深夜のドライブ

 助手席に乗った彼女は、何気なく言った。


「定番だよね、深夜ドライブでの遭遇、ってのも」

「遭遇?」

「昨日の映画には出て来なかったけど……例えば、ほら。人気のない道に立っている人、とか」


 昨日の映画、と聞いて、脳裏に浮かぶ、樹海の中に立つ女の姿。ゆらめく白いワンピースと、生気のない両眼。ぞわっとして、首をすくめた。


「そ、そういう話ね……」


 怖がっていると思われたくなくて、平気なふりをする――が、彼女にはお見通しのような気もする。

 からかうような笑い声の後に「例えば」ともう一度言って、彼女は語った。


「深夜、男女が遊びに出かけた帰り道、人気のない山道を車で通っていると、行く先の道の脇に、ぼっと白いものが見える。何だろう、と二人が話しているうちに、距離は縮まっていく。

 ――それは人だった。白い服を着た女性だった。何故こんなところにいるんだろう、と心配になった二人は、車を停めて、女性に話しかける。どうしてこんなところにいるんですか。危なくないですか。けれど女性は無言で二人を見返すだけ。どことなく不気味に思った二人は、女性を置いて車を発進させた。

 変な人だったね、と彼女は彼氏に話しかけた。あぁ、と何気なく答えかけた彼氏は、ちらっと何か気にしたようにルームミラーを見て、ハッと目を見開いた。どうしたの、と首をかしげた彼女に、彼氏は放心したような顔で「うしろ」と答えた。振り向くと、後部座席に座っていた女性が、無表情にじっと彼女を見つめていた……」


 道路脇にぼうっと白い影が浮かんだように見えて、思わずアクセルを踏みかける。よく見ればそれは看板だった。短く息を吐いて整える。


「話がうまいね……」

「そうかな? ありがとう。今、適当に考えた話なんだけど」


 彼女は照れたように微笑んだ。嬉々としてホラー映画を見ていた横顔が思い出される。


「トンネルに入ったら窓ガラスに手形がっ! っていうパターンも、古式ゆかしい王道だよね」


 彼女は詳しいストーリーは語らずに「他にどんなパターンがあるかなぁ」と考え始める。だが、彼女の言葉によって引きずり出されるように、俺の脳裏には勝手に、今までに聞いた怪談が組み合わさって、思い浮かぶ。

 薄暗いトンネルに突入する一台の車。窓の外から聞こえる、幼い子供の言葉にならない声、赤ん坊の泣き声。運転手はアクセルを踏んで振り切ろうとするが、べたり、とフロントウィンドウに手形がつく。小さな、紅葉のような手。たら、と垂れる血。またたく間に全ての窓に手形がついていき、視界を遮られる。何も悪いことはしていない。ただ、ただ車を運転していただけなのに。何で俺なんだよ、と問いかけても、子供たちは暗い声で何か呟くだけ。心なしか声は増えているような気がする。運転手は息を荒げ、姿なき子供たちを振り払おうと、ハンドルにしがみつきながら車を左右に振り――ドンッ。

 ちょうどトンネルに入った。赤っぽいライトが視界を幻惑する。行く先にすぐに出口が見えたことに、今までに感じたことのない喜びを覚えた。


「あと、飛び出し、かなぁ。リアルな恐怖もあるし」


 足元からふっと冷気が忍び寄ってきたような気がして、左足で軽く床を叩いた。

 先ほど、アクセルを必要以上に強く踏みかけた記憶が絡みついて、あり得たかもしれない先を想像させてくる。

 例えば、フロントから伝わってくる、固いものが粉々に砕ける衝撃と、肉を踏みにじる感触。想像するだに背筋が凍る。きっとすぐに止まることはできず、はねた体にタイヤで乗り上げる。車が上下に揺れる。その瞬間に疲労と油断はかき消えるだろう。遅れたブレーキ音が、永遠のように聞こえるだろう。

 動物ではなかった。人間だった。止まった車の中で、まずは記憶を反芻する。何度も。一瞬ではあったが、ライトにうつし出されていたのは、腰の折れた老人だった。遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきて、自分こそが死体であるかのように、体が冷えていく。まさかこちらに来るはずがない。こんな山奥で、すぐに通報する人間がいるはずはない。それを言うなら、そもそもあの老人は、こんな時間にこんな場所で何をしていたのか。疑念は徐々に大きくなるサイレンが飲み込む。

 叫びながら車を発進させる。車内に自分の声が反響する。ああ。あああ。骨を巻き込んででもいるのか。車体からガリガリガリガリ音がする。かき消すため声を張り上げる。ああああああああああ。気づけば、アクセルに置いた足が動かなくなっている。足首を何かがわしづかみにしている。あまりにも冷たい、指が。ヘッドライトの先に、ガードレールが見える。避けるためハンドルを切ろうとすると、横合いから、見覚えのある老人が飛び出してくる。真横に折れた首、反対側に向いた足。腕は肩から落ちている。目はこちらを虚ろに見る。


「……安全運転で行くよ、もちろん」

「ホラーだと、人から譲ってもらった車が事故車だったりして、運転手には何の罪もないのに、ってことも多いけどね」

「はは……。大丈夫、中古だけど、買った車だし……」


 クーラーの向きがいつの間にか変わっていたことに気がついて、向きを変えた。涼しい風がふっと肩の辺りを吹き抜けていった。

 ちらっとルームミラーを見るが、当然、何もいるはずがない。

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ホラー映画を見た後 早瀬史田 @gya_suke

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