5区

 今にも人を轢き殺しそうな気迫を纏いながら、C-HRとXVの2台が同時にピットインしてきた。指定の停止位置へクルマが停められるのを確認したら、各チームのジャッキマンがフロアジャッキで車体を持ち上げる。帝京大学・5区担当の石橋選手はロリポップをXVから降りてきた金井選手に渡そうとしたが、彼はそれを遮ってピットクルーに向かって叫んだ。

「ピット作業で抜けるぞ!」

 その言葉が衝いて出てきた瞬間、帝京大学のタイヤ交換作業が急に速くなる。ホイールナットを緩めハイグリップタイヤを引き抜く動作、その1挙動にも緊張感と焦燥感が憑依した。

「金井、お疲れ! あのC-HRをピットで逆転する、後は任せろ!」

「お願いします、石橋先輩! 相手も多分そうなんですけど、ブレーキがキツイかも知れません!」

「分かった、気を付ける!」

 XVに乗り込んでシートベルトを締め、スタッドレスタイヤが装着されるのを車内で待つ。フロントガラスにファイアーレッドのロリポップが被せられて、今一度ハンドルを握り直す。タイヤ交換作業も終わりジャッキが降ろされると、金井選手がロリポップを持ち上げることでオールグリーン。地を蹴るようにアクセルを踏んで、ホイールスピンをさせながら帝京大学のXVが小田原中継所を発進した。泣いても笑ってもラストスパート、大詰めの5区の始まりだ。

 スタートして数十メートルも行かないうちに片側1車線へと狭まり、東海道新幹線との交差を越えたら上りの右コーナー。バックミラーには駒澤大学のC-HRが大きく映っている。本当に僅かな差、ピットクルーの頑張りで、駒澤大学を逆転できた。仲間の想いを無碍にしないためにも、ここで抜かれる訳にはいかない。

 次は中速の左カーブ、箱根登山鉄道を置き去りにしながら駆ける。少しだけブレーキを踏むコーナーだが、踏んでみると確かにブレーキが痛んでいて止まりづらい。原因がオーバーヒートならば走行している内に冷えるだろうが、5区ならば冷却をする暇もなくブレーキングの用事が次々と出来る。ここは箱根駅伝ストリートGPの中で、最もコーナーが多いセクターだ。

 C-HRはしっかりと背中にへばり付いてきている。向こうもブレーキが厳しいのなら、こちらを追い抜くことはそう容易くない。しかしXVとは電力を充電する回生ブレーキの性能に大きな差があり、原始的なディスクブレーキの負担は駒澤大学の方が軽いはず。相手はモーター性能の分だけ、ブレーキの寿命にアドバンテージを獲得していた。石橋選手は十中八九、かなり追い詰められた状況に居る。

 緩いワインディングロードを上って西湘バイパスとの直交を終えると、左への低速コーナーが出てくる。そこを通過すると風祭の長いストレート、そして箱根新道との合流ポイントがある。ここが帝京大学にとっての堪え所で、横浜新道からの合流レーンの分だけ一時的に道幅が広くなるのだ。どうやら駒澤大学もバッテリー残量が少ないのか、ここまでの狭い国道1号では勝負に持ち込めないらしい。合流ポイントを抜けたら右へ曲がるので、ここで勢い良く右側レーンに飛び込み、クリッピングを確保したがるだろう。そうはさせない。

 右足の力を特に強めて、石橋選手は合流地点先の右コーナー、そのイン側に狙いを定める。クリッピングポイントを取られる前に、こちらで取ってしまおうという算段だ。シンメトリカルAWD由来の、登坂力とコーナリング性能を全てぶつける。

 駒澤大学のC-HRは、しがみつく様にしてXVのラインをなぞってきた。コーナーを立ち上がっても並走できるような勢いはなく、等間隔を維持するのが精一杯。次の高速S字も同様だった。かなり無理しているように見える、上り坂ならばこちらに分がある。箱根湯本駅以降、これから更に勾配が酷くなる区間まで逃げ切れば、悲願の優勝もかなり近くなる。

