#12 星の瞬く静寂がうるさくて




 観客がいない。いるのは僕とステージ下の茉莉だけ。響くピアノの旋律がフラッシュライトの派手な光に呑み込まれる。だけど、想いは届いたはず。茉莉にきっと届いたはず。



 三曲弾き終わった俺は、ぐったりとグランドピアノに身体を預けた。やりきったという想い。そして茉莉がどんな風に受け取ったのかがかなり心配。精神が持たないな。



 大歓声の中、観客に手を振ってステージを後にした。たったこれだけ。この三曲のためだけに俺は自分を消費した。先日は写真と映像だけ出したけど、こうやって生で演奏するのは初めて。


 でも、紅音ちゃんのお陰で観客が過剰な期待をしていなかったのは救いだった。



 控室に戻る。茉莉と秋奈がスタッフに連れられて俺の後に控室に連れてこられた。茉莉は秋奈に支えてもらわないと立てないほど衰弱しているように見えた。



「ま、茉莉……ど、どう?」

「このバカ。どう、じゃないよ。なんでもっと上手くやれないのかな」

「………ごめん秋奈。でも、こうするほかなかったんだ」



 秋奈は茉莉を俺の腕の中に託して顎で指示した。紅音ちゃんが気を利かせて隣の空き部屋を開けてくれたようだった。



 会議室のような部屋。長テーブル前の椅子に茉莉を横に座らせて、俺はその向かいに座る。



「茉莉……あれは……茉莉の記憶喪失を治すためにしたことなんだ」

「ひっく……うそだよ。ハルヤはアカネちゃんのことが好きなんでしょ。可愛いって言ってたし、抱き合ってたもん」

「だから、茉莉が俺にしたこと……に近いことをしたんだ。茉莉がなにかを思い出さないかって思って」

「……ひどいよ。わたしはこんなにハルヤのことが好きなのに」



 泣きじゃくる茉莉は聞く耳を持たない。参ったな。でも、俺も我を忘れて翼をぶっ飛ばすことしか考えられなかったもんな。茉莉の気持ちは、相当ぐちゃぐちゃなんだろうな。それだけ俺を……そう考えると、茉莉は本当に俺を……好きでいてくれている。




 ————本当に大切にしなくちゃいけない人。それが茉莉という女性ひとだ。




 ★




 春彩のバカ。なんて、ののしりたいけど、きっと彼は気づいていない。わたしの記憶は——あのとき戻っている。秘密基地でピアノを弾いてくれたあのときに。優しくて光が溢れるようで、わたしの心に差す光が鉛色の空を割いてくれるように。



 寂しいな。うん、本当に寂しいよ。もし、わたしの記憶が戻ったら、同棲生活が終わっちゃう。春彩と離れ離れになっちゃう。でも、優しい彼をこれ以上悩ませるのは止めにしようと思う。だって、不器用なのに、紅音と抱き合ったりして。男の子の気持ちは分からないけど、紅音だって可愛いんだから、モヤモヤしたと思うの。それが一番つらいんじゃないかな。



 わたしが嫉妬して春彩を嫌いになっちゃうなんて思ってるはず。それはきっと、彼にとって地獄のような気持ちなんだと思うの。




 ————ごめんね。自分勝手で。




 でも分かって。わたしはあなたと一緒にいたい。一緒に過ごせた数日間は、一生の思い出。これからもきっと付き合ってくれるんだろうけど……きっと、お世話をするのはわたしの役目なのかな。春彩の気持ちが分かってよかった。うん、確かめたかったんだ。




 ————記憶が戻っても本当にわたしを好きでいてくれるのか。わたしがどんな風になっても好きなままでいてくれるのか。




「ハルヤ……わたしのこと好き?」

「う、うん。ごめん。だから、紅音ちゃんの件は……本当に茉莉の記憶喪失を……」

「分かってるよ。春彩が必死なのも、わたしのために一生懸命にしてくれたことも」

「え?茉莉? なんか感じが変わった?」



 心配そうにわたしを見つめるその目も、泣きそうな震える唇も……大好きだよ。



 立ち上がった。春彩も立ち上がってもらって、その両袖を掴んだ。



 キスしなかったね。あれで分かったんだ。本当に春彩はわたしのことを大事にしてくれてるって。だって、そうでしょ。記憶が戻ったら向き合う、なんて言葉出てこないでしょ。キスの誘惑に負けないでわたしに接してくれた。だから————。



