番外編 刺客(2)

「え? いや、あのー、自分、部下ッスよ」


 とっさにリキオウは出まかせを吐いた。もし暗殺者とばれようものなら自分は目の前のウィーナに殺されるであろう。今この場を生き延びなければならない。


 だとしたら、さっきの部下達がいなくなったのはむしろ好都合である。


「……お前のような部下はいない」


 ウィーナはリキオウをキッとにらんだ。ウィーナはワルキュリア・カンパニーに所属している人員の全ての顔と名前をキッチリ覚えている。下っ端の平従者の中にもこのような者はいなかったはずである。


「いや、そんなことないッスよ。ほら俺! 俺! 俺ですよ社長!」


「社長!?」


 ウィーナはますます不審に思った。ウィーナのことを社長と呼ぶ部下は誰ひとりとしていないのだ。なんとなく慣例として、みんな『ウィーナ様』と呼んでいたのだ。


「社長~! 俺ですよ俺! ほら、俺バイトですから! 自分新人のバイトですから! 普段目立ちませんから!」


「ウチはアルバイトは使わない」


「ふへっ!?」


「何者だ!? これ、やったのお前か?」


 ウィーナは荒れた寝室を眺めながら問いかけた。リキオウは逃げ出したかったが、四肢が全く動かなかった。これもウィーナの力だろうか。


「いや、バイトって、アルバイトのことと違くて! 俺の名前なんッスよ! 俺存在感薄いからさああああ! 社長が気付かないのも無理はないです! ウハッハッハッハッハ!」


