第8話 真相
キックオフまであと三十分となった。
試合前のウォーミングアップで、悠たち四人は誰よりも声を上げ、汗をかいていた。悠のパス交換の練習相手はいつも翼だ。今日ももちろん、翼が相手をしてくれている。
秋山翼がサッカーを始めたのは、サッカー好きな父親の影響だったらしい。
スポーツ少年団時代は翼の他にも何人か女子がいたのだけれど、中学に入ると女子がサッカーをするには女子のクラブチームに入るか中学のサッカー部に入るかの選択になり、翼以外の女子はみなサッカーを辞めていった。
翼は悠たちとサッカーをしたいという理由で、中学のサッカー部に在籍した。男子と女子の体格は、小学校時代は同じか、まだ女子の方が体格がいい場合がある。しかし、中学に入ると一気に体格差が出てきてしまう。はっきり言えば、女子が男子とサッカーをするには、中学ですでに厳しいわけだ。
中一のときに新谷先輩からしごきの洗礼を受けたとき、悠は自分のことよりも翼のことを心配した。中三の男子と中一の女子では圧倒的に体格が違う。そして新谷先輩は女子にも容赦なかった。練習試合中のタックルで翼を吹っ飛ばした先輩は、勢い余って倒れた翼の背中にスパイクを当ててしまい、ユニフォームが血で染まる事件まで起こしていた。
退部を提案した悠に、翼は「もうすぐあいつは部を卒業する。そうなれば、また楽しくみんなとサッカーができる」と言って耐えていた。
四人で一致団結して新谷先輩のしごきに耐えたことで、仲間の結束は更に強くなった。
高校に入ると、ほとんどの女子サッカー部員はサッカーを辞める。本当にサッカーがしたい女子は、女子サッカー部がある高校を選択するのだが、翼は悠たちが進む桜聖高校を選んだ。そして当たり前のように男子サッカー部に所属したのだった。
男子高校サッカー部といっても、女子が所属してはいけないという決まりはない。実際、ごくまれに、男子高校サッカー部で男子と一緒に女子がサッカーをしている高校がある。
ただ、女子が男子サッカー部のレギュラーになることはほぼない。高校生ともなれば、技術や体力の差が歴然としてあるからだ。
顧問をしていた増田先生は、部員が少ないという理由もあって、三年生はみなレギュラーという考え方の持ち主だった。だから公式戦で勝てないんだ、という一部部員からの不平不満もあるにはあるけど、悠たちにとっては翼とサッカーができるので、増田先生の方針は非常に好都合だった。
三年生、特に悠たち四人には、とにかく公式戦で一勝したいんだという強い気持ちがある。涼真、啓次、翼、悠の四人が揃って試合に出る機会はたぶんこれが最後だ。だからこそ、この大会を大事にしたかった。
西野の死について翼から聞いた話は次のとおりだ。
夏合宿初日。
女子はサッカー部員の翼とマネージャーの西野しかおらず、必然的にお風呂も宿泊部屋も一緒になった。
その夜のことだ。
『浴場で、翼先輩の背中に傷を見つけました』
宿舎中が寝静まった頃を見計らったかのように、西野が告発してきた。そして西野は通り魔事件の状況を詳しく話してきたそうだ
西野は両親が離婚してから、三ヶ月に一度、離れて暮らす父と兄とで外食する決まりになっていた。
その日、駅前の店で食事を終えた三人は、いつものようにコンビニに寄ってから帰ろうとしていた。レジに人が並んでいたため、父の会計を待つまでの間、兄はトイレに、西野は店の外に出ていようとしたことで悲劇が起きた。
たまたま通りかかった鳥飼に、西野が身体をぶつけてしまったのだ。とっさに謝った西野に対し、鳥飼は『そんなんで謝ったことになるか。ちょっとこい』と言いながら、無理矢理西野を引きずって歩かせた。西野は恐怖で声が出ず、周囲に助けを求めることができなかった。
