第7話 導き出された結論

 涼真が改めて話し始める。


「まず前提をはっきりしておく。通り魔事件に目撃者がいて、どうやらそれが俺たち四人の可能性があるということを西野は知っていた。これは、西野に誰かが情報提供をしないと分からないことだ。つまり情報提供者がいたことを示唆している」

 ここまではいいな、と聞いてきたので、悠たちは頷いた。


「情報提供者の条件は二つある。一つは通り魔事件のとき、俺たちと新谷先輩の会話が聞こえる位置にいた人物であること。そして二つ目は、俺たちのことを知らない人物であることだ」

 啓次が「まてまて」と口を挟んだ。

「すでについていけないんだけどよ。なんで、その条件になるんだ?」

「西野が知っていたことは何か、知らなかったことは何かを考えればいい。知っていたことは、通り魔事件に目撃者がいたこと。そして目撃者は俺たちらしいということだ。逆に言えば、目撃者が俺たちという確証はなかったということで、その条件はそのまま情報提供者に当てはまる。

 情報提供者は事件のときあの公園にいて、俺たちが事件を目撃しているところを見聞きしている。でも事件の目撃者が俺たちであることまでは知らない。知っていたら、西野が探る必要がないからな。本来なら目撃者と俺たちをつなぐ線はないはずだが――」


 ところで、と涼真が言う。

「みんなに聞くけど、事件のとき、俺たちを見つけた新谷先輩は、開口一番なんて言ったか覚えているか?」

「確か、『おまえら、もっと早く助けろ』だったっけ?」

 翼が答える。

「そうだ。そして、その命令口調にカチンとした俺たちはなんて返した?」

「自分が言ったことは覚えてるぜ。あんときは『いつまでも部活の先輩面してんじゃねえ』って叫んだよ」

 今度は啓次が答えた。


「それだ」

「何がだ?」

 啓次はキョトンとしている。


「今の啓次の発言で、事件の目撃者である俺たちが被害者の中学の部活の後輩であることが分かる。目撃者と俺たちをつなぐ決定的な情報だな。逆にこの発言を聞いていないと、俺たちにはたどり着けない」

 そういうことか、と悠は思った。だけどひとつ疑問が残る。


「涼真は情報提供者が事件のとき公園にいたって言うけどさ、あのとき僕たちの会話が聞こえる距離には誰もいなかったはずだよ。公園内にも、道路にも誰も人影はなかったはずだ」

 涼真が悠の疑問をすぐに解消する。

「公園の中の、俺たちや新谷先輩から近い場所に、身をひそめることができる場所があっただろ」

「あっ!」

 悠は自分でも驚くほど大きな声を上げた。

 ずっと引っかかっていたことが氷解した。周囲を観察していた気になっていたが、見てはいけないと感じる場所、あえて見ようとしなかった場所があったではないか。


「公衆トイレの中か!」


 通り魔事件の暴力行為は、公園の公衆トイレの前で行われていた。あのとき、公衆トイレの中に、情報提供者たる第三者がいたということか。

 新谷先輩が通り魔に襲われている場面は、写真のごとく鮮明に覚えている。

 その記憶にある、トイレの入り口あたりをフォーカスする。

 暗い公園の公衆トイレ。女子トイレの入り口あたりに何かが出ているような気がする。

 あれは靴だ。いや、靴だけではない。投げ出された片足がかすかに見えやしないか。

 他の三人は暴力に目を奪われていたから、その光景には気づかなかったのだろう。


「通り魔事件の犯人は婦女暴行、傷害事件の前科がある鳥飼猛という男だった。そして、公衆トイレの中に人がいる。ここから想像できるのは、通り魔事件の被害者は、新谷先輩だけじゃなかったのではないかということだ」


 女子トイレ内での強姦ごうかん。考えるだけで嫌な想像だ。自分たちが目撃した通り魔事件の奥に、もう一つの憎むべき犯罪があったというのか。否定したい悠の思いは、涼真が新たに提示した情報で粉々に砕けた。


「新谷先輩は身体中ぼろぼろの状態で俺たちを見つけて、『おまえら、もっと早く助けろ』と言った。だが、いま思い返せば、少しニュアンスが違うように思う。そう、こんな風に言ってなかったか?」



 涼真の言葉にゾクッとした。確かに、新谷先輩はそのような言い方をしていたかもしれなかった。


「新谷先輩がなぜあの時間、あの場所にいたのか、そしてなぜ鳥飼と争っていたのか。これまであまり想像したことはなかったが、こう考えれば理由が付く。先輩は鳥飼から暴行を受けている女性を見かけ、助けようとして鳥飼と争っていたんだ」

