大江戸ダイバーシティ(下)

 珊が作った抜け穴は大胆にも遊郭を真下へと貫いていた。

 しかし、あまりの大胆さに、人目さえ避けてしまえば、そこが通り道であるなどと誰にも思われないだろう。

 時に大胆にそこに在るということは、疑いを持たれない。

 世に忍ぶくノ一であるからこそ、珊はそのような道を見つける、作る術に長けているのだと風津は思った。

 二人が潜っていく先は地中深くであった。

 いま這うようにして進んでいる梁は、埋立地という脆い地面を支えるためのものである。

 ゆえに大木が使われており、眼下からは死角になっているだろう。

 揺れる火の明かりでさえ、二人の影を映すことはなかった。


「あれを見るでござる」


 珊が首を向けた先を、風津は見た。

 そこにいたのは白髪混じりの老人である。

 老体に似合わず大声をあげて指示をしている様を見れば、この地下空間を取り仕切る者であることが窺える。


「あれが永尾格次郎だな。職人と言うわりには、がらくた弄りよりも、普請ふしんだって言われた方が納得だぜ」

「なっ、がらくたと申したでござるか!」

「声が大きいぞくノ一」


 はっ、と珊は口を手で封じる。幸いにして、下の者たちには気づかれなかったようだった。

 永尾格次郎を再びまじまじと見た。精力的な人物であるが、その活力の源を風津は理解した。

 首にかけられているのは十字架であった。それはいまの時世、徳川配下では禁じられた伴天連ばてれんの教えに従う者であることを示していた。

 基督キリスト教の信徒は、いまや南蛮人でない限り、天草の手の者であるとして即刻斬り捨てよと命が下されるほどであった。


「ははあ、読めたぞ。永尾というジジイ、島原の衆だな」

「いかにも。数年前に技術者として居着いたものの、元より燻っていたところへ島原より内通を受け、このように動いているようであった」

「さて、となればあのでけえ図体をしたやつが、さっきおめえが言ってた永尾の絡繰というわけか」


 永尾が指揮し、男衆が手入れをしているものを見た。

 大きな団栗どんぐりのようであったが布などに覆われ全容は見えない。

 しかし、その大きさたるや、屋敷一つ分はあろうかというほどである。


「こんなもんを台場町で暴れさせようってのか」

「果たして、この町の破壊だけで済めばよいでござるが。江戸そのものの破壊を目論んでいるとすれば、その影響たるや」


 江戸が破壊されれば、豊臣より以前に逆戻りであろう。

 力を持つ諸大名と、力を主張する幕府の者たちと、そして九州を支配し大きな国とする島原衆。

 群雄割拠の時代が再びおとずれることは想像に難くない。


「気をつけて鬼核きかくをあつかえよ!」


 永尾の言葉に、へい、と答える男衆が、大きな像を運んでいた。

 鬼核と呼ばれたものは鬼神の像であった。泥によって作られたものである鬼神像を、いままさに巨大な絡繰の中へと入れられるところであった。


「こうして絡繰の中身を覗くのは初めてのことだが、」

「然り。絡繰の中には、薇発条ぜんまいばねを手で回さずとも動くものがあるでござる。それは、その内側に鬼を封じた、ひとつの式神でござる」

「……はあ、なるほどな。陰陽師なんなりでなくとも使えるようにした式神か」


 陰陽師などが力を持っていたのはいつの時代か。鬼が多く蔓延っていたのも遠い昔のことだ。

 風津の手にある秘剣はなるほど、そうしたものを斬れるかもしれない。だが、試したことはなかった。

 あの兵器を斬ってみせよと珊は言っているのだ。

 できぬ、のであればそう言おうが、試したことのないことをそのように言うのは、男が廃るなあ、と風津は思った。

 視線を珊へと戻した。いや、いま見えるのは、珊の尻のみである。

 もぞもぞ、と風津は身を震わせる。


「なにをしているでござるか?」

「いい尻をしているなと思ったら、少しな」

「馬鹿でござるなおぬしは!?」


 珊が悲鳴をあげる。それと同時に、じりり、と何かを巻き取る音がした。

 風津と珊がそちらを向けば、小指ほどの大きさの虫がいた。

 いいや、それは絡繰である。その背中に埋め込まれた目を模した球体が、風津と珊を見た。

 途端に地下のあちこちからけたたましい音が鳴った。


「曲者じゃ! 者共、支度せい!」


 若い男衆のひとりがそう叫んだ。

 どうやら警報装置に見つかったようで、風津は慌てる。


「おい、どうすんだ!」

「知れたこと。正面から叩くのみ!」


 最後は忍者らしからぬ蛮勇さでもって、珊は梁から飛び降りる。

 すでにここまでの接近を許してしまえば、珊にとって残りの距離は些末なことだ。

 ええい、ままよ、と風津も飛び降りて永尾格次郎の元へと駆け出した。


「お命、頂戴致す!」


 そのように言って珊は永尾の元へと迫る。風津はそれを追うべく後ろについていくが、若衆に囲まれてしまう。

 果たして珊が永尾の元へと届いたかと言えば、そうではなかった。

 永尾は胸の十字架を珊に向けて投げたのだ。ともすれば冒涜と取られかねない行為であるが、しかしその意外な行動であっても珊は止まらない。


「まずい、目を潰されるぞ!」


 だが、本命はそのあとだった。十字架から発せられた眩い光が辺りを包んだ。

 目眩しであった。それは珊も風津も、若衆たちも眩んでしまう強烈さであった。


「永尾様、準備が整いました!」


 声があがった。巨大な絡繰に鬼核を組み込んだ男からだった。


「よかろう。では、起動させよ!」


 その言葉を合図に、巨大な絡繰は大きく振動し始めた。

 格次郎は絡繰へと乗り込んでく。自身の手によって操作し、梃子てこを操作することによって動かすのは絡繰においてはむしろ定石であった。

 幕が払われて、巨大な絡繰の正体が露わになる。

 円錐の角が生えた獣のように見えた。

 頭でっかちで、角がその半分を占めている。

 手足にあたる部品は折り畳まれて、歯車によって履板を回し車輪がわりに駆動するようだ。


「公儀隠密め、いまさら踏み込んだところでもう遅いわ! これこそが永尾格次郎が宿願の形、絡繰土竜よ。名付けて怒利竜ドリル惡転おころ! これにて江戸城を粉砕せしめ、天帝デウスの元に平等なる世界を築いてみせようぞ!」