 しかし帝京大学は、全力を出すタイミングが少しだけ早すぎた。

 箱根湯本駅の左コーナー、本来は観光客とバスでごった返す地点。湯本大橋を越えてから踏んだブレーキがやや引きずって、XVがアンダーステアで対向車線へはみ出してしまった。この機を逃すまいとC-HRが帝京大学の左へ躍り出て、狭いコーナーで肩を並べる。いや、このコーナーは狭くない。

 10メートルにも満たない片側2車線、バス停留所のスペースまで使って、駒澤大学はインベタよりも内側から帝京大学を追い抜いて見せた。

「マジかよ、ここはそんなに広くねぇだろうよっ!?」

 首位のクルマが入れ替わってしまうと、条件もそっくりそのまま逆転する。この狭い5区で相手を追い越せるほどの余力はなく、後ろにへばりつくので精一杯。もう片側2車線になるようなポイントは残されていない、狭い片側1車線のみだ。そしてこの先で低速コーナーが連続して来ると、ハイブリットの回生電力が両手から溢れるほどに回収できる。格好の充電区間において、モーター出力で劣る石橋選手のXVに打てる手は限られている。

「シンメトリカルAWDが、コーナリングマシンがコーナーで墜とされた……くそっ、皆に見せる顔がねぇ……」

 首位をみすみすと明け渡してしまい、帝京大学の優勝も絶望的となる。しかし2番手まで後続車に明け渡すつもりは微塵もない、ここからは守りの走りへと切り替えることが彼には求められていた。


 EVクラスの本領発揮は、意外かもしれないがこの5区だ。

 國學院大學のリーフは、ここまでとても地味なドライビングをしていた。1区では神奈川大学のノートに抜かれ、4区でもHVSUV達に先行を許した。一方で他車をオーバーテイクすることは殆ど経験していない。しかしそれも全てはこの5区のため。バッテリー残量と温度の両方を、ここで全開走行をするためにセーブしていた。

 一般的にEVは航続距離が大して伸びず、重量級でコーナーが苦手だ。特に瞬間的なパワーが必要となる上りコーナーは、電費の観点から不安要素が残る。ただしその問題をクリアしてしまえば、この5区との相性はかなりマッチしているのだ。

 EVのモーターは低速域から最大トルクが発生するので、低速コーナーからの立ち上がりが速い。重量級の車体は裏を返せばトラクションの鬼となり、タイヤが新品である5区ではその性能をきっちりと搾り出せる。そして箱根のような高地だと空気が薄くなりエンジンの燃焼効率が落ちてしまうが、EVならばその心配もない。

 1区から4区までの全区間で他車とのバトルを避けることにより、バッテリー残量は5区でも潤沢になる。國學院大學・5区担当の永田選手は今、ここまでタスキを繋いでくれたドライバーたちに感謝していた。

「あいつらがここまで電力を残してくれたからこそ、今の俺がベストなパフォーマンスを叩き出せる……まずは目の前、早大のルーテシア! 恩をリザルトで返してやる!」

 旭橋で早川を一度渡って、いよいよ本格的な山道区間へタイヤを踏み入れる。國學院大學は現在6番手、けれども抜くべき相手はもう見えている。早稲田大学のルーテシアと明治大学のマツダ3が、仲良く低速コーナーで競い合っていた。

 国道1号のコース特性はここから180°変わるので、勢力図が一気に書き換えられる。4区では前の2台もそれぞれ間隔を開けながら進んでいたが、箱根湯本からの峠道で車重のあるマツダ3が失速。FFなので比較的軽いルーテシアが追い付いて、大柄な車体で狭いコーナーをうねうねと曲がっていた。リーフも彼らと似たようなボディサイズなのであまり他人のことが言えないが、峠であのような肩身の狭いコーナリングはレースペースを落とすだけだ。だから國學院大學と、後続の山梨学院大学Honda eまで4位争いに合流してくる。

 塔ノ沢の温泉街を抜け、都合4台がコーナーで絡まる。トレイン状態でその先の直線を上り、既に何個目かも分からない右の低速コーナーが見える。『速度落とせ』と路面標示が最後通告をしてくるが、それを聞き入れるような箱根駅伝ドライバーではない。速度40キロ制限を盛大に破りつつ、4台が連なってのブレーキング勝負となった。

 丁度塔ノ澤橋が見えてくる手前、ここで國學院大學が対向車線へ転線をする。ブレーキをかなり奥まで突っ込み、マツダ3とルーテシアの2台をゴボウ抜き。そのままコーナーをインベタに曲がって、4番手へとポジションアップをして見せた。

