第3話 親父の愛が歪む夕方

 帰宅すると、親父がソファーに腰掛けて新聞を読んでいた。


「ただいまー」

 その後ろ姿を横目で見ながら、俺は自分の部屋へと向かった。


 パァーンッッッッ!!!!

 乾いた破裂音がして、耳元に小さな風が吹いた。

 背筋が凍った。

 俺はゆっくりと振り返った。


 ソファーの背もたれに、ダランと体を預けた親父の手にはエアガンがあった。


 50代とは思えない筋肉のついた太い腕には、木の根のような血管が浮き出ていた。

 銀髪をオールバックにして流し、その下には自信に溢れた力強い目が君臨していた。

 右の口角だけ上げて笑うのが、親父の癖だった。

 俺の周りにいる野郎とは比べ物にならないほど、圧のある男だった。


「ちょ、いきなり辞めろよ親父ィ!」

 俺が震え上がるのを見ると、ニタリと親父は笑った。

「こっち来いや」

「う、うん」

 開いた夕刊の端っこを、親父は指さした。


 俺は息を呑んだ。今朝の喧嘩が、記事になっていた。

「これ、おめぇじゃねえよな?」

 親父は静かに言った。

「な、なんで??」

 抑えたつもりだったけど、声が少し震えた。

「質問してんのは、こっちじゃボケ!」


 親父は俺の頭を掴んだ。

 ゆっくりと一文字ずつ、俺の目を見て言った。


「こーぉれーぇはーぁ、おめぇかどうかって聞いてんだッッッ!」

「ぼ、僕です・・・・・・」


 親父が怒ると、背後に青い炎が見える気がする。

 冷たい話し方、声の音圧、殺気ばしった目が異様に胸に突き刺さる。


 しくった。

 まさかこんな大事になるとは思いもしなかった。

 だから俺は辞めようって、最初から断ったのに・・・・・・。



 親父が厳しいのは、俺の事が心配で堪らないからだと思う。


 母ちゃんは、俺を産んだ時に死んだ。

 だから俺は、母親の記憶ってのがないし寂しいと感じた事もない。


 親父は、男手ひとつで俺を育ててくれた。

 厳しいけど、男として憧れる男だった。


 親父が俺の年頃の時には、街の伝説のチンピラだったそうだ。

 成人してからは足を洗ったようで、サラリーマンから独立して会社を立ち上げた。当時の仲間も数人引き入れたりなんかして、上手く回していた。

 親父のチンピラ時代の武勇伝は、彼等からよく聞かされるけど、それはここでは端折るね。


 親父は最近金に余裕が出来たようで、仕事を部下に任せて、趣味で道場を開いた。

 と、言っても普通の武道じゃない。


 完全我流の武道だ。

 夜間の部では、大人限定でヤクザの下っ端や喧嘩の強くなりたい若者向けに、実践に役立つ闘い方を伝授し、鍛え上げていた。


 昼間の部は、子供専用で不審者からの身の守り方を教えていた。

 母親達が親父のファンになり、子供を通わせるから、いつも賑わっていた。


 そう、親父は何故だか女によくモテた。

 喧嘩の強さだけでなく、会社も成功させ、女にもモテる。

 女・・・・・・俺はそれが羨ましくて仕方ない。

 俺は、当分親父には追いつけないと思う。


 俺は説教を喰らった後で、今日の罰として道場の稽古に参加することになった。

 どうにかして逃げ切りたかったけど、親父に睨まれると何も言えなかった。

 俺は、いやいや道場に出向いた。



 夜間の部の開始前、生徒達は一列に並び一礼する。親父も親父だけど、生徒も粒ぞろいだった。

 顔に大きな傷のある人、腕中に根性焼きがある人、全身に刺青を入れた人、顔中にピアスを空けた人、指が1本ない人、中にはとても地味で清潔そうな人も混じっていた。


 親父は厳かに口を開いた。

「よし、今日の試練はこれだ」


 道場の扉から、突如水着姿の美女達が出てきた。

「ちょ、ええええ?! どーゆう事?!」

 生徒達はポカンと口を開け、目を丸くした。

 どの生徒も分かりやすく動揺していた。

 もちろん俺も、例外なくそのうちの1人だ。


 水着美女達はなかなかナイスバディーではあるが、水着と畳はあまりにも不釣り合いな光景だった。


 そんな事を思ってるうちに、天井が開き、中からミラーボールが下りてきた。

 照明が暗くなると共に、爆音でクラブミュージックまで流れ出した。


 気が付くと親父は、これまたいきなり現れたDJブースに降臨していた。


 マイク越しに、親父の太い声が響く。

「よぉーし、おめぇら!! 楽しめーぇ!

