大江戸ダイバーシティ(終)
数日後。
永尾格次郎の絡繰土竜はこの台場町に爪痕を大きく残したものの、人は変わらぬ生活を送っていた。
背景には幕府と和蘭との会談が重ねて行われたようであったが、庶民にとってはどうでもいいことだった。
風津は茶屋で団子を食べていた。台場の団子の中では上等な方だったが、その味は
お茶で腹に流し込むと、視線は茶屋の看板娘に向いた。若い娘だ。名をお福と言った。
腰の位置も高い。自然と視線はその腰に向いてしまう。
なるほど、いい団子屋だ、とほくそ笑む。
「風津さん、一段と元気がないねえ」
彼女がそう声をかけてきた。顔に下卑たものが出てなかっただけマシだとでも思おうか。
串を置いて、風津は言う。
「そりゃ、元気もなくなるさ。タダ働きをさせられたからな」
あれから公儀から便りは何もなかった。珊を連れていったところまでは見ていたが、それからの接触は皆無である。珊の言っていた報酬なるものはついぞ支払われなかったのだ。
「まあ、それは困ったねえ。で、お代は払えるの?」
「つけといちゃくれないか」
「いつになったら支払えるのよ」
そうは言いながらも彼女は皿を下げて、見送ってくれる。
年末までに支払う算段をつけるか、どこかに泣きつくかしなければならない。
何せ初めての見世で、その有り金のほとんどすべてを使ってしまったのだから。
街中を歩くと、誰も彼もが風津を避けていく。
赤い髪は鬼を想起させるらしい。“台場の赤鬼”という異名は、傾いた出で立ちや、喧嘩ばかりの粗野な振る舞いのみから言われたわけではない。
その呼び名が先か、風津の素行が先だったかは、もはや風津ですら覚えていない。
台場町の端には長屋があった。ここは居つく場所のない流れ者が多く集まる場所でもある。
職人になれなかったもの、怪しい商人、主君を失った流浪人。
天草との戦乱が続くいまでは、あらゆる人手を必要としているはずであるが、もはや表にも立てない者というのもいるのだった。
かく言う自分は、ただどこへも行くことができない、という理由でここにいる。
台場を囲う壁はそのまま、風津を覆う檻なのだ。
がらり、と我が家の戸を開けた。
「おかえりなさいませ、でござる」
そこには三つ指をついた娘がいた。顔を下げているが、その口調で誰かはすぐにわかった。
数日前に壊された絡繰忍者であった。
「おめえ、お珊、生きてたのか! 報酬を払ってもらおう!」
「出会い頭の第一声が金のこととはなんとも女心のわからないやつでござるな!?」
「俺だって命を懸けてやったんだ。命があっただけ儲けもんだなんて考えで生きていけるほど甘くはねえ」
風津がそう言うと、珊は顔をあげる。そして気まずげに視線を逸らす。
何かやましいことがあるのだとしたら、ひとつしかない。
「まさか、払えねえって言うんじゃなかろうな」
「そのまさかでござる。知っての通り、拙者は絡繰でござる。そして公儀隠密においてその名を石川五右衛門と申した者」
「なっ、はあ?」
素っ頓狂な声をあげてしまったが、おかしな話ではなかった。
彼女は絡繰であり、鬼の力で動いている。その外見がそのまま年齢であるだとか、実力であると決めるのはよくない。
だが豊臣の時代に名を馳せた義賊、石川五右衛門と名乗り、しかも実は女だったと言われれば、疑いたくなるのも心情というものだ。
「絡繰土竜との戦いの折に大破したものの、風津殿の剣がわずかに早く、胎にあった鬼核は無事でござった。しかし四肢も頭部もつぶれてしまい、その修理のために用意していた報酬も、拙者が豊臣よりくすねていた貯蓄もすべて使いきってしまったのでござる」
しからば、と彼女は再び頭を下げた。
「拙者、この身をおぬしに捧げる覚悟で参った」
それを意味するところがわからない風津ではない。ごくりと息を飲んだ。
絡繰とは言え、いいや絡繰であるからこそ珊は魅力的な外見をしていた。
彼女が着飾って歩けば誰もが振り向くだろう。間抜けなござる口調に耳をふさげば、なるほど。
わずかな期待を込めて彼女を見ると、まばたきをしている間にこちらに尻を向けていた。
「胸はともかく、尻には自信があるでござるよ! 先日も見惚れておったし、先ほどの茶屋でも女の尻を追いかけているような風津殿であれば、さぞかし好物でござろう!」
謎の自信を持って彼女は言った。その尻を眺めて、風津はため息をつく。
「い、痛いでござる! 何故叩いたでござるか!」
「るせえやい、恥じらいってもんはねえのか! 微塵もそそらねえよ!」
「なにおう! 拙者がどれだけの覚悟をもって臨んでいるのかわからないでござるか!」
「知るかんなもん! いい女になって出直してこい!」
二人はそうやって言い合いを始める。なんだなんだ、と熱しやすく冷めやすい長屋の住人達が集まってくる。
珊の髪には、きらり、と簪が光っていた。
絡繰伝奇 オオエド・ダイバーシティ @joshua_kaku
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