ご都合主義の神は幸福終焉の夢を見るか?

舶来おむすび

ご都合主義の神は幸福終焉の夢を見るか?


 脱脂綿のベッドと,透明な板に覆われた部屋。ペンダントトップとして揺れるガラス瓶が,今の私の住処である。

「おはよっ,元気?」

 シーグラスに元気も病気もないというのに,彼女――サンドラは毎朝その挨拶と共に私の部屋を持ち上げるのだ。歩調に合わせ胸元で転がされながら,共に『仕事場』まで向かうのが最近のルーチンとなっている。

『湿度が高いね。今日は』

「あと3日は雨らしいよ。ここ地下だから,あまり影響ないって聞いてたけど」

『地面に染みないの?』

「上がコンクリでも染みるの?」

 傍からは,彼女が独り言を言っているようにしか見えないのだろう。だとしてもお互い構わなかったし,そもそも研究所ここではその程度の『異常』など掃いて捨てるほどに溢れかえっている。壁に向かって喋り続ける少年も,生まれてこのかた一度も口を開かない少女も,どこまでもありふれた光景だった。

「どう,もうそろそろ慣れた?」

『さすがにね。あなたがこうしてあちこち連れ出してくれるから,退屈もしないわ。ありがとう』

「ならよかった。私もあなたには感謝してるの,ちょうど『彼』に代わる話し相手を探してたところだったから」

 何でもないように言ってのける,口の端からこぼれる寂しさは見なかったことにした。彼女の能力がこんなガラスの成れの果てにも通じることは,出会った時から知っている。



 あの日――――彼女の細い指につまみ上げられて,生まれて初めて『素敵』と言われた日。私のプロポーズは,予想に反してあっさり承諾された。

「付き合ってほしいの? いいよ,シーグラスの恋人なんて格好いいじゃん?」

 かろやかに笑う姿を,揺れる波の光が照らし出す。まぶしいほどのプラチナブロンドが視界を白く灼いた。これはもしや人ならざる海の精か,といよいよ気が触れたようなことを考えるのと同時。

「サンドラ! もう時間だ,帰るぞ――――何拾った?」

 少女越しに私を覗き込む影。ひょろりと背の高い,無精ひげの目立つ男性だった。くたびれた印象が先行しがちな造形だが,顔かたち自体は整っている。私の母国であれば,きっと連日テレビや雑誌に引っ張りだこで,SNSではフォロワーが何十万もつくような生活を送っていただろう。

「この子,連れ帰っていいでしょ? もともとは私たちと同じだったんだって。研究者なんて変な人しかいないって知ってるけど,さすがにここまでイカれてるとは思わなかった。すっごく笑えるね」

「……ははあ? 人格転移か,それとも相貌変化か。なんにせよ随分派手にやったな,どうするんだ連れ帰って」

 つくりものめいた少女の顔が,人の悪い笑みに歪む。

「決まってるでしょ? 恋人になるんだよ」

 話の見えない私を置き去りにして,二人はトントン拍子で話を進めていった。もとよりシーグラスという身の上では,いくら私の思考を見聞きしてくれるサンドラがいたところで逃げることも難しい。

 そのまま彼女と一緒に車に乗り込み,やたら厳重なセキュリティ検査の機械にいくつも通されて,人ならぬ身ですっかり気疲れしきった頃,私はようやくサンドラの部屋で過ごすことを許された。



 戸棚に置き去りにされる日々から変わったのはつい最近のことだ。

 あの男――ダンとかいったか,彼が急に彼女の担当を外された日から,ずっとこうして睡眠以外は一緒に行動している。私としては否やはない,どころか外に出してもらえなかった時分よりずっと快適なのだが,サンドラの気持ちを考えるにあまり喜んでばかりはいられなかった。