 リキオウは言い逃れを続けた。もう必死である。


 ウィーナはリキオウから目をそらし、今の自分の姿を確認した。ネグリジェがボロボロになっており、下着が見える有様である。


「……待っていろ。着替える」


 ウィーナはリキオウの横を通り過ぎた。リキオウは体の動きを封じられているので後ろの様子を見ることはできない。ただ、衣擦れの音だけが聞こえてきた。


 しばらくすると、普段着に着替えたウィーナがリキオウの前にやってきて、椅子に座った。


「私の命を狙いに来たのか?」


「全然違いますよ! だから私はあなたの部下なんですってばー!」


「貴様、名はバイトと言ったな。バイト、ではこの部屋の有様をどう説明する?」


「賊が社長の部屋に入り込んできたんです。だから俺はここまで来て、賊を追っ払ったんですよ! 信じて下さい!」


 ウィーナは全く信じなかった。というか、明らかにこのような人物は自分の部下にはいない。初めて見る顔だ。


「賊はどうした?」


「ドアから逃げてったんですよ~!」


「私が目覚めたとき、お前は窓の方に走っていったが? どうしてドアから逃げたはずの賊を追うのに窓へ向かう?」


 ウィーナの問いかけに対して、リキオウは答えに窮した。先回りするためだったとでも答えようと思ったが、そんな馬鹿げた言い分が通るか不安だった。


 どうにもならず歯ぎしりすることしかできなかったが、リキオウはウィーナの異変に気付いた。


 彼女は、目を閉じ、首をカクカクと揺らしていた。また眠ってしまったのである。


 リキオウはすぐに体を動かそうとしたが、まだ動けないままだった。技の使用者が眠っていても効果が継続するらしい。


 リキオウは自分の動きを封じている術が解けるように、また、目の前の女が目を覚まさないように神に祈った。




「キッカイセー! DダイスRロールプレイングBバトルしようぜ!」


 その頃、ウィーナの寝室から逃げ出したロジックとカートックは、一階のエントランスホールにいた。


「よっしゃこーい!」


 ロジックの呼びかけに対してキッカイセーが応じる。


「言っておくが、これは闇のゲームだぜ」


 ロジックは不敵に笑いながら、懐から一個のサイコロを取り出した。


「望むところだ! このスットコドッコイ!」


 キッカイセーが目を大きく見開いてロジックを挑発した。


「俺の専攻! 運命のダイスロール!」


 ロジックが床にサイコロを投げた。サイコロは床に敷かれた絨毯を音もなく跳ね上がり、また床に落ちて動きを止める。出目は五だった。


「ならば俺のターンだっ! 運命のダイスロール!」


 キッカイセーが床のサイコロを拾って、床に放り投げた。今度の出目は二だった。


「ぬおおおおっ!? 何だとおおおっ!」


 キッカイセーは出目に動揺して思わず声を上げた。


「5‐3=2だ。これよりバトルフェイズに移行するぜ!」


 ロジックが得意げに拳を構えた。


「くっそー! 来い! 来いやオラアアッ!」


 キッカイセーが腰を落とし踏ん張って、ロジックを迎え入れるような態度をとった。


「このおおお!」


 ロジックはキッカイセーの顔を殴り飛ばした。そして、さらに二発殴りつけた。


「ぐわああっ!」


 キッカイセーは無抵抗。殴られるがままだ。


「どうだ!」


「ぐ……。やるじゃないか。次行くぞ!」


「ダイスフェイズだ! 運命のダイスロール!」


 今度は、ロジックが一でキカイセーが三。するとロジックがキッカイセーを迎え入れるような体勢を作る。


「おどりゃああ!」


 キッカイセーがロジックの顔を二発殴った。殴られたロジックはすぐにサイコロを拾い上げ、床に投げた。


 こうして二人がDRBを続けてしばらく経つと、カートックが現れた。


「僕も混ぜてくれ!」


「よーし! ならば三人でバトルロイヤルといくぞ!」


 キッカイセーが顔を痣だらけにしながらハイテンションで言った。




 ウィーナの寝室では、リキオウが相変わらず八方塞がりの状況下にあった。


 ウィーナは再び寝てしまった一方、リキオウも動けない。


 しばらくすると、リキオウの体に力が入り、自由に動けるようになった。ウィーナがかけた術の効力が時間の経過によって切れたのであろう。


 リキオウは、ウィーナを起こさないように忍び足で部屋から出ようと、眠るウィーナに背を向けて歩き始めた。


 自分が壊してしまったドアから外に出ようとすると、突然廊下から眼鏡の男・カートックが現れ、部屋の出入り口を塞いだ。


 これはリキオウにとって都合の悪い話であった。大きな音や声を出せばウィーナが目を覚ます。


 リキオウはカートックの顔がなぜかボコボコになっているのに気が付いた。彼は先程までやっていたDRBのおかげで、このような顔になっていたのだ。


 カートックは腰の鞘から滑らかな動作で音もなくレイピアを抜き、エイカンの鼻先に突き付ける。


「うっ……」


 リキオウは食いしばった歯の隙間から声を漏らした。


 すると、続けて廊下から先程逃げた二人の男、ロジックとキッカイセーが姿を現し――彼らもカートックと同様に、鎧が破損し、体のあちこちに痣ができていた――、リキオウやカートックの脇を通り過ぎた。


「ウィーナ様!」


 キッカイセーが大きな声でウィーナに語りかける。


「なっ……?」


 リキオウは顔を引きつらせて背後を向く。


 すぐにウィーナは目を覚まし、目の前の情景を見渡した。


「お前達……、どうした……」


「不覚です、ウィーナ様。我ら三人、ウィーナ様の命を狙って屋敷に乗り込んできたこの賊を撃退しようと打って出ました。しかし、残念ながら力及ばず、このような有様です。剣折れ、鎧砕けるまで戦ったのではありますが……」


 ロジックがボコボコになった顔をアピールしながらリキオウを指差して訴えた。


「一度は敵の侵入を許しましたが、外敵の排除は守衛の務め。我ら最後の力を振り絞って賊を負い、ここまで馳せ参じた次第にございます。ウィーナ様をお守りするため」


 キッカイセーが床に膝をつき、頭を下げて言った。


「賊は捕えました!」


 カートックがリキオウの眼前にレイピアを突き付けたまま言う。


「な、何だと貴様らあああっ! 裏切りやがったな! 全て罠だったんだな! 謀りやがったなこの野郎ーっ!」


 絶体絶命の自分の立場も弁えずに、リキオウが激怒した。


 その瞬間、肩に針が刺すような鋭い激痛が走った。カートックが彼の右肩をレイピアで刺したのである。


「ぐわあああ!」


 傷口からどくどくと緑色の血が流れ出てくる。


「黙れ」


 カートックがリキオウにぎりぎり届くぐらいの小声で言った。リキオウが歯を食いしばって肩の傷口を庇いながら、刺すようにカートックを睨み据えた。本来ならこんな奴敵ではない。しかし、もし手を上げようものならウィーナが黙ってはいないだろう。


