後段 それらの正体

 だというのに、年下の一年生は笑いながら話を続ける。


「物語を動かすって意味じゃ、僕らは完璧にモブだよねぇ」


「日常が平穏であるように努めているんだ。そうでなくては困る」


 きつく言葉を返す。

 次いでにこっちの状態を察しろと、これみよがしに筆記の音を立てた。


 それでもあちらの口は閉じなかった。


「逆にさ……」


 ああ、もうっ。こうなったら直球だ。


 机を叩いて苛つきを露わにする。


「うるさい黙れ! 集中できない」


「だったら早く終わらせてよ。一緒に道場へ行きたいから、こうして待っているんじゃないか」


 後輩がぶーたれる。

 漫画表現的にはプーと頬を膨らませたことだろう。


「こっちの邪魔をするぐらいなら、先に行ってしまえ!」


 今度こそはっきりと拒絶を言い渡すと、目に見えてしゅーんと縮んだ。


 こっちより頭半分は小さい体躯をより寂しそうに丸めた。

 いっそ仔犬と見間違う過弱さを漂わせる。


 言い過ぎたかと思いつつも、先達として言わなければならない。


「何度も言っているが、もう少し周囲を見渡せ。空気を読めとは言わないが、話相手が何をしているかぐらいは見ろ」


「うん。わかった」


 素直に頷き読書に戻る本物の仔犬と比べては可愛くないヤツ。



 まったく。それもこれも図書委員たちが好き勝手に蔵書を増やすからだ。


 昨今は学校の図書室でティーンズ向けノベルが棚一つ占領しているのことも珍しくない。

 図書委員にそちら系統の人間が混じると馬鹿に出来ない年数まで尾を引き、芋づる式に導入希望が列挙される。


 そうした暇つぶしの材料があるから、どれだけも居座れてこんなことになる。


 蔵書の急増、つまり理数学部の部室がダンボールの要害と化している惨状の元凶だ。


 本の傾向変調を防ごうにも、事の起点がかつて本校に在学していた知人で、且つ現行で教員側に影響力を持っている。

 生徒側から図書委員や生徒会に圧力を掛けても止められない。


 ついでに言えば目の前のこいつにネット発のノベル作品を布教した人物でもある。しかも若干腐っている。


 その人は基本的に博愛主義で、こちらはその慈愛に救われた恩義がある。だから強く反発できず歯痒い。


 気休めを言えば、元凶の人が自身の趣味を無理に押し出さず、黙認気味に緩く保護しているだけなことだ。


 それでもかなりの数になっているのだが。


 だとしても、次の獲物としてこちらも趣味人の泥沼に引きずり込もうとするのは勘弁して欲しい。


 理数学部の在校生としても、一個人の趣向としても、本気で迷惑だから止めてくれ。


 そういうのはもう十分、腹一杯なんだ。




 苛立ちを納める為200ミリ紙パックのミルクココアを掴みストローで一口啜る。

 放置され購入時から微温くなっているが、甘い味が口内に広がり喉を通るのは心地よい。


 可愛くない仔犬が物欲しそうな視線を向けてきたが、先程の仕置を込めて完全無視する。


「あのさ、終わるまでもう喋らないから待っていてもいい?」


 萎れた後輩が怯えた態度で訴えてきた。


 無言で首肯して、問題集に向き直る。

 こっちは詰まりに詰まったスケジュールをやりくりしているのだ。大人しくしてくれるのなら、それでいい。


 本当に二人で道場に行きたいらしく、テーブルシェア相手は静かに読書に戻っていった。


 きゅっと絞まる気持ちに、少しだけ唇を食む。


 こいつは昔馴染み。だから言動の奥にある願望を知っている。


 出来るだけ長く二人で居られる時間が欲しい。


 とある事情から一人で過ごした時期がある後輩は、甘えたがりなのだ。


 現状と性格を知っていながら声を荒げてしまった。


 自分を先達とか言ったが実は理性で御しきれなかっただけ。

 苛ついただけかもしれない。あいつからもはからってやれと言われていたのに。


 ……蔵書話も、結局は八つ当たりの大儀欲しさ。整理できない感情から来る理不尽な憤りだ。

 少しだけミルクココアの甘みを打ち消すなにかが、腹の中ににじんだ気がした。



 それから少し時間が過ぎ、スマートフォンにセットしていたアラームが鳴る。

 ここでの自習を切り上げる合図だ。


 問題集に一区切り付けて閉じると、飲料パックも含めてさっと卓上を片付ける。


 席を立つ前に、そわそわと動く向かい相手に呆れた。

 仕方なしに手の平を振って発言の許可を出す。


「これから道場だよね。カバン持つよ。色々入っているから重たいでしょ」