「なんて面妖な! 絡繰ってのはなんでもありだな!?」

「そ、それは誤解でござる! あんな珍妙なものばかりではないでござる!」


 珊がそのように抗議したが、事態はそれどころではない。

 絡繰の角が回転し、履帯を転がし進み始めた。その様子に地下にいる若衆たちは散り散りになっていく。



   *   *   *



「行けぃ、貫けぃ!」


 そのような声が響いた。絡繰土竜はその角を回転させ、壁へと突き立てた。

 面妖な形をしているが、掘削には適したものであり、大量の土を巻き上げる。

 慌てて飛びのいた二人は、絡繰土竜の姿を見てその狙いを理解する。


「まずい、外へと出るつもりでござるか!」

「ちっ、手遅れかよ」

「風津殿が早く頷かぬから!」

「はあ!? てめえこそ言うのがいちいち遅いんだよ。ってか、こんな無駄口叩いてる場合か!?」

「手も動かしているでござる!」


 珊が風津の腰に腕を回すと、もう片方の手を引っ張った。

 宙から垂れた鋼糸を引っ張ると、逆に珊の身体が浮かんでいく。


「おい、おい何だこれうぐっ」


 俵のように抱えられた風津は、あれよと振り回される。

 そのうちに天井をいくつも突き破るうちに空へと放り出された。

 見世の屋根を転がり、見上げたのは夜空と、空から星を奪ったかのように光り輝く台場の町だった。


「飛んでいる最中に喋ると舌を噛むでござるよ」

「だからっ、遅いんだよ言うのがよ!」


 珊の言葉に叫んで返す。

 だが、その怒号は轟音にかき消された。

 地上に顔を出したのは絡繰土竜の捻じれた角だった。

 用を果たしたはずのその角の回転は止まらない。けたたましい音を立てて威嚇しているように見えた。

 きゅるきゅる、と足替わりの履帯を回している。

 獲物を見つけた獣は助走をつけ、走り出す。

 方角はまっすぐ西の方へ。

 すなわち……。


「おい、あいつ、まさか江戸城めがけて進むんじゃねえだろうな」

「先ほど奴が言っておった通りでござろう。あの回転角にかかれば、いかに江戸と台場を分断する門と言えど一たまりもない!」


 そう言うや否や、珊は屋根を駆け出した。風津もそれを追いかける。

 台場町の端を見やった。

 この台場町は、壁に覆われた巨大な人工島である。

 第二の出島として造られたこの台場町は、無尽蔵に家屋が建造されていったが、その果ては決められていた。

 いいや、果てが決められていたからこそ、上へと伸ばすしかなかったというべきだろうか。

 見える壁はこの台場町の檻だ。貿易相手の和蘭(《オランダ》)と言えど信用されていないという証だ。

 反乱の萌芽はこの台場町の内へ閉じ込める。徳川幕府の策であった。

 この台場町と江戸の街とを繋ぐ唯一の陸路、虹橋のある


「火術を使う故、音には気を付けられよ!」


 珊はどこに隠し持っていたか、焙烙火矢に火をつけて、絡繰土竜へと投げつける。

 轟音と煙が広がる。

 戦乱の時代においては船を破壊するのに用いられていた兵器である。


「それでもびくともしねえのかよ!」


 煙を振り払って進む絡繰土竜の姿を見て、思わず風津はそう言った。

 ならば、と珊は印を結ぶかのような動作を見せる。

 しかし指先から伸びたのは銀の糸だ。先ほど見せた鋼糸を網のように編み上げ、絡繰土竜へと放った。

 今度は金属同士が擦れるような音が響き渡る。

 見事な忍術だった。自分の体躯の十何倍もの大きさを誇る異形を、ただ一人で足止めしたのだ。

 だが、足りない。鋼糸を引きちぎってなお、絡繰土竜は歩みを止めない。

 やがて大きな門が見えた。台場門である。あの門の向こうにある虹橋を抜ければ江戸城まで一直線だ。もはや猶予は残されていない。


