?」
紅音は、溜め息をついた。
途端に、少女の顔が大人びて見えた。
「ねぇ夏樹。好きだったよ」
「えっ」
夏樹の体が硬直した。
胸だけが、じんと熱くなった。
「無邪気な夏樹が好きだった。でも仕方ないよね。この世に変わらないものなんて、1つもない」
紅音は、寂しそうに笑った。
夏樹は、何もかも取り返しのつかないような焦りを感じた。
「私はなんとかこの形を保ってるけど、もう限界が来てると思う」
「そんな」
「もう嫌なんだ。昔の姿で現れるの。
私も、生きたい。
夏樹みたいに肉体を持って。
生まれ変わりたいんだ」
紅音の目の奥には、強い意志が宿っているように感じられた。
「でも、そしたら紅音に会えなくなるの?」
「少なくとも、この姿の私には」
「そ、そんな」
「夏樹がしたい事、なんとなくだけど分かるよ」
夏樹は、思わず目を逸らした。
罪悪感に塗れて、崖から突き落とされるような心地がした。
「だけど、今の私じゃ崩れちゃう。
こんな嘘っこの身体、水に溶けちゃう」
「僕は、どっちもやだよ。紅音に会えなくなるのも、紅音が崩れちゃうのも」
夏樹の声は掠れ、微かに震えた。
「私が生まれ変わったら、また会おう」
「君は、また僕を待たせるの?」
「だめ?」
紅音の薄い唇の端が、綺麗に上がった。
強気な視線が、夏樹をそそのかしてくる。
「ずるいよ。そんな風に見つめられたら、断れなくなるじゃないか」
「いつ生まれ変われるのかなんて、分からない。そう長くはかからないと思うけど。
それは1年後かもしれないし、10年後かもしれないし、それよりもっと先かも」
「俺もう19歳だよ。もし待ち続けて、おじいちゃんになっちゃったら、どうするの?」
「待つんだよ。
夏樹がかっこいい大人になって、私の事見つけ出してくれたら、夏樹がしたい事ぜーんぶ叶えてあげるよ」
「・・・・・・待ちきれないよ」
ただただ悔しくて、夏樹は子供のように口を尖らせた。
「実はこの秋、私の中にあった水分を集めきれなかったんだ。地球にあった私の残骸は、どんどん少なってきてるみたい。
だから、夏樹が今日来てくれて本当に良かった。明日には私、消えてるだろうから」
「え、、」
「それから、嘘でも私と一緒にあの世に行こうだなんて言わないで。
夏樹が今、この世をどう思ってたって、
私にとっては、この世界も夏樹もどうしもようもなく眩しくて、愛おしいから」
10年前、紅音はこんな事を言わなかった。
本当に終わりが近づいてるかもしれない。
紅音には、覚悟が出来ている。
夏樹は、そんな気がした。
だから、恥ずかしくても勇気を振り絞った。
「僕だって、君が愛おしい」
夏樹は、顔を火照らせながら言った。
紅音は嬉しそうに頷いた。
「私がまた生まれ変わった時、
大好きなこの世界に、
大好きな君が待っていてくれたら、幸せ」
「ほんっとーに。君って奴はワガママだな」
夏樹は、紅音への愛おしさと憎たらしさがぐちゃぐちゃになって、心が溢れてしまいそうだった。
「ごめんね」
紅音は、長い黒髪を耳にかけた。
膨らみかけた白い胸の上で、桃色の乳首が露になった。
夏樹は再び下半身が疼きだすのを、ぐっと堪えた。
「じゃあ、ついでにワガママもう1個だけいい?」
夏樹は顔を赤らめたまま、呆れた。
「はいはい、何でもお申し付けくださいな」
「昔みたいに、野良猫ちゃん連れてきてよ!
岸辺までなかなか来ないんだもん。可愛い子がいいなー」
紅音は、カラッとした笑顔で言った。
「猫だと?!仕方ないなー。ちゃんと待ってろよ」
「大丈夫。いい子で、待ってるから」
〇
夏樹が猫を連れて戻ってきた時、
青沼から、紅音の姿は消えていた。
岸辺には、金平糖が散らばっていた。
「紅音ーっ!おーい、あーかーねー!!」
夏樹の声だけが、静かな沼に虚しく響いた。
「嘘つき・・・・・・。」
夏樹は唇を噛み締めた。
真っ青な水面に、燃えるような紅が差していた。
夏樹が目を凝らすと、さっきまで無かったはずの紅葉が1枚、水面にひらひらと浮かんでいた。
ーーガキだった頃から、10年も待てたんだ。
これから10年だろうと、100年だろうと、君を待ち続けてやろうじゃないか。
熱い涙を目に溜めて、
夏樹は、静かな青沼の前で1人佇んでいた。
初恋した美少女幽霊と、10年ぶりに再会する秋。 満月mitsuki @miley0528
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