第28話 忍耐の季節

 大阪光陰の監督木下は、これまでに何人ものピッチャーを育ててきた。

 いや、育てたなどと言っては自信過剰か。育っていくのを手助けしてきた。

 その中には甲子園の優勝投手となった者もいて、ドラフト上位指名でプロに入った者もいたが、その宝石のような才能の中でも、真田というピッチャーは屈指の輝きを秘めていた。

 一年生の夏、甲子園の初戦を任せた。

 そしてあの歴史的な対決も、実質的なエースとして使った。

 真田は投げ続けた。二年目の夏は壊れないかと心配したが、どうにか乗り切った。


 比較的楽に登板機会を減らした秋には、甲子園に比べると地味ではあるが、神宮大会のタイトルを獲得した。

 冬の間はじっくり体作りに取り組めたので、疲労は抜けていると思ったのだ。

 確かにまだ肌寒い季節に、甲子園で投げるというのはリスキーだ。

 しかし大丈夫と思ってしまった。

 いや、思ってしまったならまだいいが、異変を感じた時にすぐに対応出来なかった。


 その結果、春はほぼ全滅である。

 選手生命にかかわるほどでなかったのはいいのだが、一週間は安静、一ヶ月は負荷のかかる運動は禁止。

 そこから様子を見つつ、徐々にスローをしていって、おそらく完治とリハビリの終わるのに二ヶ月。

 春の大会は全休である。


 それに加えて専門のスポーツドクターは言った。

「夏の大会、それも甲子園を当然目指すわけですよね」

 プロの選手も診ている医者は、真田の肩の精密検査をした。

「本当に選手のためだけを考えるなら、このまま一年ほどは完全に休んで、インナーマッスルの強化に努めた方がいいですよ」

 あくまでも選択肢の一つではあるのだが、高校球児が選択するはずもない。


 真田は肩関節不安定性、いわゆるルーズショルダーである。

 肩関節の駆動域が広いため、しなるように腕を使ったピッチングが出来るが、酷使すれば肩の周辺部位への負担が大きい。

 関節というのは基本的に、若ければ若いほど柔らかいので、比較的この負担が軽い。

 だが高校生にもなって筋肉が瞬間的なパワーを出すようになると、関節がそれを受け止め切れなくなる。さらに年を取ると関節の柔らかさも失われる。

 靭帯や腱を守るために必要なのが、インナーマッスルである。

 普通の筋肉がパワーを出すのに比べると、インナーマッスルは安定した動きをするのに貢献する。

 これを鍛えれば比較的、ルーズショルダーなどでも肩への負担が軽減出来るのだ。




 この話を、木下は真田と一緒に聞いた。

 真田はプロ志望である。大阪光陰のレギュラーを張るような人間は、皆プロ志望なのだ。

 それを考えれば甲子園を捨てるという選択もあるのか。

 いや、やはり最後の夏に投げられないというのは、ドラフト上位にかかる可能性を極端に低下させる。

 ドラフトで指名されれば、一位指名でも育成でも同じプロだと言われるが、与えられるチャンスの数は確実に違うのだ。


 決勝で投げた150kmに高速スライダー。そしてカーブ。

 真田の能力は確実にプロ球であるが、故障すれば全く話は別である。

「絶対に優勝したいんです」

 一年からエース級の活躍を大阪光陰でしながら、甲子園の優勝はない真田である。

 その気持ちは木下も分かるし、自分も結果を出さなければ、ずっと監督を続けられるわけでもない。

 それでも、真田を故障させるのは問題外である。


 現在の大阪光陰で計算出来る他のピッチャーは、緒方と普段はセンターを守っている毛利。

 新入生にもかなりのピッチャーがいるとは聞いているが、高校で即戦力になるかは別である。

 スピードとパワーと技術があっても、それだけでは足りないのだ。


 直近の春は、真田抜きで戦うしかない。

 そもそも春の大会はシード権さえ取れれば、あとは比較的どうでもいいのである。

 夏の大会も真田が必要になるほどの試合は、おそらく一つか二つ程度。

 そして甲子園でも、他のピッチャーをある程度使う。そもそも来年の体制を考えれば、これは監督にとっては悪いことばかりではない。

 負ける原因が明確なので、雇用してくれている学校の理事などにも言い訳が立つ。


「夏は府大会で短いイニングを肩慣らしして、甲子園では一試合か二試合ってとこやな」

 木下は小さく呟く。

「全く投げんと勝っても負けても、納得できへんやろ。けどそこまでは徹底的にお前を守るからな」

「うす!」

 医者はやれやれといった顔をしたが、高校球児は無理をしすぎるものである。




 センバツ後に行われるのが、U-18の合同合宿である。秋の大会からセンバツまでで活躍した、主に三年生が代表候補に選ばれる。

 だが二年生でも選ばれないわけではない。

 そう、たとえば白富東からは、武史とアレクの他に、なんと淳が選ばれている。

