第9話 キックオフの笛が聞こえない
キックオフ三分前。
悠たち桜聖高校サッカー部のスタメン十一人は、サイドラインの手前で横一列に並び、副審のチェックを待っていた。
スパイクとすね当ての確認を終えた副審は、試合のメンバー表を手にキャプテンである涼真の後ろに立った。副審が背番号を読み上げ、選手は自分の名前を言う。メンバー表で申告された内容と合っているかをチェックするためだ。
「松宮涼真」自分の背番号を呼ばれた涼真が名乗った。
涼真は翼の告白を聞いた後、『すまなかった』と彼女に謝った。
夏合宿の夜に翼が西野へ放った発言は非難されるものであるし、口を封じて押さえつけた行為やそのときかけた『大人しくしろ』という言葉が、西野の飛び降り自殺のきっかけになったことは確かだ。だが、翼がそれらを行った理由は、彼女自身だけじゃなく、涼真や啓次、そして悠を守るためでもあった。涼真の謝罪は、翼一人に重荷を背負わせてしまったことへの
「仙崎啓次」自分の背番号を呼ばれた啓次が名乗った。
啓次は、『何で俺たちに話してくれなかったんだ!』と翼を怒鳴った。強い口調とは反対に、その目からは涙がこぼれ落ちていた。
翼は、『ごめん』とだけ答えた。いろいろな感情がこもった『ごめん』だった。
『なあ、これからどうすんだよ』啓次が涼真と悠を振り返った。『翼を警察に連れて行くのか? 翼は何も悪いことしてねえぞ。西野が勝手に襲いかかってきて、勝手に飛び降りただけなんだからな。翼は何も悪くない』
極端な決めつけがいかにも啓次らしい。だけど悠も、その通りだと思った。
「草薙悠」自分の背番号を呼ばれた悠が名乗った。
悠は、『僕はこの四人で試合をしたい。そして勝ちたい』と、自分の願いを口にした。それは他の三人も同じ思いだったのだろう。皆が大きく頷いた。
『高校を卒業したら四人の進路はバラバラになるだろうけど、サッカーするってなったら、すぐに集まるような気がする』と涼真が言った。
『この四人で、ずっとサッカーができたらいいよな』と啓次が続く。
『なにこれ。恥ずかしいことを言い合う大会?』と翼が小さく笑った。
うるせー、と返した啓次は、『それより』と真剣な顔で言った。
『告発者のメッセージ。あれどうするよ? キックオフまでに自首しろとかってやつ』
『そんなの無視でいいだろ』と涼真が切り捨てる。
告発者は、西野から自分や兄を見殺しにした者がいたことを聞いていたのだろう。そして西野が悠たち四人を疑っていたということも知っていたはずだ。
西野の自殺のきっかけが悠たちにあるのではないかと疑うも証拠をつかめなかった。だからメッセージで告発してきたのだ。しかし証拠がなければこれ以上問い詰めることはできないのだから、何も馬鹿正直に真実を伝える必要はない、と涼真が言った。
それを聞いた翼が首を横に振った。そして、自分のスマホを差し出し、メッセージアプリの画面を見せてきた。
そこには、告発者からのメッセージに対し、『わたしです。ごめんなさい』と返信がなされていた。
『なぜ?』悠が叫んだ。
『わたしなりのけじめだよ。これでも西野の自殺が、結構辛かったんだよね』
みんなに知られたことで、気持ちに整理がついたとのことだった。
告発者がこのメッセージを見て、どういう行動に出るかは分からない。でも、この試合が四人でする最後のサッカーなのかもしれないという予感は、悠の頭から離れなかった。
「秋山翼」自分の背番号を呼ばれた翼が名乗った。
増田先生から顧問を引き継いだ先生は、ありがたいことに三年生全員をレギュラーにするという方針も引き継いでくれた。
四人でする最後のサッカー。悠はその予感を振り払った。これからも、翼とはサッカーができる。まずは一勝。この試合に勝つことが大事だ。
そのとき、どさっという音がした。
何だ、と音のした方を見る。
並んでいるサッカー部員の一人が倒れていた。
翼だった。
倒れた彼女の傍らに副審が立っている。その手には細長い刃物のようなものが握られているのが見えた。鋭利な先端から、血のようなものが滴っている。
そこからはスローモーションのように時が流れた。
再び凶器を翼に突き刺そうとする副審を他の大人たちが取り押さえた。その拍子に、審判服のポケットからスマホがこぼれ落ちた。見覚えのあるピンクのスマホだった。
「おまえのせいで娘が死んだ!」
副審が叫ぶ。
「それだけじゃない。三年前、おまえが通報していれば、息子も死ななかった。通り魔に殺されなかった!」
大人たちにもみくちゃにされながら、副審はなおも叫ぶ。
騒然となる現場に、悠は呆然と立ち尽くした。
副審の名前をトーナメント表から思い出す。確か、本部席側の副審はカタカナで『アラヤ』と書かれていたはずだ。ああそうか。あれは、
彼が悠たちのいる高校の審判になったことは、偶然なのかもしれないし、仕組んだことなのかもしれない。ただ言えるのは、悠たちの高校の審判をするという事実が、この男に死んだ娘のスマホを持たせたということだ。
メッセージによる告発者は西野の母親ではなかった。離婚した父親だったのだ。そして『殺したのは誰か』というメッセージに、『わたしです』と返信をしたのは翼だった。
キックオフまでに自首を促したのは、最初からこのタイミングで殺害しようとしていたからなのかもしれなかった。前もって凶器を審判服に忍ばせ、誰が翼かは分からなかったから、翼が名乗った直後に背中から凶器で刺した。
思い返せば、通り魔事件の犯人である鳥飼も、事件の後に細い刃物で刺殺されていたはずだ。鳥飼を殺した犯人は現時点でまだ捕まっていない。何か関係があるのかと思ったが、そんなことはどうでもよかった。
苦悶の表情で翼が倒れている。悠たち三人が駆け寄った。
「この四人で、ずっとサッカーするんだろ!」
悠が翼の手を握りながら言った。
翼には、その手を握り返す力はないようだった。
「……悠と……ずっとサッカー……していたかったよ」
四人でする最後のサッカー。
そのキックオフの笛が、聞こえる事はなかった。
END
キックオフの笛が聞こえない くろろ @kuro007
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