読林檎
何か無いかなぁ。そんな気分で今、俺は本屋の文庫コーナーにいる。
まぁ、普段はあんまり本を読まない。ただ、ちょっとした商談の帰りで、バスが来るまでの待ち時間にちょっと寄ってみようかなと思っただけだ。
勿論、面白そうな本があれば買うつもりではいる。
……それにしても、やたらと本が並んでいる。本屋だから当たり前だが、これだけあると選ぶのに時間かかる。
各出版社で区切られたコーナーの端にはお勧めの本百選とかいう冊子が吊るされていたりするが、それを見ているだけでバスの時間になりそうだ。
沢山の本の背表紙。聞いたことのある不朽の名作から無名の作品、そして最近の話題作まで、特にどれに目を留めるでもなく眺めていく。そして――。
『名作からベストセラーまで、あらすじを完全網羅!』
そんなタイトルが目に留まった。
恐らく、そのままの内容の本なのだろう。ある意味、一冊で何十冊分を堪能できるお得な本なのかもしれない。何気なく、その本に手を伸ばす。
すると突然、横からその手首を掴まれた。
「……なんですか?」
いきなりのことで、かなり動揺したものの、自分の手を掴んだのが女性だったということもあり、すぐにそう反応する。
二十歳ぐらいだろうか、かなり若い印象を受ける顔立ちと、肩まで伸ばされ、少しウェーブのかかった黒髪、そして
文科系と言ってしっくりくる女性だった。
彼女はむしろ、どうしてそんなことを聞くのか、そんな様子だったが、怒ったように口を開いた。
「この本、買おうとしましたよね?」
ご
俺は、彼女の口から出てきた言葉に少々面食らってしまった。まったく、それがどうしたと言うのだ。と、そこで一つの可能性に思い至る。
「あ、もしかしてこの本を買おうとしてましたか? ちょっと気になっただけですから、どうぞ――」
「いえ、買いませんよ」
善意のつもりで言ったのだが、彼女は更に機嫌を悪くしてしまったようだ。
なんだか、もう訳がわからない。
「本って、あらすじだけが全てじゃないでしょう? もしあなたが作家だったとして、自分の本をあらすじだけ読まれて納得します?」
「……いや、それはしないでしょうね」
彼女のすごい見幕に思わず押されてしまう。そして尚も、彼女は畳み掛けるように言葉を続ける。
「本って、たとえば
彼女はそういい切ると、真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。
恐らく同意を求めているのだろうが、あまりに真剣なその眼差しについ、目を逸らしてしまう。
正直、本をあまり読まない俺にとって、それが同意できるかと言えば微妙だったし、かといって彼女の気迫が俺に否定の言葉を飲み込ませていた。
彼女はそんな俺に対してため息をひとつ、「待っててください」と、少し離れた棚から一冊の文庫を素早く抜き出して来ると、改めて俺の前に立った。
「とにかく、あんな本だったらお腹いっぱいにはならないです。だから、まずはこれを読んでみて下さい!」
その言葉が終わるや否や、彼女は俺の手に一冊の薄い文庫本を押し付け、本屋から足早に立ち去る。周りの客達は見ないふりでもしているのか、こちらに顔を向けることすら無かった。
それから数秒、俺はその場に呆然と立ち尽くした。
そして我に帰り、彼女に掴まされた文庫本に目をやる。
本のタイトルは『
表紙のイラストは、白いお皿に載せられた林檎が一つ。その林檎の皮は少し
作者は『
聞いたことの無い名前だが、恐らく女性作家だろう。
そこで俺はふと、その本の最後のページを
残念ながら、そこには著者近影は掲載されていなかった。先ほどの女性がこの小説の作者なのか、それともこの作品のファンだったのかはわからない。
裏に表示された値段は、六百三十円。
味見をしてみるのも悪くないかもしれないな……。
すこしブキミ? 短編の缶詰 白林透 @victim46
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