 まさかと思った。涼真の説明はすべてが確たる証拠のない想像の産物だと一笑に付したかった。しかし、その想像が誤りであると指摘する証拠もまたないのだった。


「西野への情報提供者は、あの公衆トイレで鳥飼に襲われていた女性だと仮定する。新谷先輩が現れて助かったと思いきや、先輩は鳥飼に叩きのめされてしまった。絶望したそのとき、俺たちが通りかかったのだと思う。しかし、俺たちは先輩を文字通り見殺しにしてしまった。その後、情報提供者がどうなったのかは……」

 涼真は苦しそうに首を振った。皆が同じ想像をしたことだろう。


「――そして情報提供者は、暴行を受けた自分と新谷先輩を見捨てた目撃者である俺たちを憎んだ。しかし情報提供者自身はトイレの中にいたから俺たちの姿は見ていない」

「目撃者が誰だったのか、特定しようと思って西野に協力を求めた、ということ?」

悠が恐る恐る聞く。

「か、あるいは――」

 涼真が苦悩した表情で答えた。

「情報提供者など初めからいなかった。西


 悠たちは、さっきからずっとショックを受けて立ち尽くしている。

「西野には過去のトラウマが原因の自殺未遂歴がある。過去のトラウマとは何だ? 中学時代に何があった? 鳥飼の暴行事件に結びつけるのは飛躍しすぎかもしれない。だが、可能性は高いと思う」

 西野が強姦に合っていたとしたら、時期からいって彼女が中学二年生のときだろう。どれだけ辛かったか。自殺未遂を繰り返していたという事実が、壮絶なトラウマを背負ったことを物語る。


「いいか、ここからが本番だ。西野が夏合宿中になぜ自殺したのか、その理由を推測する。誤りがあったらすぐに否定してくれ」

 涼真は最後の絵が見えたと言っていた。西野が自殺した理由、そして誰が自殺のきっかけを作ったのかまでたどり着いたとするなら、真相を知りたいと思う反面、このまま聞かない方がいいかもしれないという思いもある。だがもう後には引けない。悠は身構えて涼真の言葉を待った。


「西野は自分や新谷先輩を見捨てた目撃者を探すことにした。そこでヒントになるのが、俺たちの新谷先輩への発言だ。啓次の発言から、目撃者は新谷先輩の中学時代の後輩であることが分かる。ただ後輩といってもある程度人数はいるから、この発言だけではまだ絞り込めない。そこで俺たちが新谷先輩に放った言葉をもう一度振り返ってみると、目撃者を特定できるもう一つの発言がある」

 悠もその言葉を思い出した。たぶん、あいつが言ったあの言葉だろう。

「確かこんな発言だったと思う」

 

『おまえにつけられた背中の傷、消えてねえからな』


 やはりだ。涼真が言った言葉は、悠が想像していたものと一致した。

「俺たちにとっては、誰がその言葉を言ったのかは当然分かる。しかし、西野にとっては、しゃべっている姿を見ていないから誰が言ったのかが分からない。声質なんて、一言聞いただけで覚えられるわけがない。新谷先輩に傷を、しかも背中につけられたサッカー部員がいるはずで、そしてその人こそ目撃者の一人だと考えた西野は、背中に傷が残っているサッカー部員を見つけようと考えた。当時のサッカー部に携わっていた人に片っ端から聞けばすぐにたどり着けたかも知れないが、西野にとっては過去のこともあり、あまり大っぴらに調査したくなかったんだろう。それに、もし傷を持った本人がそれを隠していたら、聞いても教えてくれない可能性がある。だから自分の目で、背中の傷を探すことにした」


「あ、もしかしたらアレかよ」

 啓次がユニフォームの上を脱いで、裸の背中を見せた。

「こうやって西野に筋肉を見せていると、西野は自分から男の裸を見てこようとしてきたんだが、それは背中に傷を持っている部員を探していたっていうことか」

 涼真が頷く。

「そうだ。俺たち三年は馬鹿が多いから、筋肉を見せつけるように、裸の上半身を西野に見せつけていた。それは西野にとって、背中の傷を探すチャンスだった。だが、誰の背中にも傷はなかった。そして


 涼真は悠と翼に目を向けた。

「おまえら二人だけは上半身裸にはならなかった。だから西野は、二人の裸の背中を見ようとしていたはずだ」

 ここまで話が進めば、悠にも話の先が読めた。


「夏合宿の初日。西野はとうとう背中に傷を持っていた部員を見つけだした。目撃者の確証を掴んだ西野は、その部員に自分の正体を明かし、何かしらもめ事が起きた。それが西野の自殺につながったんじゃないかと想像するが、どうだ? 当たっているか?」

 三人の視線が一人に集中する。涼真が代表して言った。


「西野に見られたんだろ。おまえの背中にある傷を。そう、宿


 桜聖高校サッカー部唯一の、秋山翼は、口を一文字にして三人の視線を受け止めた。

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