エリザベスとエリーゼとベス

 屋敷の中へは問題なく入ることが出来た。当然である。きちんと約束を取り付けてあるのだから、ここで何かしら問題があったらそれこそチャンスとばかりにエリーゼが暴れだすのは自明の理。勿論、相手方がそんなことを分かっていないはずがない。

 そうして通されたそこには、人の良さそうな笑みを浮かべた一人の老人がいた。伸ばした髭を触りながら、ようこそ参られたと四人を迎える。


「いえ。時間を取ってもらってこちらこそ申し訳ない」

「なんのなんの。儂はほれ、この通り。既に隠居した爺ですからな。今日も忙しい息子に顎でこき使われておるのよ」


 カラカラとそう言って目の前の老人は笑う。フィリップはそんな彼を見て油断することなく警戒を続ける。むしろもっと黒幕のような雰囲気を出してくれれば話は楽だったのにと心中で舌打ちした。

 エドワードはそんな兄を横目で見ながら当然だろうと一人小さく息を吐く。そんな単純な相手ならば、ここまですることなくとうの昔に片が付いている。さてどうしたものかと考えながら、まずはお手並み拝見と口を挟むのをやめた。


「して、今日の用事は聞き及んでおりますが。なんでも、市井で禁呪が使われたとか」

「ああ。これなんだが、マクスウェル翁、確認をしてもらっても」

「構わんよ。というよりも、それしか取り柄のない老いぼれじゃが」


 どらどら、とフィリップが取り出した紙を見る。ベスが書いた何ともお粗末なその記述を見たマクスウェル翁は一瞬怪訝な表情を浮かべ、そして難しい顔をしてううむと呟いた。

 指で文字をなぞりながら、何とも言えない顔で視線を目の前の彼へと戻す。


「これは、一体誰が書いたのですかな?」

「……そこにいる、部下の魔導師だ」

「ほう。……名は?」

「ベスです」


 フードを深く被った少女が短く述べる。椅子に座っているフィリップ達と違い、彼女はその後ろで待機していた。護衛、ないしは今回の事情で連れてきた従者といったところだろうか。

 そんな感想を持ってもらえるといいな。何とも不安げな表情を浮かべているベスは、向こうに顔を見られないようフードを更に目深に被り直した。

 マクスウェル翁はそんな彼女を見て口角を上げる。それは将来有望だ。そんなことを言いながら、目の前に置かれている紙を軽く指で叩いた。


「禁呪というものはそうそう理解出来ないもの。見たところフィリップ殿下と同じくらいかそれより若い。その年でここまで記述出来るのならば、きっと大成するでしょうな」


 かかか、と彼は笑う。そうしながら、うちの孫娘もその点では負けていないがと続けた。あまりにも軽く述べるので、彼等はそこに対する反応が一歩遅れてしまう。何だそうなのか、と流してしまう。


「……は?」

「どうされましたかな、フィリップ殿下」

「いや、マクスウェル翁の孫娘というと」


 エリザベス・マクスウェルはとうの昔に処刑されて死んでいる。だというのに、何故彼はそんな言い方をしたのか。それが理解出来ない。理解出来ないということを理解するのに、タイムラグが出来るほどに。


「エリザベスが何か?」


 だが、マクスウェル翁は気にした風もなく言葉を続ける。その気安さは普段通りで、彼女が処刑されているなどという事実こそが全くのでたらめであったのではないかと錯覚してしまうほどだ。

 フィリップは思わず視線を背後のベスに向ける。こっち見んな、と睨まれたので彼は慌てて顔を戻した。


「あ、あの」

「ん? お主は確か、アップルトン男爵の娘じゃな。なんでも貴重な浄化能力持ちだとか」

「あ、はい。マクスウェル公爵前当主さまに記憶してもらっているとは光栄です」

「それで、どうしたのかな?」

「……エリザベスさまは、こちらにいらっしゃるのですか?」


 ぴくりとマクスウェル翁の眉が上がった。フィリップはマリィへと勢いよく振り向き、エドワードはマリィが言っちゃうのかと苦笑した。ベスは思わず声を上げそうになり、エリーゼに押し込められ事なきを得た。


「ふむ。うちの孫娘とお主は、仲が良かったのだったかの?」

「わたしが一方的に慕っていただけですけれど」


 あはは、と頬を掻く。そうしながら、少しお話がしたいですと彼女は目の前の相手の目を見て言い放った。

 そんな彼女を見て、マクスウェル翁は顎髭を撫でる。一応聞いてみるが、断られても泣かぬようにな。そんな軽口を叩きながら、彼は後ろに控えていたメイドに指示を出した。


「マクスウェル翁」

「なにかな?」

「エドワードも会いたがっていると、ついでに伝えてもらっても?」

「ふむ。そうさな。婚約者殿の頼みならばエリザベスも無碍にはしまいて」


 マリィを援護するかのような、否、完全なる援護のその言葉を言い放ったエドワードは、表情を変えることなく紅茶のカップを口に寄せる。流石にここで何かを混入するという愚行は犯さないか。ほんの少しだけがっかりしながら彼はそのまま紅茶を飲んだ。