 そして何があっても、己の身を守れぇ!」


「押忍ッッッッ!!!」

 生徒達は意気揚々と叫んだ。


 生徒達は、水着美人とまぐわったり、音楽に合わせ踊る者もいた。どうしたらいいのか戸惑うシャイな者にも、水着美女は優しくエスコートしてくれて、皆が楽しんだ。


 開始から小一時間、何も起こらなかった。


 俺はここが道場だという事を、忘れかけていた頃だった。

 ミラーボールの光を浴びながら、一人の生徒が倒れていくのが目の端に映った。


 爆音のサウンドにより、何が起きたのかは分からず、それに気付かない者も複数いた。

 音と女に酔ったのかもしれない。

 水着美女とのイチャつきに夢中だった俺は、それを気にしない事にした。


 しかし、次々に生徒達はいつの間にか倒れていった。

 だんだんと、残りの生徒達が緊張した面持ちになると、水着美女達はあの手この手で気を緩まそうとしてきた。


「あれっ?!嘘だろ?」

 俺は、目を疑った。


 天井から、酒瓶が流れ星のように落ちていく。天井から床に着くまで、ほんの一瞬だった。

 落下した先に、俺は駆け寄った。

 KRUGのROZEと記載されていた。

 どうやら生徒をめがけて、天井からシャンパンの空き瓶が落ちてきているようだ。


「おいおい! 下手したら死ぬぜ?!」


 水着美女達は何の合図をもらっているのか、誰一人として当たっていない。

 俺は美女に別れを告げ、冷や汗をかきながら逃げ回った。


 周りの生徒達はバタバタと倒れていく。気がつくと、残っているのは俺1人だった。


 こんなん喰らってたまるかッッッッ!!!

 俺は天井を睨みつけたまま、走り続けた。


 突如、首元に針で射抜かれたような痛みが走った。

「グハッッ」

 俺は刺された所を手で押さえたが、何も刺さっていなかった。

 足元には、ティップがゴム製のダーツが1本転がっていた。


 爆音のクラブミュージックが、鳴り止んだ。


「背後には気をつけろって言ったよなァァァ?!」


 俺は顔を上げた。

 DJブースから、親父が怒声を飛ばしていた。


「・・・・・・だ、だだって、上からの攻撃が」


「お前の朝の失敗が、全然活かしきれてねえじゃねえか!!!」


 そっか、そういう事か。

 生徒全員巻き込んでるけど、この舞台セットは、背後に隙がある俺の為の訓練だったって事か。

 なんだよ親父。

 その愛し方、ちょっと歪んでるよ・・・・・・。


 親父の怒声で、生徒達は次第に目覚め始めた。

「この糞馬鹿共っ!! なーにグズっとしてんだぁ?! 普段の訓練が全く役に立ってねぇじゃねえか!!! 起きてる時間は、自分の周り360度警戒しておけぇ!!!」


「・・・・・・お、押忍ッッッッ!!!」

 生徒達は、まだぼんやりとした声で返事した。

「よし、これから基礎訓練だ。終わったら残り時間は、頭上への危機管理能力と瞬発力の強化だ!!」

「押忍ッッッッ!!!」


 それにしても、あの大量のシャンパンの空き瓶は、一体どっから持ってきたんだろう・・・・・・。


 訓練後、ガハハと親父は豪快に笑いながら教えてくれた。


「あれはな、一昨日酒井さんのバーが10周年祝いで盛り上がって、1晩で空けちまったんだよ。その時の空き瓶全部もらってきた!」


「バー? キャバクラじゃなくて?」


「あん? 俺様が、水割りクソ不味く作りやがるブスに、興味ある訳ねーだろうが」

 親父はそう言って、俺を小突いた。


「あの水着美女達は?」


「あれも堺さんのバーのお客さんで、グラドル専属事務所の社長がいるから、何人か借りてきた」


 俺は苦笑した。

 親父は女にモテるけど、女には興味ないんだった。


 俺が親父なら、あれだけモテるんだから、すぐに新しい奥さんを作るかもしれない。

 だけど親父はそうはしない。

 死んだ母さんに気を使ってるのか、俺に気を使ってるのか、はたまた本当に興味がないのか・・・・・・。


 あんまり想像出来ないけど、もしかしたら歳をとってから誰かに恋するってのは、案外難しい事なのかもしれない。




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