 甲子園で好投したというのも大きいが、左のアンダースローという超希少性がものを言ったのだろう。


 そして大阪光陰からも、毛利と後藤の他に、緒方が選ばれていたりする。

 もちろん高校球児の中でも特別な上澄みではあるのだが、それでも去年の雰囲気を知っている武史は、ややレベルが落ちているのではと感じる。

 数値的に言うならば、単純に150kmを投げるピッチャーが武史しかいない。

 センバツで150kmを投げた真田がいないのは、すぐに話題となった。


「よう」

 とりあえず全然仲良しでもないのだが、後藤に話しかける武史である。

「真田来ねえの?」

「肉離れで春は出んのじゃ。今オーバーホールの途中じゃけん」

 なるほど、と納得する武史である。しかしそれだと、ピッチャーが足りない。


 他にも計算出来るピッチャーと言えば、一年ながら決勝のマウンドに立った緒方と、帝都一の水野だろうか。

 去年のアジア選手権より明らかに劣る戦力で、ワールドカップに臨むわけか。

 真田も回復したら選出されるかもしれないが、直史と大介の話を聞く限りでは、パワーピッチャーはやはりもっと必要だろう。

 左のワンポイントで使えそうな明倫館の井上や、正統派としては瑞雲の山県、熊本の河上、仙台育成の片倉、滋賀の長野など、あれこれ挙げられはする。

 だが本当に頼りになりそうなのは、他に水野ぐらいなのだ。


 去年や二年前に比べて、明らかにピッチャーのレベルが落ちている。それは球速という単純な数値から明らかだ。

 去年から活躍している真田や水野がいるのに、球速でぶっ飛んだキャラがいない。

 ワールドカップは投手の球数制限が厳密なので、突出したピッチャーが数人いるだけでは勝てない。

「まあこの紅白戦の主役はお前と水野じゃろ」

 プレッシャーなど全く感じないが、めんどくさいとは思う武史であった。




 紅白戦はだいたい東と西とに分けられた。

 今回の監督は、元天凛高校の野球部監督の、筒井である。

 そんな筒井は頭を抱えていた。

 白富東のやつらがフリーダムすぎる。

 佐藤の三男はまだいいのだが、中村アレックスは団体行動が出来ないし、佐藤武史は意地でも団体行動はしない。

 監督の言うことは聞いても、全く従わない。


 野球部は変わったのか。

 今の時代の高校球児はこうなのかと当惑する筒井であったが、他のチームの選手はそこまで極端ではない。

 そして同じ白富東でも、二年の佐藤三男曰く、上の二人は日本の野球をそもそもまともにしてないからだと言う。


 武史はお遊びの延長の小学校時代の学童野球、中学ではバスケットボールをやっていた。

 アレクはそもそも中学まではブラジルで育ち、そこからフリーダムな白富東に入っている。

 はっきり言って前時代的な、監督の命令が全てという高校野球が通じない。

 アレクはそうだが武史も、外国人選手を扱うようにしなければいけないのだと言う。


 淳はまだマシだと言うのも比較の問題で、一緒にアップをしたり、団体行動で同じメニューをしたりしない。

 とにかく白富東の選手に言えることは、自分に適したメニューをコーチと相談して自分で考え、それ以外の練習はしないということなのだ。

 提案は聞くが、命令には従わない。

 何年か前に、日米の環境の違いを知るためにアメリカのハイスクールを訪れた時に見た、あちらの練習法に似ている。

 さらに言うならメジャーや、日本のプロでもベテランのみに許された調整法だと言えよう。

 ただ弁護するならば、先日までセンバツで試合をしていたのだから、疲労を取るのが優先だったとも言える。

 野球のシーズンは春から秋で、特に夏のシード権につながる春は、試合数の多い都道府県のチームでは、絶対に獲得しなければいけない。


 武史は聞かされたが、既に春の大会が始まっているため、参加出来ていない者もいるらしい。

 それに選ばれたとしても、夏の甲子園で消耗すれば、ワールドカップには回復が間に合わない可能性もある。

 高校球児にとって重要なのは、甲子園である。

 国体や高校選抜の世界大会など、甲子園の価値には全く及ばない。

 そしてこの合同合宿も、春の大会を考えれば手を抜いて投げる必要がある。




 東西に分かれた紅白戦なので、同じチームに水野がいてくれる。

 武史は先発を譲って、ベンチの中から見学である。

 センバツでも感じたことだが、去年に比べて選手層が薄くなっている気がする。

 それは自分が最高学年になったことにより、実力が増したからだろうか。

 だが絶対値で比べても、直史と大介がいない。

 そしてピッチャーの球速という分かりやすい数値が、明らかに去年よりも落ちている。

 単純にスピードでも、160kmを投げた大滝が去年はいた。

(つってもそれは夏の話か。夏までに160km到達するかな?)


