「日本超鳥の会」、イタケダカと遭遇す
桐谷はる
「日本超鳥の会」、イタケダカと遭遇す
「日本超鳥の会」、準会員の朝は早い。
3年先輩である、同じく準会員の山岡さんはその理由をこう語る。「夜間の当番になるとまじやばいやつが多いから、正会員じゃないとまず務まんないの。区役所の窓口も電話繋がりにくいし。朝だってやばいやつが出ないわけじゃないよ? 出ないわけじゃないんだけど、大物なやつが多いわけ。ビルよりでかいみたいな。そうするとやっぱ周りも早くから通報するし、警備四課とか先に来てるじゃんみたいなことも多いし、比較的安全なんだよ。そういうところから経験積んでくわけ」
彼はそこでふと苦い顔をして、持参してきた水筒からブラックコーヒーをぐびりと飲んだ。
語彙の少なさとフランクな言葉遣いは生意気ざかりの高校生みたいだが、実はこの人はスーパーエリートだ。やばいと語る夜間勤務も、正会員の補助で20回以上はこなしている。ルイショウに出くわして生還した数少ないメンバーの一人でもある。
「朝が嫌なのはさあ、夜にやられたやつの残りとか見つかるんだよなあ。俺、新人の頃、ムミョウ――知ってる?木の上とかにいるすげーでかい蜘蛛みたいなやつ――にやられた残骸見つけてさあ。靴なんだけどさあ、」
話がグロテスクになってきたので適当に聞き流しながら(新人にこういう舐めた態度をとられても、業務に支障がない限り気にしないのは山岡さんの美徳だ)、バックパックを背負いなおす。支給品の長靴は歩きやすくて軽く、見た目の印象より快適だ。
区役所から業務委託により、「日本超鳥の会」は有害超獣の生態観察及び人類居住環境の維持管理を担う。
人間が住んでいる範囲まで有害超獣がはみ出してきていないかの確認と、安全確認の見回りとが仕事だ。パトロールと言えば格好いいが、要は町内会の火の用心みたいなものである。武器を持たない。区役所職員ではない。いざというときは逃げることしかできない。逃げる時になるべく大声で「みんな逃げろ!」と叫ぶことだけが、僕たちに期待されている唯一の役割だ。
よくは知らないが、もとは複数の大学が共同で立ち上げた研究所だったという。表向きは怪物どもの生態を専門家の視点から解明し、捕獲・捕殺に必要な知識を市役所に提供するというのが目的だったらしいが、実質は「市役所は超獣どものサンプルをなかなか提供しやがらないから、学会も調達手段が欲しい。あわよくば研究材料を手に入れたい」という魂胆だったとかいう。「近寄るべからず」「とかく通報すべし」の原則を肝に銘じ、定期的に町内を巡回する「日本超鳥の会」は、頼りにはならないぶん親しみやすい団体としてそれなりに区民に愛されている。なり手側としても、いざというときは命を張らなければならない区役所勤めよりは、待遇も退職金も劣るけれどもすぐ逃げられる超鳥の会のほうがプレッシャーは軽い。私は学費を稼いで大学院に進学したい生物学者志望で、山岡さんは海外遠征費用を稼ぎたい登山家だ。お互い、3年の任期をつつがなく終えれば、目標を達するだけの退職金が手に入る。
山岡さんが怪物の残骸を目にした後に食べる朝食がいかにまずいかを語り終え、ブラックコーヒーをもう一口飲んだ。
そして口にした液体を口と鼻から噴射させつつ、ラリアットで僕をなぎ倒して地に這いつくばった。
頭の上を風が通り抜けた。あたりいちめんコーヒーの匂いがした。とっさに、コーヒーに毒でも入れられたのかと思ったが、そんなわけはなかった。
超獣だ。
有害超獣が出たのだ。
「やべえ! 来たぞ! イタケダカだ! 出やがった!」
後に、自分の帽子につけられているレコーダーを通して閲覧できたのだが、それはでかいイタチみたいな動物が飛び掛かってきたのだった。山岡さんはさすがミラクルエリートで、私が気付きもしなかったその一撃をぎりぎりで察知し、私もろとも回避してくれたのだ。
ふっと気が遠くなって、山岡さんに張り倒された。「ひるむんじゃねえ! 狙われちまうぞ!」ばんばんばん! 平手打ち三発。「背筋伸ばせ! あいつはびびったやつから狙うんだ、立て!」
真っ黒な人型のシルエットが、ジェットエンジン付きの山猿みたいな動きで右に左にがれきを避けつつ、頭からイタケダカに突っ込んだ。
「助かった魔女だ、警備四課だ!」
魔女、と言われて目を凝らせば確かに若い女だ。きゅっとしまったウエストはまるでファッションモデルだった。あれが悪名高き区役所の鉄人、マジで人間ではないという噂は本当なのかもしれない。すらりと長い腕を頭上に振り上げ、両手を握ったハンマーをイタケダカの頭に叩き落とす。
ばりばりと至近に落ちた雷のような音。
イタケダカが蹴飛ばされたサッカーボールのような勢いで真横に吹き飛び、女の細長い右腕が二の腕のあたりでばっきり曲がる。
女は宙で身を翻し、ぶらぶらになった右腕をはためかせながら疾走、大きくへこんだイタケダカの頭にさらに跳び蹴りを叩きこむ。それはまさしく矢のような蹴りで、信じがたいことに30倍くらいは体重差がありそうなイタケダカを勢いよく弾き飛ばした。
背筋をぴんと伸ばしてイタケダカをにらみ続ける山岡さんが、手元を見もせずに通信機を操作して救難信号を発信した。私は腰のポーチに常備していた超小型カメラを抜き取り、イタケダカに向かって連写モードでレンズを向けた。ばしゃしゃしゃしゃしゃ! 撮影したそばからデータは「日本超鳥の会」本部に送信され、会員やカメラが帰らずとも映像だけは残る仕組みになっている。
「逃げるぞ、走れっ!」
イタケダカが天まで届けとばかりに吠える。長く尾を引く甲高い悲鳴はまるで女の叫び声だった。警備四課の魔女は物も言わずにびゅんびゅん飛び回り、獣の注意をそらさない。私は伸ばされた山岡さんの手を掴み、引きずられるがまま全力で走った。
走りながら、この朝を生き延びられたら郷里に残してきた幼馴染に交際を申し込もうと心に誓った(生き延びられたので2年後に結婚した)。
「日本超鳥の会」、イタケダカと遭遇す 桐谷はる @kiriyaharu
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