 リーフがここまで温存していたのは、何もバッテリー残量だけではない。ブレーキの消耗度合もまた、これまでにバトルを繰り広げてきたクルマたちよりも条件が良いのだ。無理な減速を一度もしていないので、3区の茅ケ崎合流から平塚中継所にかけてまでブレーキを酷使した2台を、いとも簡単に置き去りに出来た。

 早川の流路に沿って大きく左へ曲がったところで、後方にまだHonda eが付いてきているのが見えた。山梨学院大学も目立ったバトルはしていないのだから、永田選手と同じタイミングで早稲田大学と明治大学を追い越したのだろう。今は首位を狙うことに集中すべきだが、真の敵はすぐ後ろに居るのかもしれない。

 蛙ノ滝がある右コーナーで、今度は3位のヴェゼルが見えてきた。彼は1人淋しく単走状態で、今度は今しがたほど混み合ってはいない。あの東海大学はまだブレーキへのダメージもそれほど蓄積してはいなさそうだが、別の問題を孕んでいそうだ。ブレーキランプの発光する時間が少しだけ長い、つまり回生エネルギーをバッテリーへ充電している最中なのだ。

「もうモーターは使えないんだろう!? そんな鈍重なコーナリングをしてるくらいなら、大人しく順位をこちらに譲れ!」

 カーブを曲がる速度にかなり差があるので、しだれ桜通りとのT字路でノーズトゥバンパーの状態にまで持ち込めた。そこまでプレッシャーを掛けたら流石に反応が返ってきて、東海大学も折角貯めた回生エネルギーを払ってモーターを回してきた。

 短い直線ではその差を離され、コーナーが来るとまた前に詰まる。いたちごっこのようなバトルは、電力消費がとても大きい。これは東海大学だけならず、國學院大學のリーフも同条件だった。相手の出方に合わせて動く分だけ、アクセル・ブレーキ操作にも無駄が出てくる。

 早い段階で終わらせなければならない、永田選手はすぐに悟った。5区の序盤から中盤にかけてだと、おあつらえ向きのコーナーが1つある。そこで追い抜くことを目標にして、走行ラインの選択に神経を注ぐ。

 やがてコーナーをいくつも抜けていくと、路面の減速表示と捻じるようなS字が現れる。東海大学のヴェゼルはモーターを駆使してその区間を上り、勢い余った状態でブレーキ。対して國學院大學のリーフは、やや手前から早めにブレーキランプを灯した。

 そして待ち構える大平台の超低速ヘアピンで、オーバーシュートしたヴェゼルにクロスラインを仕掛けた。

 リーフはターンインを見事に決めて、インベタで大平台をクリアしていく。早めのブレーキングはいたずらにコーナリングスピードを下げるため、本来ならば控えた方が良い。しかし今回のように相手のラインが膨らむことが目に見えていれば、ドッグファイトには強いのでとても有効だ。加えてコーナー脱出後の立ち上がり加速も存分に稼げるので、この大平台でなら早めのブレーキングをした方が速くなる。

 モーターの力に頼り過ぎているのを後ろから凝視していて、東海大学がこのような結末に陥ることは想像に難くなかった。直線での加速に全集中をすることで、コーナーのことが見えなくなってしまう。この現象自体は誰にでもありがちなもので、限界走行状態ならば大平台がどの辺にあるのか、あと何個のコーナーを抜けた先かを正確に言い当てるのは難しい。

 充電をしている時に追い付かれ、無抵抗に抜かれてはいけない、何か策を弄さなければならないという焦り。後ろからでもそれが手に取るように分かったので、永田選手にとってこの早めのブレーキングは、それほどリスクのある賭けでは無かった。

 大平台駅前の右コーナーを大きく回って、観音様のご尊顔を一瞥する。気になるのはやはり背後のHonda eで、またリーフと同じタイミングで東海大学ヴェゼルを抜き去っているのだ。遅い前走者に詰まるというミスを一切犯さずに、山梨学院大学は4番手という順位をものにしている。例年はここまで上位には居ないはずだ。