 嘆息する。

 こいつなりの気遣いだろうが、余計なお世話だ。


 後輩に荷物持ちをさせる居心地の悪さを想像し断ろうとした矢先、笑顔で返された。


「片方が手ぶらじゃ不自然だから僕のと交換ね」


 言うや自分のカバンを突き出してきた。

 まあそれぐらいは甘えさせてやろう。


 こちらが軽いカバンを受け取ると、あっちは卓上のカバンを持ち、開いた腕で読み終えた本の束を抱えた。


「それと、さっきの続きだけど」


 終わった話題をまだ掘り返すのか。

 本当に空気が読めず懲りない奴だ。


「平穏に過ごそうとすれば僕らでも普通の人間でいられる。

 どんなに壮大な設定を付けられたキャラクターでも、物語が必用とされない限り只の名無しモブキャストだ。


 それでいて、平凡な人でも奇想天外なトラブルに巻き込まれることもあるし、どれだけキャラを尖らせても物語が始まるとは限らない」


 図書室に続く出入り口で小柄な少年が少しだけ振り返える。


「そういう意味じゃ恵姉めぐねえは良い例だよね。


 長い黒髪でクールビューティの眼鏡委員長系、長身巨乳のスポーツ万能、武道有段にプチお嬢様で男言葉。

 そんでもってトドメの超能力者。


 主人公ヒロインやれるぐらい属性てんこ盛り。


 なのに僕らの周りじゃラブコメやバトル物、探偵が必要な怪事件とか、その他諸々がまったく起こらない」


「お前が属性盛りとか言うな。この大・暗・黒・竜・が」


 立ち止まった巴馬はばとおるの背中を、ヤツの軽いカバンで叩いてドアの先へと追いやる。


 二つ年下の幼馴染より、まだまだこちらの方が上背がある。

 私の身長が高めなこともあるが、透も平均より小さい体躯をしている。体格差で押し出しするのも苦ではない。


 こいつが正体に戻らなければ……、ではあるが。


 世界各地の終末伝説にもとづく超々弩級巨大怪獣のたぐいである透は、重ねた本が崩れないようにたたらを踏みながら図書準備室を出ていった。


 私は手に持つカバンを一瞥して後を追う。


 全教科の教科書を受け取った初日に完全暗記するような人外のカバンは、一冊のノートと筆記用具しか入っていない。


 これは真面目に授業を受けるための道具だ。

 教科書は全て学校の個人ロッカーに仕舞われ、授業ごとに取り出される。

 ノートも教科別に使い分けることもしない。換わりに毎ページに日付と時限数、そして授業の内容が丁寧に書かれている。


 そう、この幼馴染は存在と能力に身合わない実直な性格をしている。


 能力の発露にも気を使っていて、このカバンさえも本当の中身と重さを知っているのは私と透の同族たちだけだ。

 学内の人間で理解出来る者がいるかどうか。


 ただの一学生が全教科書を丸暗記している。


 これこそ正に異常行動なのだが、これはまあ、こちら側の覗ける存在へのトラップでもあるから深くは言わないでおこう。


 ここに来るまで自らの能力で自刃し続けていた透は、悪夢の循環から解放された今生をいたく気に入っている。


 こうして眷属である私に人間らしく絡んでくる程度には、ありふれた少年のかおをして型にはまっている。


 世界を愛す故に殺戮の慟哭を放っていた頃とは比較出来ないほど、とても安定している。




 二人揃って校門を抜け、実家が経営する合気道場に向かって歩く。


 私の横では『乖離による減少』の形象具現態が無邪気に微笑っている。


 雑談を交わしながら、私は『天弦欠けしグローバル逆七芒星デバイス』後方右舷『殺龍機さつりゅうき』の巫女として祈る。


 願わくば『殺龍機』が今のキャラクター像を崩さず、終末の巨獣としての本性本懐を果さずに要られますように。


 この世界、この演劇、この物語、この小説がそういう日常的な方向に進みますようにと。


 たとえ立川たちかわめぐむの能力が彼ら右舷『離龍』を源泉にしており、己の祈りが現実から幸を遠ざけるもの、だとしても。


 遥か昔、もう一柱の我が主『封龍機ほうりゅうき』と共に那由多の世界を旅し、『殺龍機こいつ』を解放させた奇跡があるのだから。


 一縷の望みに掛けて、深く、祈り続ける。

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学園の放課後に図書準備室で二歳違いの幼馴染がする何でもない会話 石狩晴海 @akihato

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