「え。茉————っ!?」



 背伸びをした。唇が触れた。初めてだったんだよ。どんな顔しているのか見ればよかった。だけど、瞼を開けられなかったの。瞳の奥を覗かれたらきっと泣いちゃうから。



「ま、茉莉………だめだって言ったろ。記憶が戻るま————」

「戻ってるよ。とっくに。春彩がお部屋でピアノ弾いてくれたときからずっと。でも、記憶が戻っちゃったら……離れ離れでしょ」

「なッ!? なんで言わないんだよ」



 怒るかな。ごめんね。騙すつもりはなかったんだけどさ。嬉しかったんだよ。が優しくて、向くことのなかった顔を向けてくれて。色々気づいてくれたのかな。そうだと嬉しいな。大好きだよ春彩っ!



 春彩は泣きそうな顔でわたしを抱きしめてくれたの。強く。すごく強く。痛いよっ。でも「良かった。記憶が戻ってよかった」って細々と呟いて、しばらく抱きしめてくれた。だから、わたしも抱きしめ返す。優しく。ぎゅってして顔を胸に当てて。



「ごめん……でも、今日、ちゃんと言うつもりだったんだよ。だから勝負服着てきたし。似合うでしょ」

「くっ。なんでいつも騙されて……あ、それに、ひどいぞ。俺の記憶もどすために翼をカッコいいって言ったり、手にキスさせたり。もしかして、看板も仕組んだのか!?」

「そんなわけあるはずないよ。一歩間違ったら死んじゃうじゃん……」




 ★




 茉莉にしてやられた。まさか同棲を続けたいがために記憶喪失のフリをしていたなんて、あんまりだ。でも、もうそれもおしまいなんて寂しすぎる。



「そろそろ戻ろう? 秋奈ちゃんも紅音も待っているし」

「うん。茉莉……一つだけ良いかな?」

「なに?」

「俺と………付き合ってほしい。好きだ。このタイミングじゃないと言いそびれそうだからさ」

「……シチュエーションとか考えないところが春彩っぽいね。こんなところで言っちゃうなんて。うん。いいよ。わたしも」




 ————大好きっ!! これからもよろしくお願いしますっ! 彼氏さま!




 繋いだ手を強く握りしめて、控室に戻ると………あれ。



 秋奈と紅音ちゃんってやっぱり似ている? 瓜二つとまではいかないけど、まるで……まるでこれじゃあ……。



「避けてたのは知ってるんだ。お姉ちゃん」

「………秋奈。気づいていたの?」

「うん。だからファンのフリしてこうして来たの」



 な、なんの話だ。お姉ちゃん? 避けていた? は?



「春彩、こっち。だめ」



 茉莉に手を引かれて再び控室の外に。何がなんだか分からない。



「紅音ちゃんは……秋奈ちゃんの本当のお姉ちゃん。これ、わたしの口から言っていいか分からなかったけど、教えておくね」

「…………は?」

「紅音ちゃんには妹がいる。だけど、借金苦で可哀そうだと思った眞野京之介は妹を引き取ったの。紅音ちゃんはすでに物心ついていたから、理解はした——けど、秋奈ちゃんはずっと自分だけ良い思いしていたことを謝ろうと思ってたんでしょうね。紅音ちゃんは逆に勘付かれないために……避けて……」



 なんでこのタイミングでそんなことが判明してしまうのか。秋奈が本当の妹じゃないってことは………それで寮生活?



「寮生活は………紅音ちゃんに気を使ったのか?」

「たぶんね。紅音からしてみたら、兄弟と一緒にいることが紅音にとって気に食わないだろうって秋奈ちゃんは思っていたんでしょうね」

「マジかよ……紅音ちゃんの兄さんに対する想いとか……なんだがぐちゃぐちゃなんだけど」



 なんでそんなことを茉莉が知っているんだ。紅音ちゃんから訊いたのか。それとも………。



「それで、なんでこの先、あの二人はどうするつもりなんだろう………」

「秋奈ちゃんがね、紅音のファンだってことは間違いないの」



 こっそり控室を覗くと、二人して泣きながら抱き合っていた。秋奈は金に異様な執着があった。俺からしっかり3万円を取っていったし、会うたびに小遣いをねだられた。なのに、何かを買った様子も贅沢をする様子もない。つまり————。