 大平台ではちらと見ただけなので不確かだが、あのHonda eは対向車線の外側ラインを選んでいた気がする。そこから國學院大學と同様に、クリッピングポイントへ切り込んでヴェゼルをオーバーテイク。リーフよりもゆったりしたライン取りを選択したということだろう。

 山梨学院大学の方が、余裕を持って走行している。これが後々に響いてこなければいいが。永田選手はそう考えて相手を警戒しながら、箱根登山電車と再度並走する区間へと進入していった。


 蛇のように曲がる箱根の峠を、2台のEVが這い上がってゆく。山梨学院大学の大月選手は、静かに國學院大學のテールライトを追いかけていた。

 彼らが取っている作戦は、丁度4区の駒澤大学と同じである。自分と同じペースのクルマに付いていき、相手が前走者をオーバーテイクしたところで自分もそれに続いて漁夫の利を得る。ただしこの作戦は、『同ペースの相手をどこで抜くのか』という命題と背中合わせだ。

 あまり早すぎる段階で抜いてしまうと、今度はその相手にスリップストリームを与えてしまい、逆にその相手から仕返しを受ける。その点、駒澤大学の宮崎選手はとてもクレバーな走りをしていた。大月選手は彼のC-HRを参考にして走っている。

 そもそもHonda eというクルマ自体、國學院大學のリーフ程度ならどのコーナーでも抜けるほどの戦闘力を有している。ボディサイズはあちらより短いのでコーナーも小回りに曲がれるし、前後左右の重量配分が50:50なので遠心力も最小限。そして前例の少ないRRレイアウトは、この上り勾配において駆動輪へのトラクション条件が圧倒的に有利だった。

 最初にこのクルマが市販された時、これしかないと大学の誰もが感じた。往路は5区で最上位に居た者が勝者となる、つまり5区さえ速ければ結果が残せるのだ。例年上位に食い込めていない山梨学院大学にとって、これには6区から始まる復路を捨てるほどの価値がある。そしてその輝かしい勝利の瞬間は、もう奪えるほどの位置に転がり込んでいた。

 リーフの2つに加わるようにして更に前方、4つのテールライトが視界に尾を曳く。國學院大學のリーフと山梨学院大学のHonda eがトップグループに追い付いたのは、宮ノ下交差点の分岐だった。5区も折り返しに迫るポイントで、急な左カーブを上ってゆく。ここに進入する際のブレーキングでC-HRとXVが止まり切れていないのは、大方大月選手の予想通りだった。

 駒澤大学と帝京大学は、既に消耗戦を繰り広げていた。それは互いの首を絞め合う行為に過ぎない、國學院大學のリーフはもう勝負に打って出ようとしている。5区後半戦、グランドフィナーレ。こちらも覚悟を決めなければならない。

 小涌谷駅を通過する頃には、リーフが帝京大学のXVに並びかけた。大分思い切りのいい判断だ。C-HRとXVをまとめて抜こうとするとその全長分、2台合わせて8メートルを一跨ぎする必要がある。この辺りの短いストレートで、トルクのあるハイブリッド車相手にそこまでするのはギャンブルだ。狭いコーナーで肩を並べたところで、行き場を失くして減勢するだけだ。國學院大學に相当の自信があるのか、相手がそんなにも疲弊しているように見えたのか。後ろからまとわりついていれば分かる、國學院大學だってかなりブレーキを消耗しているのだ。

 横並びとなったリーフにオーバーテイクをされまいと、帝京大学のXVがそのペースを上げる。そうすると前を往く駒澤大学のC-HRもアクセルの開度を深くするしかなく、結果として比較的余力のあるはずのリーフがこの2台に呑み込まれていた。

「藪を突いたら蛇が出てくる……XV、多分そこまで遅くはないって思わなかったのか!?」

 箱根には罠のように蛇が潜む、大月選手は強く実感した。そしてこの蛇に咬まれていたのは自分だったのかもしれないとも。國學院大學を泳がせていて良かった、その身をもって彼にトラップを見させてくれた。

 右へ左へとカーブが迫り、インとアウトが交互に変わる。リーフもXVも等しく曲がり辛そうで、無理をしたくないトップのC-HRは背後からのプレッシャーに翻弄されている。この状況は誰も得をしていない、地獄のような優勝争い。それならば自分が今楽にしてやる、大月選手が慈悲のドライビングに切り替える。