「風津殿、おぬしの秘剣にて絡繰土竜の鬼核を斬れるでござるか?!」

「だめだ、追い付きはしても刀を振るうには少し距離が足らん! 門を過ぎれば追い付くこともできなくなる!」

「それは、あの足を止めればどうにかなる、という意味でござるな?」

「できるのかよ!?」

「委細承知! でござる!」


 珊はそう言うと、身を捻りながら跳んだ。

 月光に照らされた鋼糸が、蜘蛛の巣を形作った。

 巣の主は珊であり、餌食となったのは絡繰土竜である。

 再び激しい音が鳴った。

 しかし、今度こそは絡繰土竜の動きが止まる。

 わずかな隙であった。絡繰土竜は空回りをすれど足は止めていない。

 風津は刀を抜いて、珊の後を追うように飛んだ。

 一閃。煌めきとともに、絡繰土竜は沈黙する。


「秘剣・甕融みかどおし


 風津はそもそも、人並み以上に剣術を得手としているが、畏れられているのはその秘剣が故である。

 刀を納めた。

 途端、縦一文字に絡繰土竜は切断される。

 まるで竹を断つかのように、斜めにズレる。

 ずるずると滑っていく絡繰土竜の半分を見やった。

 光が、刀が辿った筋を照らしている。それこそが鬼核を断った光だ。

 振り返る。鋼糸が散らばって、その真ん中に倒れている人影があった。

 否、すでに人の姿を保ててなどいない。

 四肢のうち右腕以外はすでにどこかへと飛んでいっていた。

 残った右腕も、かろうじて繋がっている。

 によって、だ。

 それはくノ一だった。ほかならぬ珊である。

 彼女は人ではない。この土竜と同じく、絡繰だったのだ。

 肉付きは人のようであったが、関節は球である。筋肉は鋼糸の編み込みであり、内より漏れているのは血ではなく粘性のある液だった。

 口が開閉する。彼女の持っていた柔らかさはどこかへと行ってしまっていた。


「風津……殿、でござるか」

「なんだ、起きてたのか」

「いったいどうなったか、教えてはもらえぬか」

「おめえは絡繰土竜を止めて、俺が一刀両断よ。おめえは役割を立派に果たした。安心しろ」

「耳もあまり聞こえなく……風津殿、どこにいるでござるか」


 風津は黙って、鋼糸でかろうじて繋がっている珊の右手を握った。

 すると彼女は、ふっと微笑んで目を閉じる。

 満足したのだろうか。その最期まで、彼女は自分がどうなっているのか気づいていないのかもしれない。


「まったく、嫁入り前の娘が、こんなぼろぼろになるもんじゃねえぜ」


 それだけ言うと、身体を抱えた。

 放っておいたところで公儀隠密が片付けるだろうが、それまでどこかへ寝かせておきたかったのだ。

 が、珊の首が転がった。

 誰かが蹴飛ばしたのだ、と顔を上げれば、そこにいたのは永尾格次郎であった。


「おのれ、絡繰風情が、我が悲願を邪魔しおって! 天草様にどのようにして顔向けすればいいと言うのだ!」


 そのように憤る格次郎を、風津は冷めた目で見る。

 ゆっくりと近づき、刀の柄に手をかけた。すると格次郎は虚ろな笑みを浮かべる。


「私を斬るか。侍とて所詮は好んで人斬りをする者よ。我らの願いにそぐわぬ者だ。刀を振るえる、握れるだけで人の上に立ったつもりか」

「てめえなんか斬るかよ。……もう、黙ってろ」


 そう言って、柄で殴りつけた。格次郎は間抜けな顔を晒して倒れる。

 騒ぎを聞きつけて、たくさんの人が駆けつけてきた。絡繰土竜に集るようであった。風津は珊を抱えてその場を離れる。

 行く先など定めぬままに、暗がりの中へ。助けをもとめることを知らぬ迷子のように。


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