エピローグ
第26話 大切な存在
「はい、そこまで。一番後ろの席の人は、前の列の解答用紙を回収して教卓まで持ってきてください」
チャイムと同時に、試験監督の声が教室に響き渡った。その声に引き戻されるように、僕の瞳に教室の風景が広がっていく。
「……戻ってきたんだ。しかもテスト終わり……」
しばらく呆然としていると、前の席に座っていたクラスメイトが振り向いた。
「おい、解答用紙。早く回収しろよ」
「そ、そうだった。ごめん」
一番後ろの席だったことを忘れていた僕は、直ぐに席を立って速やかに回収作業をこなした。
久しぶりに戻って来た世界。この世界が現実なのに、僕はどこか気持ちがふわふわしていた。
とりあえず、一旦落ち着かないといけないな。そう思った僕は、自分の席に腰を下ろした。
「光、どうだった?」
声のする方へ視線を向ける。そこには前と変わらない、爽やかな笑みを見せる聡がいた。
「うーん……微妙かな。聡は?」
「まあ、悪くはないな」
「悪くない、か。そう言うときの聡は、いつも成績上位に入ってるんだよな」
「そんなことないって。光だって今回も頑張ったんだろ。テスト勉強」
「うん。でも、今回は駄目だった。たぶん頑張りが足らなかったんだと思う。でも次は絶対に負けない。努力して、絶対に聡を追い抜いてみせるから」
「お、おう……」
聡は驚いた表情をしていた。今の僕には、その理由が自分でもわかる。今まで透明を望んでいた時とは、まったく違う受け答えを自然としていたのだから。
「席に着いてください。帰りのホームルーム始めます」
担任の先生が入って来て、そのまま帰りのホームルームが始まった。当然、転校生が来るという話は先生からされなかった。
帰りのホームルームが終わり、先生が教室から出て行った。クラスメイトが席を立ち、帰り支度を始める。そんな中、僕は席に座ったまま考えていた。
どうすれば、咲と二人で話せる状況を作れるのか。当然、これから起こるのは僕の知らないこと。だから以前のように、咲が話かけてくることはまずない。一年くらい口を聞いていないブランクは、正直とても大きかった。
咲と仲直りするには、それなりに時間が必要なのかもしれない。でも、今日話さないといけない気もする。いったいどう話を切り出すべきか……。
色々と考えを巡らせていると、横から声が聞こえてきた。
「光……」
その声を聞き間違えるわけがなかった。でも、まさか向こうから話しかけてくれるとは。僕は深呼吸をして、声のする方に身体を向ける。そこには、確かに咲がいた。
今しかない。言うんだ。誘うんだ、咲を。
「あのさ、咲」
「な、何?」
「今から時間ある? ちょっと話したいことがあって」
緊張は感じなかった。それよりも一年ぶりに咲と話せたこと。その嬉しさの方が緊張を上回っていた。
「うん……私も。私も光と話したいことがあるの!」
咲は僕に笑顔を見せてからちょっと待ってと告げると、クラスメイトの方に走って行く。そして両手を合わせて、何度も頭を下げてから僕の元へ戻って来た。
「あのさ、もしかして約束があったんじゃ……」
「いいの。光が久しぶりに誘ってくれたんだもん。私にとっては、光の方が大事なの」
その言葉を聞いて、僕は嬉しくて仕方なかった。
咲は忘れていなかったんだ。あの日三人で約束したことを。それなのに、僕は一年間も咲を裏切り続けたんだ。
「それで、話って何?」
「ここじゃあれだから、屋上に行こう」
「うん。わかった」
僕達は帰り支度を整え、教室を後にした。
テスト終わりの放課後。屋上は閑古鳥が鳴いていた。この場所を選んだのは、咲と二人で話したかったから。それにいつも賑わっている屋上に、今日だけは誰もいないことを知っていたからだ。
入口から一番遠くの東屋に向かった僕達は、腰を落ち着けた。
「風が気持ちいね」
咲は両手を広げて大きく伸びていた。綺麗な黒髪が風になびいている。
「あのさ、咲」
僕は立ち上がって、直ぐに頭を下げた。
「本当にごめん。僕はずっと……咲を苦しめていた。僕が咲を……避け続けていたんだ」
透明になる。それを望んだが故にすれ違ってしまった。僕のせいで、三人が三人でいられる空間を自ら潰してしまったのだ。
「……光はどうして変わっちゃったの?」
咲の問いに、僕は不安を覚えた。はたして本当のことを言って咲が受け入れてくれるだろか。正直、自信なんて全くない。でも、言わなきゃいけない。本当のことを知ってもらうためにも。
「高校に入学して、一ヶ月経ったときにクラスメイトに言われたんだ。咲や聡には華があるけど、僕には華がないって。その時思ったんだ。僕達の関係って、このままだと続かないんじゃないかなって」
「光……」
「それで悩んだ僕は、間違った結論を出しちゃったんだ。僕が目立たなければ、二人と一緒にいられるって。僕が目立たないことこそが、三人の関係を繋ぎとめる唯一の方法だって。だから僕はなるべく目立たない様にした。それで僕は……変わったんだ」
咲に視線を向けた僕は、目の前の状況に理解が追いつかなかった。
「咲……どうして泣いてるんだよ」
「だって……光もずっと悩んでたんだってわかったから。私も気づいてあげられなかった。本当にゴメンね」
涙を手で拭う先に、僕はハンカチを手渡した。
「……ありがとう」
「うん……あのさ、僕も咲に聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
