森で手紙を拾う話

竜野マナ

木漏れ日差す小川の縁で

「あら」


 随分と色々変わってしまった世界で、それでも変わらない森とそこを流れる小川。その縁を散歩する事までは変えられなくて今日もまた歩いていると、その小さな流れに乗って、そして途中で引っ掛かってしまったものが目についた。

 しゃがみこんで眺めてみると、それはどうやら瓶のようだ。そして中に紙が入っている。よくよく見れば、その少ししわの付いた紙には何かが書かれているらしい。

 ……好奇心には勝てなかった。手を伸ばして瓶を手に取ると、それはあっけないほど簡単に水面を離れて手の中へと納まった。


「あらあら」


 瓶と言うことは分かるが、何の瓶かは皆目分からない。この紙を入れる為の瓶なのかも知れないし、別の何かを違う事に使っているのかも知れなかった。でも紙を取り出すのに苦労したから、違う使い道なのかも知れない。

 そうして取り出して、木漏れ日の中で広げた紙は、「手紙」だった。ちょっとしわの付いた紙に、あまり綺麗とは言えない文字。時々滲んでいるように見えるのは、濡れたものに触れてしまったのだろうか。

 その内容は、一言で纏めるのであれば「俺は生きている」となるだろう。俺はここに居る。ここで生きている。何処かで誰かが、それでも生きていると精一杯に上げた声だった。


「あらまぁ!」


 何て素敵な「手紙」だろう。何て素晴らしい「声」だろう。思わず手紙を掲げるようにして、瓶を相手にくるくるとその場で踊ってしまった。

 俺、と書いてあるから男性だろうか。扉とは何だろう。世界の半分が沈んでしまったなんて、大変! そんな事を考えながらわくわくともう一度「手紙」に目を通す。きっとこの「手紙」は、この先何度読み返しても飽きることなどないに違いない。

 そのまま足取りも軽く来た道を戻っていく。いつもならもう少し先にある大きな木まで行くのが散歩だけれど、今は散歩なんてしてる場合じゃない。何故なら「手紙」には、「手紙を書いてほしい」と書いてあったのだから。


「えぇ書きましょう。もちろん書きましょう。届くかどうかは分からなくても、あなたの手紙を私は読んだのだから」


 森の中にある小さな家。部屋は2つしかない小さな木の家。森との境界線を示す背の低い柵で囲まれた、庭の代わりに小さな畑がある三角屋根の可愛い家。木肌そのままの扉を開けて、1つきりの机にその「手紙」を広げておいた。瓶はその傍らに、もちろん1つだけの椅子の正面に。

 小さな家には物が無い。薪を使う石の竈兼ストーブ、1人分の食器と手作りのジャムが並ぶ戸棚、保存食は床下の地面に穿った地下室、あとは普段使わないものをしまう、木の皮を編んで作られた大きな箱。

 大きな箱の蓋を開いて、中をがさごそと探す。書くもの、出来ればペンと紙。質が良ければなお良い。残っていただろうか?


「あら、残念」


 しばらく探して見つかったのは、ざらざらとして茶色く分厚い紙と、インクの詰まった羽ペンだった。インク壺は何とか無事。まぁでも、書くだけなら問題ない。

 お湯を沸かして水で緩めて羽ペンを洗う。丁寧に拭いて乾かして、インクを吸わせれば準備は万端。何も書かれていない紙を前にして、はた、と手が止まった。


「……書くことが無いわ」


 もう一度「手紙」を読み返す。何て素敵なのだろう。何も書かれていない紙を見る。当然ながら勝手に文字が浮かんでくることは無い。手に持った羽ペンを見る。もちろん一人でに動く訳もない。

 うぅん、と悩む。手紙を書いてほしい。そう書いてあったのだから当然書こう。書かないという選択肢はない。では、何を? さぁ困った。



 天気の話? この森はいつだって穏やかな晴ればかりが広がるのに。

 暮らしの話? ただの1人暮らしだ。畑を世話して森の恵みを貰い、変化と言えば時々ジャムを作るぐらいだろう。

 周囲の話? 最後に誰かと話をしたのはいつだったかすら思い出せないで。

 自分の話? 残念、自分の事は文字に出来ない「きまり」がある。



 困った、困った。こんなに困ったのはいつ以来だろう。インクを満たした羽ペンの先がひっかくのは、紙の少し上の空気ばかり。そのうち待ちきれなくなった黒い雫が勝手に落ちそうになって、慌ててインク壺へと戻してやった。