最初から乱暴を働く気だったのだろう。鳥飼は、西野を公園のトイレに連れ込んだ。そこに西野を探していた兄が追いつき、鳥飼と兄が取っ組み合いになった。
「つまりさ、新谷先輩は西野の兄だったんだ。両親が離婚したとき、兄は父に、西野は母に付いた。だから名字が違っていたんだけど、それを聞いたときは本当にびっくりしたよ」
翼の驚愕は悠たちも同じだった。確かに、新谷先輩には妹がいると聞いたことがあった。また悠は、西野がサッカーに興味を持ったきっかけは元彼の影響だと勘違いしていたのだが、実際は兄の影響だったのではないだろうか。この二つがつながるとは思わなかった。
その後の話の筋は涼真が説明したとおりだった。
新谷先輩は後輩に助けを求め、後輩はそれを断った。
結果、新谷先輩は殺され、西野は強姦された。
西野が言った。
『あなたが兄や自分を見殺しにしたことを、いまさら公にしようとは思いません。ただ、今度の大会は辞退してください。翼先輩や他の先輩たちが、この大会をどれだけ大切に思っているかは、マネージャーをしていて十分分かっているつもりです。四人には、大切にしているものを犠牲にしてもらいます。それがわたしや亡くなった兄への罪滅ぼしです。でも、わたしたちがなくしたものは、サッカーの大会みたいなくだらないものじゃない。だからこれが最後じゃありません。この後もまだまだ大切なものを犠牲にしてもらいますから、そのつもりでいてください』
悠は、自分には見せなかった西野の裏の顔を感じた。いや、むしろこちらの方が西野の本当の姿なのだろう。
「悠はさ、西野と付き合ってたと思ってたんだろ? 残念だったね。西野はただ悠の裸の背中を見るチャンスを
翼の言葉に、悠は後ろめたい気持ちになった。
告発を受けた翼が
『先輩や西野を助けられなかったことは謝るよ。でも大会を辞退する気はない。おまえにわたしたちの行動を止める権利はない』
西野は、翼が自分の命令を拒否したことに驚いたようだった。言葉が荒くなった。
『それなら真実を公表するだけね。事の重大さを理解してる? あなたたちの責任で人が一人死んでいるのよ。もしこのことが公になったら、あなたたちは人殺しのレッテルを貼られる。ネット上で個人情報が暴かれて、今の家に住むこともできなくなるほどの社会的制裁を受けることになるでしょうね。それでもいいの?』
ここまで脅せば、翼が自分のいいなりになると思ったのだろう。しかし西野は見誤っていた。翼の、この大会にかける思いがどれほどのものか。それをくだらないと言われた怒りがどれほどのものか。
翼は冷たく笑いながらこう言ったという。
『そのときは、西野が強姦されたこともSNSで拡散する。すぐに個人が特定されるだろうね。そしておまえは、中二で殺人犯に公衆トイレで犯された女として、どこに行っても後ろ指を指されるようになる。それでもいいんだな?』
瞬間、西野が狂ったように翼に襲いかかってきた。
勢いのまま翼を倒し、その上にのし掛かった西野だったが、毎日部活で鍛えている翼が後輩女子に力で負けるはずはなかった。すぐさま体勢を反転させ、逆に西野に馬乗りになり、声を上げようとした西野の口を手で封じた。そして耳元で言う。
『大人しくしろ』
あくまで、深夜に叫ばれて他の部員に気づかれることを防ぐためだったのだが、この行為が西野の過去のトラウマを呼び起こしたらしい。
目を見開いた西野が、全身を痙攣させ始めた。
異変に気づいた翼が力を緩めると、西野は翼の拘束から抜けだし、そのまま裸足で部屋の外に飛び出していったとのことだった。
翌朝になっても帰ってこず、翼は「自分が寝ている間にいなくなった」と先生に伝えた。
その後に彼女がどうなったかは、翼が説明するまでもない話だった。
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