「カートック! やめろ! 剣をしまえ!」


 ウィーナは大声でカートックを一喝した。予想外のウィーナの反応にカートックは怯んだが、すぐに「はい」と同意して剣を鞘に収めた。


 寝室は沈黙に包まれた。重い雰囲気の中、ウィーナは静かに立ち上がり、何かを思案するように他の者達の間をゆっくりと歩きまわった。歩みを進めるごとに、艶やかなセミロングの黒髪が微かに揺れた。


「お前達」


 ウィーナは髪を軽く払いながら、ロジック、カートック、キッカイセーを見まわして口を開いた。その表情には悠然とした余裕が見て取れる。


「は、はい!」


 部下達が慌てて返事をしてウィーナに視線を向けた。


「よくやった。私の命を狙って乗り込んできた賊を追い払うとは」


 ウィーナの発言に対して、部下たちは怪訝な表情を作った。一体ウィーナは何を言っているのだろうか。侵入してきた張本人であるリキオウは目の前にいるではないか。


「え? いや、こいつが……」


 ロジックはリキオウの方を見て言った。リキオウは恐怖のあまり最早言葉も出なかった。


「何を言う。この者はウチのアルバイトではないか。お前達と一緒で、私を賊から守るためにここまで駆けつけてきてくれたのだ」


「ええ~っ!?」


 キッカイセーが素っ頓狂な声を上げて、ウィーナとリキオウを交互に見遣った。


「いや、コイツさっきウィーナ様のことをドカドカ滅多打ちにしてましたよ!」


 ロジックがそう言った途端、キッカイセーの表情が歪んだ。キッカイセーは思った。何でコイツはそんな余計なことを言ってしまうんだと。


 案の定、それを聞いてウィーナはいたずらな微笑を浮かべた。


「ほほう……。これは妙な話だな。お前達は今私の部屋に駆けつけてきたと言ったな。なのになぜ、私がこの者に打ちすえられていたと断言できるのだ。私が納得できるように説明しろ。ロジック」


「う……、いや、それは、そのですね」


 しどろもどろになっているロジックをウィーナは冷めた目線で見つめる。その視線を受けて、ロジックは一層動揺した。


「あのー、私達はこの賊に手ひどくやられた後、ウィーナ様の寝室から激しい音が鳴り響くのを聞いていたのです。それを聞いて分かりましたよ。刺客がウィーナ様を激しく殴っている音だと。それは当然分かりますよ。もっとも私達もこの通り手負いの状態だったので、身を奮わせてここまで来るのに時間がかかりましたが」


 カートックが横から口を挟んだ。


「なるほど。確かにそれは道理だ」


 ウィーナが納得した様子で頷いた。


「コイツが賊であることは最早疑いようがありません!」


 キッカイセーが背中に吊り下げているメイスに手をかけて、リキオウに歩みを進める。


「待てキッカイセー。この者はウチのアルバイトだと言っているだろう。そうだろ? バイト」


 ウィーナは怯えるリキオウの横に立ち、彼の肩を軽く叩いた。


「そうです。自分バイトです。マイネームイズバイト」


 なぜウィーナが自分の肩を持ってくれるのかは分からないが、リキオウが何とか言葉を絞り出してウィーナに調子を合わせた。


「嘘だーっ! コイツはここに来たとき、確かに『リキオウ』と名乗ったんです。バイトなんて名前じゃありません!」


 キッカイセーは慌ててウィーナに訴えた。


「そうなのか? バイト」


「いえ。自分バイトッスから」


 リキオウが何食わぬ顔でウィーナに迎合した。部下達は不振を募らせる。


「ウィーナ様。私は毎日ここに出勤して、こんな奴は一度も見たことありません。それに、ウチは派遣は使ってもバイトは使わないじゃないですか」


 カートックが言った。


「お前達が気付かないのも無理はない。この者はワルキュリア・カンパニーの構成員としてではなく、私が個人的に隠密として雇用しているアルバイトだからだ。時給1Gギールドで。なあ、バイト」


