第3話
目が覚めたのは私の主観に照らすと朝の7時だった。寝ぼけ眼のまま、いい加減にスケジューラーを起動し、自分に合った速度で身支度を整える。
本当ならこのまま寝ていてもいいはずだった。実際の時刻を知るための秤はすでに壊れているからだ。
神の視点というものがあるのならば、私がそれを掌握している。完璧に。
だから、あえてこう言い切ってしまおう。
聖グレゴリウス暦4021年が現代となった今、それが当面の私に与えられた日常なのだ。
313年前、国家戦争が起こった。原因は誰も把握していないが極めて複合的なものに違いない。口火を切ったのはご立派なICBM核弾頭42発、程なくして相互確証破壊は国際法通りに機能した。
着弾を記録した一発の核弾頭の照準が英国に向けられていたため、グリニッジ標準時は永続的な機能不全に陥った。数年を待たず、開発途上にあった衛星軌道エレベーターの建設計画も頓挫し、未来永劫にわたって修復不能となった天文施設は星を見るのをやめた。
世界は姿を変え、元には戻らないところまで来てしまった。復興は不可能。それがこの時代の全ての人間が共有する一般的な認知だ。
しかし、その認知の発信は恒久的に生存することを許された者たちによって成されている。
私たちはもう駄目だ終わったのだと生存を諦めながら、なお虚妄の生を生きる者たちによってこの世界は成り立っていることをこの世の誰もが認めているというこの状況をどう説明すればいいだろう。
ここには複数の革新的出来事と144人の偉人変人たちが関わっている。
世界の崩壊以前の水準まで経済を復興することは出来なくとも新しい資本の枠組みを作り出し、価値を創出する事はできる。かつてそう考えた若者たちがずっとずっと長い間人類を支配していた使用価値、交換価値の概念に照らして極めて新奇な世界構造を作り出すことになったのだ。
その構造において、時は失われたまま意味をなさず、失われたまま機能することをやめることがない。
絶え間なくかつての営みの模倣を提供することで世界の枠組みを半永久的に保存する。
ここではもはやかつて存在した精緻な意味での時間は人の歩みを測る里程標としてではなく、一部の古き人々の信仰対象として機能する以外の要を成していないのが実情であった。
こうまでされては、西暦など旧世代の墓標に過ぎないと言って差し支えがないだろう。
なぜ、こんなことになってしまっただろう?
ここには回帰不能の分断が生じているということはあえて事実として言及するまでもないことだ。
あの忘れえぬ災禍の後、新しく生を受けた者たちの祖は、当時、国家規模の利権を有するVR技術の発展に軽視できないほどの効用価値を見出しており、その産業の持つ利点を享受するのに労を惜しまないだけの動機を持っていた。動機の材料にはリソースの不足などネガティブなものも含まれていたには違いない。しかし仮想空間の扱いに長けていた新世代の中のさらに20代以下の若年層のさらにさらにごく一握り、IT企業の発展を担う開拓者たちはその肩書きの通り、全人類未踏の挑戦を楽しんだ。
新世代の祖となるべく動き出した若者たちが最初に目をつけたのはVR世界の持つ時間の概念の圧縮性にある。
結果だけ言うと、その着眼点は人々にかつての災禍を忘れさせるほどの心理的安定をもたらしたと言われている。
各々が設計し作り出した夢のような世界で自身のライフスタイルを基準に圧縮、或いは拡張した時間を好きなだけ得ることができる。
そんな突拍子もない概念によって現代の人の営みは成り立っている。
十全な身体感覚を重んじる古き人々はその始祖たちを新人類と呼ぶことを忌避し、代わりに屍人、死刻囚、虚永の徒、様々な名を付けて不名誉に冠したが、時の趨勢を変える事はできなかった。
世界に導入された新しい時間管理の手法により自らを新人類と名乗った者はその名の通りのものとなっていた。
私はその一員として再度、生を受けることになったのだ。
これは問いです、読者。まだ起きていますか?
重すぎる話題を振っておきながら私は神の視点で欠伸をした。
ここの語り部分はまだ私が書きたい部分ではないからだ。
私の主観に照らせば世界の崩壊、終末などさしたる意味を持たない。
相対評価にして冒頭部分の自死に対し10分の1程度の比重で私はこれを描写した。
新しく得た身体、五体満足な情報体の人差し指を駆使して、電子パネルのスイッチを押す。
「おい、ムラサメ。起きてるか。」
返事が返ってくるのに1秒もかからなかった。
「お前が起きてるなら、俺も起きてるに違いないだろう。ボケてるのか。エゴ」
そりゃあ、そうだ。
私たちは寸分違わず時間感覚を同期させた同刻グループのメンバー、同じセクターγに属しているのだから。
私が起きてるのなら、ムラサメも起きてるに違いない。
それは心臓が動いているのなら、肝臓も動いている。脳が覚醒したのなら目を開くのと同じくらい分かりきったことだった。
「今日は何をして遊ぼう」
「そうだな。下位セクターの制圧状況は約8割。もう奴ら抵抗する素振りもみせやしない。」
「もう少しいじめてやろうか?お前、あいつらのこと嫌いだったろ」
私はそう言ってムラサメが昨日壊滅させたセクターのことを異常に憎悪している原因について検索にかけた。
大したことのない理由だが、ムラサメの嫌悪感情に相当するスコアは偏差80を記録している。異常な数値だ。大事と言っていい。
ムラサメの中で嫌悪の感情が膨らむのを電子パネル越しに感じた。
感情の配合を表示することで「あれはもういい。終わったことだと」と伝えてようとしているのだ。
ムラサメは無口な男だがこのようにして賦活な思いを言外に標榜することに躊躇がなかった。
「上位セクターに喧嘩を売るには資材が足らん。なんとも面白くねえ状況だな」
セクターγは全部で何層あるかわからない時間感覚世界の中でも極めて圧縮率が高く、時間の流れの緩急操作について、自由度が高く設定されているセクターだ。
暁を漕ぐ宵の舟 EGO @ARCADIA_EGO
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