 左レーンの更に左側、側溝の上にHonda eのタイヤを載せる。これでリーフのサイドミラーにこちらの前照灯が映り込む、これから仕掛ける意思表示は伝わっただろう。アクセルを踏み込むのはもう少し先だ。右コーナーを大きく回った先、県道734号・大涌谷小涌谷線との合流コーナー。箱根名物の小涌園コーナーだ。

 山梨学院大学が國學院大學との距離を詰め、後ろから軽く押してやる。神輿に担がれたかのようにリーフはXVから数センチだけ前に迫り出し、それが駒澤大学や帝京大学へのプレッシャーにまでなった。まるでドミノを倒すようなバンプドラフト、4台が小涌園コーナーへとそのまま突っ込んでゆく。

 最初にブレーキランプを赤く灯したのは、山梨学院大学のHonda e。それと同時に左のコーナー内側へと車体を揺らし、反応してリーフがブレーキングをしながらアウト側へとラインを傾ける。この國學院大學に押し出されるようにして、C-HRとXVは更にアウト側の車線に行き場所を求めながら減速。そしてHonda eが車体をクリッピングのコンクリートブロックへ捻じ込み、1-1-2の変速3ワイドが完成した。

 この小涌園コーナーにはバスベイがあり、一時的に道幅が広がっている。走行ラインが幅広く選べる、とても貴重なパッシングポイントだ。その内側へと立ち上がり重視で割り込むために、大月選手はブレーキを早めに踏んでライン変更、アウト側へと3台を封じ込めた。

 毒を以て毒を制す、そしてその毒は箱根の大蛇だ。5区のレイアウトを先読みした上で、状況に応じた柔軟なオーバーテイクの筋書きを立てる。大月選手のHonda eはそれを忠実に実行し、立ち上がり加速で以下の3台を突き放していく。

 山梨学院大学、快挙の首位獲得。

 後続の3台には最早、彼を止められる電力が残されていない。一瞬のコース変化を見越して2番手以降を置き去りにして、EVがチェッカーフラッグへ向けて勝利の上り勾配を駆けあがっていった。


 狭小コーナー、アンジュレーション、そして馬力差を打ち消す180PSレギュレーション。この5区において本当に速いのは、恐らく他の誰でもない、関東学生連合チームのコペンだろう。

 ここまでのコペンドライバーは皆、最高の仕事をこなしてくれた。1区の日本薬科大学・伊奈選手は、目の前で起きた順天堂大学エクリプスクロスのクラッシュを見事に回避した。2区の武蔵野学院大学・川越選手は、国士舘大学のスイフトスポーツと専修大学のマーチをオーバーテイク。3区の上智大学・中野選手は、拓殖大学のインプレッサと中央大学のCX-30、創価大学のミニクーパーを攻略した。4区の東京工業大学・奥沢選手は、日本体育大学のシビックと東洋大学のカローラ、法政大学のプリウスPHVを一思いにゴボウ抜きした。

 彼らの努力を繋げるために、5区担当の埼玉大学・大宮選手は、東京国際大学のCT200hを大平台で抜き去った。多くの大学が終盤に来て消耗しているのに対して、車重が1トンにも満たないコペンはダメージが一番少なかった。軽いということはそれだけタイヤとブレーキへの負担が軽減され、遠心力もかからないのでコーナリングで無茶が出来る。

 箱根駅伝ストリートGPの予選が終わった時、あの夢の舞台に立てなかった自分を呪った。だから関東学生連合チームとしてのオファーが来たとき、まだ自分にも出来ることがあったのだと救われた気がした。この箱根のストリートに、有象無象である自分たちの爪痕を残す。全力で挑むという目標は、例え大学が違っていても5名全員が共に抱いていた。

 CT200hを抜いてから、またしばらくコペンの独走が続く。こうしていた方が大宮選手の気も楽なのだが、ポジションを上げられないのはとてももどかしい。血沸き肉躍るバトルに飢えている、今のコペンは箱根の大蛇の一部だった。

 小涌園の中速カーブで、地を這うようにしてフロアを削る。ダウンフォースの効きは充分だ。セクタータイムなど知りようもないが、彼が今リズムに乗れているのは事実だ。ストレートを馳せて右、左へうねると、マツダ3とルーテシアのリアが遠くに出てきた。明治大学と早稲田大学に追い付いた。