 ウィーナは腕を組み、流し目をリキオウに向けた。


「うえええっ!? 時給1G!?」


 リキオウが驚いて目をひん剥いた。


「時給1Gって、一日働いて薬草買ってお終いじゃないですか!」


 ロジックが眉をしかめて、疑問を投げかける。そんな給料の低いアルバイトなどあり得ない。


「時給1Gの隠密……」


 キッカイセーがぽつりと言った。


「そうだな、バイト?」


 ウィーナが再度問いかけた。


「あ、はい! そうです! 自分バイトなんです! 時給1Gの!」


 リキオウが背筋を伸ばして返答した。


 ウィーナの部下達は言葉が出なかった。リキオウがアルバイトだなんて嘘に決まっている。しかし、ウィーナの気まぐれか何かか、とにかくリキオウがバイトということで話が収まろうとしている。


 部下達はこれ以上話をこじらせたくはなかった。なにせ、リキオウはキッカイセーとロジックがリキオウの目的を聞いていながら堂々とウィーナの場所へ案内した事実を知っているのだ。これ以上追及してリキオウが自暴自棄になり、そのことをぶちまけるよりは、このまま収束した方が彼らにとってよかったのだ。


「そうでしたか……。それは気付かなかったです」


 ロジックは納得した様子を見せた。


「お前達、このバイトが取り逃がした賊を捕まえようと戦っていたのだろう? その様子だと、すんでのところで賊は取り逃がしたようだな。そうだろう?」


 ウィーナが部下達を見回して言った。不敵な笑みを浮かべている。無言の圧力だ。まさにウィーナの『そういうことにしろ』という声が聞こえんばかりの、有無を言わさぬ圧力がそこにはあった。


「はい、そうです!」


 カートックが即答した。不自然なほどハキハキとした返事だ。


「取り逃がしたものは仕方がない。放っておけ」


「了解しました」


 部下達は揃ってウィーナに従った。


「バイト。部屋を片付けておけ」


 ウィーナがリキオウ(改名:バイト)に命令した。


「何で俺が!」


「それがバイトの仕事だろう?」


「まさか本当に時給1Gで!?」


 ウィーナに助命されたにも関わらず、リキオウは反抗的な態度を取った。


「事前にその取り決めでお前を雇ってたはずだが? それとも、私の言うことが聞けないのか?」


「すみません! やらせていただきます~!」


 リキオウはそれこそ必死でベットやドアの残骸の片付けに取りかかった。この山のような体格だ。力仕事にはおあつらえ向きだろう。


「あと、朝になったらすぐに修理屋を手配してドアを直せ。ベッドも買ってくるように」


「は、はい!」


 もはやリキオウはウィーナの言いつけに従う他なかった。


 ウィーナは、リキオウの側に歩みを進め、耳元に唇を寄せた。微かな笑みと白く細い腕によって払われる黒髪、上目遣いの目線が妖しげな雰囲気を漂わす。


「もし、明日私が寝るときに部屋が元通りになっていなかったら、どうなるか分かっているな?」


 ウィーナはリキオウの耳元でささやいた。


「は、はい……」


 リキオウは冷や汗ダラダラで、最早ウィーナを直視する勇気もない。


「この程度の雑務もこなせないようではバイトとして雇うことはできない。出ていってもらう」


「やりますってば! 大丈夫です!」


「逃げても無駄なのは分かっているな? 私はお前を追うことはしないが、お前の『ボス』とやらが許さないのだろう?」


 女神のささやきを聞いて、リキオウは背筋が凍りついた。ウィーナの部下達は遠巻きにはウィーナが何を言っているのか分からず、怯えるリキオウを狐につままれた表情で見ていた。