「そこの、魔導師ベス殿も、よかったら紅茶でもいかがかな?」

「へ?」


 すい、と視線をフィリップ達の後ろに向ける。エリザベスが来るまでまだ時間もある。禁呪自体は確認が済んでしまったので、もう少し突っ込んだ話をするならば役者が揃ってからがいいだろう。そういうわけだから、とマクスウェル翁は笑みを浮かべた。


「突っ立っていると疲れるじゃろう? メイド達ならともかく、お主は殿下の部下の魔導師。こちらとしても、それなりのもてなしをせねばと思ってな」

「は、はあ……」


 どうすればいいのだろう。そんなことを思いながら、ベスは曖昧な返事を零す。ここでエリーゼに代わってもらうわけにはいかない。今、ほんの僅かでもエリーゼを、エリザベスを表に出してしまったら。


「心配せずとも、取って食ったりはせんよ」

「……分かりました」


 出来るだけ顔を見られないように。俯き気味で促されるままソファーに座り、出された紅茶を一口。その味にエリーゼがピクリと反応したが、ベスはそれについて問い質すことは出来ない。何かあったのだろうか、と紅茶の水面をじっと見詰めるのみだ。


「その紅茶は、うちの孫娘がよく飲んでいる銘柄なのじゃよ。お気に召したのかな?」

「へ? あ、だから」

「ベス嬢」

「ふぁ!? あ、ご、ごめんなさい」


 エドワードの言葉に我に返る。しまった、疑問の答えを口にされたので思わず言ってしまうところだった。一体どうしたのだと苦笑するマクスウェル翁にもう一度頭を下げ、何かうまい具合の言い訳でもないかと思考をフル回転させ。


「じ、実は……フィリップ殿下がよく飲んでいるものと同じだったので、つい」

「ベス嬢!?」

「ほう? ……なんじゃ殿下、まだ諦めておらなんだか」

「ち、ちがっ! いや違わないが、違う!」


 咄嗟に出したにしては中々であった。自分ではそう思ったが、フィリップには完全なるとばっちりのファンブルであった。いきなり何言い出しやがるコノヤローと射殺さんばかりの目で睨まれ、やっちまったと表情が強張る。

 そんな、黒幕と勝負をしに来たはずの空気にはとても思えない状態になったその部屋に。


「お待たせいたしましたわ。お祖父様」


 メイドに扉を開けられ、一人の少女が足を踏み入れた。







 え、とベスは思わず言葉を漏らす。目の前にいる人物は、部屋にやってきた人物には、これ以上無いほど見覚えがあったからだ。というより、今現在の自分の顔だ。正確には、自分の首から上に乗っている顔だ。


「おお、来たかエリザベス。少し会って欲しい相手がそこにおってな」

「……あら、誰かと思えば」


 ちらりと座っている面々を彼女は見やる。少女がやってきてから動きを止めていたフィリップを経由し、エドワードを見て、そしてマリィで視線を止めた。


「雌豚じゃない。一体何をしに来たのかしら」

「あ、いえ。わたしは付き添いで、本来の用事はこちらのお二人です」

「わたくしの婚約者の付き添いとは、随分と偉くなったものですわね」

「え? ……あ、はい。そうですね」


 やってきた少女、エリザベスの言葉に一瞬マリィの動きが止まる。が、すぐに持ち直すと言葉を返した。そうしながら、彼女はちらりとベスを見る。少しだけ考えるように視線を彷徨わせると、しかしそれを口にすることなく沈黙を保った。


「やあエリザベス。久しぶり、といえばいいのかな?」


 その一方で、エドワードは表情を変えることなく平然と彼女に言葉を紡ぐ。ええ、そうですわね、と返され、彼は苦笑しながら頬を掻いた。


「暫く謹慎処分を受けていたからね。ついこの間、ようやくこうして外に出られるようになった」

「あら、それはそれは。自業自得、といえばいいのかしら?」

「ははは、手厳しいね」


 笑う。笑いながら、エドワードはそっと隣のマリィの手を握った。ふぇ、と変な声を出してしまった彼女を見て笑みを強めながら、彼はところで、と視線をエリザベスに戻す。

 君がここにいるのならば、処刑されたのは一体誰だ?


「……成程。何やら神妙な顔をしていたと思ったら、そういうことでしたか」


 エドワードの言葉に答えたのはマクスウェル翁だ。ふぅ、と小さく溜息を吐いた彼は、紅茶のおかわりをメイドに頼み、指を組んで膝の上に置いた。


「その様子ですと、陛下からは何も聞いておらぬようですな」

「父上から?」


 動けず、口も挟めなかったフィリップが思わず問う。さよう、とマクスウェル翁が頷くと、エリザベスに自身の隣へ座るよう促した。立ったままする話ではない、と静かに述べた。


「何者かが、我が孫娘を嵌めようとしていた」

「っ!?」


 目を見開く。その犯人がお前だろう。そんな言葉がせり上がり、無粋で、無意味で、無傷であることを覚らせ飲み込んだ。

 マクスウェル翁は続ける。孫娘の婚約者は、とある人物に骨抜きにされ、やってもいない罪を孫娘へと擦り付けた。このままではエリザベスの立場は非常に危うい。かといって、それを伝えたところで無意味。