 手紙を書こう。手紙を書きたい。けれど、どうしたってその内容が浮かばない。これでは手紙が書けない。「手紙」の旅が止まってしまう。


「うぅん……」


 インク壺に刺さったままの羽ペンと、何も書かれないままの紙を机に残して、再び大きな箱を探ってみる。いつからそこに収まっていたのか分からない程ずっとずっとあるモノ達は、これも手紙の内容にはなりそうにない。

 しばらく探して、もう1枚何も書かれていない紙を見つけたけれど……だからどうしたというのか。書ける場所が増えた所で、内容がカラッポでは意味が無い。

 「手紙」の横に何も書かれていない紙を並べてみる。さてどうしよう? いくら眺めても、文字が浮かんでくることは無い。けれど、ふと泡のような思い付きは浮かんできた。


「そうだわ。そうよ。「手紙」が旅に出てしまうのなら、もう読み返せないじゃない」


 何度読んでも飽きることは無いだろう。それがもう読めないなんて、そんなに寂しいことは無い。

 そこまで考えて、思いついた。羽ペンを持ち上げる。何も書かれていない紙の一枚を、インクを満たしたペン先でひっかいていく。流れ出たインクは紙に残って、つらつら、「手紙」と全く同じ内容の文字になった。

 とりあえず「手紙」の写本を作った所で満足げに息を吐き……もう1枚の何も書かれていない紙に目を移す。ほんの僅かな先延ばしは、結局解決たりえなかった。


「どうしましょう」


 作ったばかりの写本を狭い机の向こうにやって。「手紙」と何も書かれていない紙を並べて眺める。そうしたところで何を思い付ける訳でもなければ、書きたいことが浮かぶわけでもないのだけど。

 再びインクを満たした羽ペンが、紙の上の空気をひっかく。さっき紙をひっかいた事で調子が出たのか、今度は勝手に出ていくインクを戻すことが間に合わなかった。ぽたり、黒くて丸い、文字というより記号が紙に浮かぶ。

 さぁこれで書かない訳にはいかなくなった。何せ残りの何も書かれていない紙は、今探した範囲ではこの1枚だけ。無駄にする訳にはいかない。


「うぅ~ん……」


 そこからまた考えて、考えて……待ちきれなくなった羽ペンが、更にもう1つ、文字だか記号だかを勝手に書きかけた所で、ようやくペン先を紙に下ろした。

 そのまま、何度も何度もペン先を止めながら、滅多に書かないへたくそな文章で書き連ねたのは――




 はじめまして、こんにちは。あるいはまた別の挨拶で、何処の世界の誰とも知れないひとへ。

 あなたはこの文字を読めないかも知れません。何かの奇跡か偶然で読めるかも知れません。読めたなら、出来れば同じく瓶に入っている「手紙」も読んでください。

 私が書きたいのは、私はこの「手紙」を読みました、という事です。

 はじめは私の事を書こうと思ったのですが、いくら考えても何も書きたいことも、伝えたいことも、零したいことも思い浮かばなかったので、書かない事にしました。

 だって書きたくもないもの無理に書いたって、それはきっととてもつまらない文章にしかならないだろうから。そんなのを読まされても、きっと困ってしまうと思うのです。

 なので、私は同じ瓶に入っているこの「手紙」を読みました、という事だけを書こうと思います。

 そして、読んだからこそ私もこの手紙を書いているという事を。

 誰かが書いた「手紙」を別の誰かが読んで、その誰かももしかしたらまた手紙を書いて、それは、何て素敵な事でしょうと思った事を。

 だからと言って、これを読んだあなたが、必ずしもまた手紙を書く必要は無いんですけどね?