「今は部屋を片付けろ。後ほど、お前のボスのことについて詳しく聞かせてもらおう。当然協力してくれるな?」


「はい」


「よろしい」


 ウィーナは寝室の出口に向かって足を運んだ。その後ろ姿を見てリキオウは、もう自分を雇ったボスも命運が尽きているのだと悟った。


「ロジック。メアリーを呼んできてくれ」


「分かりました」


 ロジックはすぐにメイドの控室へと走っていき、メイドのメアリーを連れてきた。


 ウィーナがワルキュリア・カンパニーの経営を外部委託している経営代行組織・マネジメントライデン所属のメイド達のうちの一人である。


「部屋が荒れたので今夜は二階の客間で寝る」


「分かりました。使えるようにはなっていますので」


「そうか。すまない。使い終った後を頼む」


「分かりました」


 ウィーナはメアリーに会釈をし、二階へと歩みを進めた。


「お休みなさいませ!」


 ロジック、カートック、キッカイセーはウィーナに一礼して、去りゆく彼女の背中を見送ろうとしたが、すぐにウィーナは振り返った。


「お前達、ちょっと」


 ウィーナは部下達を手招きした。部下達は嫌な予感を感じつつも、ウィーナについていった。


 ウィーナが向かったのは、二階の客間ではなく、二階のエントランスホールだった。ウィーナは何となしに大広間を見渡し、おもむろに口火を切った。


「私はさっき、二つの変な夢を見た」


「変な夢?」


 カートックが聞き返し、ロジックやキッカイセーと互いに顔を見交わす。


「まず、私は深き眠りの中で夢を見た。キッカイセーが私の暗殺にやってきた賊を堂々と屋敷に入れ、ロジックと共に私の寝室まで案内し、ご丁寧に毒殺用の毒薬まで提供していた夢だ。カートックも一連の騒ぎの中で居眠りしていて、毒のしまってある場所をロジックに教えていた。本当に変な夢だった」


「な、なんですと?」


 キッカイセーがみっともなく裏返った声を上げる。ロジックとカートックも委縮してしまっていた。


「そして、私は一回起きた後すぐに二度寝してしまい、浅き眠りの中、また夢を見た。この場所でお前達がDRBなどという訳の分からんゲームに興じて互いを傷つけ合った上で、私の部屋へとやってきて、賊の相手をして負傷したと偽りを述べた夢だ。……全く、妙だとは思わんか」


「そ、それは本当に変ですねー」


 ロジックが引きつった笑顔で言う。


「確かこんなゲームだった」


 ウィーナは掌を広げると、そこに光が立ちこめ、五つのサイコロが具現化された。彼女はそれを床の絨毯に放り投げた。


「全部で十九か」


 ウィーナはキッカイセーに視線を向けた。


「振ってみろ」


「ひっ……! は、はい!」


 キッカイセーは床のサイコロをかき集め、大慌てで床に投げた。合計十一。良い出目ではない。そして、ウィーナの出目との差は八。つまり、キッカイセーはウィーナのパンチを八回その身に喰らわねばならない。無理だ。一発で消滅してしまう。


「八発か。さて、と……」


 ウィーナはその場でパンチの素振りを始めた。部下達の動体視力では腕を動かしているのかどうかも分からないくらいの神速である。


「ウィーナ様! 申し訳ありませんでした! 自分達が悪かったです!」


 カートックがウィーナのもとに駆け寄り、頭を下げた。結局、ウィーナは何もかもお見通しだったのである。


「すいませんでした!」


 ロジックとキッカイセーも同様に頭を下げた。


「許す。何も、命を捨ててまで私を守れとは命じていない。むしろお前達の判断は最良だったと言える。外部からの侵入者を一番強い私の下に、損害を出さずに案内したのだからな。むしろよくやったと言いたい」


「あ、ありがとうございます!」


 部下達は安堵の表情で、深々と再度頭を下げた。


「しかし、他の部下達の手前、暗殺者を私の所まで運んできた行為に対して咎めなしというわけにもいかない。私の命を狙う者は大勢いる。その都度私の下まで案内されてはかなわんからな。さて、困ったものだ」