「ならばどうするか。儂と陛下はそこで一計を案じることにしたのですよ」

「何を……?」

「簡単な話です。向こうの目的を達成させてやればいい」


 エリザベスを断罪させ、処刑させる。そこまでを全てこちらの掌で踊らせることで、黒幕の尻尾を掴みやすくする。そういうことにしたのだ。

 当然そのことでエリザベスの評判は地に落ちる。それも見越して、その後、黒幕を炙り出し白日の下に晒すため水面下で動きを続けた。マクスウェル翁と、国王陛下とで。


「俺の謹慎も、その一つ、かな?」

「お察しの通り」

「提案をしたのは、父上ではなく俺だ」

「フィリップ殿下が言わなければ、陛下が自らやっていたでしょうな。だから、問題なくスムーズに動いていたでしょう?」

「それはっ……」


 フィリップが言い淀む。心当たりがあったのだろう。だからこそ反論出来ずに、彼は口を噤んだ。エドワードはそんな兄を見て、どうしたものかと頭を悩ませる。こういう素直な部分は美徳ではあるが、いかんせん搦手に弱いという弱点にもなる。というか今現在がまさにそうだ。

 とはいえ、自分もその策略に嵌っていた一人なので人のことは言えない。が、まあ今はそれを棚に上げる方が先決だ。


「では、処刑されたのは一体誰なのかな? まさか、何の罪もない人間を使ったというわけでもないよね?」

「かかか。流石に儂らもそこまで下種ではない。あの時処刑台に立っていたのは、禁呪で作った人形じゃよ」

「人形? でも、あの時の姿は間違いなく」

「うむ。まあ、とはいっても外道には違いないがな。あれは罪人の死体を材料に、エリザベスそっくりに仕立て上げたものじゃ。だからこそ人と同じように、首を落とされ、死んだ」


 勿論本物はここで生きているがな。そこまでを述べたマクスウェル翁は、先程から一言も発しない二人の少女に視線を向けた。マリィは静かに話を聞きながら、エリザベスの姿をじっと見ている。

 そしてもうひとり。フードを被った少女は。


「待った、いや待って……。じゃあ、何? あたし、あたしは」


 ブツブツと小さく何かを呟きながら、せわしなく指を動かしている。それが何を意味するのかは分からない。恐らく動揺してことからくる無意識の動きだろう。その場にいる誰もがそう思うであろうその仕草は。


「おい。そこの魔導師。お主、一体何を――」

「え?」


 マクスウェル翁の言葉に、フィリップとエドワードが視線を動かした。フードを目深に被ったままのベスが、左手をゆっくりと開き、そして。


「死体に宿った低級霊ごときが、何をするつもり?」

「ちぃ!」


 思い切り握ると同時、エリザベスが座っていた場所が弾けた。ソファーが骨の椅子に変貌しており、そのままであったならば中々奇怪なオブジェに変貌していたであろうことが伺える。

 そんな状況を作り出した犯人に向かい、回避したエリザベスが突っ込んでいっていた。右手に魔法陣を浮かび上がらせ、それを思い切りフードの顔へと叩き込む。

 その直前、同じような魔法陣を展開した相手の右腕によって止められていた。その拍子に、被っていたフードがパサリと落ちる。


「死体に宿っているのはお互い様ではなくて?」


 ふん、とエリーゼは鼻を鳴らした。そのまま、右手を押し返しエリザベスを吹き飛ばす。派手に飛んだが、どうやら自分から飛び退ったらしく、何の苦もなく着地していた。掴まれた右手を擦りながら、彼女は見下したようにその顔を見る。


「身代わりの死体に何かが宿ったからかしらね。自分を本物だと思い込んでいるだなんて」

「何を言っているの? わたくしは別に、自分が本物だなどと主張する気はありませんわよ」


 は、とエリザベスはエリーゼを見た。負け惜しみでもなんでもなく、彼女は本気でそれを発している。そのことを確認すると、エリザベスは理解出来ないとばかりに顔を顰める。

 対するエリーゼは、理解出来ないならば別にいいと肩を竦めた。そうしながら、ねえべス、と己の中へと告げる。


「わたくしは、自分の在り方は自分で決めるわ。だからのだとしても、それは変わらない。今のわたくしはただの動く死体、首だけのアンデッド、エリーゼよ。……それで、あなたは?」

「……え? あ、うん。体に宿った得体の知れない魂、ベス。うんうん、そうだそうだ。あたしはあたしだ。というか別にあたし気にする必要ねーや」

「そうよ。何を落ち込んでいるのか理解に苦しむわ」

「酷くね!?」


 同じ口で一人芝居を行っていたエリーゼとベスは、そうして落ち着くと再度エリザベスを睨み付けた。自分の存在の宣言もしたことだし、と指をコキリと鳴らした。


「単純に同じ顔が気に入らないからあなたは潰すわ」


 そんなわけで。理不尽極まりない理由で、彼女らは目の前の少女を害そうと決めたのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役 /令嬢 負け狐 @makegitune404

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