 もちろん手紙を書いたとして、同じく瓶に入れる必要も、無いんですけど。

 けれど、けれど――もしそうやって、例えばこの瓶が一杯になる程の「手紙」が繋がっていったら、それはとても、とっても素敵な事だと思うんです。

 私からは、これだけ。

 この手紙を、そしてあなたがこの瓶の「手紙」を受け取ってくれた、偶然か気まぐれか奇跡に感謝を。




 シンプルな内容だった。そっけない署名を、頑張って水増ししたような文章だった。少なくとも書き手にとってはそうとしか思えなかった。

 この「手紙」のような素敵さはない。本当に、ただこの「手紙」を読んで、そしてそれを素敵だと思ったと、たったそれだけの内容。書き手にとっては本当にそれだけの、比べるべくもない内容だと感じられた。

 インクが乾くまでの間に羽ペンを洗い、インク壺と一緒に大きな箱に戻して、そしてインクがすっかり乾いてしまって後は瓶に入れるだけ。でも本当にこれだけでいいのだろうか?


「……あっ」


 そんなへたくそな文章を見ていられなくて、目を閉じても自由に歩けるほどに馴染んだ小さな部屋をくるりと見回すと、ふと目に留まった物があった。そのまま椅子から立ち上がって、すぐに戻ってくる。

 その手にあったのは、小さな木の匙と、背が低く口の広い瓶に入った赤いジャムだった。きらりと光を跳ね返して輝く赤はとても綺麗で、最近作った中では特に上手くできたと自画自賛したジャムだ。

 ぱかん、と小気味よく蓋を開けて、木の匙の先にジャムを乗せる。そしてそれを、自らの唇へ。紅を差すように塗り重ね。


「♪」


 そのまま、口づけ1つ。ざらざらとした質の良くない紙の端、拙いへたくそな文章の下に、ふんわりと甘い香りの赤いマークが追加された。

 唇に残ったジャムはお行儀悪く舐めとってしまって、木の匙とジャムの瓶を片付けて。その頃には、署名代わりのマークがインクと同じくすっかり渇いてしまったことを確認して。


「さぁ、これで良し」


 広げていた「手紙」を、最初と同じように折り畳んで瓶へと戻す。そして少し苦労して、自分で書いた手紙も折り畳んで、瓶へと入れた。しっかりしっかり、蓋を閉める。

 そのまま「手紙」を持って帰って来た時と同じように、足取り軽く小川の縁を歩いていく。いつも散歩する場所を通り過ぎ、いつも寄り道する木の実の茂みを通り過ぎ、「手紙」を拾った場所を通り過ぎ、そして辿り着いたのは、いつも散歩を折り返す、大きな木の下だった。

 地面の上にも張り出した太い木の根に遮られ、小川はちょっとした泉に姿を変えていた。それでも流れは続いていて、張り出した木の根を伝うようにその先へ。


「ようこそ、この世界へ。いらっしゃい、異世界からの「手紙」さん」


 その先では。森が、終わっていた。

 いや、森だけではない。小川も、草も、いいや、大地そのものが断絶して、ただぽかりぽかりと白い雲が浮かぶ、青い空が広がるばかりだった。

 さらさらと流れる小川の先を追っても何も見えることは無い。空中に浮いたようなこの森は、ほかの何に支えられている訳でもなく、ただそこにあった。


「そしていってらっしゃい、次の異なる世界へ!」


 そして。

 そして、その虚空に消えゆく、元は小川だった流れに、「手紙」と手紙の入った瓶を、祝福するような言葉と共に、投げ入れた。

 当然支える物のない瓶は、小川の水と同じくすぐに見えなくなる。見えなくなってもしばらく眺めて、やがて楽しげにくるりと身を翻した。


「どうしましょう。そろそろかしら。それとも、あの「手紙」に飽きるまでは待ちましょうか」


 世界の始まりを朝日として、終わりを黄昏とするなら、今この世界は虫も寝静まる真夜中、あるいは夜明け前。

 この森の他には文字通りに何もない、極小で神以外には何もいない世界。



 神代に謳われる常春の森でただ1人、世界を創って見守って。そして世界が争い傷つき滅んでしまって泣き暮らし、ようやく散歩ぐらいは出来るようになったばかりの。そんな女神様が手紙を拾った、そんな話。

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