「きっと秋奈ちゃんがいれば、借金なんてすぐに返せるんじゃないかな」

「………なるほどな。あいつの性格じゃなかったんだ。紅音ちゃんのためか」

「でも秋奈はなんで相談しなかったんだろうな」

「言わなくてもいいことは言わない、でしょ。言ったらきっと、秋奈ちゃんに気を使って過剰に過保護になるのは目に見えてるから。二人とも」




 ★




 茉莉と付き合って一週間が過ぎた。ちなみに、茉莉はまだ記憶喪失のフリをしている。一生続ける気かもしれない。それと、可愛らしい性格は素だということがわかった。ケーキを食べれば口につけたままだし、ラムネとアイスが大好きだし。パイの具も好き。




「春彩っ! プラネタリウム見たいのっ!」

「はいはい。彼女さまの仰せのままに」



 二人ベッドに座って見上げる宇宙は広くて。横を見れば茉莉の瞳に無数の星。思わず引き寄せて、その頬にキスをした。



「むぅ。不意打ちなんてひどいっ!」

「え。ご、ごめん」



 だけど、茉莉は俺の顔に優しく触れて、唇にキスをした。今は、今だけは二人だけにしてほしい。そう願った。









 星が瞬く部屋の静寂が少しだけ煩く感じた。










 突然の病院からの呼び出しで、急いで向かう。夕陽の照らすアスファルトが眩しい。茉莉と入る病室には、すでに紅音ちゃんがいて、涙を流したままベッドに突っ伏していた。



「に、兄さん?」

「………は、るや」



 

 先生の話だと、脳に後遺症があるようだ、とのこと。下半身が動かなかったものの、両腕の自由は利く。それだけでも満足だと兄さんは話す。



「兄さん、俺のせいで……俺が……俺が悪かったよ」

「お前のせいなわけあるか。運が悪かっただけだ」



 紅音ちゃんのとなりでしばらく泣いた。茉莉はそんな俺と紅音ちゃんの背中を同時に擦って、溜息を吐いた。



「ダンスバトルやるんだろ。俺は車椅子でもお前に負けない自信あるぞ」

「負けねえよ。だから、ダンス教えてくれよ。兄さんの代わりに俺が踊る。やれること証明してやるから」

「いいよ。じゃあ、俺に音楽を教えてくれよ。車椅子でも音楽は作れるんだろ?」

「当たり前だろ」




 高校を卒業して、俺は奇跡的に音大に進学できた。兄さんは車椅子生活のまま紅音ちゃんと暮らしている。紅音ちゃんの借金はもうすぐ返済できるらしい。秋奈がしっかりと財布を握っているし、兄さんもいるから心配ない。




 俺は……。




「春彩〜〜〜荷物多すぎるよ。こんなに機材っているの?」

「そ、それがないと作曲できないよ」

「これも?」

「それもッ!!」



 秘密基地を売り払い、新しいマンションを購入した。二人で住むのに十分な広さのあるマンション。茉莉も進学をした。難関国立大ってやつ。記憶喪失だった期間なんて関係ないんだろうな。数日間だし。



 引っ越しの片付けもそのままにして、プラネタリウムを箱から出した。茉莉も作業の手を止めて、ダンボールがそこら中に置いてある部屋のフローリングにちょこんと座った。



「茉莉……ありがとうな」

「うん? どうしたの?」

「俺と一緒にいてくれて。本当に嬉しい」

「………うん。わたしも」



 眺めた星が三周目に入る頃、茉莉は眠りについた。引っ越しの作業はオアズケだな。




 俺の肩に体重を預けた茉莉の肩を抱き、頭にキスをした。





 茉莉………いつまでも一緒に。







 FIN








—————————

最後までお付き合いありがとうございました。

これにて、この物語の幕は閉じさせていただきます。

本当は、もう少し長いエピソード(秋奈と紅音の話とか、兄と弟の話、クソ親父の話とか)もあったのですが、ここで終わりにさせていただきます。応援してくださった皆様、本当にありがとございました。


新作(幼馴染にはかなわない)もよろしくお願い致します。


月平遥灯

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記憶喪失になった俺には秘密があるみたいだが、幼馴染がそれをひた隠しにして迫ってくる件。【幼馴染は俺と付き合うためなら容赦ない】 月平遥灯 @Tsukihira_Haruhi

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