 やはりワールドカップを勝つためには、真田が必要だ。

 対戦相手とすれば厄介この上ないのだが、リーグ戦のワールドカップでは、球数制限もあるためピッチャーの枚数がいる。

 日本の基準から見れば柔すぎる球数制限であるが、実際のところMLBなどでは高校生はもちろん、20歳を過ぎてもまだ体が出来ていないこともあるため、ドラフトで獲得してもルーキーリーグでレベルを見ていくのが一般的だ。

 日本の中でも長くプロで活躍できた投手は、どちらかと言うと体の小さい者が多いというデータもあったりする。これは疑問もあるのだが。


 前回のワールドカップでは、直史がパーフェクトクローザーとして働き、大介がホームランを打っていった。

 二人の二年生の力が、日本チームの両輪となっていたと言っていい。

 武史はワールドカップ基準の球数では、全く限界に至らない。

 ただクローザー向けでないのは確かなので、もっと計算出来るピッチャーが必要なのだ。


 そう考えると真田は、クローザーとしてはいいのではないかと思うのだ。

 あの高速スライダーにストレートとカーブのコンビネーションは、一イニングで対応するのは難しいだろう。

 他に評価が高いのは水野などだが、水野はどちらかと言うと長いイニングを最小失点で抑えていくタイプに思える。


 武史にとって真田は、白富東の宿命の敵のような印象がある。

 いや、大阪光陰がそうだと言った方がいいのか。

 しかし大阪光陰の選手とはアジア選手権で一緒に戦った武史だが、真田は去年の大会にも不参加であったし、今年もどうなるか分からない。


 別に嫌っているわけではない。そもそも嫌うほどの接点がない。

 だがなんとなくこのままでは気まずい気はするし、試合で対決するのみの人間関係というのが、しっくりとこない。

 兄の直史が、白富東にとっては最後のラスボスとも言えた、春日山の樋口とも仲良くやっているのを知っているからだろうか。

(真田ってどんなやつか知らないしなあ)

 紅白戦の間ものんびりと考える武史である。




 参加している選手が多いので、武史も三イニングを投げただけであった。

 その中では後藤にヒットを打たれて、やっぱり大阪光陰の選手は要注意だと思わされる。

 単純なストレートだけでは、やはり後藤レベルを確実に抑えるのは難しい。

 それに向こうのピッチャーとして投げた緒方が、バッターとしてまたヒットを打っている。


 大阪光陰では真田のサブと言うよりは、三番を打っていたこともあるし、緒方の本領は野手としてあるのではないか。

 ホームランを打たれたことを考えても、武史としてはそんな評価なのである。

 もっとも高校野球の強豪のピッチャーとなれば、バッティングの技術も並外れているものだ。

 だが武史から見ると、緒方の適正はバッティング重視にあると思う。


 あの体格でホームランが打てるのだから、バッティングセンスはもちろんあるし、守備の要のショートを守っている。

 さすがに大介ほどのぽんぽんとホームランを打つ力はないが、打率も高かったはずだ。




 二試合目はメンバーをかなり変更し、武史はサードで数イニング入る。

 夏の甲子園で当たるのかもしれないピッチャーの情報は、しっかりと持って帰るべきだろう。

 とりあえず交代してベンチでぼんやりと試合を眺めていると、水野が隣に座ってきた。

「佐藤君、ちょっといいか」

「いいけど?」

 深刻な顔をして、水野は話し出す。

「後藤君に聞いたんだけど、真田のやつはどうも春は全休らしい」

「まあ夏に間に合えばそれでいいだろ」

「それはそうだけど、真田はルーズショルダーだから、クセになるとな」


 水野は後藤は君付けであるのに、真田のことは呼び捨てだ。

 おそらくはシニア時代にでも交流があったのだろうが。

「故障の具合によるけど、甲子園で引退するかもしれない。すると今の投手の枚数だと、ワールドカップで勝つのは厳しいだろう」

「あ、そういえばそうか」

 さっきまでは真田が必要だと考えていたのに、薄情とも言える武史である。


 二年前、日本選手団と言うより日本は、さらに言えばその中でも直史と大介、それにイリヤが面倒なことを起こしてくれた。

 あれのせいでアジア選手権などにもそれなりの注目が集まったし、今年のワールドカップも注目度は高くなるだろう。

 なにしろ開催国が日本なので。


 あれだけ鮮烈な優勝の次の大会で、あっさりと負けてしまったら印象が悪いだろう。

 ただ今年は日程も、甲子園から間のない八月から行われる。

 甲子園で燃え尽きた球児たちが、果たしてどの程度のパフォーマンスを発揮できるのか。

「うちはいいけどそっちは大丈夫なのか? 甲子園も後半になると、連投してくるだろ」

「うちだってそれなりのピッチャーはちゃんと控えてるんだ」

 もっともピッチャー二人を代表候補に送ってくるような、白富東ほどの余裕はないだろうが。




 紅白戦自体は、選手の集まり具合もあってか、東の勝ちとなった。

 その中でやはり意識するのは、集まってもいない真田のことであった。

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エースはまだ自分の限界を知らない[3.5+余章] 草野猫彦 @ringniring

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