 ウィーナはじっとりとした目で部下達を品定めするかのように見回す。見られただけで、なぜかその瞳に吸い込まれそうな、底知れぬ感覚を覚えた。


 しばらくの沈黙の後、ウィーナは鼻で笑った。


「いいことを思いついたぞ」


「それは何ですか?」


 カートックがずれた眼鏡を指で修正しながら問う。ウィーナは楽しそうにくすくすと笑い始めた。


「教えん。そのときが来たら伝えよう。私はもう寝る。持ち場に戻れ」


 そう言ってウィーナは悠然と二階へと去っていった。


 平従者達は、がっくりと肩を落とした。






 三日後――。






 冥界の首都の繁華街で、ウィーナの部下、ロジック、カートック、キッカイセー、バイトのバイト(旧名・リキオウ)が、男なのにキャンペンガールのミニスカートの衣装を着てビラを配っていた。


 部下達は情けない思いを噛みしめ、本日の朝のことを思い出す。




「今日は街でワルキュリア・カンパニーを宣伝するチラシを配ってもらいたい。大事な営業活動だ。しっかり頼むぞ」


 ウィーナは三日前に失態を演じた部下と、謎のアルバイト一名に対してこう言った。


「本来なら、コンパニオンを雇ってビラを配らせる予定だったが、バイトを新たに雇ったせいで予算が底をついた」


 そう言ってウィーナはバイトをじろりと見つめた。ロジックは、バイトに時給1Gしか払っていないのにどうして予算がなくなるのか疑問で仕方がなかった。滅茶苦茶なこじつけだ。


「しかし、せっかくこの日のために用意した衣装を使わないのはもったいない……メアリー!」


 メイドのメアリーが両手に色鮮やかな服を数着抱えてやってきた。


 ウィーナはメアリーから衣装一1枚受け取って部下達の前で広げて見せた。ミニスカートだった。


「う、うわあああああああっ!」


 部下達の悲鳴が上がる。後の祭りだった。




 ビラ配りにはウィーナ自らもその衣装を着て参加していた。非番だから自分もやるとのことだった。


 ビラはウィーナばかり減っていった。通行人は、ウィーナからしかビラを受け取らず、他の男共はなかなか受け取ってもらえなかった。


 通りかかる女性に渡しに行こうものなら、下手をすると悲鳴を上げて逃げられた。


「自分、ちょっと場所変えまーす」


 ロジックは、一人場所を離れ、裏手の路地へと歩いていった。


「あの格好でバラけるなんて、勇気あるなー」


 カートックが辟易しながら声を漏らした。


 ロジックはウィーナ達の目の届かない場所まで移動した後、すぐにビラを半分くらい物陰に捨てた。


 そしてビラ配りを再開しようとして束を見たとき、ロジックは驚愕した。


 なんと、捨てたビラが減っていないのである。捨てた分だけ、また手の中で増えているのだ。先程捨てた物陰に視線を戻すと、捨てたビラは跡形もなく消滅していた。


 ロジックはあんぐり口を開けて何もない地面を見つめていた。


「やっているか?」


 突如として、背後からウィーナの声が聞こえた。まばゆいばかりのキャンペーンガール姿のウィーナが、いつの間にか後ろに来ていたのだった。


「は、はい、まあ」


「せっかく作ったビラだからな。もしかしたらあそこの物陰に半分くらい捨てたと思ったが、真面目に配っているようで感心、感心。何と言っても私の『思い』を込めたビラだからな」


 ウィーナはロジックがチラシを捨てた場所をやけに具体的に指差した。もうばれていることをロジックは悟った。


「頑張れよ。配り終わるまで帰れんぞ」


「はい……」


 ロジックは諦めてビラ配りを再開した。


 ウィーナはその様子を見て、意地の悪い笑みを浮かべながら大通りへと去っていったのである。


<終>

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やるせなき脱力神番外編 刺客 伊達サクット @datesakutto

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