「まだやり合ってる……3区からずっとだったよなぁ? 懇ろなのかな、あの2チーム」

 口では冷たく毒舌を吐くが、内心では闘志が煮えたぎっている。高速、中速コーナーを流れ、恵明学園前で顔を並べる。その圧倒的なスピードに2台は恐れおののいているだろうが、生憎まだ仕掛けられるようなポイントではない。いくら軽量コンパクトのコペンといえども、大柄な2台をまとめて抜くにはある程度のスペースが必要だ。小涌園コーナーほどの高望みはしない、片側1車線とプラスアルファのスペースで良い。

 ハイパワーマシンの背後に這いよって、あれからコーナーを6つほど捨てる。ある場所でのイン側を仮に取っても、またすぐに逆向きのコーナーが出てくる。並走するのはただの悪手だ。

 笛塚バス停のストレートを駆けて、ここで大宮選手が右へはみ出す。センターラインを大きく跨いで、相手のミラーにその小柄な車体を誇示した。なるべく目立つようにした方が良い、これは陽動なのだから。

 コペンに先行させまいとして、マツダ3とルーテシアも対向車線へとラインを変えた。この先は右のヘアピンカーブなので、そこで関東学生連合チームが仕掛けると思ってくれたのだろう。それにしてもこの2台は、本当に仲良く同じタイミングで動いてくれた。片方だけ対向車線に出て両方のレーンを塞がれた場合、それが最悪のシナリオだった。

 右のヘアピンコーナーを、大宮選手は中央線を跨ぎながら通過する。クリッピングに付こうともしないので、明治と早稲田は怪訝に思うだろう。続くは短いストレート、そしてつづら折りとなる真逆の左ヘアピン。

 この2つ目で、コペンが前を往く2台の内側を突いた。

 マツダ3とルーテシアは押し出され、今度はこの2台がセンターラインを割りながら曲がる。コペンは内側の側溝をも跨ぎ、左側ホイールは完全にグラベルを転がっていた。これが大宮選手の求めていたプラスアルファ、50センチメートルにも満たないコースオフ。アスファルトを越えてまで箱根の峠を柔軟に使い、コペンは明治大学と早稲田大学にそのエグゾーストを吹きかけた。

 オーバーテイクが無事成功して、関東学生連合チームは現在6番手。しかし5区はまだ7合目、あと1台くらいは攻略できそうだ。

ダッシュボードにある各車の走行位置情報に目をやると、山梨学院大学がトップに立っている。EV組が5区で戦力を一気に吐き出しているのだろう。そして4区までのリザルトで順当に行けば、次に待ち構えるは東海大学のヴェゼル。調子に乗っていたところを撃墜されたクルマだ。

 東芦の湯バス停付近から、5区のラストスパートが始まる。それまでひたすらに山を上っていたが、ここをハイポイントとしてフィニッシュラインまで続く下り勾配へと変化する。ここからがコペンの本領発揮、軽量車体は落下する時が一番速いのだ。

 ビオーレを越えた先の直線区間、東海大学のヴェゼルを見つける。もうバッテリー残量が残っていないのか、ストレートスピードすらコペンの方が勝っていた。東海大学は誰かとバトルでもしたのか、恐らくEV勢に抜かれた際に放電したのだろう。可哀想に。

 畑宿入口交差点のヘアピンで、東海大学にブレーキング勝負を仕掛ける。向こうも消耗しているだろうから楽に抜けると思ったが、ヴェゼルも意外とブレーキを粘っていた。そしてこの減速で回生電力を手に入れたのか、立ち上がりのストレートと中速コーナーでは差を詰めることが出来ない。ハイブリッドはやはり峠で厄介だ、大宮選手は独りごちた。

 左ヘアピンとガソリンスタンド前の分岐を抜けると、とうとう芦ノ湖が姿を現す。もう下り勾配は終わってしまう、コペンの味方が1つ減ってしまう。

 元箱根交差点を曲がって鳥居を潜れば、ヴェゼルのバッテリーは充分チャージ出来ているはず。ストレートではきっと競り負けるし、悲しいことにゴール前は平坦なストレートだ。