 74番サンドラの立場上,素行に問題のある人間を近くに置くのはいかがなものか。


 自分に甘く他者に厳しいお偉方の進言が発端だという噂を聞いた夜,彼女は初めて私に涙を見せた。

「ねえ,あなたはずっと私の恋人でいてくれるんだよね? 私のこと置いて行かないよね?」

 そこからずっと,思い出したように何度も念を押されるたび,なんとも言えない気分になる。

 今までこれほど強く求められたことはない,という過去の自分と比較しての優越。

 あるいは,この少女には真にあの青年が必要なのだろう,という己の半端な立ち位置の再確認。

『もちろん。私と付き合ってくれるって約束したでしょ? 忘れちゃったの?』

 くすくすと無邪気を装って答えるたび,喜びとむなしさが思考に引っかき傷を残していく。整った容姿だらけの研究所内でもいっとう美しい,不安げに揺れるチャコールグレイの瞳が私を見つめるたび,どうしようもなく打ちのめされるのだ。

 ――私は,どうしてここにいるのだろう。

 ――何のために,ここへ辿り着いたのだろう。

 焦りにも似たそれは,今まで味わったことのない感覚だった。かつて旅に出た頃,胸を衝いた情動とは似て異なるもの。

 彼女のために,何かをしたい。してやりたい。息苦しささえ覚える衝動は,シーグラスになってしまった身に亀裂を入れるがごとく,きしみのような音を立てた。

「どうしたの? どこか痛いの?」

 不意に慌てたような声を上げるサンドラへ,安心させるようにガラス瓶の中でことことと揺れてやる。

『ねえサンドラ。私,あなたのこと置いて行かないから。頼まれたってやめてあげないから。そのつもりでよろしくね』

 いつになく強く語りかけると,サンドラは心の底から嬉しそうに笑った。


 *


「『そうして,女の子は悪い魔法使いのお城から逃げ出すことにしたのでした』……こら,何よもう。話してる最中でしょうが」

 カーディガンのすそを何回もひっぱっていると,ママはようやく絵本じゃなくてこっちを見てくれた。

「もっと先をよんでほしいの! まほうつかいの手からにげるところ!」

「えー? ここからようやく男の子が頑張るのに……」

「あたしあの子きらい! なさけないから!」

 あたしが力いっぱい叫んだしゅんかん,ママは大きく口をあけてわらった。

「情け……ププッ,情けないって……まあまあ,可哀想。ねえパパ,どう思う?」

 おぎょうぎわるく床にねころがって,パソコン相手にしかめっつらしていたパパは,ママの声にぱっと顔を上げた。

「あん? なんだ,どうしたって?」

「聞いてたくせに。私たちのお姫様はあまり好きじゃないらしいわよ? ヒロインが危ないって時に捕まってた,『情けない』ヒーローさんのお話を」

 けらけら笑うママに,パパはきらいなピクルスを食べちゃったときの顔をした。どうしてそんな顔をするんだろう? パパとあの男の子はべつべつの人なのに。

「……あー,いいかい? なにも腕力に訴えるだけがヒーローじゃないぞ,覚えておくといい。その時の……なんだ,ヒーロー? はきっと,根回しと裏工作で忙しかったんだ。女の子がきちんと無事に,逃げきった後も安全に暮らせるように」

「あ,そうなの? 道理で追手が少ないと思った」

「何度も話してやったじゃないか……」

 パパとママは,たまにこうやってあたしのわからない話をする。頭の上でとびかう言葉をしばらく追いかけていたけど,だんだんたいくつしてきたから,ママのひざによじのぼるようにしておなかに抱きついた。

「ね,ママ。女の子が男の子とまた会えたのは,まほうつかいのおしろからにげて,すっごく遠い海のまちだったんでしょう?」

「ええ,そうよ。ちょうどこんなところみたいな,潮風のいい匂いの街」

「じゃあ,その女の子はずっとそれまでひとりぼっちだったの?」

「ううん? 物語に書いてなかったっけ,一緒にお城から逃げた友達と過ごしてたのよ」

「かいてあったよ。でも,おしろをでてからみんなと会ったんでしょ? じゃあ,おしろからにげるまではだれに助けてもらったの? 」

「そんなの,決まってるでしょう?」

 ヒーローが消えた後,いつも一緒にいてくれた妖精さんよ。

 いつもぶらさげているペンダントのガラス瓶をいじりながら,ママはとってもうれしそうにわらった。

 となりに住んでいるおねえさんの声がしたのは,ちょうどそのときだった。

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ご都合主義の神は幸福終焉の夢を見るか? 舶来おむすび @Smierch

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