「咲はこの一年、どうして僕に話しかけてこなかったの?」
最初は僕から距離をあけた。でも、そんな僕のことを咲は連れ戻そうとはしなかった。咲の性格を考えたら、真っ先に僕に話しかけてくると思ったのに。
「……距離を置こうと思ったんだ」
咲は手に持っていた僕のハンカチを綺麗に畳み、僕に渡してから言った。
「今まで私達三人って近すぎる関係だったでしょ。だから少し離れてみるのが良いのかもって。距離を置くことは、聡君と話し合って決めたの」
「聡と……」
「うん。聡君も光の変化に気づいていて。距離を置けば、光が昔の光に戻ってくれるかもしれないって」
「昔の僕……」
それは奇しくも、僕がアリアスに行って見つけた答えだった。
「ねえ、光は覚えてる? 小さい頃、私と聡君が近所の中学生にいじめられそうになったこと」
「……うん、覚えてる。でも、あれっていじめじゃなかったんでしょ」
「そう、光の勘違い」
咲が笑みを見せた。そういえば、そんなこともたしかにあったよな。
小学生の頃の話だ。いつも僕達は三人で遊んでいた。先生に呼び出された僕は、その日は二人に遅れて後から公園に向かった。着いた時に僕の目に飛び込んできたのは、三人の中学生が二人を取り囲んでいたところだった。咲は声を上げて泣き、聡も目に涙をためていた。
僕は危険を感じ、直ぐに二人の元へ駆け寄った。そして二人を守るように、両手を広げて三人の中学生に向かって言った。
『どうして二人を泣かせるんだ。僕が許さないぞ!』
僕の気迫に押されたのか、何故か中学生三人組はすぐにその場を退散したのだった。
「聡君が、ボールで遊んじゃいけないって看板があるって中学生に伝えただけだったのに。その場面を、光がいじめられてるって勘違いしちゃって」
「だって仕方ないだろ。咲は泣いてるし、聡は必死に泣くのを堪えてたんだから。その姿を見たら、いてもたってもいられなくて……」
「私はね、あの頃の光が好きだった。どんな相手にも立ち向かっていく、たとえ負けそうな相手にも向かっていく勇気。その勇気に、どれだけ私と聡君が助けられてきたことか」
「そんなことないって」
「ううん。少なくとも、私と聡君は光に感謝してる。もし光がいなかったら、私と聡君は絶対に友達になってないって」
「それは嘘だ。だって二人は、お似合いのカップルって言われてるんだし」
「や、やめてよ。私は他に……好きな人が……いるから」
「それって、誰?」
僕の問いに、咲は頬を膨らませて言った。
「……光には絶対に教えないから」
どうして咲が怒っているのか、僕にはわからなかった。
それでも、咲とこうして話せていることが本当に嬉しかった。一年ぶりだからなのかもしれない。僕にとって帰るべき場所は、やっぱり二人の所なんだって改めて思う。
「ねえ、光」
「何?」
「これからはさ、周りの目なんて気にしないでいいからね。私達の関係は、誰にも壊せないものなんだから」
「……うん」
咲が僕の前に手を差し出した。その手を僕はしっかりと握る。
「今日からまた、よろしくね。光」
「うん。こっちこそ。もう、大丈夫だから」
咲は笑みを見せると、何か思いついたように鞄をあさり出した。
「あとね……これはプレゼント」
咲が取り出したのは、あの日僕に投げつけた小袋だった。
「これって……」
僕の反応をみるなり、咲は溜息を吐いた。
「やっぱり忘れてるよ。ホント、聡君の言う通りだ」
「聡の言う通りって、いったい何のこと?」
未だにわからない僕に呆れながら、咲は教えてくれた。
「誕生日でしょ、今日。自分の誕生日って普通忘れるかな」
僕はスマホを取り出して、日付を確認する。液晶画面には、確かに僕の誕生日である五月二十三日と出ていた。
「ごめん、ちょっと色々あって……忘れてた」
イリスは言っていた。これは僕にとって一番の宝物になるって。仲直りした今日、咲から貰うプレゼントは、たしかに僕にとってかけがえのないものだ。
「開けてもいい?」
「うん。大したものじゃないんだけど……」
僕は小袋を手に取り、テープ止めされた部分をはがして中身を取り出した。
「これって……」
信じられなかった。まるで誰かが仕組んだプレゼントだろって。そう思ってしまうくらい、咲のプレゼントは僕に衝撃を与えた。
だからイリスは、あの時僕に見せてくれなかったんだ。今なら納得できる。
咲がくれたもの。それはハートを抱えているリスのキーホルダーだった。
「光……もしかして泣いてるの?」
「えっ……」
咲に指摘された時には、僕の頬を一滴の雫が伝っていた。その涙を手で拭うも、一度流れてしまった涙を、僕は止めることができない。
「あれ、おかしいな……泣くつもりはなかったのに」
咲から貰った宝物は、僕に大切な存在を思い出させてくれる。
アリアスで僕を支えてくれた人達のこと。
おかしくなった僕のことを、待ち続けてくれた人達のこと。
そして。どんな時も疑わずに、最後まで僕を信じてくれた人のこと。
このキーホルダーを見る度に、僕は思い出すんだと思う。
大切な人、忘れてはいけない人、守りたい人のことを。
「おーい。ようやく見つけた。二人とも、早く帰ろうぜ」
「聡君だ。行こう、光」
「……うん」
咲と一緒に僕は聡の元へ走っていく。暮れなずむ空の下、僕達三人は再び一つになった。
Magic of Courage 冬水涙 @fuyumi
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