「ガキの頃の修学旅行で箱根神社にお参りしなかったの、神様ぜってー根に持ってるだろ! 素直に俺に勝たせてくれよ!」

 神頼みとは真逆に神へ毒舌を吐くも、それで状況が好転する訳ではない。箱根の大蛇ともいえる山道区間が終わりを告げて、残っているのは出涸らしのような芦ノ湖周りのコーナーのみ。杉並木へ差し掛かる道を上る車中で、ヴェゼルとの彼我差が逆に広まる現実に絶望した。

 しかし文句も言うだけ言ってみれば、神様はたまに聞き入れてくれた。

「ハイポイント……そうだった、こっからまだ下る!」

 茶色の元箱根歩道橋をアンダーパスすると、そこには大蛇の尻尾が繋がっていた。下りの中高速コーナーの連続、まだ大宮選手にもチャンスが残されている。

 この区間のS字は確か5つ、その内最初の高速カーブは今通過した。間髪入れずに2つ目のS字、この先は勾配が増す3つ目の高速ワインディング。4つ目はコンパクトなので中央線を無視し、両コーナーのクリッピングを一手に獲得。

 5つ目の高速S字セクション、箱根関所を脱出する頃には、ヴェゼルの背後に意地でしがみ付いていた。

「テメーのケツに接吻をしてやるぜ、だからこのコーナーで全ての蹴りを着ける!」

 大宮選手の気迫が圧縮され、エンジンのシリンダー内で爆発する。口から排気されたその咆哮は駆動力となり、5つ目のS字コーナーの後半、最も下る右高速カーブへとぶつけられてゆく。ここを抜けたら箱根駅伝ファイナルストレート、抵抗の出来ない直線区間だ。

 対向車線のイン側へと飛び出して、コペンが東海大学のヴェゼルとサイドバイサイドに。軽さを武器にして車速を搾り出し、駆動輪をアスファルトへ押しつけてゆく。駐車場のフェンスにサイドミラーが這いよって、もしかしたら軽く接触したかもしれない。だが見もしないものを気にしても仕方がない、大宮選手が直視すべきはファイナルストレートただ一本のみだ。

 5大学分の想いが憑依した、大蛇のコペンが真っ直ぐに伸びる。立ち上がり加速の出だしは勝っている、しかし相手は回生電力をここでもぶつけてきた。ボンネットの延長程度、ノーズをコペンより前に迫り出してきた。180PSが全力で加速し、ファイナルストレートを下り馳せてゆく。無情にも、山梨学院大学の優勝シーンが進路先で繰り広げられていた。

 それに構う必要は全く存在しない、この2台が平坦な直線をただ駆け抜ける。下り勾配のアシストは終わった、そして回生電力のアシストも終わった。ヴェゼルの勢いが徐々に死んでゆく。対するコペンはエンジンを高回転域まで回し、直列4気筒の粘り強さを見せつける。あと100メートルも残されていない、東海大学を追い越すためにも。リザルトとしては残らなくても、ここまで繋いできたタスキを、あのチェッカーフラッグまで届けるためにも。

 2つのエンジンの悲鳴と鼓動が、澄んだ箱根の山を震撼させる。スタッドレスタイヤのライフはもう無い、後はこの直線を転げ往くのみ。深い芦ノ湖の底へダイブするように、ファイナルストレート終点へと仲間の想いを全て突っ込ませ。

 フィニッシュラインへ差し掛かったその瞬間、コペンのノーズがほんの数センチだけ、東海大学ヴェゼルよりも前に張り出していた。


<最終リザルト(トップ10)>


1st…Honda e Advance(山梨学院大学)

2nd…トヨタ C-HR GR SPORT(駒澤大学)

3rd…日産 リーフnismo(國學院大學)

4th…スバル XV Advance(帝京大学)

5th…トヨタ/ダイハツ コペンGR SPORT(関東学生連合チーム)

6th…ホンダ ヴェゼル RS(東海大学)

7th…マツダ 3 FASTBACK X PROACTIVE(明治大学)

8th…ルノー ルーテシアR.S. トロフィー(早稲田大学)

9th…レクサス CT200h F SPORT(東京国際大学)

10th…トヨタ カローラスポーツ HYBRID G(東洋大学)


※5位の関東学生連合チームは参考とする。

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箱根駅伝ストリートGP 柊 恭 @ichinose51

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