第4話 幼なじみと、夜の海にて

 疲れきった俺は、親父のバー巡りには付き合わず、夜の海辺をぶらぶらと歩いていた。


 真っ暗な砂浜に、細い線のシルエットが見えた。


 月の柔らかな光が、彼女を照らした。

 夜風に吹かれ、黒髪が肩の上で揺れている。

 細い鼻筋の上に、銀の細縁のメガネが乗っかっている。


「翠、、だよね?」

 翠がこちらを向いた。

 レンズの向こうにある、切れ長の目が見開かれた。


 翠とは、昔から家が近所で、幼なじみだった。


「またここにいたのか?」

 翠はすぐに、海へと視線を戻した。

「そっちこそ」


 俺達は海を見ないと、どうしようもなく心が窮屈になる性分のようで、子供の頃から約束もしていないのに、海の前でよく鉢合わせた。


「ぼんやり真っ暗な海見て、何考えてたんだ?」

「べつに」

 翠の高い声は、頼りないくらいにか細い。


「夜の海ってさ。吸い込まれちまいそうで、時々怖くなるんだよな。俺はどっちかってーと、太陽の光を浴びてきらきら光る海が好きだな」


「私は、夜の海が好き」


「ほーん?」


「どこまでが空で、どこまでが海なのか。

 波の音に包まれてると、私の輪郭まで溶けてなくなる気がして、心地いい」


「闇に溶けてく?」


「そう、溶けて、透明になりたい」


 翠は、同じ高校に通っていて隣のクラスだ。

 クラスメイト達から、無視されているという噂を聞いた事がある。


 透明になりたい。

 それって、教室での息苦しさからだろうか。


「俺もここで、しばらく溶けてていい?」

 俺は湿った砂浜の上に腰を下ろした。


 翠は立ちすくしたまま、海を眺めていた。


「人間ってさ、毎日色々足掻いてみるけど、実際は海の中の波の粒みたいに、ちっぽけなもんでさ。

 誰が何しようと、どう評価されようと、神様にとっちゃ小さすぎて、知ったこっちゃねーのかもな」


 翠は何も言わなかった。

 俺は、コンビニで買った焼酎の瓶を空けた。キュイキュイ呑んでると、運動後のせいかいつもより酔いが早く回った。


 翠はしばらくすると、静かにその場を去った。


 海との付き合いは、己のタイミングで。

 それは俺達にとっちゃ、いつもの事だった。


 俺は火照った顔で、夜空に浮かぶ見事な満月を眺めた。


 あんまりにも綺麗で、気持ちよくて、睡魔に襲われてきた。

 こんな所で寝ちゃダメだ。

 だけど今日は、最高にくたびれた。

 朝から喧嘩して、告られるもっちゃんにヒヤヒヤして、親父の道場でシゴこれて、そのうえ・・・・・・。


 月の光を浴びた翠は、ちっとも闇に溶けていなかった。

 どうしたって、アイツは透明になんかなれやしない。


 だって、俺がちゃんと翠の事を見てるんだから。


 そのまま俺は眠りに落ちた。

 明日もまた学校だ。

 まぁいい。明日の事は、明日考えりゃいいんだ。


 これが、なんて事ないようで、なんて事のある、俺の1日。

 長い人生の一欠片。

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田川守の、とある1日。 満月mitsuki @miley0528

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